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2019年4月30日 (火)

人生意気に感ず「楫取の現代的意義。日本の奴隷解放とは」

◇27日(土)のふるさと塾は気合をいれたつもりで臨んだ。それは今回のテーマの故であり、更には10連休ムードの影響で締まらぬものにしたくなかったからである。テーマは楫取素彦を新たな視点で語ることである。私が企画・原作の映画「楫取素彦物語」がテキサス・ヒューストンの映画祭で最高賞(歴史部門)を得たことには、私が訴えたい意味があった。それは今日の問題に深く関わる。楫取が力を入れた政策の一つは「廃娼」であり、「人権」という普遍的問題だった。国際映画祭は「女奴隷の解放」という点に注目したらしい。さすがは奴隷解放を成し遂げた国なのだ。初代県令楫取は廃娼に於いて群馬が金字塔を打ち立てたと評される功績をあげた。それは「人権」の問題であることに於いて極めて今日的である。

「ふるさと塾」では映画のいくつかの場面をパワーポイントで紹介したが、その中に娼婦が楫取邸を訪ねる場面がある。門衛は「お前たちの来る所ではない。帰れ帰れ」と追い払おうとする。そこへちょうど寿子夫人が現われて「お入りなさい」と言って招き入れる。楫取は寿子夫人の強い影響を受けたと思われるが、彼の胸の奥には学者として学んできた学問の中の人間尊重の哲学があった。私は吉田松陰が黒船に乗り込もうとした行為と共に「知行合一」の実現だと説いた。

◇この日、廃娼と同じ時代背景の中で起きた「奴隷船マリア・ルス号事件」を取り上げた。この出来事は明治5年であるが、群馬の廃娼に影響を与えたと思われる。私はこの話でアレクサンドル2世に触れた。このロシア皇帝はロシアの農奴隷解放を成し遂げた人であるが、マリア・ルス号事件が国際仲裁裁判になった時日本勝利の判断を下した皇帝である。開国間もない日本が国際舞台でクリーンヒットを放った出来事であった。奴隷として売られていくところであった中国人「苦力」は救われ、裁判を断行した大江卓に中国(清朝)は大変感謝した。日本の近代史は、中国との関係では暗い問題ばかりが語られがちであるが、それだけにもっと注目されて良い事件なのだ。私は日中友好協会の会長として特にそう思う。

◇ほぼ同時代の問題としてアメリカの奴隷解放にも触れた。松陰の黒船事件は1854年、奴隷解放宣言は1863年、そしてその翌年にリンカーンは暗殺された。アレクサンドル2世が暗殺されたのは1881年であった。(読者に感謝)

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2019年4月29日 (月)

小説「死の川を越えて」第187話

 戦争に向かうこのような激しい動きは、ハンセン病の政策を決定する要因の一つとなった。中国への進出は聖戦と謳(うた)われた。それは、中国の動きは日本の正当な権利を不当に奪おうとしているものと解釈するからだ。「天に代わりて不義を討つ」と軍歌まで作って国民を煽った。戦いには大義が要る。正義がなければ国民に犠牲を強いることは出来ないからだ。聖なる戦いのために国民は身も心も正して、一致結束しなければならない。ハンセン病は聖戦を汚す国辱と言われた。

こういう世の風潮には、国民を戦争に向かわせるための国策が大きな影響を与えていた。そして、この国策を完成させるためには、ハンセン病患者を隔離収容することが必要であった。国がこの目的に向かって大きく動き出していることは明らかであった。この事態は、ハンセンの光を目指して、自由と自治の歴史を積み重ねてきた湯の沢集落の前に立ちはだかる大きな障壁であった。

万場老人は、湯川生生塾でこの問題を取り上げる。

 ある日の生生塾には、十数人の人々が参加した。万場老人はいつになく緊張の様子である。

「戦争の足音が近づいてきたのじゃ。戦争になれば、この湯の沢も巻き込まれる。勉強して心の準備をしなければならぬ。前に、山田屋に集まって、森山先生も出席して、牛川知事の請願を問題にしたことがあった。皆さん覚えているかな」

 正助を初めとして頷く顔があった。

「あの時、森山さんは、牛川知事の国への請願は、この湯の沢集落移転に関することだと説明した。わしは、この問題が近く現実になって我々に迫ると感じるのじゃ。そこで、今日は、この請願文をしっかり勉強するのが目的じゃ」

