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2019年4月15日 (月)

人生意気に感ず「御成婚・世紀のヒーロー。皇太子の勇気と誠実」

◇令和の始まりが目前に迫り、私はいろいろな挨拶で令和に触れる。先日も多くの外国人留学生に「新しい時代の扉・歴史の転換点」を話した。天皇の退位を前にして両陛下の歩まれた姿が甦る。その中でも記憶に鮮やかなのは世紀のご成婚と言われた御二人の姿、特に美智子さんの清楚な美しさだった。私は前高の夜学に通っており、昼間は仕事に追われていたが、前橋市本町の八幡宮の境内で団子の作業をしている時であった。伴内さんという駄菓子屋に毎日お団子を卸す仕事であった。テレビが馬車の御二人を映し出しており、伴内さんの奥さんが「まあ、おきれい」と大きく叫んだのをよく覚えている。昭和34年4月10日のことで、戦後最大のヒロインの登場に日本中が湧いた。一年前にはテレビの保有台数が91万台だったのが結婚式直前には200万台を突破した。初めて民間から嫁がれた美智子さんは子育てにも改革を行い母乳で育て、子ども達とも同居された。皇太子の積極的な協力があったに違いない。少年だった私は皇太子のことを「うまいことをやった」位に思っていたが、今振り返って、平成天皇の最大の功績の一つは美智子さんを獲得したことではないかと思う。美智子さんは、今振り返って深い教養とその人柄で象徴天皇制を実によく支えてきたと思う。

 恋を実らせたということはよく知られた事実であるが、今プロポーズの真相が伝わってくる。プロポーズの言葉で決め手となったのは「お助け出来ないこともあるかも知れない。それでも結婚したいのでイエスと言って下さい」であったとされる。これは、公的なことが最優先で結婚生活は私事だからその次、という意味に解されているが、それはそれとして美智子さんは「助けられないこともあるが」という表現から正直さと誠実さを感じて心を動かされたに違いない。今の若者は、この皇太子の勇気と誠実に学ぶべきである。

 文芸春秋の最新号に両陛下、123人の証言が載っている。興味深く読んだがそれは戦後の動乱の歴史と共に御二人がいかに皇室の役割を果たしたかを物語る。その中で私が注目したのは愛新覚羅薄傑のことを書いた次女嫮生の文、満州開拓者が苦難の体験を語り、陛下がそれを歌に詠まれた話。慰霊訪問でスーサイドクリフ、バンザイクリフで拝礼したことなどだ。私の思いとも重なるので明日書きたいと思う。(読者に感謝)

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