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2020年8月31日 (月)

人生意気に感ず「ふるさと塾の情景。感染症の歴史を語る。安倍長期政権は何だったのか」

◇29日の「ふるさと塾」はしっかり準備して臨んだ。マスクをして長時間大きな声を出すのは大変だったが塾の雰囲気が疲れを忘れさせた。40人を超える塾生が全く私語もなく耳を傾けてくれた。テーマは「感染症の歴史」で、新型コロナウイルスの現状から入って歴史上の主な感染症のパンデミックについて、映像を使って話した。一つ一つの時間には長短はあるが、コレラ、ハンセン病、ペスト、梅毒、エボラ出血熱などに及んだ。梅毒はコロンブスの新大陸発見との関連で語った。発見された側にとっては正に開闢以来、空前絶後の悲劇の幕開け。新大陸の人々にとっての敵は侵略者スペイン人と共に旧世界の感染症だった。免疫力が全くない人々はなす術もなく屍を重ねた。梅毒は新大陸の逆襲として話した。コロンブスたちは梅毒と共にヨーロッパに戻った。今度は免疫力のない旧世界の人々の間にあっという間に蔓延したのだ。ハンセン病は十字軍の遠征によりイスラム世界からヨーロッパに持ち込まれ広まったと言われる。言うまでもなく古代からの感染症でこの病程差別と偏見により人権が踏みにじられた例はない。私は拙著「死の川を越えて」に触れながら日本の隔離政策に触れた。コレラとペストは猖獗(しょうけつ)を極めた。コレラは幕末の日本に長崎から入り江戸に飛び火して多くの死者が出た。人々は「たたり」だと考えオオカミの毛皮でお祓いをした。そのためオオカミが激減して絶滅につながったという。

◇最近のエボラ出血熱に関しては、アフリカの未開の地の社会環境が対策を妨げていることを話した。人々は敵が謀略で毒をまいていると信じ医療施設を襲ったり暴動を起こしたりする。無知が偏見を生み風評被害を起こすのは、どこでも根底において共通しているのではないかと私は語った。この「ふるさと塾」には時々楽しいことがある。この日は塾生のMさんが茄子やイチジクを50個も小さな袋に入れ皆にプレゼントしてくれた。Mさんは秋には柿を差し入れる。塾生たちはMさんの心を受け止め嬉しそうであった。Mさんは幼少時満州の開拓から引き揚げた人で、現在も満州の悲劇を語り継ぐ運動に打ち込んでいる。

◇安倍後継のことで世の中は沸き立っている。彼の評価は大きく分かれているが、戦後の宰相で最長期間勤めた事実は重い。それを正しく評価するのは時の経過の役割だろう。国会議員の資質が低下している中、後継選びは難しい。(読者に感謝)

 

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2020年8月30日 (日)

小説「死の川を越えて」第265回

「厚生省の本省の役人の態度は非常に重要なので特に聞きたいのですが、あなたが療養所課長に就いた頃、厚生省の役人の大半は隔離は当然という風に考えていたのでしょうか。それであなたのお考えはどうでしたか」

 法廷はまたシーンと静かになった。大谷は法廷にみなぎる緊張感を全身で受け止めて答えた。

「はい、そうでした。私も小河原氏も、らいは感染症であるけれども社会から全く排除してしまうようなものではないと確信していました。そういう必要は全然ない、普通の病気に関して注意するのと同じであると考えていました。例えばセックスによって伝染する病気とか、肝炎などの色々な病気の方がむしろ伝染の危険性があるが、それを隔離しようなどとは当然考えていないのと同じです。このような視点からすれば、ハンセン病を隔離するらい予防法は有り得ないと思いました」

「本省で隔離を当然とする役人が多いというのであれば、全国の療養所の中には法律をそのまま受け止めて退所は認めないという所も少なくなかったということですか」

「はい、そうだったと思います」

「そうだとすれば改革が必要だったことになりますね。あなたは何か改革を試みられましたか」

「はい、患者の代表の方などが来られた時、課長室に通すなど従来と違ったことをやりました」

「それまでは、会見の場はどこでしたか」

「赤レンガの別館でした。お茶は出されたとしても後で紙コップを焼却するというやり方だったのです」

「つまり、厚生省の担当課自体にひどい偏見があったということですね。それは、その時もらい予防法が存在していたためと思いますが、先生はらい予防法をそのお立場でも見直すべきだとお考えでしたか」

「はい、私は制度そのものが間違っていると考えておりましたから、当然見直すべきものと考えておりました」

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しております。

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2020年8月29日 (土)

小説「死の川を越えて」第264回

 国の政策が誤りであったこと、そして、その基となった法律を国会が成立させ、廃止しなかったことの責任を裁判所が認めるかどうかが裁判の勝敗を決めることになる。国の元高官のこの一言は国の誤りを決定づける重要な意味があるに違いない。こう思って顔を見合わせる人々の姿があった。

 プロミンにより治る人が多くなった。療養所の運用も弾力的にして、外に出ようとする人は出られるようになった。しかし、園を出る人は少ないというのが驚くべき、そして不思議な実態であった。

 尋問はそこに向けられた。尋問者は傍聴者が驚いている光景に深く頷きながら尋ねた。

「ほとんど病気が治っている方たちが園を出ないという実態がありましたね。療養所の所長の中には法律が隔離を定めているのだからと頑なに考え、出させない療養所があったと言われます。それは別として、出られる療養所が存在し、そこではその気になれば出られるのに出ない人が多い。

その原因はどこにあるとお考えですか。社会復帰を妨げる最大の原因は偏見である、そして、この偏見を支える一つがらい療養所の存在であるという見解があります。先生も同じ認識ですか」

不思議な実態も国の誤った政策の故かと尋問者は問うていた。

大谷は少し苦しそうな表情で言った。

「はい、私の現役中の立場としては、なかなかそう言えなかったのですが、実際はそうであったと思います。療養所が存在するために社会の偏見が改まらない。療養所の存在が社会の偏見をつくっていたと思います」

 傍聴者たちの表情に大きな驚きが現われた。

「改めてお聞きしますが先生御自身とすればプロミンが出た時点において隔離の医学的根拠はなくなっていたとお考えでしたか」

 大谷は頷いてきっぱりと答えた。

「はい、少なくとも医学的根拠はなくなったと考えます」

 尋問者は、それを確認して、今度は厚生省の役人全般の問題を取り上げた。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月28日 (金)

人生意気に感ず「文科省の学校へのメッセージ。政府全国民分のワクチンを確保へ」

◇コロナ戦で、コロナと共に怪物が徘徊し人々を苦しめ社会を混乱させている。怪物とは中傷、デマ、風評でありいじめと同根である。怪物はSNS等の文明の利器を使う卑怯者である。自分を明かさずに他を攻撃することは無責任であり弱者の手段である。日本の社会の病理を象徴するものでもある。

 職員がコロナに感染した認定こども園のことが報じられている。「地域の行事が中止になるかも知れない。どうしてくれる」、「すぐに全員の検査結果を公表しろ」、この種の電話が相次いだという。大人の世界がこうだからこどもの世界は尚更だろう。

◇夏休みが終わり、学校が始まる。登校を恐れる子どもが多いに違いない。こどもの世界は残酷である。行政はコロナ禍を教育の問題として受け止めて対策を立てるべきは当然である。

 文科省は25日、コロナによる差別いじめを防ごうと児童生徒教職員保護者等にメッセージを発表した。全国の学校は今やクラスター発生の危機にある。そこでは感染者へのいじめや誹謗中傷が起きている。再開する学校を悪魔の森のように恐れるこどもたちが居るに違いない。彼らを救わなければならない。

 文科相は呼びかける。「感染した人が悪いのではありません。早く治るように励まし治って戻ってきたときに温かく迎えて欲しい」と。子ども達の背景にいる保護者の存在は非常に重要である。親の考えはただちに子どもに影響を与えるからである。文科相は保護者に対し差別に同調せず、差別に対してはそのようなことはやめようと声をあげることを促している。

◇文科相のメッセージがいかに効果をあげるかは地方の受け止めと施策にかかっている。各自治体の首長はその地方の特色を踏まえて、工夫を凝らしたメッセージを発すべきである。

 現在、子ども達の心の世界は危機にあると思う。物質中心、欲望に流される享楽の社会の影響を受けるのは子どもたちである。子どもたちにコロナに関し差別といじめをしないよう導くことは子どもたちの心の世界を正す絶好のチャンスなのだ。

◇政府は来年前半までに全国民分のワクチンを確保し、また新型コロナと季節性インフルエンザの同時流行に備え検査体制を拡充する方針などを明らかにした。これを実現するためには都道府県との連携が不可欠。政府は9月初旬にも都道府県に検査体制の整備計画策定を要請する。コロナとの国を挙げての天王山がやってくる。(読者に感謝)

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2020年8月27日 (木)

