« 人生意気に感ず「令和始まる。新天皇のお言葉。象徴の意味。」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第188話 »

2019年5月 3日 (金)

人生意気に感ず「憲法改正を考える時」

◇令和の幕開けと共に憲法の議論が盛んになった。そして今日は憲法記念日である。施行以来72年が経過した。日本国憲法が施行された昭和22年、私は小学校に入学した。一年生の教科書は、新憲法の民主主義の息吹を感じさせるものであった。前年までのカタカナの文字はひらがなにかわり、そこには次のような詩が載った。「おはなをかざる みんないいこ、きれいなことば みんないいこ・・・」。物はなく大変な状況ながら私たちは皆元気にこの詩を声を合わせて読んだ。あの光景がありありと甦る。思えばあの教科書が私の学問生活の一つの原点であった。あれから72年。世の中の変化は驚くばかりである。この間、一度も変えられない憲法である。憲法は国の最高の法規であり、現実とかけ離れたものであってはならない。世の中の現実が激変したのに、長い間憲法が全く変わらない。これで不都合は生じないのか。これが今問われている最大の課題である。

 日本国憲法は「不磨の大典」ではない。改正手続きが定められていることは、改正すべき時には改正することが前提になっている。さて、日本国憲法には変えてはならないものがある。それは国民主権、基本的人権の尊重、平和主義などだ。特に「基本的人権」については、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである(97条)。改正というと、全てがその対象となると考え、昔の軍国主義に戻ることを恐れる人がいるがそれは誤りである。自民党といえどもそれは考えていない。現在の憲法を支える理念はアメリカの独立革命やフランス革命を支えたロックやルソーの思想である。人類は、多くの血を流して普遍の価値をつくり、そして守ってきた。「過去幾多の試練に堪え」はこの歴史を物語る。アメリカから押し付けられたとしても、押し付けられた内容は素晴らしいものであった。このことをしっかり踏まえねばならない。その上で憲法の文言と現実との乖離をなくすために、変えるものを考えねばならない。国民の間に憲法の理解につき混乱があるのは、一つには教育の責任である。憲法を踏まえた人権教育を十分になさなかったことはその現われである。今、改正について一番問題となっているのは9条である。どう変えるか、変えないかは国民の運命にかかわる。国際情勢は極めて厳しい。私は戦争を体験した者として国民の命、そしてこの山河は命をかけても守らねばならないと思う。今日はこれを考える時である。(読者に感謝)

 

|

« 人生意気に感ず「令和始まる。新天皇のお言葉。象徴の意味。」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第188話 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 人生意気に感ず「令和始まる。新天皇のお言葉。象徴の意味。」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第188話 »