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2019年6月 8日 (土)

小説「死の川を越えて」第198話

 

  1. 昭和の嵐
  2.  

 昭和6年(1931)という年は、日本にとってハンセン病患者にとって、特別の年であった。アメリカ、ニューヨークで1929年(昭和4年)の暮れに始まった世界大恐慌の波は年を追ってひどくなり、本格的に日本の社会を打ちのめした。国民の生活は悲惨であった。当時の新聞は、東京都の小学校でも弁当を持って来ない子どもが非常に多かったことを報じている。また、農村の窮状は更に酷く「娘身売りの場合は当相談所へお出でください」という掲示が村役場の前に張り出された。群馬県渋川町の小学校では、ある日欠席児童が多いのを調査したところ、食うに困った農家の子どもが親と共にわらび取りに行っていたことが分かった。

 このような状態であるから湯の沢集落の貧しい人たちの窮状は察するに余りある。きれいごとを言っていられないという本音があったに違いない。

 こういう社会状況の中、中国は日本に奪われていた権益の回復に乗り出した。満州こそ日本の生命線と考える政治家や軍部は強い危機感を募らせた。軍部は増々独走し、政府の拡大方針を無視して満州各地を武力で占領した。これが昭和6年9月に始まる満州事変であった。このように、戦争の足音は高まるばかりであった。

 この年、満州事変に先立つ4月、癩予防法が公布された。このことをいち早く知った明星屋の浴客、例の水野高明は、早速万場軍兵衛を訪ねた。

「万場先生、大変なことになりますな」

「癩予防法であろう。いよいよじゃな」

「我々に直接関わることです。生生塾で勉強しなければならんでしょうが」

「その通りじゃ。わしも考えておった。ここでは狭い。山田屋か真宗の説教所を利用してはいかがであろうか」

 正助に話すと、山田屋は都合が悪いということで真宗の説教所が会場に決まった。

 生生塾は、内務大臣が立ち寄った塾ということで、湯の沢ではすっかり注目の存在になっていた。区長が湯の沢の運命に関わることを生生塾で勉強すると言って住民に声をかけたので、説教所は住民集会のような観を呈した。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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