人生意気に感ず「ウイルスとの闘いは永遠の課題。人類は謙虚になるべきだ。コロンブスがもたらした悲劇は」

◇今月の「ふるさと塾」は29日土曜日でテーマは「感染症の歴史」である。ウイルスのしたたかさは想像を超える。この地球に生命誕生と共に現われたウイルスは40億年を越える年月を変異を重ねることで生き抜いてきた。

 このような巨大な敵に対峙していることを私たちは認識しなくてはならない。それは人類が謙虚になることを意味する。現実はといえば自国第一という偏狭なナショナリズムが蔓延している。コロナ陣営は人類の愚かさを冷笑しているに違いない。歴史を振り返ればどの世紀にも悪魔の襲来があった。比較的新しい時代を見てもハンセン病(13世紀)、ペスト(14世紀)、梅毒(16世紀)、天然痘(17世紀)、コレラ(19世紀)、スペインかぜ(19世紀)、エボラ出血熱・新型コロナウイルス(21世紀)などだ。「塾」ではこれらの中のいくつかを用意した。

 現在のコロナウイルスもこれら歴史上の大災害の中に位置づけることによってことの重大性とそれへの対応が認識できると思う。

◇また、取り上げる中にコロンブスの新大陸発見と感染症を予定している。コロンブスはこの塾で何度も取り上げてきたが、今回は新型コロナの渦中にあって感染症を意識的に問題にするつもりだ。

 教科書ではコロンブスの新大陸発見について輝かしい業績として説明されがちだが、発見された側にとっては悲劇の幕開けであった。

 カトリックの世界はキリスト教を押しつけることで精神までも踏みにじったが更に言語に絶することは感染症を持ち込んだことにより、場所によって先住民を絶滅近くまで追い込んだ。免疫力のない人々にとって新たなウイルスの凄さは圧倒的であった。また、「梅毒」も取り上げる予定の一つであるが、新大陸に存在したこの感染症はコロンブスの帰国後直ちにヨーロッパ世界に広がり、やがて日本にも伝わった。ペスト、コレラ、ハンセン病はそれぞれ猖獗(しょうけつ)を極めた。ハンセン病は癩と言われて恐れられ迷信と誤解によって多くの人が苦しめられた。私は新聞連載の「死の川を越えて」の中で、国の誤った政策が差別と偏見を助長し人権を著しく踏みにじったことを描いた。世界史の中では13世紀の十字軍の遠征によってヨーロッパにもたらされ蔓延した。現在、感染症は開発によって森を追われた動物との接触が新たな波を起こしている。これにも触れるつもりだ。多くの方の御参加を期待する。(読者に感謝)

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2020年8月26日 (水)

人生意気に感ず「コロナの下の議会改革。議会の形骸化と議長の権限」

◇議会改革への提言はいくつもあるが先ずは議会事務局員の採用の件である。「ミライズ」で議論したことの一つに関する。構造的な問題なので県民に分かるように説明する必要があるだろう。知事部局と議会は同根べったりであってはならない。緊張関係がなければ議会は知事を批判することが出来ないからだ。だから究極の理想は議会に仕える事務局員は議会が独自に採用することである。東京都などはそれを実施している。それが直ちに実現できないとすればそれなりの工夫がなされねば議会はその使命を果たすことが出来ない。これは私が議員の時の大きな課題であった。「議会事務局の任免権は議長にある」。このルールを重視すべきであるが活かされていない。平成23年5月議会で大澤知事は私の質問に答えて言った。「県議会をサポートする立場にあります事務局職員が議会の役割の重要性を認識致しまして、議会に奉仕する自覚をもって仕事に取り組むことが重要であると考えております。事務局職員の任免権を有する議長との間でしっかりと協議を行ってきたところでありまして今後も議会の求める人材の配置という視点に立って十分協議を進めてまいりたいと考えています」

 大澤知事のこの発言は非常に重要である。私は議長経験者として反省を込めてここに記述するが、議長の職員任免権(地方自治法138条)が活かされていない。この任免権の存在を認識していない議長もいると言われる。議長はできることから一歩一歩の工夫を重ねるべきである。例えば、職員一人一人を呼んで議会職員の役割の本質を話すなどだ。「任免権」についての議長の決意と職員の使命を簡潔な文を作っておいて読ませるなども有効だろう。県議会が改革の範を示せば市町村の議会にも緊張感を与えるに違いない。地方の政治は民主主義の基盤である。ところが現状は酷い状態である。コロナ戦争の下で地方の力が試されている。「為す術を知らず」の状態で地方議員がこの前代未聞の危機に何もしていないという声が聞こえてくる。議会改革の絶好の機会が迫っている。

◇アメリカ大統領選が迫っている。アメリカは民主主義の旗の下で分断状態を克服できるのか。「真のアメリカナンバーワン」は民主主義の真の力を世界に示すことである。その第一歩は世界が力を合わせ、コロナを克服することだ。世界に蔓延するナショナリズムはコロナを助けることになる。(読者に感謝)

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2020年8月25日 (火)

人生意気に感ず「75年前を真に反省する夏に。なぜ無謀な戦争に。中国のワクチン投与に注目する」

◇8月が残り1週間となった。毎年深刻な思いで75年前を振り返るが今年が格別に思えるのはコロナ戦争と重なるからだ。その思いであの敗戦の一年をかみ締めたい。

 1945年3月東京大空襲、4月沖縄本島に米軍上陸、そして8月こそ大変だった。「6日広島に原爆、8日ソ連対日宣戦布告、9日長崎に原爆、14日ポツダム宣言受諾、14日天皇の終戦放送」。9月2日戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印。この調印式こそ、日本の終戦・敗戦を正式に決定する意味がある。

◇一方世界情勢も誠に暑い一年であった。1945年4月、ルーズベルト大統領が没しトルーマンが昇格。原爆はトルーマンによって落とされた。この4月ムッソリーニは銃殺されヒトラーは自殺した。敗戦の独裁者の末路は哀れだ。そして5月ドイツは無条件降伏したのである。

 イタリアは既に1943年無条件降伏していたので、日独伊三国同盟は瓦解した。勝ち目のない無謀な戦争になぜ参加したかをこの夏歴史を振り返って反省しなければならない。私は、日独伊三国同盟に参加したことが第一の要因だと思う。当時ドイツの快進撃を見て、「乗り遅れるな」という強い空気があった。判断の座標軸は自由と民主主義であった。これを否定するナチスの世界観に同調したことをこの夏、最大の歴史の教訓として捉えねばならない。

◇コロナ戦争が大きな節目を迎えている。専門家の分科会ではピークを過ぎたと判断しているが予断は全く許されない。群馬県の感染者が連日10人を超えていることはそれを物語る。世界での猛威はすごい。日本が世界の一環であると考えるなら世界の波に呑み込まれる恐怖を肌で感じる。

 世界の感染者は2,300万人を超え、その死者は80万人を突破した。注目すべきはアメリカ、ブラジル、メキシコ、インドである。トップを走るアメリカの死者は17万6千人を超えた。これらの国の実態は猖獗(しょうけつ)を極めている。これらの惨状が我が国へ及ぶのを防ぐ防波堤は私たちの自覚である。

◇中国ではワクチンの緊急投与が7月22日から始まったと言われる。大丈夫かと思ってしまう。問題の根底には「人権」がある。医療従事者や感染症対応に当たる人などが優先されるらしい。一党独裁の国で共産党幹部が優遇されるようなことがあれば大問題になるだろう。コロナを発生させた国のワクチン対応に注目が集まる。(読者に感謝)

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2020年8月24日 (月)

人生意気に感ず「地元の議会革命のカギは。ワクチンの優先順位は重大な人権問題だ。米大統領選の行方」

◇22日、ミライズの会で議会改革について話したが、最大の議会改革は議長の選び方にあるということにも話は及んだ。私も議長経験者なので陋習(ろうしゅう)に流された勇気のないかつての自分の姿を思い出した。陋習とは悪い習わしのこと。議長の任期は法律上4年であるが一年で辞任する習わしが続いている。多くの者に議長の椅子を回すためだ。結果としてほとんど全ての自民党議員が議長を経験する。このことは議長職の権威を軽いものにし形式的なものにしている。中には議長の重責に適さない可能性の者も就任する。それでも済んでいくところに問題がある。知事と車の両輪であるべき議会がこれで良いのかという声が聞かれる。議会の形骸化の象徴というべきだ。

◇コロナ戦争が激しく展開する中でワクチン開発競争が予想を超えて激化しているらしい。最先端を走るのが英アストラゼネカと米ファイザーである。日本政府はこれらが開発に成功した場合両者から1億2千万人文の供給を受ける合意を取り付けている。実際に接種する場合にいくつもの課題があるが、その第一は優先順位である。限りあるワクチンを一度に全員に接種することは不可能である。段階的に接種する場合に優先順位を予め考えておかねばならない。これは私が県議会にいた2009年の新型インフルエンザの時も議論されたことである。あの時は社会の存立と方向を支える政治を優先順位に位置づけるという意見もあった。現在、この考えを出せば世論の袋だたきに合うだろう。