 そう言って、老人は傍らのこずえに合図した。こずえは、黒々と大書した大きな紙を広げた。それには次のようにあった。

<草津温泉を慕いて全国より集まる患者は多い。しかし地域は狭隘(きょうあい)。すみやかに国費をもって草津温泉を利用しうる地域に患者を収容すべき理想的集落を建設せられたし>

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月28日 (日)

小説「死の川を越えて」第186話

 

第九章 湯の沢の運命

 

  1. 戦争の足音

 

 ある日、正助は新聞に目を通しながら万場軍兵衛に言った。

「先生、大陸から戦争の足音が聞こえてくるような気がします」

 大正から昭和にかけて、日本を包む世界情勢は緊迫の度を高めていた。正助が懸念したように、それは正に戦争の足音といえた。

「これはハンセン病患者にどのような影響を及ぼすのですか」

「うむ。お前は大陸を経験しているから緊張感がひとしおなのじゃな。わしも中国との関係が心配じゃ」

 万場老人はこう言って、資料に目を走らせながら語り始めた。

「中国は今、内乱の中にある。日本政府はこれを利用して満州の支配を一層固めようとしたため、中国民衆の反日運動は増々激化してな、こうした中で関東軍は、張作霖爆殺事件を起こしたのじゃ」

「なんですか、それは」

「張作霖は満州を支配する軍閥の頭でな、日本は張作霖を除いて満州を武力占領し、そして日本の傀儡(かいらい)政権を作ろうとしたのじゃ。昭和3年のことじゃ」

万場老人が語ったように、日本はこれを機に軍部の独走による戦争への道を盲進する。その辿る道を見れば、昭和6年満州事変、翌7年満州国建国、続いて8年国際連盟脱退、そして十二年日中戦争開始となる。

万場老人は机を叩いて言った。

「よいか。このままでは戦争の足音は現実になるぞ。その戦争とは、アメリカとの戦争じゃ」

時代の渦は日米対決に向けて大きく動いていく。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月27日 (土)

小説「死の川を越えて」第185話

 ある時、萩野花子は、生徒に求められて古里を語った。

「私の故郷は土佐の高知よ。太平洋の黒潮が凄い勢いで流れているの。時々大きなしけがあって遭難する人もいるの」

「しけって」

 誰かが訊いた。

「台風で海が荒れることよ。家よりも高い山のような波が逆巻くの」

「わあー、こえー」

 誰かが大声をあげた。

「私の兄が漁に出てしけにあって、海に放り出されて無人島に漂着したの」

「へえー、それで助かったの」

「約1か月、アホードリをつかまえて食べ、カツオブシをかじって耐えて助かったの。カツオブシはね、お母さんが心をこめて作ったもので、万一の時はこれで命をつなぐようにと兄に持たせたのよ」

 萩野花子は、命の大切さとどんな時も希望を捨てないで頑張ることの大切さを子どもたちに教えたのであった。

 正太郎たちは優しい萩野先生に意外な物語が結びついていることを知って感動したのであった。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月26日 (金)

人生意気に感ず「強制不妊手術の人権侵害。原発のテロ対策。スリランカの追悼」

◇強制不妊手術の救済法が成立した。この法の前文には「真摯に反省し心から深くおわびする」と明記された。旧優勢保護法に基づいて不妊手術を受けた被害者には一人320万円の一時金が支給される。人権侵害であり、憲法違反であることは明らかである。現在継続している訴訟ではこの点が明らかにされるに違いない。被害者の中には結婚しても子どもをつくることができず人生に絶望したと訴える人がいる。安倍首相は「政府として心から深くおわびする」と表明した。

 人権侵害が厳しく問われた事件としてハンセン病国賠訴訟があり、この中でも強制堕胎が問われた。当時は小泉首相、福田官房長官の時代であり、私は小説「死の川を越えて」の中で、この二人をモデルにした物語を描いた。

◇さて、テロといえば直ぐ原発施設を結びつける程であるから、スリランカのテロが報じられる中で、私は原発が狙われることを恐れた。福島第一原発事故の二の舞は想像するだけでも恐い。

 原子力規制委員会は、24日の定例会で原発会社側のテロ対策完成期限の延長を認めないことを決定した。原発に航空機を衝突させるなどのテロ行為が発生した場合、遠隔操作で原子炉の冷却を続ける対策である。いざという場合に放射性物質の大量放出を防ぐためである。関西、四国、九州の3電力が完成期限の延長を求めていた。

