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2019年11月30日 (土)

小説「死の川を越えて」第257話

 水野高明がその場の雰囲気を察知して言った。

「私たちはみなさんが心配するような不穏分子ではない。湯の沢の歴史を踏まえ正攻法で動く。国や世論に訴える頭脳闘争ですぞ」

 これを聞いて古田園長はやや慌てた顔付きで言った。

「皆さんの気持ちは分かります。国は存亡をかけた危機にある。きれいごとは通らない社会状況です。特高などに目をつけられたら大変です。本省の指導も仰がねばなりません。その際に湯の沢の特色と歴史はきちんと話します」

 こう話す園長の顔には、どうか騒がないでくれという腹のうちが現われていた。

 古田園長は苦しげな表情を浮かべて結果を水野高明に伝えると言った。水野が京都大学の同窓ということを知り、相通じるものを感じているらしかった。水野は深く頷いて見せた。

 本妙寺から送られた37人中、女と子ども計20人は間もなく一般病棟に入れられ、こずえとさやはひとまず胸を撫で下ろした。人々の重大関心事は重監房の件であった。

園側が水野に知らせた結論は中村実平等本妙寺集落の幹部9名を相当期間重監房に入れるということであった。水野たちは古田園長に説明を求めた。

園長は、本省の見解だと断って苦渋の決断を語った。本省とは内務省であり、警察権力もその中にあった。

「本妙寺のいんちき部落を長年束ねた幹部の責任は重いというのです。知事の印を偽造して公文書を作り、各地の寺社から寄付を集めたことは重罪に当たり、裁判にかければ何年も刑務所に入らなければならないところだと言っています。大変な国難の時、国も国民も姿勢を正さねばならないということなのです」

 水野たちは、もし裁判になったとすれば、偽造のことは裁判所が立証しなければならないがそれは困難である、また寄付集めは習慣となっていたことであり、詐欺罪の故意はないと主張しようとしたが通用することではなかった。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年11月29日 (金)

人生意気に感ず「今日はふるさと塾でナポレオンを語る。革命を定着させ発展させた男の生涯とは」

◇今月の「ふるさと塾」は会場の都合で今日金曜日となった。テーマは「革命の中を駆け抜けた風雲児ナポレオン」。これまで何回かフランス革命を話してきた。フランス革命の一環としてナポレオンを語る。ナポレオンの名を知らぬ人はいないがナポレオンがフランス革命の中で現われ、革命とどう関わったかを知る人は意外に少ない。学校でも分かりやすく教えないことがその一因かもしれない。

 ナポレオンはコルシカ島の生まれである。少年時代の終わり頃フランス革命が起きた。ヨーロッパの諸外国はフランス革命が自分の国に波及することを恐れた。ルイ16世がギロチンにかけられた翌月、革命をつぶすための大同盟が結成された。国境は外国軍に脅かされ、南フランスの軍港トウロンはイギリス軍の手に落ちていた。ナポレオンはこのトウロン奪還作戦に目覚ましい成果をあげ24歳の若さで准将に抜擢される。軍事的天才が認められたのだ。ここからナポレオンは出世の階段を駆け上がる。フランス包囲網を破るためにオーストリアの支配地北イタリアに攻め込む。フランス軍は連戦連勝であった。フランス軍の強さの原因は兵たちの志気の違いにあった。彼らは金で雇われた傭兵ではない。革命によって得た自由を守るための戦い、外国に於いても自由を与えるという大義に燃えていた。イタリアの民衆もフランス軍を熱狂的に迎えた。ナポレオンは凄まじい勢いで権力の階段を駆け登った。彼の栄光と没落を生んだものはフランス革命であった。ナポレオンは単に戦いの天才だけではなかった。革命の成果を定着させ発展させ、そして革命の幕引きを行った男であった。34歳で皇帝になり、38歳で全ヨーロッパを支配する。奇跡という他はない。この軍事の天才もロシアの遠征で失敗する。ロシアは自らモスクワを焼いた。フランス軍は迫る冬将軍を前に撤退の他はなかった。私は昔、映画「戦争と平和」で何十万という兵士が凍えながら川を越えて逃げるシーンに息を呑んだ。ナポレオンは45歳で没落し、51歳で大西洋の孤島セントヘレナで死を迎えた。

◇「ふるさと塾」をナポレオンのドラマだけでは終わらせない。恐怖政治を初めこの革命は多くの血を流した。この血は近代の世界の扉を開き世界を変えることにつながった。「人権宣言」はフランス革命が生んだ人類の成果である。この宣言の意味も今日は語るつもりだ。(読者に感謝)

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2019年11月28日 (木)

人生意気に感ず「教皇は来たり、去った。上智大学での訴え。ハンセンと国会の動き」

◇教皇は春の陽光のように日本列島に降り立ち、去って行った。嵐のような激務をこなした82歳の体力と気力に脱帽する。長崎・広島における核廃絶のメッセージは日本人の心に爽やかで強烈な衝撃を与えた。私は昨日の「へいわ845」の講義で教皇に触れた。週一のこの短い講義は、この日115回を迎えたがこのところのテーマは「田中正造」である。私は約15分の講義の中で正造が現在生きていたら教皇と同じようなことを訴えるだろうと話した。正造は死の直前(前年)の日記に「真の文明は自然を破壊せず、人を殺さない」と記した。核の存在こそ、自然の破壊の極致だと正造は訴えるだろうというものである。

◇教皇は離日の日、上智大学を訪れた。上智大学はイエズス会が設立母体である。イエズス会はかのザビエルらが創設したカトリックの拠点だった。教皇は学生たちに「この国での滞在は短かったが大変密度が濃いものであった」と語り。またこの大学の役割につき次のように訴えた。「この大学は知的教育だけでなく、より良い社会と希望にあふれた未来を形成する場になるべきだ」と。教皇は現在の教育が技術革新に明け暮れ、心の貧しさを救う役割を果たさないことを痛烈に嘆いたものである。カトリックの新鮮な衝撃が日本の教育を打った瞬間であった。教皇が残した平和・環境・人権への訴えは余韻として私の胸の奥に響いている。

◇安倍首相は26日、ハンセン病元患者・家族訴訟の原告や弁護団と面会した。ここで首相は差別解消に向け政府一丸となって取り組むと発言した。家族補償法の改正は今月15日であった。この法律が超党派の議員立法で迅速に成立したことは重要である。原告、弁護団の人々は首相との面会の後、これら立法にたずさわった国会議員の報告会に参加し「問題の啓発につながってこそ法律ができた意味がある」と議員らに継続支援を訴えた。ここでいう「問題の啓発」が含む意味は重い。なぜならハンセン病だけの問題ではないからである。改正法が成立した15日、草津楽泉園で行われた「人権の碑除幕式」の意義はこの「啓発」と繋がっている。私はこの除幕式の挨拶で「人権の広場」について語り、小学生の代表も同様な思いを表明した。私たちは、時代の大きな節目に立っている。大きな流れの中で、ローマ教皇の来日とも繋がったことに私は驚きを抱く。令和元年のダイナミックな動きが新年に向けて動きだした。(読者に感謝)

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2019年11月27日 (水)

人生意気に感ず「香港の地滑り的勝利。今後の動きに世界は固唾。日本の危機との関わり」

◇香港のデモは全く意外な決着となった。民主化を求めて戦ってきた勢力が、中国という強権が背後に控える中で選挙という民主的な方法で圧倒的な勝利を得た。民主化を求めて戦う若者は誰もが1989年の天安門の悪夢を恐れた。天安門に集まって民主化を求めた中国の若者は軍隊の突入により戦車で押し潰された。

 長いこと民主主義の自由な空気を享受したホンコンの若者は天安門事件が象徴する恐怖の政治を恐れた。犯罪人を中国に引き渡すことを可能にする条例の改正は民主主義の崩壊と天安門の再来を意味する。一国二制度が実質的に骨抜きになる。若者の過激な動きに眉をひそめる人も多かったが市民の大勢は若者を支持し、世界の世論も応援した。世界の空気は最近の中国の強引な覇権主義に危機感を抱いた。そして、アメリカと覇権を争う超大国・中国はかつてのような無謀は出来なくなっていた。しかし、過激な運動には限界がある。どのように終息を迎えるのか。ギリギリの限界に来ていたと思う。このような状況で選挙という、正に天が与えたチャンスを迎えることになった。

 林鄭月娥(リンテイゲツガ)という奇妙な名の女性行政長官の当惑する姿が度々テレビで報じられた。選挙の実行は中国と結んだ彼らの戦略として大きな誤算であった。過激な若者たちの選択と決断は賢明であった。暴力により秩序が乱れて公正な選挙が望めないなら選挙は実施しない、延期すると行政庁官は表明していた。若者たちはしばし拳を降ろして選挙を実現させた。結果は空前の大勝利となった。日本でよく使う「地滑的勝利」である。民主派は全体の8割を超す議席を得た。親中国派の敗北は目を覆うばかりであった。民主派は全議席452の内385を得たのに対し、親中派は何と59議席である。