 今回、コロナ分科会は提言をまとめたが流石にこの考えはなかったようだ。分科会は重症化リスクが高い高齢者や生活習慣病などの持病のある人、治療に際し感染リスクが高い医療従事者を優先接種に位置づけた。大きなくくりとして異論はないと思う。ことは人権に関わる重大問題である。重症化リスクの高い高齢者の中には様々な人がいる。回復の可能性が少ない重症高齢者等が後回しにされる可能性が議論されるに違いない。優先順位者の中の第一位には医療従事者を位置づけるべきだと思う。

◇ワクチン接種は目前に迫っているが南米、インド、アフリカなどの後進国へワクチンがわたる事を考えねばならない。国連のWHOの独自のプランに期待したい。目前の米大統領選の行方と結びついている。民主党政権が真のアメリカの指導力を試す時になるだろう。(読者に感謝)

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2020年8月23日 (日)

小説「死の川を越えて」第263回

 人体実験の証言に衝撃が走り、一瞬法廷は水を打ったように静まり返った。

 次に尋問は隔離の必要がないのに隔離を続けたのかという点に向けられた。基本的人権の保障も絶対のものではない。憲法は国民の基本的人権は公共の福祉に反しない限り国政の上で最大の尊重を必要とすると定める。だから公共の福祉のために必要ならば、最小限の制約は許されるので隔離は予防に必要な最小限のものであったかを追及したのだ。

 そこで、特効薬・プロミンの話になる。治らない病だということが隔離政策を支える一つの根拠になっていた。ということは治る薬が出来れば隔離する理由がなくなることになる。つまり隔離は公共の福祉のために最小限必要な制約とは言えなくなるのだ。驚異的なこの特効薬は戦時中アメリカで開発されたが、日本はアメリカと戦っていたので手に入れることが出来なかった。日本は、同盟国ドイツから、ふとしたことから文献を入手した。日本に来たドイツの軍用機に一冊の医学書があり、それが東大の研究室に持ち込まれた。それを東大の石館守三教授が目にして研究し、プロミンの合成に成功したのである。

 尋問者が尋ねた。

「特効薬プロミンの効果はどうだったのですか」

「はい、大変素晴らしいものでありました。今までの薬では副作用で二目と見られない症状になったのですが、プロミンによってまるで嘘のようにきれいになっていきました」

 傍聴者の間に驚きの表情が広がった。

 尋問者は、この言葉に頷くようにして言った。

「プロミンの効果が明らかになったにも拘わらず新らい予防法を成立させ、従来の隔離政策を改めなかったというのは明らかに国の誤りであったというべきではないですか」

 新らい予防法は、それ以前のらい予防法と同様隔離を定めていた。大谷は一瞬目をつぶり、意を決したように頷いて答えた。

「はい、誤りであったと思います」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月22日 (土)

小説「死の川を越えて」第262回

大谷は、それを受け止めた様子で言葉を止め遠くを見るような仕草をした。傍聴席の人々は次に何が語られるかと息を呑んで大谷の口元を見詰めた。

大谷は言葉を選ぶように語り始めた。

「私は先生から大変心に残る話を聞いたことがありました。それは、群馬の草津から、お腹に子どもを抱えた女が京大病院を訪ねた話です。先生は人生に前向きなその女の必死な姿に打たれて御自分の信念を語ったのです。先生の話に頷く女の輝く目を見て施設に閉じ込めて自由を奪ったら瞳の輝きは失われてしまう、国の隔離政策は誤りだと確信したそうです。この女性は先生の話に励まされ、子供を産み、そのお子さんも長い人生を逞しく生き抜いておられます。誤った政策は社会からこのような人生の芽を奪っているのです。隔離したら生きる力も失われる。そして、人間の生涯を奪ってしまう。この生きる力こそ免疫力の源泉だと先生は申されました。私は、この話は人道主義、そして人間の尊重、医は仁という根本的なことを教えていると信じます。個人の尊厳よりも国の都合を考える立場の恐ろしさを痛感いたします。時代を超えた真理として、敢えてこの席で述べさせて頂きました」

 傍聴席から抑えきれない熱い感動の渦が広がった。

この時、裁判官の無表情な顔に一瞬何かが動いたように感じられた。

 大谷は続いて、更に、感染力が極めて弱いことに関するらい菌接種の人体実験に関する驚くべき証言をした。

「京都大学でも、小河原泉先生のところに、先生を信頼した医者がいまして、先生が学界で国賊扱いされたことに腹を立て、本当に伝染するかしないか明らかにしなければと、この人は自分の体にらい菌を接種したのです。もう一人検査技師の方も接種しました。あの種痘法発見のジエンナーを思わせます。小河原先生を思う気持ちがいかに熱いかを示すものです。2人とも、体に入った菌は一年位生きていましたが皆消滅してしまいました。このように菌が体に入っても発病するとは限らない、感染と病気の発症とは別なのです」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月21日 (金)

人生意気に感ず「暴力団と県営住宅。条例改正の思い出。議会改革の重要な視点」

◇8月が後半に入ったが重要な予定が二つある。「ミライズ」と「ふるさと塾」である。ミライズは月1の勉強会だが、今回は代表の私が講師でテーマは議会改革。地方議会の形骸化が指摘されている。議会改革は7期の県議生活で心を砕いてきたテーマであった。その一環として私が中心になって実現させた2007(平成19)年6月議会における暴力団対策条例案について説明する。平成15年に三俣町のスナックで暴力団の抗争事件が起きて民間人3人が巻き添えで射殺され暴力団の恐怖が市民を脅かしていた。

◇6月6日、私は本会議場で「群馬県県営住宅管理条例」を改正する条例につき提案説明をした。私は「県民の安全と民主主義を守るために自ら条例案をつくった」と述べた。その後、常任委員会での質疑・審査を経て本会議の決議となる。県土整備常任委員会は「可決すべきもの」と決定した。これを受けていよいよ本会議である。平田英勝委員長が登壇して委員会審査の状況を説明する。委員長は「画期的」と評価した。その意味は広島県・福岡県に次ぐ三番目の制定という点、および議員提案の暴力団排除条例としては全国初であること、更に暴力団に対する県民の不安に県議が勇気をもって対応した点である。

◇具体的な条例の改正点は、県営住宅の入居資格に「暴力団ではないこと」が加わったこと、入居者が暴力団員と判明した時、知事は明け渡しを請求できるとしたことである。さらに「暴力団員は駐車場を使用できない」ことも加えられた。この改正条例案は本会議に於いて全会一致で可決された。これを受け県下の全市町村の公営住宅の管理条例が同じような内容に改正された。

 この改正条例に関して面白いエピソードがある。暴力団にとっては一大事である。そこで私に対する危害が心配された。しばらくの間、前橋東警察署は私の家の回りをパトロールしたのである。幸いに心配されたことは起きなかった。この改正条例の運用については、警察が資料提供につき協力するなどしてうまくいっている。当時県の住宅行政には、平等原則(憲法14条)及び生存権(同25条)の点から条例改正に消極的雰囲気が感じられた。なお、この条例作業に関し地方の出来事に関しても憲法が重要な関わりをもつことを多くの人が学んだと思う。地方議会に於いて憲法の議論が少ないことは反省すべきことである。(読者に感謝)

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2020年8月20日 (木)

人生意気に感ず「首相の疲れた表情は。コロナと高齢者の危機。天皇の戦争責任」

◇安倍首相の表情に濃い疲労が感じられる。首相という立場の重大さを今日の状況の下で考えれば無理はないと思う。それにつけても思う。過去の異常事態の時、日本そして世界の指導者は政治的・身体的・精神的重圧をいかに乗り切ったのかと。

 これまで安倍首相はよくやってきたと思う。特に外交面の活躍には目を見張るものがあった。降って湧いたような事態はコロナである。コロナの襲来は世界大戦の如き状況である。平和ぼけの日本人がパニックに陥っている。パニックの象徴が「マスク警察」と言われる現象であろう。このムードに呑み込まれた大衆が感染を疑ってマスク警察に近い態度をとる現象が至るところで起きている。社会の指導者は目先に踊らされてはならない。一時の不評に惑わされず信念を貫くべきだ。

◇全世界で言えることであるが、ポピュリズム(大衆迎合)が起きている。非常に危険である。安倍首相について体調の不良が報じられている。吐血、入院の噂が飛び交っている。コロナの渦に呑み込まれ沈んでいく姿は見たくない。首相に必要なのは一時、渦から離れて休養することだ。

◇高齢者についてよく言われることがある。ころんで寝込むと筋力が落ち、惚けが始まると。私の母は90歳一歩手前で亡くなったが、入院すると一時的に惚け退院すると回復した。これは高齢者の認知現象に動くことがいかに深く関わっているかを物語る。コロナに襲われ認知症という黒い淵に引き込まれようとしている夥しい高齢者の姿を想像するとぞっとなる。そこにこの暑さである。コロナの嵐の陰に累々と倒れ、あるいは彷徨う認知症の姿を思う。