 国会事故調査委員会は、福島第一原発事故に関し、規制当局が適切な役割を果たせなかったことを厳しく指摘した。今回の規制委の決定はあの時の教訓を生かしたことになる。

◇今日は、日本アカデミーに於いて、スリランカのテロ犠牲者の追悼式を行う。多くのスリランカの留学生がおり、悲しみに沈んであるのだ。「日錫(にっしゃく)友好・きずな2019」と銘打って実施し、同時に募金も行う。

◇6月の東日本チュックボウルが近づき、昨夜は第8回の実行委員会。私は全日本の会長を務める。協賛金の進捗状況、ポスターのデザイン、参加国のエントリー状況等々について固まってきた。大口の協賛金百万円もあって予算の問題もほぼクリアできそうだ。昨夜の会議ではモンゴルの受け入れが決まったこと及び前橋の少年チームがプレーすることなどが重要議題だった。日本主催の国際試合に実行委の緊張が高まっている。(読者に感謝)

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2019年4月25日 (木)

人生意気に感ず「スリランカの悲劇は広がる。交替する中国大使。人権の碑は」

◇スリランカの死者が300人を超えた。時の経過と共に新事実が明らかになっている。スリランカ政府は23日を「国家追悼の日」と定めた。「イスラム国」が犯行声明を出したとも。それは今回の攻撃につき「イスラム国の戦士によるものだ」とする。

 犯行組織は「タウフィート」を名乗るグループで、これは「神が唯一と信じること」を意味するという。「神はイスラム教徒のために地上を作った」と信じている。これからすれば、この地でイスラム教を妨げる勢力は神の意思に反するから、これとの戦いは聖戦(ジハード)となるのだろう。狂信という言葉があるが恐ろしいことだ。信じる神のために命をかける。自爆ということは私たちには信じ難い。かつて太平洋戦争で多くの若者が特攻隊として大空に散った。「咲いた花なら散るのは覚悟、見事散ろうよ国のため」と歌った。自爆テロを実行する人々の心にはこれと共通するものがあるのだろうか。

◇中国大使がいよいよかわる。程永華大使の在任は9年余に及び歴代最長となった。群馬県日中友好協会会長として、この大使には様々な思い出が重なる。尖閣諸島問題で両国が厳しい関係に立った時が一番苦しかったと大使は振り返っている。ちょうどその頃、群馬県日中友好協会は船出した。2013年(平成25年)である。国家間が火花を散らす時ほど民間の心の交流が大切であることを痛感した。これを中国の民間人も同様に理解していた。このような厳しい試練は大使館と我が協会との絆を大いに深めることになった。大使館の庭には一際大きなスペースに群馬の五葉松がしっかりと大地に根を張り、その足下には「友情の絆を」の文字を刻んだ石が据えられている。文は私が選び、字は元総理大臣福田康夫さんのものである。王婉大使夫人は日本の歴史と文化に造詣が深く、特別お世話になった。中村紀雄企画原作の映画「楫取素彦」を中国語の字幕を添えて大使館内で上映会を実施したことは良い思い出になった。これらのことを今後の関係に生かさねばならない。

◇ハンセン病元患者の慰霊を兼ねた「人権の碑」の完成が近づいている。募金も順調で、秋には除幕式が出来る。碑文は小中学生にも読めるように工夫し、これを刻む石も背の低いものにする。差別と偏見をなくすために教育の役割は大きい。子ども達用の「人権の本」をつくるつもりである。(読者に感謝)

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2019年4月24日 (水)

人生意気に感ず「国際テロに怒り。日本が狙われる。目の前にスリランカの少女が。死者の中には日本人も一人」

◇死者321人、負傷者500人以上。スリランカのテロの惨状である。ほとんどが自爆テロらしい。信じ難い。スリランカ政府は国際的なネットワークが背景にあるとの見方を示した。また、イスラム過激派による教会襲撃の情報があり、それを生かせなかったことも報じられている。IS(イスラム国)は壊滅したとされている。しかし、本拠地だったシリアやイラクから脱出した残党が東南アジアなどには多くいて、彼らはISの思想に忠誠を誓っていると言われる。過激なイスラム教徒は異教徒の殺戮を聖戦と信じて自らの命をかける。