◇この結果を香港市民がどう活かすかを全世界が固唾をのんで見守っている。「勝ってカブトの緒を締めよ」という諺がある。中国がこのまま容認する筈はない。アメリカと覇権を争う中国は民主主義の流れを変えようとしている。それは世界の民主主義の危機でもある。そして日本の政治情況にも大きく関わることである。

◇香港のデモを見て、私はかつての日本の学生運動を振り返った。現在の学生は魂を抜かれたように力がない。これこそ日本の危機である。(読者に感謝)

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2019年11月26日 (火)

人生意気に感ず「長崎の雨に立つ教皇。13億人の頂点は何を訴えたか」教皇来日その2

◇24日午前、ローマ教皇フランシスコは爆心地公園に立って核廃絶を全世界に向けて表明した。カトリック教徒13億人の頂点に立つ教皇の言葉の影響は測り知れない。唯一の被爆国日本の、しかも長崎の地から発せられた核廃絶のメッセージには特別の意味がある。長崎は被爆地であると共にカトリックにとって特別の意味があるからだ。長崎は長い間禁教の弾圧に耐えた隠れキリスタンの地でもあった。その人々が明治になって姿を現した時、世の人々は奇跡として驚いたのである。浦上天主堂は長崎のカトリックの象徴である。

◇教皇は雨の中で献花し黙祷を捧げ、1000人の被爆者を前にして訴えた。「この町は核兵器が人道的にも環境の面でも悲劇的な結果をもたらすことの証人であります」、また「武器の製造や維持に多額の費用が使われていることは途方もないテロ行為なのです」と述べ、核軍縮と核不使用の決意を表明し、特に世界の政治指導者へ向けて「核兵器は国家や世界の安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではありません」と訴えた。

 ローマ教皇の長崎訪問は1981年のヨハネ・パウロ2世以来38年ぶりである。特設ステージには今年8月に米国から里帰りした浦上天主堂の「被爆十字架」や被爆後の長崎で撮影されたとされる弟を背負った少年の写真が展示された。これは教皇が「戦争が生みだしたもの」というメッセージをつけて配布を指示した有名な「焼き場に立つ少年」の写真である。業火で焼き尽くされ荒涼と広がる地獄にぽつんと立つ少年の姿は教皇の姿を特に捉えたに違いない。

◇教皇の言葉にあった「テロ」の表現は凄い。平和を祈る教皇は長崎の地に立って時を超えた怒りに震えたのだ。2001年9月、ニューヨークで衝撃の同時多発テロが起きた。二つの高層ビルに飛行機が突き刺さり、崩れ落ちる光景は信じ難いものであった。日本を含めた多くの人々がアメリカ側に立ってテロを非難した時、被爆者である原爆資料館元館長は「原爆投下はまさしくテロだ」と指摘した。教皇の胸にはこの発言がリアルに甦っていたのではなかろうか。82歳の教皇は元気である。その姿は「人は心に信念と理想を失うとき朽ち果てる」というウルマンの詩を思い出させる。超高齢社会にあって元気を失っている日本人に老いに挑戦する力を与える教皇の姿であった。(読者に感謝)

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2019年11月25日 (月)

人生意気に感ず「韓国のジーソミア失効回避。教皇来日の意味・その1」

◇はらはらして見ていたが、韓国は土壇場でジーソミア失効を回避した。日韓の軍事情報に関する協力の協定である。北朝鮮の動きを中心として東アジアの情勢は極めて緊迫している。それに備えるために日米韓3国の連携は増々重要になっている。北朝鮮は核開発を加速させ弾道ミサイルの発射を続け、中国は南シナ海に軍事拠点を造り、力による現状変更を強引に進めようとしている。中国との間で覇権を競うアメリカは、現在中国に押され気味である。これ以上の中国の進出をアメリカは許せない。ジーソミア失効は北朝鮮と中国に対抗する砦の一角にゆるみを作ることを意味する。米国が韓国に露骨な圧力を加えた背景はここにある。日本は韓国に対して不当な植民地支配を行ったという歴史的な負い目がある。しかし歴史は生きている。過去を踏まえつつも現実を直視し先を目指さねばならない。韓国は今回の事態から多くのことを学んだに違いない。

◇教皇フランシスコの来日は、重々しい、そしてやりきれないようなドロドロした世界情勢の中に吹き込む一陣の涼風である。世界の13億人のカトリック信者の頂点に立つ教皇の姿は人類の良心の象徴とも見える。私は壮大な歴史を振り返り、過ちを犯しながらも前進を続けてきたカトリックのうねりが眼前に現われたことに目を見張り感動している。フランシスコが南米アルゼンチンの出身であることも注目する点である。コロンブスの新大陸発見を契機にカトリックは中南米に広がり残虐の限りを尽くした歴史がある。南米出身のこの教皇の視線には貧しさや虐げられた者への優しさが感じられる。広島・長崎を訪れ核廃絶を訴えることはフランシスコにとって極く自然であるし、大きな説得力がある。

 宗教は人類にとって永遠の課題である。2千年の時を超えて人間の精神の問題としてカトリックは根を張り続けている。私はカトリックの一員であるが教会に出席するのは稀である。先日、ふとしたことからプロテスタントの教会のミサに初めて参加し、またふるさとともいうべき前橋カトリック教会で手を合わせた。ステンドグラスからこぼれる光は邪悪なものが渦巻く私の心を突き刺した。フランシスコの来日は病める日本人の心に何を訴えるであろうか。ザビエルは日本人のことを「貧しさを恥じず誉を重んじる」と記した。清貧のことである。(読者に感謝)

 

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2019年11月24日 (日)

小説「死の川を越えて」第256話

 

 古田園長は多くを語ろうとしないが水野への好意が言外に感じられた。水野がそれを受けて言った。ておられたそうですね。私の母校、京都帝大にも人権に理解を示す伝統

「私も京都大学出身なので、それはよく分かります。寮ではあの小河原泉君と一緒でした」

 古田園長は、ほほーと半ば口を開いて驚く表情を見せた。それに頷きながら水野は続ける。

「九大の頃、学生を連れ本妙寺集落を調査しました。そこであの集落の実態はよく承知しているつもりです。今回、いち早く状況を知らせたのは、当時の私の学生で、集落の研究を続けている者です。送られた患者は37名だそうですが、女や子どももおります。どうかぎりぎり人道的ご配慮をお願いします」

 この時、こずえがそっと手を上げて発言を求めた。今のこずえの姿は、単に美貌の故に人の目を引くのではなく、日頃の社会活動で身に付けたものが、美貌に人間的な深みの陰を添えているように見えた。こずえは、発言を促されたのを認めてきっぱりと言った。

「私は聖ルカ病院の職員でございます。女と子どもを一からげに罪人のように扱うことは耐えられません。私の病院のマーガレット先生も心配し、病気の検査とか子どもたちの教育と保護についても協力致したいと申しております」

 こずえの発言によって緊張した空気が流れた。

それに刺激されたように若い正太郎が発言を求めた。

「九州の人々を無差別に手続きもなしに重監房に入れるようなら僕らは闘わなければならない」

知事さん、この地を訪ねた大臣、地元の国会議員さん、皆が理想の療養所を作ると言っていた筈です。あれは嘘だったのですか」

 この時、同席していた苛藤精市がきっとして鋭い視線を向けた。そんなことをさせるものかという目の色である。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年11月23日 (土)

小説「死の川を越えて」第255話

 一行が栗生園に到着したのは7月16日であるが、その3日前に副島から水野に至急便が届いた。それには遂に本妙寺の一斉検挙が行われ、間もなく37名が草津に送られること、その中には重罪の容疑者10名程の他、女や子どもも多いことが記されていた。そして、次の点に副島の心情が示されていた。

「女や子どもが一緒なのは、家族などのため引き離せないからです。熊本県も心を痛めています。10名近くの重要人物については中央の強い意志があって地方の力ではいかんともし難いものがあります。国は明らかに全国の患者中の不穏分子に対する見せしめを狙っています。長年の無法と違法の責任を背負わされて十字架にかけられるようで、本当に気の毒でなりません。その十字架とは言うまでもなく重監房に他なりません。出来れば皆さんと力を合わせ、十字架から少しでも早く下ろされることを願うばかりです」