◇75年目の8月が去る。戦争が国際的に終決したのは翌9月2日の降伏文書の調印による。そして9月11日東条ら39人が戦犯容疑で逮捕される。この中には安倍首相の祖父岸信介もいた。そして翌年5月3日国際軍事法廷が始まる。私はかつてその法廷跡を見て厳粛な気持ちになった。もし、この法廷に天皇が立たされたら日本は大混乱に陥ったに違いない。8月15日の皇居前の光景はそれを暗示させる。欧米のメディアは厳しかった。アメリカの世論は「天皇処刑」が33%であったし、ソ連・中国・オーストラリアなども裁判にかけることを主張した。マッカーサーなどは天皇の影響力を知っていたから天皇を利用して混乱の収拾と支配を図ったのだ。(読者に感謝)

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2020年8月19日 (水)

人生意気に感ず「酷暑とコロナの連合軍が。満州の悲劇、松井かずは必死で生きた」

◇コロナの嵐と酷暑が連合軍を形成して猛威をふるっている感がある。「コロナウイルスは高温に弱い」という説は誤りだったのか。それともしたたかなウイルスが変異を遂げた結果なのか。うだるような暑さである。11日に伊勢崎、桐生で記録した40.5度は全国一位で、以来連日猛暑が続く。アメリカ・カルフォルニア州のデスバレーでは16日、史上最高に近い54.4度を観測した。温暖化・異常気象に人間が耐えられる限界に来ていると思われる。

 全世界でコロナが再び拡大の動きを示している。コロナによる国内の死者が8月に入って急増している。重症者も増えている。陽性者が増え、そこから重症者が広がり、重症者の中から死者が出るという順序なのだろう。“それ夏本番だ!”というので主に若い人が海や山へ繰り出している。そこでは「三密」は維持しがたい。若い人から高齢者に必然的にコロナは広がり抵抗力のない高齢者は斃れていく。この連鎖が当分続くのではないか。

◇この8月にブログで、ニューギニア・シベリア等の悲劇を紹介したが、もう一つ書かねばと思うのは満州の地獄である。「炎の山河」の中で取り上げた松井かずさんのことだ。前橋在住だったかずさんは敗色濃い昭和20年5月勤労奉仕隊に参加して満州に渡った。北満の果ての奉国農場の夏は短かった。あるとき敗戦のニュースが伝わり日本人の悲劇が始まる。馬賊が襲い、ソ連の侵入が始まった。逃避行でかずさんは人間の極限の姿を見る。置き去りにされる幼児や老人、ソ連兵に犯され気が触れた少女、暴民は女の下着の最後の一枚まで剥ぎ取った。ある娘は身体中のシラミを取ろうとしなかった。ソ連兵は汚い女を嫌がるという噂を信じたためだ。ソ連兵に連れ去られた女たちは二度と帰らなかった。かずさんはソ連国境からハルビンを経て撫順の炭坑にたどり着く。その間の列車は寿司詰め状態でトイレはなく、隅一箇のバケツのみ。家畜の貨車の臭いは耐えがたかった。かずさんは炭坑で病を煩い生死の境をさまよう。同じように寝ていた女性が姿を消す。どこかへ売られたのだ。そういう状態でかずさんは一人の中国人坑夫と結婚する。文字も書けない男だったが正直者で家族を守った。かずさんはこの男との間に生まれた5人の子どもを立派に育てた。初めて見る新しい東京は夢のようで信じられなかった。敗戦で廃墟と化したと教えられていたからだ。一家は前橋市の広瀬団地に落ち着いた。かずさんは日本人女性として、また母として生涯を貫いて世を去った。(読者に感謝)

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2020年8月18日 (火)

人生意気に感ず「コロナの状況・世界と日本。コロナと真の平和。コロナ後の日本の存在」

◇私たちは現在世界のコロナ大戦のただ中にいる。この状況、つまり戦況を示すものは感染者数である。15日現在の世界の感染者は2,100万を、そして死者は76万人を超えた。この76万人は戦死者であると捉えるならコロナ戦の深刻さと凄さが窺える。各国の被害状況は重要なことを物語っているようだ。アメリカがダントツで感染者530万人を超えた。うち死者は168万人を超えた。それに続く感染者横綱級はブラジル(320万人)、インド(250万人)などである。ここで日本の感染者状況を示すとその差が驚異的であることが分かる。15日現在で5万5千人である。

◇しかし、日本の状況は決して楽観を許さない。全国的に爆発的に増加する可能性がある。その中でも深刻なのは各種クラスター状況である。高齢者及び、障害者の施設、また特殊なケースとしてホストクラブなどが注目されているが、クラスター(集団感染)の可能性はその他でも多いのではないか。現在にわかに浮上してきたのがスポーツの関係である。寄宿舎、寮の環境で活発な活動が行われればウイルスに接する可能性が増大するのは当然である。このように考えればスポーツに限らず各種学校の寮も同様である。

◇対ウイルスの戦略は世界的規模で人類の知力を尽くして行われている。知力の点で最も注目されるのがワクチンである。アメリカ、イギリスなどは、国・製薬会社・大学が連携して予想以上の成果を上げているらしい。接種の実現は目前と言われる。

◇8月が過ぎていく。各メディアが一斉に戦争体験を報じている。ほとんどが90歳を過ぎている。終戦から75年といえば当然のことだ。このことは何を意味するのか。あの戦争が紙上の存在となることだ。私が関わった戦争体験者も岩田亀作さんを除いてほとんどが世を去った。今年の8月が特別だという意味はこのことに加えコロナウイルスの襲来である。

 コロナの惨状は真の世界平和とは、そして真の文明とは何かを突きつけている。ワクチンが出来ても貧しい国には容易に渡らないだろう。コロナ禍に乗じて覇権を広げようとする国もある。コロナは経済を壊滅に追い込んでいる。生き残るために各国が自国優先に走っている。これらは平和に逆行する動きである。このような中で民主主義は益々重要になっている。このことは民主主義を基盤に据えた日本国憲法とそれに立つ日本国の重要性が増すことを意味する。あの戦争の惨禍はコロナの真の克服によって活かされる。(読者に感謝)

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2020年8月17日 (月)

人生意気に感ず「ホストクラブ・アプレシオとクラブ・レイ。天皇コロナに言及」

◇8月15日衝撃を受けたニュースは「新たに16人の陽性」であった。終戦の日なのに、なぜ驚いたのか。群馬県の感染者は累計270人(うち死者は19人)である。陽性16人のうちには前橋市内のホストクラブ従業員ら7人が含まれる。群馬県の感染者は今後激増するのか。ホストクラブの実態は何を意味するのか。私は前橋市内にホストクラブが少なからず存在することに驚いたのだ。ある情報によれば少なくとも3カ所ある。前橋市は千代田町の「クラブ・アプレシオ」と公表した。ことの重大性から公表は当然だろう。そして5人の濃厚接触者の検査を進めるという。そこの客は明らかになることを必死で隠すだろう。だからそこからの感染経路は不明となるに違いない。新宿歌舞伎町の風俗の縮図である。

◇風俗は社会の隠れた実態を現わす。ホストクラブの存在は、社会が大きく変化しつつあることを物語る。女性が男性から接待を受けることはかつて考えられなかった。男性が女性を接待する業種が社会全体に広がりつつある。これを図らずもコロナが明らかにした。

◇これまでのコロナ禍の推移の中で検証されたことは国と県、県と市町村、それぞれの有効な連携である。厚労省はクラスター等に対応するため都道府県の枠を越えて保険師を融通する広域調整に着手した。例えば東京のある風俗で感染者が発生した場合、その動きを追跡するため県を越えて協力体制が必要なのだ。

 群馬県は高齢者や障害者の施設でクラスターが発生した場合、他の施設から応援職員を派遣できる態勢を整備する方針である。一つの施設で職員が不足した場合に余裕がある他の施設から回す必要が生じる。事前に調べておいて県が調整の役割を担えばうまく行く可能性は高い。

◇天皇は15日の戦没者追悼式でコロナ禍について述べられた。私たち皆が手を携えて新たな苦難を乗り越え、人々の幸せと平和を追求し続けていくことを心から願うというもの。コロナの状況は世界の平和を脅かす新たな苦難である。平和を祈念する日に象天皇がコロナに言及することは適切だと思う。これまでも天皇がコロナについて沈黙していることを訝る声もあった。

◇15日県内で9人の陽性確認が発表された。この中には前橋市千代田町のホストクラブ「クラブ・レイ」の従業員が含まれている。このホストクラブはホストクラブ「アプレシオ」に近い。(読者に感謝)

 

 

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2020年8月16日 (日)

