« 人生意気に感ず「宇宙時代へ。糸川博士、フォンブラウン博士」 | トップページ | 人生意気に感ず「迫る五輪は累卵の危うきに。米中交渉の虚実」 »

2019年5月 8日 (水)

人生意気に感ず「らい患者護送中を語る藤田さん。難病の女性が首席で卒業」

◇7日、車イスの藤田三四郎さん等と県庁を訪ねた。10連休明けの第一の仕事だった。「人権の碑」が完成に近づいたので、その報告及びいくつかの要望を伝えるためであった。知事及び教育長に要望書を提出した。

 碑の建設費の予定額は500万円であるが、広く寄付を求めた結果、予定までおよそ130万円まできた。県への要望の一つは財政援助であった。教育長への要望には私の特別の思いがあった。

 人権の碑は子どもたちが読み易いようにと計画が進められている。平易な碑の文面、碑を低く作るなどである。この教育効果を進めるには教育界の協力が不可欠である。そこで人権の碑建設の目的、ハンセン病のこと、差別と偏見等につき「読本」等をつくり、それを教育界の協力で子どもたちの胸に届けたい。教育長も趣旨に賛同しておられた。

 その後、議長及び県議会各会派を回り同じ要望書を渡した後、総勢12人は近くのホテルで昼食をとりながら懇談した。ここでは藤田三四郎さんの自分の生涯を振り返った話に皆が身を乗り出すようにして聴いた。藤田さんはこの中で本名を明し、徴兵先でハンセン病と診断された後、「らい患者護送中」と貼られた列車で運ばれ草津の楽泉園に入ったことを語った。間もなく93歳というこの老人は驚くべき記憶力と明快な口調で語り、付添の介護の女性に気配りする余裕を示した。私は乾杯の挨拶の中で、「私の人生の目標ですから一層の長寿を祈ります」と述べた。外では利根川を伝って吹く赤城おろしが激しかったが、それは車イスの姿になぜかふさわしく感じられた。

◇この日、県庁ロビーである難病の女性を藤田さんに紹介した。その車いすの姿は女性に生きる力を与えると思ったからである。この女性はこの時、一冊のノートを私に渡した。びっしりと自分の苦難の歩みが綴られていた。ふとした縁でこの女性から相談を受けた私は、その身の上を聞いた時、自伝を書くことを強く勧めたのである。世間に向かって自らの病を語ることには勇気が要る。開き直って世間に立ち向かうことで生きる力が生まれるに違いないと思った。ノートに書かれたことは私の思いを裏付けるに十分であった。21歳で地獄を見たこの人は難病に耐えながら看護学校に学び、首席で卒業する時答辞を読んだ。人生至る所清山あり。この人はハンセンの碑に3千円の寄付をしてくれた。(読者に感謝)

|

« 人生意気に感ず「宇宙時代へ。糸川博士、フォンブラウン博士」 | トップページ | 人生意気に感ず「迫る五輪は累卵の危うきに。米中交渉の虚実」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 人生意気に感ず「宇宙時代へ。糸川博士、フォンブラウン博士」 | トップページ | 人生意気に感ず「迫る五輪は累卵の危うきに。米中交渉の虚実」 »