 副島の文面には公務員としての立場と、昔九州帝大で水野から人権を教えられた胸の内との葛藤が滲んでいた。

 万場老人たちは、早速園長と会った。ここに参加したメンバーには水野、正助父子の他、さや及びこずえもいた。

 水野が切り出した。

「大変なことになりましたね。私はお上にたて突くつもりはありませんが、人間として主張すべきことを主張することが国家社会のためだと信じております。それに、先日もお話したように、湯の川地区が築いてきた世界に誇るべき歴史を泥まみれにしたくありません。ハンセン病患者も人間だからです。人間を大切にすることこそ文化国家の基本ではありませんか。あの人たちが重監房に入れられるのかと思うと黙っておれないのです」

 これを聞いて古田園長が言った。

「水野さんは九州帝大で人権を教えがあります」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年11月22日 (金)

人生意気に感ず「巨大隕石が日本の海に。ローマ法王の来日に思う」

◇最後の生物大量絶滅の原因は日本の領海に落下した巨大隕石が原因だった。地球の生物は何回もの大量絶滅を乗り越えて今日の繁栄の中にある。大量絶滅の後に爆発的な生物の大量発生と大繁栄を繰り返してきた。よく知られるのは約6600万年前の恐竜の絶滅である。その後の最後の大量絶滅はおよそ1160万年前であったが、その原因は不明だった。この度、海洋研究開発機構などの研究チームは小笠原諸島・南鳥島沖の海底の資料から、直径数キロの隕石の衝突が原因だと判断した。私は知られていなかった巨大隕石の衝突が日本の海底で起きたことに大きな驚きを覚え、かつ人類絶滅も絵空事ではないことを知った。今回の調査結果は20日付の英科学誌で発表された。日本列島は地震の巣であり現在巨大地震が現実に迫っている。今回の巨大隕石の出来事は地球史的に日本列島が生き物の熱い舞台であったように思えてならない。これら悠久の時の流れが私たちのDNAに影響を与えているのであろうか。

◇ローマ法王フランシスコが間もなく訪日する。私はキリスト教、特にカトリックの壮大な歴史を感じざるを得ない。日本にカトリックを最初に伝えたのは、戦国時代(1549年)、ザビエルだった。鉄砲伝来の6年後である。以来カトリックは九州を中心とした西日本に広まったが長崎は特別の地であった。法王は長崎を第一に訪れる予定。宗教は古くて新しい問題である。カトリックはコロンブスによる新大陸発見後新世界に広まった。法王は南米アルゼンチンの出身。最近私は長崎とゆかりの深いコルベ神父の伝記を読み返した。ナチスの収容所で身代わりとなって餓死刑に耐えた姿は人間が精神の生き物であることを示す窮極の姿であった。私はカトリックの一員として法王の来日に深い関心を寄せている。法王は、世界の平和と人類の幸福を日本から全世界に向けて訴える。その中で、世界の人々はトランプの存在が小さいことを知るだろう。私は先日、知人と共に前橋カトリック教会を訪れた。昭和20年8月5日の前橋大空襲を奇跡的に免れた聖堂は静かだった。私の胸には、教会は大事な拠点であるが建物にこだわるべきでないという思いがある。約40年前、私の人生の同志はこの空間で祈りを捧げた。ステンドグラスを通してこぼれる光の中で、その姿が私の胸をよぎった。日本の危機の中で法王が語ることに耳を傾けたい。(読者に感謝)

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2019年11月21日 (木)

人生意気に感ず「人権の碑・訪中・中国の人権。フレイル検診。高崎市の談合」

◇一年が速い。夢中で走って気付くと年末のムードになっている。今月は激しかった。3日、群馬マラソンで10キロを完走、7日から5日間の中国視察、15日人権の碑除幕式と続いた。いずれも公私に亘る重大事であった。帰国後、訪中記を小冊子にまとめる作業に取り組んでいるが、5日間に書いたブログ記事を中心にしたものだからさして困難はない。「人権の碑」も大仕事だった。草津にはよく通った。楽泉園入所者の人々、そして人権闘争にたずさわった方々と親しくなれたことは人生の収穫であった。人権は普遍的な問題であることを中国の懐深くに入って肌で感じた。貴州省は内陸の辺境の地であるが、そこに現在大きな変化が起きていた。この省の先にはチベットやウイグルがあり、そこでは正に人権が世界の問題として問われている。

◇最近ニューヨークタイムズが中国政府のウイグル族弾圧の文書を公表した。中国の政府関係者から提供されたものだという。中国政府は国内問題であり反テロの努力を妨げるものとしてアメリカの批判に強く反論している。米国務省は中国政府がウイグル族ら80万~200万人を拘束と指摘している。華やかに躍進する中国の陰の部分は限りなく深い。私は貴州省のいたる所で「革命の初心を忘れるな」と訴える大きなスローガンの意味を今思い返している。

◇厚労省は来年から後期高齢者を対象にした「フレイル検診」を導入する。FRAILは本来体質が弱いという意味で、厚労省は筋力などの身体機能が低下し心身共に弱ってきた状態と説明している。75歳以上で大きく増え全国で350万人があてはまると推測する。統計の予測では2024年(令和6年)には団塊世代がすべて75歳以上になるから、フレイルの人も当然急激に増加する。厚労省の目的は健診による予防と改善である。要介護になる人を減らすことが出来るというもの。フレイル検診では運動機能の回復だけでなく広く生活習慣や社会的な活動状況などにも改善を促そうとするものだ。政府がスローガンを掲げることにより健康寿命延伸に効果が生じるに違いない。

◇高崎市政に激震が走っている。芸術劇場建設を巡る談合の疑いで市長の側近が逮捕されたのだ。日頃強気な富岡市長の目はうつろで元気がない。日の出の勢いの高崎の今後はどうなるか心配である。(読者に感謝)

 

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2019年11月20日 (水)

人生意気に感ず「中国の懐深く入って日本の役割を知る」

◇今回の海外旅行は重要な役割を担う割に自由で楽しい雰囲気にあふれていた。中国の辺境を訪ねるということは、やはりアメリカやフランスに行くのと比べ気分が違うのだ。日中間には有史以来の共通の文化の基盤がある。私は群馬県日中友好協会会長としてこのことを痛感した。30人近い大型訪中団、しかもメンバーは固い肩書きを持たない一般人ということにも重要な意味がありそうだ。ニューヨークやパリを訪ねるのと違って文化的に身構えなくてもよい気軽さがある。

 訪中団のメンバーは中国の大きさ、その急激な変化、さらには日本の役割の重要さまで感じたに違いない。戦後75年が過ぎた。これは何を意味するのか。言うまでもなく、あの戦争が遠ざかり、戦争を経験した人が極めて少なくなったことである。この時点における訪中はこの人々が日本を外から眺めること、そして世界の大きな潮流に日本が呑みこまれる恐れを実感できる機会となったに違いない。中国の変化は凄まじかった。巨竜の躍動は辺境の貴州省にまで及んでいたことを私は肌で感じることができた。

 客観的に見ればアメリカは下り坂に、一方中国は上昇気流に乗っている。中国のバネになっているのは屈辱の歴史である。およそ180年前アヘン戦争に破れた中国人は白人から犬と同様な扱いを受けた。上海のイギリス租界地ではかつて「犬と漢人は入るべからず」と標示があった。幕末にこの地を訪ねた高杉晋作は日本もこうなると危機感を抱いたことは有名な話である。日本は欧米の侵略を免れて維新を迎え、列強の仲間入りを目指した。日本は、その根を東洋文明に深く伸ばしながら西洋の文明を展開させている特異な国である。このことは今日の世界情勢の中で重要な意味を持つと私は信じる。二つの文明を調整する役割を担えるからである。日本が生きる道はアメリカとの同盟を堅持しつつ日本の特殊な地位を生かして、米中の調和を図ることである。そのためには、米中それぞれに言うべきことは言わねばならない。中国大使館の庭に「真の友情を絆に」と刻んだのはこれを意味する。今回、貴州省という中国の懐深く入り込み中国の変化を肌で感じてこのことを改めて学んだ。令和の時代に中国の辺境を訪ねることが出来て幸せだった。国難の時を日本は強かに生き抜かねばならない。その中で民間の交流がいかに重要であるかを知ることができた。(読者に感謝)

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2019年11月19日 (火)

人生意気に感ず「辺境の変化を日本の友人に語る。米中の対立の核心に触れた」

◇中国の辺境を訪れるのは初めてのことであった。貴州省は内陸の地で貧しい地域と言われていた。帰朝後、私は友人たちと食事をしながら中国を語った。ほとんどの人が中国を訪ねた経験をもち中国を知っている。しかし内陸の、しかも遅れていると思われている中国の実態を知る人は少ない。そこで友人たちは私の目を通した貴州省を知りたいと言った。彼らの一人は「なぜ群馬県と貴州省なのか」と訊く。そこで私は今年になって群馬県日中友好協会と貴州省が交流の覚書を交わしたことを説明した。それはスポーツの交流を糸口にして観光ビジネスなどに及ぼうとするものだ。覚書に調印した後、貴州省及び省都貴陽市の要人が何度か日中友好協会を訪れた。

