« 小説「死の川を越えて」第206話 | トップページ | 人生意気に感ず「参院選挙序盤の情況。今月のふるさと塾はリンカーン」 »

2019年7月 7日 (日)

小説「死の川を越えて」第207話

万場老人の熱演ともいえる話を聞きながら、正助は昔、話に聞いたこずえの母の実家の悲劇を思い出していた。やはり前橋の製糸業であったはず。そして訊ねた。

「ところで先生、世界大恐慌、そして満州のことを考えると、世界中が激しく動いていることを感じます。そこでなんですが、前にドイツ人の宣教師のカールさんが草津に来て、生きるに値しない命のことを話していましたね。俺、あのことが俺たちのことを言われたようで頭にこびりついています。あの国はどうなっているのか教えて下さい」

「おお、それじゃ。カールはドイツの宣教師。今、ドイツで大変なことが起きている。これからの日本、我々の運命にも影響を及ぼすことと心配しているのじゃ」

「一体どんなことですか、先生」

「カールは、生きるに値しない命と言ったな。あの考えを政策の基本に据えた政党が生まれ、凄い勢いだという。ナチス党といって、指導者はヒトラーという人物じゃ。ドイツ民族の優秀性を強く訴えてな、それを守るために、重度の障害者など治る見込みのない病者は、民族の血を汚すとして排除すべきだと主張している。もっともヒトラーの思想の本質は民族の優秀性を守るためにユダヤ人を徹底的に排除する方向だという。経済の不況が重なってこういう人々のために、国が税金をかけるべきでないと強調しているという。あの時、カールが恐れていたことが国の方針として実現していくとすれば大変なことじゃ。わしは、今日の日本が似ている方向に走っていると思えてならぬ。軍部の独走じゃ。その底にあるのは日本民族の優秀性という思い込みに違いない。中国人や朝鮮人を下に見て軽蔑する。日本民族の優秀性を押し通すのが国粋主義だ。わしは、これはヒトラーの政策と通じるものがあると思う。我々ハンセンは、この優秀性を汚すから隠せ、閉じ込めよとなる。これを支える法律が、この度出来た癩予防法じゃ」

「先生、似ている者同志で日本がそのヒトラーと手を結ぶようなことになったらどうしますか。そんなことはないと思うけど」

「実はな、わしは、秘かに心配しとるのじゃ。中国で、日本がこのまま軍を押し進めるなら、いずれアメリカと戦わねばならぬ。ドイツもこのまま進めばヨーロッパを敵に回すことになるだろう。とすれば、ヒトラーと日本が手を組むことも有り得ぬことではないぞ。このあたりのことは一度、水野先生の意見を聞いてみたい」

「今日の先生の話はうんと大切ですね。俺、忘れねえうちに整理します。帳面に書こうと思います」

「うむ。それは良い心掛けじゃ。世界の動きをここの湯の沢の問題と結びつけて考えるがよい。学問は、一歩一歩の積み重ねであるぞ」

「このことは、しっかり腰を据えて皆に説明する必要があるんじゃないですか」

「そうじゃな。深刻な、そして難しい問題であるから、どう説明するか考えてみよう。その前に水野さんから何か教えてもらえるかもしれん。水野さんに会おう」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

|

« 小説「死の川を越えて」第206話 | トップページ | 人生意気に感ず「参院選挙序盤の情況。今月のふるさと塾はリンカーン」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 小説「死の川を越えて」第206話 | トップページ | 人生意気に感ず「参院選挙序盤の情況。今月のふるさと塾はリンカーン」 »