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2019年4月16日 (火)

人生意気に感ず「満州の悲劇と陛下のこと。研石米寿の祝で」

◇愛新覚羅薄傑の娘嫮生さんと美智子さんが親しい関係にあることを知って驚いた。文藝春秋の両陛下123人の証言の一つである。私は満州国を研究する中で嫮生の姉慧生の数奇な運命に強い関心を持った。慧生は母の国日本に来て学習院大学に進み、東北出身の同級生と恋に落ちた。慧生の親は二人の関係を認めようとしなかったらしい。清朝の血を受け継ぐという誇りがあったのではないか。大久保君という青年は本郷の東大近くの新星学寮という寮にいた。寮の管理人は東大出身の穂積五一という人物。二人はピストルによる心中を遂げて社会的に大きな反響を巻き起こした。穂積寮監は二人が残した書簡をまとめて出版した。「われ御身を愛す」という題であった。自分が世話をした寮生が誤解されていることが不憫であったこと及び慧生の余りの純粋さに引かれたものと思う。寮監は二人の一番身近にいる者として真実を知る立場にあったろう。寮には私の友人もいた。慧生の手紙を読んで哀れに思ったことがある。ある時から慧生の大久保君に対する態度が大きく変わったのだ。まるで妻であった。二人の間に大きな変化があり関係が深まったことを感じさせた。長く続いた清朝の残映はそれほど深刻なものだったのか。満州国は日本の中国侵略の象徴である。日本の「犯罪」を暴く記念館を訪ねたことがある。ラストエンペラー溥儀と婉容の大きな写真が掲示されていた。婉容はアヘンに侵され廃人となっていた。婉容を連れて逃げる状況は地獄であった。嫮生は証言で「過酷な流転」と表現する。美智子さんは歴史の事実を知っていたに違いない。平成は戦争のない時代であったが陛下と皇后は過酷な歴史を踏まえて象徴の役割を果たされたことが窺える。

◇元満蒙開拓義勇軍の話を聞いて詠まれた陛下の歌も心を打つ。「戦の終わりし後の難き日々を面おだやかに開拓者語る」折に触れて歌を詠まれる伝統と習慣は万葉の昔から大切にされていることを改めて知った。

◇14日(日)、天田研石先生の米寿を記念した書展の祝賀会があった。当方の事務の手違いで欠席扱いになっていたが急きょ席が与えられ挨拶の機会を得た。「令和が始まる。令にはきりっとした美しさの意味が込められている。令和を支えるものは書のもつ精神文化である。書人は長寿者が多い。それは書が支える力を示す」私はこのようなことを話した。記念誌が出され私の挨拶文を確認した。300人近い書人の集まりに重い歴史を感じた。(慧生の部分は資料で確認できず、不正確があるかもしれない。後に検証しようと思う)

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