 貴州省は群馬県と良く似ている。それは先ず山が非常に多いということ。私は朝貴陽市を走って新鮮な衝撃と親しみを感じた。街の北西部に標高1300mのけん霊山が屏風のように連なっている。それは上毛三山を連想させた。それから温泉資源が多い。貴州省の人々はまだほとんど手つかずのこの資源を観光に活かしたいと切望している。そこで進んだ日本のノウハウにつき学びたいと考えている。今度の「訪貴」が具体的な一歩となることを感じた。貴陽市議会を訪れた際「イープ・イープ」で進めたいと話すと拍手が起きた。これは一歩一歩のことで、日本と文字も同じ、発音もよく似ているので面白い。日本の友人は私の説明に頷きながら「これからの貴陽市について中村さんが心配することは何ですか」と質問した。私はこれを待っていたのですぐに応じた。「山や森を背景にして超高層ビルが林立し、その動きは更に勢いは増しているようでした」。少数民族の家らしい昔の中国の姿が近代的なビルに押されて消えようとしている。私は昔の中国の光景が一変するのは淋しいし恐いことだと話した。中国はアメリカと世界の覇権を争うまでになった。トランプが米中貿易戦争でフェアな競争でないと批判した象徴的場面を見ながら走った。フェア(公正)でないというのは国の強力な後押しでハイテク産業を後押しし、アメリカの企業を脅かしていると言うのだ。中国に言わせれば、それは中国式社会主義なのである。私は中国の辺境の地で図らずも米中対立の核心に触れた思いであった。これを日本の友人に知って欲しくて、一帯一路と絡めて話した。一斉に拍手が起きた。(読者に感謝)

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2019年11月18日 (月)

人生意気に感ず「人権の碑除幕式。人権のふるさとの扉は開いた」

◇15日(金)の早朝、走りながら「やったー」と心で叫んだ。心配した天気は快晴だった。予報では荒れた天気だった。草津が雪だったら除幕式は大変だと心配したのだ。式は午後1時半であるが、午前9時半に栗生楽泉園に着いた。ボランティアの人たちは既に動いている。除幕式と懇親会の会場の間は数百メートル離れていた。除幕式のスペースは狭いので一般の参加者は中央会館で式の様子を映像で観ることになっていた。除幕式の場所は陽光が注ぐ中で身を切るように冷たい。

 式辞は入所者自治会長の藤田三四郎さんと人権の碑建設委員長の私である。私は多くの人の深い理解と温かい心で悲願の碑が実現したことに対して先ず感謝を表明した。次いで、ハンセン病患者の悲惨さを、絶対隔離政策とその窮極である重監房について取り上げ、国賠訴訟勝利までを辿り、最大の課題はこれをいかに活かすかだと訴えた。そして、人権の碑はそのためのものだと述べた。時間を短くするために人権の碑建設に関する報告は私が挨拶の中で兼ねてやることになっていた。そこで、碑文は子どもにも理解できる内容にと工夫し、石の高さも子どもの視線に合わせるようにした点などに触れた。

 草津小学校の生徒代表4人が参加しその1人白鳥君はメッセージを読み上げ、その中で「一人一人が相手を思いやり尊重することがいじめや差別、偏見のない社会につながる」と主張した。

◇この日、国会では改正ハンセン病問題基本法が成立した。元患者に対する補償や差別の解消を明記したものである。人権の碑は長い道のりをかけて進めてきたが差別の解消を求める社会、国の潮流と合致していた。除幕式と国会の動きが重なっていたのはこのことを示すものである。多くの報道陣が取材し、その日のテレビ及び翌日の新聞は大きく報じた。

◇私たち建設委員会は碑文の中に「人権のふる里」という文を刻んだが、それはハンセン病という枠を超えて社会に根ざす差別と偏見が人権の問題として理解されることを願ってのことである。この日の楽泉園の動きは人権のふるさととして新しい歴史を刻むにふさわしいものであった。厳しい寒気の中にあって碑の周辺では紅葉が鮮やかであった。人権の碑と対称の位置に強制堕胎の碑がある。「命かえして」という声が聞こえるようだと私は挨拶で語った。(読者に感謝)

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2019年11月17日 (日)

小説「死の川を越えて」第254話

冷静さを失った人々には一行が地獄へ向かっているように思えた。

「わあー、殺されるー。死ぬのは嫌だー」

 1人の女が突然泣き出すと、それは感情の連鎖反応を起こし車内は狂乱の渦と化した。理性を失った女は上半身の衣服を脱ぎ捨て肌をあらわにして叫んだ。

「どうにでもしやがれ」

 その時、突然読経の声が起きた。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」

 腹の底から絞り出すような声は人々に身にまつわる因果を思い出させた。前世で法華経を冒とくした罰で業病に苦しんでいるという言い伝えである。読経は地の底から湧き出るように響き、人々を恐怖に駆り立てた。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」

 唱和する声が上がった。

「止めろ」

 誰かが大声で叫んだ。あたりが騒然となって、読経と怒号の坩堝(るつぼ)と化した時、1人の男がすっと立ち上がって言った。中村実平といって本妙寺集落の一方のリーダーで人望があった。

「皆さん静かにしてください」

 静かだが重みのある声にはその場を鎮める力があった。

「仮にも日本は法治国家だ。いくら差別されている我々だとて人間。このまま殺されるなんて断じてない。先ず落着こう。力を合わせねば自滅だ。奴らの思うつぼだ。どこまで行くのか様子を見ようではないか」

 一行は草津栗生園に近づいた。美しい景色が広がっている。中村実平の説得もあって、人々の心はやや落ち着きを取り戻していた。園内の様子は物々しかった。護送された人々に同行した熊本県の警察官や職員に、群馬県側の待受けた官憲が加わって園内は騒然となった。護送車から出された人々は皆疲れ果てた様子である。泣き叫ぶ子ども、髪を振り乱した女、ぼろを引きずった男など、異形の集団は追われるように管理棟に入って行く。その光景をじっと見詰める数人の人々がいた。万場老人たちである。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年11月16日 (土)

小説「死の川を越えて」第253話

 烈火の如く怒ったその家の主人は、許可証に名を書かれた元熊本県知事であったという。昭和15年7月9日のことであった。午前5時、まだ夜の濃い闇が集落を包んでいた。異様な雰囲気に犬たちが気付いて一斉に吠えだした。こんな中、本妙寺の患者の一斉検挙は断行された。熊本県警察本部長の指揮の下、総勢220名で集落の寝込みを襲った。人々は事態が何なのか掴めぬまま、なす術もなく検挙された。しどけない半裸の女の泣き叫ぶ姿も見られた。検挙は翌日まで続き、合計157名が一網打尽となった。これらの人々のうち患者でない者を除いた146名が各地の療養所へ分散して収容されることになり、群馬の草津には37名が送致されることになった。

 群馬の山奥へ送られることを知った時、人々の動揺と不安は大きかった。

「草津ってどんなとこだ」

「とんでもねえ山だ。大分の耶馬渓みてえな所の更に奥だそうだ」

「いったい何でそんなところへ」

 日頃差別され社会の底辺で生きてきた人々は被害者意識が強かった。異様な山並みは人々のこの意識を煽った。

そして、人々は社会が戦争に向かっており自分たちがそれを妨げる汚物のように見られていることを薄々知っていたので、とんでもない山奥へ送るのは殺して埋めるためではないかと恐れたのである。

 ある者が言った。

「草津の奥には骨も溶かす毒水の流れる死の川があるという。昔、そこへ生きたハンセン病患者の者を投げ捨て、今でも投げ捨ての谷と言われているそうだ」

「俺たちもそこで殺すつもりだぞ。この厳重な警戒はその証拠に違いねえ」

 根拠のない言葉が密閉された護送車の空間で人々の恐怖心を煽った。人々の恐怖は不気味な怪物のように成長していった。渋川駅で列車から収容バスとトラックに移され国道を一路西吾妻に向かう。美しい筈の山並みも人々の目には巨大な処刑場が待受ける姿のように映った。

 やがて一行は吾妻渓谷にさしかかった。切り立つ絶壁は天を指し奇岩が頭上に迫る。深山幽谷の光景はもはやこの世のものと思えない。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年11月15日 (金)