小説「死の川を越えて」第261回

 ほほーというどよめきが起きた。それは、国の役人が、しかも、隔離政策の責任者が本当にそう考えたのかという驚きを示していた。

「それでは先生は国立13園を管理する立場に任命されたのを機に小河原氏の考えを実践に移そうとお考えになったということですか」

「はい、その通りです」

「では、小河原泉氏の考えとはどのようなものでしたか」

 大谷は一瞬表情を輝かし、緊張した面持ちで語り出した。法廷には好奇の目で大谷を見詰める人々の姿が見られた。

「はい、小河原先生について少し説明させて下さい。先生は先ず祖父の影響を強く受けました。祖父は浄土真宗の坊さんでしたが、ハンセン病の専門家で非常に有名な方でした。その方は行く所のないハンセンの患者が寺の庭で生活するのを許していました。顔が崩れ膿がたれるような患者も人間として扱ったそうです。先生は、それを見て、うつらない、治る病気だと子ども心に確信したのです。先生はこの原体験を生涯貫かれました。それが京大病院の外来診療の伝統の基礎となりました。先生は多くの患者と接する中で御自身の信念を不動のものにされたのです」

 大谷は自信の表情で続けた。

「一般の医師は伝染病を恐れて宇宙服から目が覗くだけのような姿で患者には絶対に触れないようにしていましたが、先生は丁寧に触診され、質問には、ほうほうと相槌を打って対応された。その姿は医師というより聖者でありました」

法廷に熱い感動の息遣いが静かに広がった。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月15日 (土)

小説「死の川を越えて」第260回

 ここで尋問は、人権尊重の憲法の下で人権侵害の極致ともいうべき出来事を取り上げた。

「子孫を絶つための断種、堕胎が療養所内で実際に実行されていたというのは信じ難いことですが事実ですか。また、断種、堕胎が事実として結婚の条件にされたのですか」

 大谷は尋問者の顔を鋭く見詰めて頷きながら静かに答えた。

「はい断種、堕胎は実際になされていました。また、結婚の条件にされていたと思います」

 法廷にため息に似たどよめきが起き、重い波のように広がるのが分かった。最悪の人権侵害が行われたことに傍聴人は一様に異次元の世界を覗く思いであったに違いない。

 尋問者は、この光景に驚いたようだ。そして怒りの表情を抑えきれない様子で言った。

「この断種堕胎こそ、人間性を否定するハンセン病患者の隔離絶滅政策の頂点を成すものではありませんか」

 これに対し大谷は言葉を捜している風であったが、意を決したように言った。

「はい、患者さんから未来を奪ってしまったということは、犯罪的な悲しい出来事であったと思います。この断種による心の傷は、犬畜生や猫と同じに扱われたという大変な屈辱感だったに違いありません。人間の尊厳を否定する人権侵害の極致でした」

 法廷はこの言葉に水を打ったように静まり返った。その静寂は人々の強い怒りを語っていた。

 尋問者は務めて平静を装う風にして言った。

「あなたは、厚生省で国立療養所課長に就任以来、隔離政策を弾力的に運用し、らい予防法の死文化、空文化を目指したと言われますが、それはどういう理由ですか」

「はい、私の原点ともいうべき恩師小河原泉氏は、国賊だという批判を受けながらもいろいろとご自分の信念を貫かれました。そこで私としても恩師にならって出来る限りのことはしたいと考えたからです」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月14日 (金)

人生意気に感ず「シベリア抑留。にせの民主運動。シベリアのサムライの再評価」

◇シベリア抑留につきもっと知りたいという要望がいくつか寄せられた。ブログでの限られたスペースで語り尽くせるものではない。多くの抑留経験者が、胸が痛んだと語るのは「民主運動」であった。これは民主主義の運動ではない。収容所で行われた“つるし上げ運動”のことである。日本の軍国主義を批判しソ連を擁護する運動であった。収容所側、つまりソ連当局に迎合するゴマスリである。運動の指導者は抑留者中の者で当局から特別扱いされ、多くの抑留者は表面的にはこれに協力した。ある抑留者は語った。「天皇制支持者とされた者等が壇上に立たされ、やじられ、追求される。日本人同士の異国での酷い争いに本当に胸が痛んだ」

 多くの日本人はこの運動に協力しないと帰国が許されないと思っていたらしい。スターリン大元師への感謝状に64,000人以上が署名したと言われるものも唯一途な望郷の念からであったに違いない。

「望郷の叫び」で書いたが、帰還船の上ですさまじい復讐劇があったと言われる。船がソ連の領海を離れた時、「そろそろいいだろう」ということで始まった。いわゆる「民主運動」の指導者は「俺たちを覚えているだろうな」と言われて引きずり出された。ロープで縛って海中につけたという話もある。瀬島隆三は回顧録で書いている。「本気で海にぶん投げようと相談していたが彼らにも親兄弟があると言って指導した」と。

◇前回ブログのハバロフスク事件の関連で注目すべき事実がある。これも「望郷の叫び」で書いたことである。平成になってからロシア科学アカデミーの学者アレクセイ・キリチエンコが発表した論文「シベリアのサムライたち」である。論文はハバロフスク事件を正しく、そして高く評価した。「統一行動は十分に組織され、秘密裏に準備され情報漏れもなかった。事件は軍の突入で抵抗は終ったが兵士は銃を持たず日本人の負傷者もほとんどなく、解除後の交渉では日本人側の要望はほぼ満たされた」と。これはハバロフスクの古文書館長が私に示した大きな好意と共にソ連(現ロシア)を一方的に悪と見るべきではないという私の考えを支える材料となっている。

◇これも「望郷の叫び」で書いたが、ハバロフスク市郊外にある立派な「平和慰霊公苑」のことである。この存在を許すことにソ連の一片の良心を感じた。ここを真冬に訪れた当時の小泉首相は外套を脱いで大地に跪きシベリア人は一斉に拍手したという。ロシア人はシベリアのサムライの姿を見たに違いない。(読者に感謝)

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2020年8月13日 (木)

人生意気に感ず「シベリア抑留・望郷の叫び。スターリン大元師への感謝状とは」

◇終戦の夏を迎えてどうしても記したいのはシベリア強制抑留である。あの夏、約60万人の日本人が強制連行されそのうち6万人近くが命を落とした。生き残った人々はそれに劣らぬ苦しみ味わった。シベリアの真実は未だ終っていない。私は平成16年の夏、前橋の二人の抑留体験者と共にシベリアの抑留跡地を訪れた。二人とは塩原眞資さんと青柳由造さんで二人とも既に世を去った。塩原さんは夏草の中に立つ「日本人よ静かに眠れ」と書かれた墓標の前で「俺だけ先に帰って悪かった」と声をあげて泣いた。ギリギリの飢えと酷寒と重労働の中でどこまで人間でいられるのか、私はそれを知りたかった。ニューギニアとシベリアは共に地獄であった。戦争とはかくなるものかを後世に伝えなければならない。私はシベリア訪問で外務省の協力により貴重な資料を入手し、そこで得たものも踏まえて帰国後、「望郷の叫び」を出版した。日本人は酷寒さと重労働の苦しみと共にあるいはそれ以上に孤独に苦しんだ。「狂おしいまでの孤独と不安。歌でも歌わなければ耐えられなかった」。これが日本人抑留者の共通の心理だった。こういう情況で作られた「異国の丘」はシベリア中の収容所で歌われた。「がまんだ待ってろ嵐が過ぎりゃ帰る日も来る春もくる」、「今日も更けゆく異国の丘に夢も寒かろ冷たかろ」、「倒れちゃならない祖国の土にたどり着くまでその日まで」。これを歌っている時、過酷な現実を一時忘れることが出来たと塩原さんは語った。

◇私はこの本で一章をさいて「スターリン大元師への感謝状」を書いた。帰りたい一心で書いた最大のゴマすりの文である。当時、一片の書類も持ちかえることは許されなかった。ましてや屈辱の文を持ち帰ろうとする人は少ない。私は国立古文書館の特別の計らいでコピーを入手した。上層部の承認などの手続きを経たのである。私がもう一つ力を入れて書いたのは日本人が最後に意地を見せた「ハバロフスク事件」である。「サムライはどこに行った」。「日本人の抑留者は奴隷のようだ」と他国の抑留者は言った。この事件は高学歴の長期抑留者が瀬島隆三の指導を得ながら石田三郎が中心になって限られた環境で必死の見事な抵抗運動を展開した。この中の中心人物の一人は貴重な資料を提供して協力してくれた。これらの人々の帰国は故鳩山一郎首相による日ソ国交回復条約によって実現した。(読者に感謝)

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2020年8月12日 (水)