 スリランカではかつて内戦があったが、それが終決して10年、平和と経済成長を続けていた。油断があったのではなかろうか。狙われたホテルやキリスト教会ではテロ対策は一切なかった。私は、これが日本だったらと直ぐに思った。日本は最も安全な国の一つと言われている。実際地下鉄サリン事件までは、「奇跡的」に安全な国と言われてきた。日本はテロを狙う組織から見れば隙だらけの国である。今回の事件で、日本の治安当局は大きな衝撃を受けた筈。ISは、かつて日本も標的であることを表明していた。最大の敵、アメリカと一体の国と見ているからだ。今回のような国際的な組織に狙われたら日本は防ぎきれない。しかし起きてからでは遅い。最大の対策を立てねばならない。日本では、巨大災害が近いことがしきりに警告されている。しかし、それと同じように警戒すべきことは、今回のようなテロである。

◇22日、日本アカデミーに於ける留学生対象の私の講義は大変うまくいった。入学後初めての若者たちであった。激怒はしないと誓うと共に、準備して臨んだ。ホワイトボードいっぱいに若者たちの目の前で、当日の授業の粗筋を書いた。

「日本は今、大きな変化の時に立っています。元号が間もなく平成から令和になります。来年は東京五輪です。また大きな災害が確実に近づいています。今最も大切なことは世界の平和です」

 元号の文字を赤く囲んで説明してから、パワーポイントで、「昭和天皇」、「皇太子、美智子さんの御成婚」、「現皇太子夫妻の姿」などを説明。そして、それぞれの場面で使う日本語を解説した。平和の話になった時、目の前の少女の表情に気になるものを感じた。「どこの国から?」「スリランカです」「家族は?」「大丈夫でしたが・・・」

 スリランカの現実が目の前にあることを感じた。(読者に感謝)

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2019年4月23日 (火)

人生意気に感ず「人権の碑完成近し。ふるさと未来塾で楫取を」

◇ハンセン病患者の慰霊碑、「人権の碑」の募金事業が順調に進み、200万円を超えた。既に用意されていた金額を合わせると300万円以上となった。その中には私は私の「死の川を越えて」の売上の一部も僅かながら加わっている。秋には盛大な除幕式が行われる予定だ。小説・「死の川」のモデル湯川は今でも近くの森を流れ下って六合の白砂川に向かっている。深夜耳を澄ませば川の音が聞こえるだろう。それはこの川の辺りで闘った人たちの声でもある。「人権の碑」完成後は川の音は違った響きをもって聞こえるだろう。それは自分たちの存在がやっと社会的に認められたという喜びの叫びかも知れない。

 今月の「ふるさと塾」は、楫取素彦の映画を材料に使う。いくつかの場面を切り取り、パワーポイントで説明する。ヒューストンの映画祭の歴史部門で最高の賞を得たが、その理由の一つは、娼婦の解放である。初代県令楫取素彦は、その糸口を作ったことで、金字塔を建てたと評された。この金字塔とは人権の塔を意味する。群馬の県政は楫取の功績に関して「人権」に目を向けることをしなかった。楫取素彦公徳碑は美文を連ねているが廃娼については一片の言葉もない。ヒューストン国際映画祭の受賞は海の彼方の国が群馬の人権の歴史に注目した点に一つの意義がある。私の県会議員時代、人権の本質をその歴史に基づいて理解し発言する人はほぼ皆無であった。

 草津の「人権の碑」建立は、群馬の人権の歴史に於いて改めて「金字塔」を建てる意味がある。「重監房」は人権蹂りんの象徴である。司法手続きもなくここに入れられたアウシュビッツのような状況で多くの人が命を落とした。このことについて最高裁は公式に謝罪した。人権を基盤とすべき福祉行政の責任者は、この最高裁の謝罪の意味をどう受け止めているだろうか。

◇中断していた「田中正造」を書き始めた。中断期は「発酵期」であった。この間、渡良瀬川及びその源流の日光市・松木村等に何度も通った。清れいな清流は国家権力によって死の川に変化した。それは神が通る川と言われた神通川がイタイイタイ病によって死の川に変じたことと共通する。田中正造は死を決意して明治天皇に直訴した。死の直前、正造が「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さず」と叫んだ。歴史は繰り返す。今日の最大の文明破壊は原発政策ではないか。(読者に感謝)

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2019年4月22日 (月)

人生意気に感ず「また87歳の事故。元高級官僚。人間塾で多くの留学生に」

◇高齢者がまた大きな事故を起こした。池袋の暴走事故は87歳の元高級官僚。ハンドル操作をせず赤信号を無視、母子が死亡し、その他8人の重軽傷者が出た。事故現場には多くの花が供えられている。パニックを起こして暴走かと報じられている。旧通産省の元幹部は妻を同乗させて運転していたらしい。最初の接触で頭が真っ白になってしまったらしい。冷静沈着な生涯を送ってきた人であろうに、87歳という年には勝てず認識力、判断力が落ちていたのだろうか。他人事とは思えない。高齢者と車としてまた大きな社会問題となるだろう。