人生意気に感ず「貴陽市で田中正造の文明論文を考える。少数民族の少女のこと」

◇中国の旅中、毎日新聞連載(群馬版)の第3回が載った。明日9日(土)版である。私は朝の貴陽市を走りながら田中正造の世界を想像した。「第二の春城」と呼ばれる標高1071mの山あいの街は急速に近代化が進んでいる。内陸の都市がこの状況であるから中国全土に近代化の大波が押し寄せているに違いない。悠久の歴史に一大変化が生じている。牧歌的な中国の姿が消えつつある。田中の文明論が思い出された。「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」。田中は死の前年の日記でこのことを記した。田中の視線は、107年前に日本を超えて地球的規模で文明の行方を観ていたことを貴陽市で感じた。田中の予言は的中しつつある。田中の予言に迫真性があるのは予言者と言われる多くの人が頭の中の思索によって先の見通しを絞り出すのと違って、鉱毒の渦という文明の危機の中の行動から環境破壊の先を憂えたからである。貴陽市のホテルで正造の連載のことを訊かれた私は、6日出発前日の「へいわ845」の講義の話をした。ここでは新聞と並行して田中正造を進めている。6日の中味は次のようであった。

◇被害住民が大挙して動いて官憲と衝突した川俣事件の後、正造は帝国議会で政府を激しく糾弾した。有名な亡国演説である。普段は野次が渦巻く議場もこの時は水を打ったように静かであった。正造の秘かな決意が伝わったのだ。正造はこの演説の後、議員を辞職し天皇に直訴した。私意を捨て命を懸けた政治家の決断であり、正に知行合一の現われであった。曲がり角で馬車が速度をゆるめた時、ヒゲの奇妙な男が「お願いがございます」と言って走り出た。馬上の騎馬隊長は長刀を振り下ろした。私がこのことを話す時、「へいわ845」の教室は水を打ったように静かであったし、貴陽市のホテルの友人の目も輝いていた。満都の新聞は号外を出し世論は一気に沸騰した。特に注目されたのは若者の反応だった。旧制中学生だった石川啄木は感動して歌を詠み、学生たちは東大生を中心に特別列車で被災地に向かい、その先頭に立ったのは内村鑑三だった。中国の内陸の地で田中正造を語る不思議さを感じ正造を甦らせる意義を確信した。朝、走る途中で少数民族の娘と話すことが出来た。「リーベン・ハオ」(日本が好きよ)と笑う顔が美しかった。(読者に感謝)

 

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2019年11月14日 (木)

人生意気に感ず「街にはスローガンがあふれていた。福建はヘビの里」

◇福建省漳州市の朝を走る。6時、既に夜は明けて街には活気が感じられる。中国の街で驚くのは至る所にスローガンがあふれていることである。社会を一つの方向に向かわせようとする共産党政権の意図が窺えた。建設現場の大きな壁には「社会主義核心」とあり、その下に「国家」富強民主文明和諧、「社会」自由平等公平正法治、「公民」愛国敬業誠信友善と並ぶ。私は強大な権力者が拳を振り上げて国民に訴える姿を想像しながら走った。漳州一中の校門には「少年強則国強」とある。子どもが学んで強くなることが、国が強くなることだと訴えている。国民の胸にどのように響いているかと首を傾げながら走った。

◇福建省では車のナンバーに閩の文字が目立った。「虫とは不思議」と思っていたら市の職員が説明してくれた。虫はなんとヘビのことだという。福建省は南の山国の地域でヘビが多い、門構えは福建が南の他国に近く中国への門に当たることを意味するとか。門とヘビを組み合わせた不思議な文字を研究してみようと思った。

◇28人を乗せたバスは漳州市の山岳地帯に向かった。伝統の文化「土楼」の視察である。土で固めた円形の建物は私にとって謎の存在であった。2008年に世界遺産登録となった。中庭には古い井戸があり顔をあげると女性の赤い下着が幾枚か空間に突き出た棒にかけられている。朽ちた建物とはいかにもアンバランスである。上階で登ることは禁止されているがその標示の所に立つ女性が「5元、5元」と言っている。5元払えば登れるのだ。私は最上階の4階まで登ってみた。女性の下着の所にも行ったが人が住む気配は全くない。この歴史遺産に人が住んでいることは観光客を引きつける要素である。女性の下着はそのための作戦かも知れないと思った。ともかく、「土楼」を見られたことは大きな収穫であったし、私の好奇心をかき立てることになった。私は土楼の視察により中国の歴史遺産一般に対する興味を深めた。

◇夜、漳州市政府との懇親会が「漳州賓館」で行われた。表敬訪問と夕食と懇談が兼ねて行われたのである。中国側は漳州市人民政府の幹部で市副市長の張氏が対応された。私は挨拶の中で「土楼」を通して中国の文化の深さを知ったこと、日本にも古い文化が生きており、これらを活かした日中の交流が重要であると訴えた。今回訪中の主要日程が終わった。公的関係で示した中国の対応には熱い誠意があった。その背景には福田元総理の配慮があった。(読者に感謝)

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2019年11月13日 (水)

人生意気に感ず「中国の議会で歴史を語る。貴州省で万里の長城に登る」

◇11月9日午前、天気の良い日が続く。5時に起床、約1時間走る。大きな通りは車が時々疾走していた。3日のマラソンの影響は消えており私は快適に走っていた。闇の中で辺境の州のはかり知れない大きさと力を想像しながら走った。迷わぬようにと注意しながら走っていたが曲がる交差点を一つ間違えていた。正しい道を捜そうとするうちに混乱の深みにはまり焦った。私はタクシーを利用してホテルにたどり着いた。私は外国でよく走るが、ホテルを表示するカードと小銭は必需品である。タクシー代の元は今回のツアーで初めて使う外国のお金であった。

◇この日午前、貴陽市市議会を表敬訪問した。州都の人口はおよそ400万人。議会棟の姿もそれに相応しい重みを感じさせた。案内された議場は群馬県議会より広かった。報告席と表示されたテーブルが議員席と対面する位置に置かれていた。私は社会主義国における議会のやり取りを想像した。社会主義と民主主義は興味ある課題であるが400万人を代表する議員の発言の姿を見ることは許されなかったらしい。

◇私の発言と議員たちとの懇談の場は広い委員会室が予定されていた。議員の代表が歓迎の辞を述べ、群馬県との文化・経済についての交流につき具体的な提案を述べた。私は中村紀雄と書かれた席に立って発言した。かつて県議会で発言した自分の姿が胸にあった。中国側の代表は、毛沢東が建国を宣言して以来中国は豊かさと強さを求めて今日を迎えていると語った。私はこれを受けて自分の歴史認識を述べた。かなりの時間を与えられていたがその要点を挙げる。日本は原爆によって敗戦し瓦礫の中から立ち上がった。杜甫が詩でうたう「国破れて山河あり」の状況であった。日本と中国は今回共通の課題を多く抱えているがそれは真の豊かさを実現することで解決できる。そのために日本は真の友人として協力したい。群馬県日中友好協会の役割もこの点にある。ざっとこのようなものであるが、私は米中対立の世界情勢の中で自分の歴史認識を語れたことに胸がふくらむ思いであった。

◇午後、有名な観光地「青岩古鎮」を視察した。広大な史蹟が広がる中ではっと驚くのは「万里の長城」を思わせる光景である。城壁の間の急斜面の階段が遥か彼方に天に届くように伸びて、多くの人が蟻のように登っている。私は挑戦し頂上に登った。長城は更に次の尾根に続く。明代の外敵を防ぐ砦であった。(読者に感謝)

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2019年11月12日 (火)

人生意気に感ず「貴州省からの報告。その2」

◇8日、貴州省体育局を訪ねた。今年6月に調印した「覚書」の中心項目の一つに体育の交流があった。今回の「訪貴」の目的は「覚書」の中味を具体的に前進させることである。

 私は今月3日、群馬マラソンで10キロを完走した。「来年は是非とも皆さんと一緒に走り共に汗を流したい」と語ると、「必ず実現します」と蘆副省長は答えた。和やかな会談の中で、今朝も早朝走ったことに触れると驚きの声があがった。私は更に交流の実をあげるためにはお互いの伝統文化の理解が必要であると発言し、「京劇」を群馬で観たいと願った。

◇この日の午後、「桃源河」の開発地域を訪ねこの一画で進められている温泉計画を視察した。大型バスで2時間位の行程は貴州省を知る上で大変重要であった。日本と似た光景が遠くまで広がっている。昨日、飛行機の中で隣りの中国人に教えられたことがあった。「都会では高層住宅が並び一戸建ては非常に少ないが、地方に行くと多くあります」ということであった。目の前に展開されている景色は機上の人が話した通りであった。貴州省は山の国という予備知識の通り多くの山々が前方に稜線を重ね大海のように広がっている。その山々に抱かれるように一戸建ての家が点在している。それは日本の農村風景と変わらない。古い中国と日本に出会った思いで私はほっとするものを感じた。