人生意気に感ず「地獄の戦場ニューギニアを振り返る。岩田亀作さんのこと。コロナ対策分科会とは」

◇私は間もなく80歳であるが生涯に2度の大戦争を経験する思いである。炎に追われて逃げた前橋空襲のこと、ネズミを焼いて食べていたおじさんの姿、山の小学校での授業中お尻から長い回虫が出てきたことなどが記憶に鮮明である。そして今回のコロナ戦。この戦争の真の恐ろしさを私たちが実感するのはこれからかも知れない。世界の感染者は2,000万人に迫り、死者は70万人を超えた。この8月はコロナ戦と重なってあの大戦が甦る。平成13年のニューギニア慰霊巡拝の旅は衝撃の戦場を私たちに突きつけたのだ。私は小著「今甦る地獄の戦場」を書いたが、ニューギニアは正に地獄であった。この中で、私は岩田亀作さんの体験談も載せた。岩田さんは談ピール海峡、サラワケット越え、野戦病院のことなどを話してくれたが映画などよりリアルで鬼気迫るものだった。衛生兵だった岩田さんは上官から「マラリアの薬と言って飲ませろ」と渡された毒薬を土に埋めた話、そしてサラワケットの山中でウジにまみれて死を待つ兵士のことなどを聞いた。この慰霊の旅で一つほっとしたことがあった。それはポートモレスビーで特命全権大使の話を聞いた時のことである。「当時の日本人に対する感情は」と私が質問すると、田中達夫大使は身を乗り出すようにして「大変良かったのです」と答えたのだ。白人は現地の人を豚や虫けらのように軽蔑したが日本人の兵士は平等に付き合ったという。それは十分に頷けることだと思った。古来、人間は肌の色でランク付をして差別してきた。白が最上位で黒が最下位である。その間に黄色や赤などを位置づけた。黒は人間とみない状態が長いことあった。その現われが奴隷制度であり、コロナ禍の中のアメリカの黒人差別である。これらは肌の色による差別がいかに根強いかを物語る。最後の秘境と言われるニューギニアの人たちはこのコロナとどのように戦っているのかと気にかかることである。

◇日本の感染状況が新たな局面を迎えている。コロナ対策で政府を実質的に動かしているのは専門家たちの意見である。6月まで続いた専門家会議が「コロナ対策分科会」となった。目的は「感染防止策」及び「経済対策」の二つを追求すること。会長の尾身氏は感染症対策のことだけを考えるなら緊急対応のレベルを上げるべきだと強調している。政治の決断を下すトップはこの事態で生命か経済かを秤にかけて迷っているのだろう。(読者に感謝)

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2020年8月11日 (火)

人生意気に感ず「やはり気になるお盆の帰省。原爆慰霊式に出る。原爆の恐怖を教える時」

◇9日、新たに県内感染者5人が発表された。県内の累計は226人。うち死者は19人である。じわじわと迫ってきたという感じである。そして、最近の特徴は県外行動歴のある感染者が増えていることである。最近の増加状況は東京都に限らず各地で増えている。お盆にはこのような全国の増加地域から多くの人が来県するわけである。群馬県知事は、お盆は大切な伝統行事だからという理由で、特にお盆帰りの自粛を要請しないと表明した。知事発言の影響を私は心配する。

◇9日、私は嶺公園の原爆慰霊式に参加した。長崎投下の午前11時2分に合わせ黙祷をささげた。15歳の時長崎で被爆した矢野留恵子さんは90歳には見えないかくしゃくとした姿で「あの日のことは忘れられない」と挨拶した。私も挨拶の機会を与えられた。「75年目の夏を迎えあの戦争の惨状が忘れられようとしている。あれは新生日本の原点であった。今年の夏はこの原点を確認する時である。コロナの下で迎えることも特色である。原爆の惨禍を自分のこととして受け止めることが重要である。ここに真の助け合いが生まれる。コロナの克服に最も大切なことはこの助け合いの精神である」ざっとこのようなことを述べた。

◇ちょっとした雲の状況と変化が長崎の運命を決めた。第一目標は小倉市であったが、この日小倉の上空は雲で覆われていた。そこで爆撃機は小倉を断念し、第二目標の長崎に向った。長崎も雲で覆われていたが雲の切れ間が見つかり11時2分の投下となった。広島投下の原爆がリトル・ボーイと言われる砲弾型のウラン爆弾であるのに対し、長崎のは通称“ふとっちょ”と言われるプルトニウム爆弾であった。重量は両方ともおよそ4トン(長崎投下の方は4.7トン)であった。

◇アメリカは膨大な予算を注いで1945年7月16日には実験に成功、それは早くも8月6日広島、9日長崎にそれぞれ投下された。

 私は小学校を2年生の時、原爆の映画を観て大きな衝撃を受けた。当時子どもたちは「ピカドン」と言って原爆の地獄を表現しようとした。その後、学校では教科書の上でも原爆を教えなくなったようだ。福島第一原発事故を振り返るとき、国策としての原爆を守るために同根ともいうべき原爆に触れることを敢えて避けてきたのかと思ってします。75年目の夏に於いて原爆の恐怖を正しく知ることが原点を踏まえる上で重要であると思う。(読者に感謝)

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2020年8月10日 (月)

小説「死の川を越えて」第259回

傍聴席は満席であった。副島は、証言を整理して受け止められるように、らい予防法等の主な法令の動きを予め次のようにノートに書きとめて証言を待ち受けた。

「癩予防法成立(昭和6年)

新憲法公布(昭和21年)

優生保護法成立(昭和23年)

新らい予防法成立(昭和28年)

らい予防法廃止(平成8年)」

 この裁判の中心は、厚生省及び国会の強制隔離政策が憲法に違反しているか否かであるから、尋問もこの点に集中した。そして、憲法とは昭和21年に公布された日本国憲法のことであり、これは人間の尊重つまり基本的人権を柱にしていた。強制隔離政策が基本的人権を侵害し憲法違反に当たるか否かは最も重大な論点であった。

 尋問者は、新憲法下の隔離政策から入った。

「戦後、基本的人権を強く保障する日本国憲法が施行された後、戦前の隔離政策に変化はありましたか」

 大谷は、躊躇なく答えた。

「いえ、変化はありませんでした」

 傍聴席がどよめいた。

「そのことについてどのようにお考えですか」

「はい、新憲法の精神というものを行政や国会などがよくよく認識すれば隔離政策はこれに反することは明らかですからもっと早く廃止を検討すべきであったと思います」

 大谷は、基本的人権を強く保障する新憲法の下で、当局が隔離政策を続けたことをはっきりと批判したのだ。隔離政策の遂行は厚生省の責任に、また隔離政策の廃止は立法の問題であるから国会の責任にそれぞれ結びつくことである。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月 9日 (日)

小説「死の川を越えて」第258回

和泉氏は、ハンセン病の専門家として正しいことをきちんと証言しなければならないと考えましたと決意を語ったのです。この時、回りからはほっとした人々の胸の内が静かに流れるのが感じられました。

 それを見て、これは私の個人的な思いですが、和泉氏は京大病院の大先輩たる小河原泉氏の壮絶な生き様と信念を体現しているように見えました。また、これも私の感想でありますが、和泉氏の証言は裁判官の心証に大きな影響を与えたに違いありません。近づく次の口頭弁論に備えて、大谷証人は、和泉証言をしっかり受け止めていると思います。和泉氏は京大の医師ですから国の役人です。そして、大谷氏もかつて国の役人でハンセン病対策の最高責任者の地位にあった人です。しかも和泉さん、大谷さん2人とも小河原泉の信念を強く受け継いでいる人です。大谷氏の証言が待ち遠しいようです。私たちは一大ドラマの展開を見る思いであります。国の隔離政策の象徴がそちらの重監房だと思うと私たちは何か運命の流れともいうべきものを感じます。この流れの中で正太郎さんたちがおられることが不思議でなりません。大谷さんは、自身の証言で正太郎さんのことを取り上げると申しておりましたね。実に楽しみです。皆さんの興奮の息づかいがこちらに伝わってくるようです。どうか皆さん、次の私の報告をお待ちください」

 

 大谷富男の証言

 

 やがてその日が来た。傍聴席に副島と共に、本吉と有馬の姿があった。彼らは大谷証人の姿を見詰め一語も聞き漏らすまいと緊張していた。証言の中味は、裁判所に請求し入手して水野に送るつもりであるが、それとは別に副島たちが心で受け止めた感想を水野に報告するつもりであったからである。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月 8日 (土)

小説「死の川を越えて」第257回

 ここまで読んで水野は副島と同じように胸を躍らせ冒険小説の先に期待するような気持ちで視線を進めた。副島の文は続く。

「尋問は、和泉証人のこのような信念の背景に向けられ旧癩予防法に及びました。国の予防策の中味はと訊かれ和泉証人は、国は猛毒の菌による強烈な伝染病だから絶対隔離が必要だと主張していたと答えました。そして、尋問は、では当時の医学界にそのような伝染病説に対して批判的な見解を持った人はいたかと訊ねました。私はいよいよだなと思いました。和泉証人は、批判的な見解の代表的人物は京都大学の小河原泉氏だと答えたのです。

 ここで尋問者は深く頷きながらその小河原氏は学界でどういう立場であったかと訊きました。この時の和泉氏の態度は見事なものでした。胸を張り顔を上げ、小河原氏が大阪の日本らい学会で総攻撃に遭ったことを語ったのです。小河原氏を糾弾する学界の光景が目に浮かぶようでした。『その考えは隔離政策を危うくするものだ』、『お前は万死に値する者だぞ』、『実にけしからん』という怒号の中で小河原は自説を翻さなかったと和泉証人は誇らしげに語りました。