◇今日は、多くの外国人留学生に日本語を教える日。およそ月1回のペースで続けている。ネパール、ベトナム、インドネシアなどの国が多いが非常に多くの国の若者である。私の授業の目的は単に日本語を教えるだけではない。講義名が「人間塾」となっているように、歴史や日本の文化をも教えながら若者たちの人間形成に資することも目的としている。このことが将来彼らが日本の社会で生きるために力になるという実践的役割を狙っている。文化や育った環境が異なる国々の若者たちを教えるにはかなりの工夫が要る。激しく怒鳴ったこともあったが、今はそれをしないと自分に誓っている。自己嫌悪に陥るだけだ。怒鳴った後で反省して、自分の心の底を覗いた時そこにアジアの後進国の人々を見下ろす視線があったかもしれないと気付いた。遅れているのは日本であることを改めて思った。彼らには海を越えて日本に渡り、孤独に耐えて学ぼうとする高い志があるが、日本人には今やそれがない。しかし、授業の前にはそれなりの緊張感がある。今日は資料として何枚かの皇室に関する映像を用意した。「令和」という元号を中心にして、漢字と日本の文化を教えるつもりだ。美智子様がご結婚に臨む清楚な写真にアジアの若者はどう反応するであろうか。日本国憲法における象徴天皇についても全力で説明してみよう。10連休が迫る。留学生はこれをどのように過ごすのか興味がもたれる。人手不足の折、アルバイトに精を出す若者も多いだろう。アルバイトは留学生にとって日本語と日本の文化を学ぶ実践教室である。毎年のスピーチコンテストを聴くと、彼らはアルバイトを通じて日本の礼節を学んでいることを知る。その礼節が失われつつあることも彼らは気付きつつあるかも知れない。(読者に感謝)

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2019年4月21日 (日)

小説「死の川を越えて」第184話

「純子さんの担任の萩野と申します」

「ああ先生ですか、娘がいつもお世話になっています。今日は一体何の御用ですか」

 市川巡査は笑顔で迎えた。想像していた厳めしい警察官の雰囲気はない。萩野はひとまず安心して言った。

「下村正太郎君のことで相談に伺いました。湯の沢地区から編入した児童です。一部のお母さん方の間に動揺があるようなのです。それに純子さんが大変立派なお子さんなので、正太郎君を隣りの席にしました。お父様の御意見も聞かず私の独断で決めました。申し訳なかったと思っております」

「おお、下村正太郎君のことは、よく承知しております。県からも役場からも報告を受けております。大変賢い子で、病気のことも心配ないそうです。それに、湯の沢には立派な歴史があることも勉強しております。それを無視してはならないことを肝に銘じています。うちの純子を隣りの席にしたことは純子にとって良い勉強になります。先生の立派な御判断です。全くご心配なさらないで下さい」

 この言葉を聞いて萩野は肩の荷がすっかり下りた気分になった。さき程の表情は一変して美しい萩野花子に戻っていた。

「実は、普通の小学校に入ったモデルケースとして、県も注目しているのです。私の上司が、こんなことを言っています。これから警察は、時にはハンセン病の人たちに厳しい態度をとらねばならないこともある。そんな時、警察が情け知らずと思われては困る。そのためにも湯の沢のことは重視しなければならぬと言うのです」

「はあー、そういうことなんですか」

「一部のお母さんに動揺があるというのも無理からぬこと。それを抑えるのも本官の務めです。私も出来ることは協力したい。娘を隣りに座らせたことは正解です。気の強いやんちゃな子ですが、正太郎君に協力するように私からも話します」

 何と嬉しいことか。萩野は幸せな気持ちに包まれていた。純子がクラスの男の子の悪ふざけを注意したことを知った時、純子の行動は父の気持ちが伝わったからに違いないと思った。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月20日 (土)

小説「死の川を越えて」第183話

萩野先生はじっと耳を傾けていたが、正助を正視してきっぱりと言った。

「分かりましたわ。正太郎君を守ります。私にとっても教師として最大の試練です。未熟な人生経験の私にとって責任が重すぎますが全力を尽くします」

そう言ってほほ笑む女性教師の口元に静かな決意が表れていた。

それから幾日か過ぎたある日、正太郎が息せききって駆け込んで来た。さやが驚いて言った。

「学校で何か嬉しいことがあったの」

「うん、あったよ。武君がまた、移る―をやったんだ。そしたらね、隣りの市川純子さんが、正太郎君の嫌がることは止めてよって強く言ったんだ。そしたら止めたんだ。女の子なのに市川さんは凄いよ。お母さん、まだあるんだよ」