 桃源河の地区は絶壁と奇岩を刻むように渓流が走り、かつての吾妻渓谷を連想させた。観光客が大勢いるあたりで私たちは省が用意した数台のマイクロバスに分乗した。流れに沿い連なる絶壁を縫うように細い道が走る。渓谷を抜けると別の世界が現われた。山の急斜面を覆うのは段々畑とそこに植えられたみかんの木である。段々畑が尽きるあたりに規模の大きい温泉施設があった。ここで少数民族の衣装をまとった少女たちの出迎えを受け、施設の幹部から温泉計画の発展について相談を受けた。伊香保や草津に学びたいというのだ。

◇夜、京劇を観た。豪華絢爛の衣装をつけた俳優とダイナミックな動きに引き込まれた。「出し物」は貴妃酔酒、天女散花、白水灘で、これが中国の伝統芸術かと感動した。劇終了後、壇上で俳優たちと写真を撮った。私は真赤な衣装の美女と握手した。中国は今、怒涛の変化を遂げつつある。その中で古い中国と伝統文化が呑み込まれていく恐怖を感じる。日中友好の絆は伝統文化の交流で本物になると思った。(読者に感謝)

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2019年11月11日 (月)

人生意気に感ず「貴州省からの報告。その1」

◇7日、貴州省訪問の第一日目。総勢28名は午前4時半頃前橋駅前からバスで成田へ向かう。バスの中で目を醒ますと朝日が美しい。上海蒲東空港までは2時間半。出発後間もなく雪を頂いた富士を見る。上海から乗り継いで次の空港へ向かうがこの空の旅も約2時間。驚いたことに国内線にも拘わらず警備の厳しさは異様な程だ。世界情勢が緊迫していること、そして中国国内も様々な問題を抱えていることを肌で感じた。手荷物検査の時、一員にトラブルが発生した。その人は同行の仲間からバッグを頼まれていた。そのバッグを開けろと命じられたが、持ち主の女性が別行動をとっていたため開けられないのだ。携帯もつながらないまま時間は迫るで、団長の私は冷や汗をかく思いであった。

◇眼下に見る貴陽市は想像の通り山国であった。その中で道路やビルの建設が進み、その活気が機上に伝わるようであった。後に貴州省は中国で最も成長率が高い所の一つと説明を受けた。私の名前を掲げた人たちが待受けていた。省政府の建物は厳めしく堂々としている。中国は歓迎上手の国であるが、この日の歓迎ぶりはさすがであった。私の隣りに席を占めた廬雍政副省長は、群馬県日中友好協会と交流の覚書を前橋で交わした時の人。私が握手の時、「老朋友(ラオ・ポンヨー)」と言うと嬉しげであった。中国は一度会えば朋友であり、二度目は一格上の関係になる。私は挨拶で初めは中国語で語り後半の重要事項は通訳させた。中国語の部分では、現在日中両国の関係は増々重要であるから、日本は真の友人としての役割を果たしたいと強調した。日本語の部分では、今後の温泉事業への協力に触れた。

◇次々に出る料理は素晴らしい。辛いのと酸っぱいのが貴州料理の特徴である。また、52度のマオタイ酒はうまかった。酒に弱い私であるが杯を重ねても心地よかった。マオタイ酒の原産地は貴州省の遵義市である。トウガラシやドクダミの料理がでた。2003年に中国全土にサースが流行ったが貴州省ではこれが発生しなかったのはドクダミ料理の習慣のためとか。マオタイ酒は中国の国酒と教えられた。

◇貴陽市は省都である。山が迫る中で高層ビルが林立する。山とビルの組み合わせの光景は初めての体験である。私は中国の懐の深さを肌で感じた。「米中戦わば」という議論がある。中国は欧米の民主主義に挑戦している面がある。中国の覇権主義は世界をどう変えるのか。ニュースではトランプの苦戦が報じられていた。(読者に感謝)

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2019年11月10日 (日)

小説「死の川を越えて」第252話

 

水野が秘かに調べたところによれば、知事がそのようなことを許可する筈がないというのが大方の見方であった。長い間咎められずに習慣と化し、違法感覚がなくなっていた恐れがある。しかし、きちんと調べ偽造と判明すれば、公文書の偽造罪及び同行使罪だから重罪である。更に各地の神社仏閣や資産家などに詐欺罪を働いたことになる。その他に無法地帯で闇に葬られた犯罪は多いと言われてきた。目を閉じた水野の脳裏をこれらのことが瞬時に流れた。水野は再び副島の書面に目を戻した。

「本県知事は、国の方針を受け入れて本妙寺集落の人々を一斉検挙することを決定しました。先生、私は心を痛めていますが、これはどうすることもできません。混乱を防ぐため秘密にしなければならないこと、どうか御理解願います。今までの経験から分かっていることですが、事前にハンセン病集落の検挙に向かうと知ると警察官が尻込みして効果が上がらないのです。警察には現場に突入する直前に目的を知らせる必要があります。問題は一斉検挙後でございます。全国の国立療養所の監禁所へ分散して送ることになると思います。私が最も心配していることは、その中の一部が草津の特殊監禁所へ送られるのではないかということです。聞くところによれば、そこは刑務所以上に酷いところだそうですね。そうなった場合には、人々を救済するために出来るだけのことをする決意です。その時はどうか、先生及び湯の川地区の皆様のお力をお貸しください」

 水野の予期した通りであった。<大変なことになるぞ>水野は呟いて万場老人や正助たちに話した。

水野はある面白い話を聞かされていた。いつものように本妙寺の寄付集めが知事の許可証をもってある大きな屋敷に入っていた時のこと。立派な風采の主人が許可証を一見して叫んだというのだ。

「わしはこんなもの許可した覚えはない」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年11月 9日 (土)

小説「死の川を越えて」第251話

 

三 重監房の中で

 

この年の6月の終わりが近づいていたある日、熊本県庁の副島悟郎から水野高明の下に一通の手紙が届いた。それには次のようにあった。大変な時局となり、ハンセン病の関係も深刻な状況が進んでいると感じられること、そしてそちらにつくられた「特別病室」のことがとても気がかりだと述べ、この書面で特に伝えたいことは本妙寺集落のことだとして、

「わが県の特殊地域として本妙寺集落があることは既にご承知の通りだと思われます。この集落は、歴史のあることで我が県も目をつむってきたところもありますが、非常時に突入した現在、そういうことは許されなくなりました。国難に立ち向かい、聖戦を戦い抜くためには、この国全体がきれいにならなければならないのにハンセン病の集落は社会を汚す存在だ、その上ハンセン病は恐ろしい伝染病だから放置すると国民の体力が落ちる。これが上の方の考えです。残念ながら先生が説かれている人権尊重はここには見られません。最近、国から県に指令がありました。そこで本妙寺の無法状態、つまり一種の治外法権は許されなくなりました。近く、早ければ今月中にも本妙寺集落に官憲の手が入るでしょう。今、秘かに準備を進めています。私個人とすれば集落の人々に対する同情の念もありますが、いかんとも出来ません。ところで、先生に特にお知らせしなければならぬことがあります」

 水野はここまで読んで、紙面から目を逸らした。ある予感が湧いたのである。目を閉じると重監房の姿が浮かんだ。同時に水野は、昔本妙寺の集落に調査で踏み込んだ時のことを思い出していた。そこでは悲惨な貧困と人間の差別が汚辱のたたずまいの中に凝縮されているように思われた。しかし、無法無秩序と言われる中にもある種の静かな秩序と統率が無気味に感じられた。隣県にまで代表を送って寄付金を集めることを長いこと続けているが、その際使われる知事の許可証は偽造であるとの噂が流れていた。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2019年11月 8日 (金)

人生意気に感ず「貴陽市で田中正造の文明論文を考える。少数民族の少女のこと」

◇中国の旅中、毎日新聞連載(群馬版)の第3回が載る。明日9日(土)版である。私は朝の貴陽市を走りながら田中正造の世界を想像した。「第二の春城」と呼ばれる標高1071mの山あいの街は急速に近代化が進んでいる。内陸の都市がこの状況であるから中国全土に近代化の大波が押し寄せているに違いない。悠久の歴史に一大変化が生じている。牧歌的な中国の姿が消えつつある。田中の文明論が思い出された。「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」。田中は死の前年の日記でこのことを記した。田中の視線は、107年前に日本を超えて地球的規模で文明の行方を観ていたことを貴陽市で感じた。田中の予言は的中しつつある。田中の予言に迫真性があるのは予言者と言われる多くの人が頭の中の思索によって先の見通しを絞り出すのと違って、鉱毒の渦という文明の危機の中の行動から環境破壊の先を憂えたからである。貴陽市のホテルで正造の連載のことを訊かれた私は、6日出発前日の「へいわ845」の講義の話をした。ここでは新聞と並行して田中正造を進めている。6日の中味は次のようであった。