 そこで尋問者は、全てのハンセン病患者を絶対隔離することの弊害を訊ねました。これに対する証言は実に明快で、私たちには、侍が国の誤った政策に名刀を振りかざす姿にも見えました。和泉氏は、隔離によって患者の人生がめちゃめちゃになってしまう。全ての患者を隔離することで、外来診療で十分治る患者まで療養所に入れてその人たちの人生を台無しにしてしまうことは残酷すぎるとはっきり証言したのです。

 これを聞いた時私も本吉氏も有馬氏も国の隔離政策を行政の場で遂行してきた者として正に身を切られる思いでありました。尋問は窮極の結論を求めるかのように切り込みました。国の長いハンセン病対策の歴史を振り返って国はどのような理念でハンセン病対策を進めたのですかと。

 和泉氏は、これを正面から受け止め堂々と答えたのです。国はハンセン病をなくすというよりも、ハンセン病患者を全員隔離し死に絶えるのを待つというかたちで撲滅政策を進めたのですと。私の周りの傍聴席から信じられないというどよめきが広がるのが分かりました。私たちが、皆さんにお知らせしたい証言の主な点は以上でありますが、最後に和泉氏が証人に立つに至った覚悟をお伝えします。それは、尋問者が和泉氏に証人になるに当たっては随分悩んだのではないかと訊いた時のこの人の姿です。和泉氏は胸を張り姿勢を正したのです。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月 7日 (金)

人生意気に感ず「終戦に果たした鈴木貫太郎の役割。お盆の帰省が心配だ」

◇8月15日が近づくと鈴木貫太郎を思う。前橋市の桃井小の校庭には鈴木の言葉を刻んだ石碑が建つ。「正直に腹を立てずにたゆまず励め」。腹をたてずに、つまり忍耐は生涯を貫いたこの人の哲学であった。75年前の御前会議もギリギリの忍耐で乗り切ったに違いない。日本の運命が鈴木の忍に懸かっていた。鈴木が総理大臣に就いたのは昭和20年4月7日、日本は断末魔を迎えていた。鈴木が日本を救った宰相と言われるゆえんは最後の御前会議を巧みに導いて終戦を実現させたからである。鈴木を議長とする会議は即終戦派と本土決戦派が3対3に分かれいずれも譲らず長時間に及んだ。機をみて鈴木が遂に発言した。「議を尽くすこと既に数時間、なお議は決しない。かくなる上は聖慮をもって決定と致したい」鈴木はこう言うや、さっと立って進み出て天皇の意見を求めた。ここに、私は軍人鈴木の大いなる戦略があったと思う。「どう致しましょう」などと図っていたら事態は動かなかったに違いない。軍の統帥権は天皇にあるが立憲主義の建前から天皇が自ら決断を下すことはしないのが慣例であった。しかし国家存亡の非常時であり、議論はギリギリ尽くしたのである。鈴木が聖断を仰ぐことに異論はなかった。天皇は「もう意見は出つくしたか」と言い、「自分は外務大臣の意見に賛成する」と述べた。外相の意見とはポツダム宣言の受諾である。天皇のこの発言によって、つまり聖断によって終戦は決定したのである。天皇が「耐え難きを耐え」と述べた時、会議のメンバーはどっと泣き伏し、中には身もだえ号泣する者もあったと鈴木はその自伝で書いている。この御前会議の状況及びそれを踏まえた8月15日の天皇の言葉は新生日本の原点である。

 長く平和が続きあの大戦も忘却の彼方に去ろうとしている。今年は図らずもコロナ禍の下で8月15日を迎える。日本の原点を確認することがコロナに勝つための要である。

◇山本知事は、お盆は特別な行事だからとして帰省の自粛を求めないと述べた。お盆後にどのような影響が現われるか心配である。県内感染者が増加している。6日、新たに10代から50代の男女6人が陽性と判明。10日連続の感染確認で累計では208人、うち死亡は19人である。これまでの県内感染中には都や他県へ訪問した人が多い。このことからもお盆の帰省は心配である。(読者に感謝)

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2020年8月 6日 (木)

人生意気に感ず「感染者と人権の碑。コロナ禍の中小企業の悲鳴」

◇インターネットという超文明の利器がいじめに使われている。コロナの嵐が吹き荒れる中で「感染者狩り」が横行している。いじめはいつでもどこでも尽きないものだが、コロナの感染が爆発的に増加する中で多くの人が冷静さを失いパニックに陥っているようだ。礼節の国と世界から讃えられる日本がコロナの海で漂い始めたかのようだ。

 私は先日新聞に岩手県初の感染について投書した。そこで第一号感染者は大変なプレッシャーを感じているに違いないこと、発生後の対応が岩手県の真価を問うことになること、そしてこれまで頑張った岩手県に拍手等と書いた。その後の報道によれば初感染者に対する「感染者狩り」の実態が発生していると言われる。初感染者の勤務先企業がホームページで感染を公表すると2日間で100件以上の電話やメールがあり、中には感染した社員をクビにしたのかと執拗に迫るものもあったと言われる。

 コロナの感染者に油断等責められる要素があったにせよ、誰でもがその立場に立たされる可能性をもっている。これだけ感染状況が酷くなると明日は我が身と考えなくてはならない。「狩り」に参加している人はいつ逆に狩られる立場におかれるか分からないのだ。

 最大のコロナ対策は助け合うことである。「感染者狩り」はコロナを助ける利敵行為であることを私たちは自覚すべきである。私はハンセン病の患者等が地獄のような差別といじめに苦しんだことを知った。それを乗り越えて私たちは「人権の碑」を建てた。それには「私たちは人間の空を取り戻した」と刻まれた。今や人間の空がコロナで覆われようとしている。人間の空を真に取り戻すことは私たちが助け合うことに懸かっている。インターネットの匿名性に隠れて「感染者狩り」をやる人は最大の卑怯者であると言わねばならない。本格的な第二波が押し寄せていると考えるべき現在、この新しい波に打ち勝つために感染者をいたわり、思いやる心こそが求められている。

◇コロナの影響で倒産する中小零細企業が増加している。3日までに全国で400件と言われる。東京都は飲食店とカラオケ店への営業時間短縮要請を行ったがこれにより倒産件数は更に増えると予想される。私の回りからも零細企業の悲鳴が聞こえてくる。コロナの嵐によって江戸時代の飢饉に似た状況が生じている。(読者に感謝)

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2020年8月 5日 (水)

人生意気に感ず「75年目の8月はコロナの中で。クラスターの恐怖。お盆の帰省は」

◇75年目の8月を迎えた。8月5日の前橋大空襲、翌6日の原爆投下。この大変な歴史的時期を今年はコロナ禍の中で迎えた。あの時私は県庁近くで満3歳であった。群馬県史によれば5日の夜10時半頃、B29・92機による前橋とその周辺の猛爆は約2時間に及んだ。前橋市の死者は535人、傷者は約600人にのぼった。半ば眠っている私を母は引きずるようにして逃げた。「ほら急がなければ死ぬのよ」。必死の声に促されて振り向くと猛炎が頭上に迫って感じられた。

 今年の8月はコロナの波状攻撃に晒されている。世界の惨状は悪化の一途の感。WHOの見解は「長引く」である。ワクチンが完成しても世界の終息は2年位と見る向きは多い。

◇太田で「夜の街」クラスターが発生したと報じられている。この表現は新宿歌舞伎町に関して生まれた。太田のクラブで今回発生したことは全国の繁華街で同様の事態が発生する可能性を物語る。県は店名を「ザンザバー」と公表した。同店は現在休業しているという。「クラスター」の恐怖は「夜の街」だけのことではない。可能性は日本中至るところに存在するが、先ず心配なのは高齢者施設である。

 この点で、富山市の介護老人保健施設に関する動きが注目されている。59人が感染し、そのうち15人が死亡したことの検証に基づく。全国に先駆けて介護職員の応援態勢「富山モデル」を構築した。検証とそれを活かすことがいかに大切かを物語る。このことは群馬県も真剣に受け止めねばならない。「藤和の苑」の例を活かしきっているか改めて検討すべきである。介護と医療の連携は極めて重要である。病院であれば助けられた命もあった筈なのだ。

◇東京の惨状はただ事ではない。本県と東京の密なる関係はどうしても切れないのか。この点で大きな課題はお盆の帰省である。通常なら非常に多くの人が東京から帰省するだろう。その時、お土産がついてくることは必至である。ご先祖も十分理解するだろうから帰省は控えるべきだ。

◇お盆を前に全国の知事から帰省自粛の声があがっている。お盆の帰省は日本の重要な伝統文化であり、私は大事にしたい気持ちが強い。しかしコロナ禍にあっては特別の判断が求められる。新幹線や高速道路の民族大移動がコロナ連れであってはならない。お盆後の各地の状況がどう変化するか心配である。東京の4日の感染者は309人。高水準悪化は止まらない。(読者に感謝)

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2020年8月 4日 (火)

人生意気に感ず「センテナリアンの時代。私の日常を敢えて。コロナ特措法と国会。憲法53条」

◇2019年の日本人の平均寿命は女性が87.45歳、男性が81.41歳。両方とも8年連続の更新。どこまで延びるのか。人間50年と言われた過去、そして20歳で多くが散った戦争の時代を振り返る。寿命が長くなりその中味が薄くなった感も。

