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2019年5月15日 (水)

人生意気に感ず「シベリア強制抑留の記事から学ぶべきこと」

◇久々にシベリア強制抑留の記事が新聞に載った。厚労省がカザフスタンから日本人抑留者2万人分の資料を入手した。同記事にはカザフでの抑留経験者のこともあり、この人は現在91歳で「思い出すのが辛い」と語る。

 私は平成16年に元抑留者たちとシベリア強制抑留地跡を訪ねて「望郷の叫び」を書いた。シベリア抑留の記事が載るたびに訪問で受けた衝撃が甦る。2人の元抑留者はこの世を去ったが生きていれば100歳に近い。このことは強制抑留の事実が歴史の彼方に遠ざかろうとしていることを意味する。私は「怨みの大地」の「望郷の叫び」を少しでも伝えなければという苛立ちに駆られる。

 元抑留者のTさんはやっとナホトカの港を去る時、大地を蹴って「こんな所に二度と来るものか」と心の中で叫んだ。また、夏草の中に立つ「日本人よ静かに眠れ」と書かれた白い墓標の前で「先に帰って悪かった」と大声で泣いた。また、もう一人のOさんは黒パンを分ける時の凄まじさを語った。「飢えの前で人間は動物になってしまうのです」。パンを分ける時1ミリでも大きいか小さいかを決して見逃さない、また隣りのベッドの男が死に近づいた時その手に握られた黒パンが手から落ちるのをまわりの者は今か今かと待受けたという。

 旧ソ連軍が終戦後旧満州で暴虐の限りを尽くしたことを私は一人の女性の姿を通して「炎の山河」で書いた。シベリアでは、同じ頃旧満州を中心とした地域から約60万人の男たちが騙されて運ばれ飢えと酷寒と重労働のために約6万人が死んだ。孤独に弱い日本人は故郷の妻や子を思い収容所で作った歌を歌って耐えた。「故郷は遥かな雲のかげ、いつの日に妻や子とあえるやら、男泣きする夢ばかり」(ハバロフスク小唄)、「今日もくれゆく異国の丘で、友よつらかろ切なかろ、がまんだ待ってろ嵐が過ぎりゃ帰る日も来る春も来る」(異国の丘)。私はシベリアの大地に立って地の底からこの歌声が聞こえて来るような気がした。もう一つここで記すことがある。著書の中で前年に小泉首相がシベリアの慰霊碑を訪ねたことを書いた。私たちを案内した人は「小泉さんは零下35度の中でコートを脱ぎ大地に手をついて祈った。ロシア人も涙を流しました」と語った。令和になった。北方領土が交渉されているが、その陰には多くの抑留者の怨みの声がある。この過酷な現実を踏まえて日本の平和を考えねばならない。(読者に感謝)

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