◇被害住民が大挙して動いて官憲と衝突した川俣事件の後、正造は帝国議会で政府を激しく糾弾した。有名な亡国演説である。普段は野次が渦巻く議場もこの時は水を打ったように静かであった。正造の秘かな決意が伝わったのだ。正造はこの演説の後、議員を辞職し天皇に直訴した。私意を捨て命を懸けた政治家の決断であり、正に知行合一の現われであった。曲がり角で馬車が速度をゆるめた時、ヒゲの奇妙な男が「お願いがございます」と言って走り出た。馬上の騎馬隊長は長刀を振り下ろした。私がこのことを話す時、「へいわ845」の教室は水を打ったように静かであったし、貴陽市のホテルの友人の目も輝いていた。満都の新聞は号外を出し世論は一気に沸騰した。特に注目されたのは若者の反応だった。旧制中学生だった石川啄木は感動して歌を詠み、学生たちは東大生を中心に特別列車で被災地に向かい、その先頭に立ったのは内村鑑三だった。中国の内陸の地で田中正造を語る不思議さを感じ正造を甦らせる意義を確信した。朝、走る途中で少数民族の娘と話すことが出来た。「リーベン・ハオ」(日本が好きよ)と笑う顔が美しかった。(読者に感謝)

 

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2019年11月 7日 (木)

小説「死の川を越えて」第250話

「それによって初めてドイツは一つになって戦える。だからこの戦いに勝つためにユダヤ人を消滅させることが必要だという考えです。つまり、ユダヤ人は生きるに値しない命だというのです。恐ろしいことです。この思想が日本に本格的に影響することを私は恐れています」

 昭和15年に入ると国内外の動きは一層沸き立った。ヨーロッパ戦線で、ドイツの進撃には実際目を見張るものがあった。ドイツと同様に国際連盟を脱退し侵略戦争の道を進む日本では、これに刺激され、ドイツに乗り遅れるなという気運が高まっていた。遂に万場老人が口ぐせのように言っていた事態が発生した。15年9月の日独伊三国同盟の締結である。

もはやアメリカとの関係は引き返すことが出来ないところに来てしまったのだ。

 日本国内も戦争に向けて国民全体が興奮状態にあった。昭和15年の群馬県議会では、次のような知事の発言が見られる。

「日独伊三国条約の成立、また紀元二千六百年祝典に当たり、天皇陛下より勅語が発せられた。恐れ多いことです。しかし、帝国の前途は容易ならず。我ら国民は一億一心一体となって高度国防国家を完成し国の総力をあげて難局を打開したい」

 昭和15年は、全国で紀元節の記念式典が行われた。この年は、日本書紀にある神武天皇即位の紀元元年から2600年に当たるとされたのだ。戦争協力への気運を盛り上げる狙いがあった。

 

※本日は都合により中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を掲載いたします。

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2019年11月 6日 (水)

人生意気に感ず「マラソン完走は人生の勲章。完走の心で楫取を語った」

◇11月3日のマラソンを私は特別の思いで迎えた。4日前に満79歳となり、この10キロ走は私の体力、気力を証明する重大事だからである。目の前に人生高齢の森が無気味に控えている。それに走り込むための入場券の意味もある。早朝、ジョギングを除きいつものトレーニングを済ませた。腕立て伏せ250回(25回を10回行う)、腹筋25回、懸垂10回は体の快調を示していた。新たに加えたことは7杯の冷水を気合と共に被ることである。7月と9月の不動滝の滝行以来続けているが精神と身体に好影響があるようだ。出発を前に改めて先日の岩田亀作さんのことを思い返した。一句が浮かぶ。「ダンピール 魔海に浮かぶ我が孤影 思いて走る上州の秋」。

◇10時に号砲が鳴った。それを待っていた5つのグループが順に走り出した。私はEなので最後の集団であった。17号に出るまでは芋揉み状態である。私はその間をすり抜けるようにして前進し17号を北上した。途中、朝鮮飯店の焼肉の臭いを感じたのは余裕の現われかもしれない。「ホイホイサッサ」と呼吸を整えながら上武道路の手前を左折して国体道路に出た。折り返してきた人たちの流れに逆らうように北上し5キロのポイントに達した。南下に入るとほっとすると共にタイムが気になる。昨年は閉鎖時間にビリ2で走り込んだ。今年は背中に多くの後続を感じる。「ホイホイサッサ ホイサッサ」と速度を速める。敷島球場が見える所で応援団が立っている。「パパ、すごいよ」。娘の声である。私は一気にゴールに走り込んだ。公式記録、1時間27分35秒。ネットタイム1時間24分05秒であった。公式記録とは号砲からの時間で、E組の私はかなり後で足踏みをしていた。ネットタイムはスタート点からの実際の走行時間。私は昨年より10分近く記録を伸ばすことが出来た。完走証は満79歳で得た人生の勲章であった。

◇この日マラソンの後、富士見の「じどう館」で楫取素彦についての講演を行った。対象は放送大学同窓会連合会の人々。マラソンの余韻か、私は少しハイテンションで松陰と楫取の関係及び廃娼運動につき時代背景にも力を入れて語った。見上げるような楫取を讃える碑には楫取の真の功績を刻む言葉はない。日本は現在、維新以来何度目かの国難の時を迎えている。群馬の原点をつくった楫取を今改めて見詰める時だという私の思いを語った。(読者に感謝)

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2019年11月 5日 (火)

人生意気に感ず「岩田亀作さんとニューギニアを語る。10キロ完走を誓う」

◇11月1日(金)岩田亀作さんにお会いした。アポイントをとっておいたのである。あと二カ月ばかりで101歳となる人はネクタイを締め毅然としておられた。耳が遠くなった他は立派で、燃え尽きる人生の炎などは感じさせない。人間とはかくなるものかと感動した。97歳まで車を運転し違反したことはない。この人を支えるものはニューギニアの極限の体験に違いない。この日、ダンピール海峡・サラワケット越え・野戦病院などを語る時激しい情熱を感じさせた。あの戦争が遠ざかり、地獄の体験を明瞭な頭脳で語れる人は極めて少なくなった。「戦友が皆いなくなりました」、「亀作さん、私も戦友ですよ」、「そうです、中村さんは最後の戦友です。ははは」このような会話を交わした。長いことニューギニアを語り継ぐ運動を共にしてきた私にとって、亀作さんは戦友の存在であった。79歳の誕生日を二日前に迎え、二日後に10キロのマラソンに挑戦する私は期することがあってこの日亀作さんを訪ねた。

◇2001年(平成13)10月、私は副議長として慰霊巡拝でニューギニアの戦跡を巡った。前年9月にニューヨークの同時多発テロが発生したことで世界情勢は未だ騒然としていた。ニューギニアの戦跡に立って戦争と平和を考えるには良い機会であった。ラバウルの印象は強烈であった。ゼロ戦の残骸が土の中に突き刺さっていた。かつての作戦本部は半ば土に埋もれている。強者どもの夢の跡であった。

 ダンピール海峡はラバウル島と本島との間にある。ラバウルからの移動の時悲劇は起きた。制空権を奪われた日本の船は丸裸で、アメリカ空軍の餌食となった。沈没する船の中は阿鼻叫喚であった。岩田さんは死体の山をかき分けて海に飛び込んだ、必死で泳いで振り返ると船は船首を上に向け大きな渦を巻いて沈んで行った。流れている材木にすがり、2・3時間銃弾の雨に晒されながら波間を漂った。急降下した機上の米兵の顔がはっきり見えたと岩田さんは語った。

◇この日、私は岩田さんに謝罪した。かつて「百歳まで生きたら良い、弔辞を読むから頑張って下さい」と励ましたのである。岩田さんは「あと10年頑張る」と笑いながら言った。マラソンのことが話題になったので、「ダンピールの亀作さんの姿を想像して走ります」と誓った。毎日新聞連載の「田中正造―死の川を抗して」は9日(土)である。7日中国へ出発する。(読者に感謝)

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2019年11月 4日 (月)

小説「死の川を越えて」第249話

 このことは直ちに園中に伝わり、同時に特別病室の実態が知られ、恐怖の象徴となった。患者たちは苛藤精市を増々恐れ、人々の心は萎縮していった。清水の事件によって特別病室とは名ばかりで、実は犯罪人を扱う牢屋であるから監房と呼ぶにふさわしい、しかも特別の重罪を扱う監房というべきだから重監房だということになり、いつしか重監房の名で呼ばれるようになった。

 重監房の存在は、軍靴の音と共にハンセン病の患者の胸に重くのしかかった。中国大陸における戦雲は増々急で、国家総動員法は国民精神総動員の呼びかけと一つになってあらゆる物と人を戦争へと駆り立てていた。国を挙げてのこのような動きはハンセン病の人々の耳には「お前たちも戦争に協力せよ。お前たちは国のために何ができるのか」と急き立てているように思えるのであった。