 百歳以上の人をセンテナリアンと呼ぶそうだ。1世紀(センチュリー)から生まれた用語であろう。昨年センテナリアンは7万人を超え、この数字は増え続け、最近は人生百年時代と盛んに言われるようになった。

◇ある週刊誌で40人のセンテナリアンが紹介された。それぞれの生活態度が市町村のコメントで記述されている。満80歳が目前の私にとって興味深い。その中の一人、東京の百歳の男性は毎日腹筋・スクワット・腕立て伏せを100回ほど行っているとあり注目した。ちなみに私が毎日ノートに刻んでいる記録は、腕立て伏せ250回・腹筋25回・けんすい10回・7杯の水行・約30分のジョギングである。ジョギングの間は日本国憲法前文の英訳、ケネディ・オバマ大統領就任演説を口ずさんでいる。敢えてここに記すのは自慢ではなく百歳までと自らに課している義務を天下に公表し後に退かないためである。20年も続けている群馬マラソンの10キロ完走は今年はコロナのため中止となった。誠に残念。今、午前0時、このブログを書いている。深夜書斎で原稿に向き合うのは至福の時である。

◇コロナは世界の政治力をまな板の上に並べた。比較は共産主義と民主主義。民主主義は時間がかかりいかにも効率が悪い。では民主主義は緊急時に無力なのか。民主主義を支えるのは国会の法治主義である。即座に国会を開き法律を作れるかがカギである。1月からの事態に手を焼いた政府は強制力と即応性を盛り込んだコロナ対策特措法の改正を断行する方針である。緊急時に私権の制限はやむを得ないからそれを可能にする。即応性のポイントは地方にある。知事が緊急事態宣言なしで営業停止の要請ができるようにする。国会は唯一の立法機関である(憲法41条)。緊急時の問題は憲法53条である。次のようになっている「内閣は臨時会の召集を決定できる。いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば内閣は召集を決定しなければならない」。生きた憲法の運用が見られる息をのむ瞬間。第二波を前に時間はない。(読者に感謝)

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2020年8月 3日 (月)

人生意気に感ず「ワクチンは敵に対する最大の武器。接種は近い。日本は4段階の急増・爆発に近づいた」

◇ワクチンの供給が現実的になってきた。実現は当分難しいというのが専門家の意見だった。通常の常識からすればその通りなのだろう。しかし、現在は非常時である。人類の存亡が懸かった戦時なのだ。よく言われることは、普通なら数十年かかる科学の進歩が戦時ならあっという間にできると。兵器を考えれば十分に納得できることである。ワクチンは対ウイルス戦の兵器である。ウイルスの惨状が最も酷い欧米において、特にイギリスとアメリカに於いてワクチン開発があっという間に進んだ。日本が遅れを取っているのは感染者と死者が欧米と比べ異常に少ないことに原因があるのかも知れない。ところが日本の状況は大変危ないことになってきた。だからワクチンを手に入れることは焦眉の急

となっている。

◇加藤厚労相は来年6月までに6,000万人分のワクチンの供給を受けられると発言した。アメリカの製薬大手ファイザーが開発中のワクチンである。ファイザーは大規模な国際共同治験を開始した。早ければ今年10月には米国に承認申請をする。日本で使うには国内の審査を経なければならない。これも「特例承認」の適用でゆくことになる。感染予防には1人2回の接種が必要なので6,000万人分というと1億2,000万回分の確保が必要になる。日本はファイザー以外の2社ともワクチン確保交渉を進めているといわれる。

 ワクチン接種によりコロナが落ち着けば経済活動を活発化できるのだから、外国のワクチン確保に予算を回すのは極めて有効な政策に違いない。どこの国でもコロナに勝つことと経済の再生の両立を狙っている。そのためにもワクチンの一刻も速い実現に死力を尽くしているのである。

◇世界の惨状は言うまでもないが日本も日毎に深刻さが加速している。信頼できる専門家は、東京都や大阪府は「感染者急増や感染爆発」の段階が近づいていると述べている。このような瀬戸際に当たって、待ったなしに最も有効な手を打たねばならない。それは刻々と変化する感染状況に的確に対応することだ。そこで政府の対策分科会は感染状況を4段階に分けて必要な対策を検討することに。それは①感染ゼロ散発②漸増③急増④爆発である。④は医療提供体制が機能不全に陥った状態である。前記のように有力専門家は現在の状況を③ないし④に近いと指摘したのだ。(読者に感謝)

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2020年8月 2日 (日)

小説「死の川を越えて」第256回

 水野たちは一斉に拍手した。大谷はいかにも嬉しそうに頷いた。拍手がやんだ時、大谷は冷静な表情に戻って言った。

「ところで皆さんに一つお願いがあります。今度の裁判は勝たねばなりません。勝つには裁判官の心を動かさねばなりません。裁判官の心を動かすものは、理論だけでなく熱い心を打つ証拠資料です。そこで、我が師小河原先生のことと共に皆さんのことを法廷で触れさせて頂きたいのです」

 さや、こずえ、正太郎は皆喜んで承知した。大谷は続けた。

「ありがとうございます。法廷で個人の問題を取り上げるについては、秘密が知れると言って反対する人が多いのです。私が皆さんについて触れるのはほんの少しです。後の本体部分は東京の裁判で証言されることを勧めます。大きな効果があると信じます」

 

二、口頭弁論始まる

 

 和泉眞一の証言

 

 正助たちが草津へ帰ってからしばらくした時、副島から水野のもとに至急便が届いた。次々に寄せられる副島の手紙に、水野はこの弟子の熱意に尋常でないものを感じた。そこには先ず、次のように書かれていた。

「大谷さんの証言が近づきましたが、その前にお知らせすることがあります。それは、先日行われた。和泉真一という人の証言についてです。大谷さんからこの証言は御自分の証言と繋がるものであり、非常に重要なので皆さんに知らせた方がよいとアドバイスを受けました。本吉、有馬両氏と共に証言を聞き、記憶をまとめ、私が代表して筆をとりました」

 水野高明は、大谷の証言と繋がり非常に重要とは何かと強い興味を抱いた。大谷の証言を待ち受ける時だけに、逸る心で先に目を走らせる。

「この和泉眞一という人は京大病院で現在まで30年以上にわたってハンセン病の外来治療を続けております。尋問でそのわけを訊かれて次のように答えました。ハンセン病は絶対隔離をしないと社会にどんどん広がるような病気ではない。したがって一般病院で治療可能な病気である。療養所に入るのは嫌だけれど治療が必要だという患者は社会にたくさんいます。そういう人たちの外来治療が必要でありました。次に外来治療の実践を通して国の絶対隔離政策に対して反対の意志を示し続けることが必要でした。三つ目はこういう外来治療の姿勢を社会に示し続けることで社会がハンセン病に対して抱く差別と偏見を少しでも克服することができると信じました。和泉氏はこう語りました。

 私はこの証言を聞いて皆さんが関わった小河原泉さんを頭に浮かべ和泉証人の口からこれが出るのをどきどきしながら待ちました」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年8月 1日 (土)

小説「死の川を越えて」第255回

 師を語る大谷の瞳は理想と信念で燃えていた。

「国は絶対隔離政策を続けていました。ハンセン病は恐ろしい伝染病だ、罹ったら治らない病気だから外に出すべきでないというのです。そんな中で唯一人、学会で孤立しながらハンセン病は治る病気である、隔離政策は間違っているという信念を貫かれた」

 言葉を止めると大谷は両手を顔にあてて肩を震わせている。大谷の胸の内が皆に伝わってきた。

「私に先生のような勇気がなかったことが恥ずかしい。先生は、あなたに何を話しましたか」

 さやは訊かれて暫し目を閉じて回想している風である。さやの胸に様々のことが去来していた。社会の激流に翻弄されてあっという間に人生の終焉を迎えようとしている。全てが夢のようであった。さやは深く頷いて答えた。

「はい、人間の細胞の絵を描いて、遺伝は細胞の中のものが伝えるが、感染源はこの中にはない。それはらい菌という細胞外のもの。だから遺伝はしない。そして、この菌の感染力は極めて弱い。体に力があれば発病しないと申されました。その体の力を免疫力と申されたのです。私もこのこずえさんも天にも昇るような嬉しさでした」

 さやの表情を見て大谷は言った。

「小河原先生は、去って行くあなたたちの後ろ姿を見て、国の隔離政策は間違っていると確信したそうです。弾むような後ろ姿がそのことを雄弁に語っていたと申すのです。そして今、逞しく人生を生き抜いてこられた正太郎さんを見て、私は先生が申されたことの意味を本当に納得致しました。ありがとう、ありがとう。私は皆さんから、今勇気をもらいました。これこそ、わが師の最大の教え、最大の贈り物です。私は元国の役人で、しかも隔離政策の責任者だったので患者側の証人になることには迷いもあったのですが、今の話で吹っ切れました。来月の法廷ではしっかりと証言する自信と覚悟が出来ました」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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