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2019年6月 9日 (日)

小説「死の川を越えて」第199話

 水野が開会の挨拶のようなことを始めると会場がざわざわした。

「見ろよ、あの時の鉢巻の学者先生でねえか」

「違えねえ、小学生のように列を作れと言って先頭に立った人だ。なんだか面白えことになりそうじゃねえか」

 水野は自分のことと気付いて、エヘンと髭を指でしごく仕草をした。

「あの時の水野です。鉢巻姿を覚えていますかな。は、は、は。明星屋でお世話になっています。実は、私は、湯川生生塾の講師です。小さな寺子屋ですが現職の内務大臣が訪れた寺子屋など、天下広しといえどありませんぞ。この湯の沢の誇りです。昨年大臣が、生生塾に入る時、肥後もっこすだと胸をはったそうです。実は、私も何を隠そう肥後もっこすなのです。皆さんご存知だと思いますが、肥後は熊本県、もっこすとはつむじ曲りの頑固者のことです。まあ、意地っ張りのことです。おっと、話が横にそれました。この塾が今、吹き飛ばされる危機にある。嵐が近づいています。さて、本題は万場先生が話します。私の出番があれば又話すことに致します」

 万場老人が登壇した。その時、人々の視線が一斉に一角に注がれた。一人の若い美しい女性が入ってきたからだ。

「皆さん、塾の助手を務めているこずえです」

 老人の紹介にこずえは表情を僅かに崩して微笑んだ。緊張の中に見せる控え目な笑顔が人々を惹きつけているようであった。

「水野先生が言われた、近づく嵐とは、この度帝国議会で作られた癩予防法という法律のことじゃ。これから話すことは、難しい法律、そして県と国の政策じゃ。難しいが我々の運命に直接関わること。何としても踏み込んで食いつかねばならん。皆さん、先ず、これまで我々患者を縛った法律はですな」

 ここで万場老人は言葉を止めてこずえに目をやった。こずえは、用意された机に進み出て、赤い紐を取り出し、巧みに胸元で交差させて襷(たすき)にかけ、袂(たもと)を押し込んだ。人々の目はこずえの白い二の腕に集まる。何か手品でも始まるのかと好奇の目の色である。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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