 正助は居たたまれないような声で万場老人に向かって言った。

「先生、社会の動きは俺たちにお前たちは存在意義があるのかと問いかけているように思えてなりません。あのドイツ人宣教師カールさんのことが思い出されてならないのです」

「おお、正助よ、わしも今同じことを考えていた。ドイツは大変なのじゃ。あのヒトラーが独裁政権を握って、条約を無視して軍備の増強を大々的に始めたそうじゃ。国民は熱狂的にこの男を支持しておるらしい。国民を煽る演説のうまさは天才的で、国民は酔ったように、熱に浮かされたように一つの方向に突き進んでいるらしい。非常に危険な兆候でこのままでは欧州は世界大戦に突入するかも知れん。前からわしが心配しとることは、日本が同じような方向に進んでいると思えることじゃ。行き着く先は我々が生きるに値しないという烙印を押されることじゃ」

 万場老人が恐れていたことが実現されるときが来た。重監房が設置された翌年の昭和14年(1939)、ヨーロッパを中心にして第二次世界大戦が勃発したのだ。ドイツの破竹の躍進は日本軍と日本国民を大いに刺激した。万場老人が語るヨーロッパの情勢を聞いて正助が不安そうに尋ねた。

「俺たちはどうなるのですか」

 これに対して今まで黙って聞いていた水野高明が口を開いた。

「ドイツでは酷いことが起きています。ヒトラーはドイツ民族の優秀性を貫くためにユダヤ人を消し去ろうとしています。ユダヤ人のために前の大戦では負けたと信じているのです。ドイツからユダヤ人を抹殺し、ドイツ民族の血の純粋性を守るのだ」

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年11月 3日 (日)

小説「死の川を越えて」第247話

 古田園長は、正助の熱い口元を見詰め時々深く頷くのであった。そして、正助の話を聞き終えた時、古田は重い表情で語り始めた。

「全国ハンセン病療養所の所長会議が開かれましてな、そこで特殊監禁所の設置が提案されました。ハンセン病の問題で大きな影響力を持つ人の主導のため、動かされてしまったのです。その背景には、長島事件がありました」

 古田園長が言葉を切った時、それまで黙って聞いていた水野高明が言った。

「私は長島事件について詳しく聞いております。酷い状態に対して患者が怒りを爆発させたそうですね。常に定員を大幅に超え、居室は極端に狭く、食事も不十分、作業賃までカットされた。遂に患者たちは作業スト、ハンストをやり、施設幹部の辞任を求め、自治活動の権利まで要求するに至ったといいます」

 水野は熊本県庁にいるかつての生徒、副島から細かく報告を受けていたのだ。副島は報告書の中で、厳しい時代状況がハンセン病の患者にしわ寄せとなって気の毒だと感想を述べていた。古田園長も同じようなことを語った。

「長島愛生園だけでなく、不穏な空気が全国の療養所に広がっています。中国で戦争が広がる中で、国も殺気立っています。物資は不足していますから、ハンセン病どころではないという状況で、国立療養所はどこも締め付けが激しくなり患者の反発も起きます。不穏分子を厳しく取り締まらねばということで、特殊監禁所の提案となりました。

 草津が候補地に上った時、まさかと思い、私は反対しましたが、世界に誇る文化施設にする、厳しく罰するだけでなく、温泉を利用して病気を治しながら悪い性格も直すという理屈で押し切られました。その後、この園の中にあのような建造物がつくられてしまったことに、騙されたという思いと共に怒りを覚えます」

 こう言って、園長は話しを無銭飲食の清水佐助に戻した。繰り返す犯行に手を焼いていたので懲らしめて反省させるつもりだったのだ。そして言った。

「皆さんの話はよく分かりました。清水もずい分反省したことでしょう」

 こうして、清水は特別病室入室は一日で釈放された。

 

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2019年11月 2日 (土)

小説「死の川を越えて」第246話

 彼の哀れな態度は苛藤の残忍な心を煽った。

 清水が入れられた夜、特別病室からは泣き叫ぶ声が聞こえた。

 その翌日のことである。上地区の者2名が正助を訪ねてきた。

「確かに銭を払わねえで食ったヤツが悪いには違いねえが、あんなコンクリートの塊で窓もねえ牢屋にぶち込むとはひでえことです。何とかならねえものでしょうか。お願いします」

 正助はことの重大さを直ぐに察知した。

万場老人と水野に話すと、2人は異口同音にこれは捨て置けない、今後のこともあるから園長に話そうということになった。

 園長を訪ねると、万場老人が先ず口を開いた。

「栗生園開園に至る歴史は園長も十分にご存知の筈。特別病室なるものが、あれよあれよという間につくられた。驚きじゃ。現在、非常時であることは承知しております。国には深い考えがあると思うが、開園に至る経緯には国家の我々に対する約束がある。特別病室の運営にはこの歴史に十分な配慮を願わねばなりません」

 古田園長は、一瞬たじろぐ表情を見せたがぐっとつばを呑みこんで言った。

「分かっております。それを承知しているが故にあそこはできるだけ使わないように心掛けておるつもりです」

 この時、正助は身を乗り出すようにして言った。

「湯の沢には、世界にも例がないと言われた患者たちの自治の組織がありました。私たちはハンセンの光が発するところと誇りを抱いてきました。当時の牛川知事は、移転の時はこのことを尊重して理想の場所に移すと約束されました。内田内務大臣も湯の沢を視察され、湯の沢の人たちが助け合って生きている姿に感動し、療養所をつくるについては、実際にこのあたりを私たちと一緒に歩かれ、私たちの願いが実現出来るようにすると約束されました。更に申し上げるなら、地元の国会議員木檜泰山先生は帝国議会で、湯の沢地区の素晴らしさを取り上げ、新しい療養所はいかにあるべきかを強く訴えて下さいました。そのようにしてやっと実現したこの草津栗生園です」

 正助は一気に語った。正助の胸には、内田大臣や木檜代議士などを案内して、このあたりを広く歩いた光景、そして幼い正太郎と共に県議会に出かけてひげの先生たちの前で湯の沢のハンセン病の光について訴えた姿が描かれていた。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年11月 1日 (金)

人生意気に感ず「首里城炎上。大災害に備える国の総合力。育休の意味」

◇31日の深夜、暗闇に浮き上がった紅蓮の炎に一瞬映画の場面かと思った。沖縄首里城が燃えている姿であった。数十台の消防車が出動と報じられた。火の勢いは激しく、手の施しようがないように思われた。正殿などは木造でスプリンクラーもなかった。7施設が焼失した。激しく炎上する光景を見て私は沖縄戦を想像した。首里城の地下には日本軍の司令部が掘られ、米軍の猛攻の標的となり焼失したのだ。特別の歴史を語る文化財が姿を消したことは残念だ。首里城祭が開催中であった。正殿が激しく燃えたらしく、出火の原因もそこにあったのかも知れない。今後の究明が待たれる。

◇今回の千葉県を中心にした大災害は台風15号で始まり21号の襲来で決定的の感を強めた。被災地の人からは「もう立ち上がれない」という声が聞こえる。緊急の課題は凄まじい現状から今後の対策を引き出すことだ。「備えあれば憂いなし」というシンプルな諺を活かさねばならない。「備え」のためには情報が何よりも重要である。停電が最も人々を苦しめたと思われる。近代生活は電気に支配されていることを改めて思い知らされた。停電に関する最大の課題は鉄塔倒壊である。60mを超える風速に鉄塔が耐えられないことが明らかになった。空前の60m台の風速時代に入ったのだ。

◇このような事態に対して経済産業省は有識者会議を開き、問題点を検証する。そこで提示されることが今後の災害対策の中心となることを考えると何が提示されるかは極めて重要である。

 この会議で示される次のような対策案が報じられた。①カメラ付ドローンの活用、②連携強化(電力各社・自治会・自衛隊など)、③鉄塔、電柱などの強化。これらは素人にも分かるもっともな対策である。新しい超災害は国の総合力で立ち向かわねばならない。科学の国、精神の国日本が試されている。これを実現する力の源泉は国民であるが、それを導く政治の役割は非常に重要である。

◇政府は男性の長期育児休暇を推進する方針である。私はこの政策が出生率向上に繋がると確信する。今や人口減少は日本の浮沈がかかわる最重要課題。私は、出生率は政策によって改善できると思う。大胆に予算を付け子育て環境を整えることが重要だ。予算措置とは直接関わらないが大規模な育休は子育て環境改善のための一環になるに違いない。統計は科学による予言である。それが示す悪夢を避けたい。(読者に感謝)

 

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