 正太郎は宝物を出し惜しみするように言った。

「早く聞かせてよ」

「武君が僕の所へ来てね、ごめんなと言って手を伸ばすんだ。握手したんだよ。僕泣いちゃった。僕の顔を見て武君も泣いたんだ。僕たちもう親友だよ」

「よかったねえ、お前」

 さやも涙をぬぐっている。母の涙を見て、正太郎もこみ上げるものを押さえられぬ様子で言った。

「もっと話してやる。このことを知って、萩野先生が、市川さんと武君を皆の前で誉めたんだ。そしたら大きな拍手が起きたよ」

「そうなの。お前、よかったねえ。お前が辛抱したからだよ。お母さん、本当に嬉しい」

 母子は抱き合って泣いた。

 この出来事の背景には萩野花子の並々ならぬ努力があった。萩野は校長に相談して動いた。校長は萩野の純粋な決意に感動して任せることにしたのだ。

 萩野は市川巡査を訪ねた。他県の噂では巡査がハンセン病の患者を激しく取り締まっているということだ。湯の沢と草津は特別の所と聞いているが警察のことは分からない。娘の純子を正太郎の隣りに座らせたのは、純子を買ってのことだが軽率だったかもしれない。萩野はいろいろ思いを巡らせながら、警察に出頭する容疑者のような思いで派出署の扉を開いた。

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月19日 (金)

人生意気に感ず「上海師範大学の人々東大を視察。懐かしの西洋史研究室。五輪チケットの価格」

◇18日、上海師範大学の書道関係者20数名が東京大学を見学した。書道という東洋の伝統文化を学ぶ人々は東大がこの伝統文化にどう対応しているかに強い関心を持っていた。そこで群馬に来た機会に東大を訪問したいということで、私が動き実現したのが今回の企画であった。中国文化研究会(中文)が今回の企画に直接関連する部所であるが、私がいた西洋史研究室も強い希望があって訪ねることになった。中文の研究室は赤門のすぐ近くの建物の7階にあった。入った人々は漢字の資料が壁を埋める研究室に漢字を通しての日中の深い繋がりにそれぞれ胸を打たれているように見えた。担当の助教授がこの研究室の取組を説明し、私は漢字を通した日中の歴史とその今日的意義を話し、皆さんがここを訪れたことを機に、この研究室との関係を深めることには歴史的意義があると強調した。

 赤門、正門、図書館の前で集合写真を撮った。この図書館の向いの建物に西洋史研究室があった。私はかつての古巣に懐かしさを覚えた。遠い昔の様々な情景が甦った。専門書が並ぶ棚の間に中国の人々は詰めて立った。頭上には教授たちの写真があった。質問がありそれに応えて講師の芦部さんが説明した。私は日中友好協会の会長として、中国・西洋両文化を学ぶことの意義を語った。「日本は現在西洋文明に基礎を置く国になっていますが、歴史を振り返れば中国との関係は遥かに長く深い。西洋文明には現在行き詰りもあります。両方の文化を理解する意義は非常に大きいのです。現在、中国は大きく変化しつつあり、日中の関係は格段に重要になりました。中国のこんなに多くの皆さんがこの研究室を訪れるのは恐らく初めてのことで歴史的な意義があります」。狭い研究室で集合写真を撮った。私だけが教授室に入ると村川堅太郎、林健太郎、堀米庸三等の写真が掲げられており、私は恩師林先生の下に立った。この人との様々な関わりが昨日のことのように胸に浮かんだ。上海師範大学の人々が東大の視察を喜んでくれたことで私は疲れを忘れた。

◇18日、五輪の公式チケットの購入方法が発表になった。いよいよという感じだ。販売サイトでの申込み受付は5月9日から。売れ行き状況は五輪の成功を占う材料になる。7月24日の開会式のチケットは最高30万円。観戦のしやすさ順に価格に差がつくられる。男子陸上100は13万円、男子体操は7万2千円とか。(読者に感謝)

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2019年4月18日 (木)

人生意気に感ず「フランス革命の地でノートルダム大炎上。特殊詐欺の驚くべき実態」

◇衝撃の映像が世界を走り人々は驚愕した。何とノートルダム大聖堂が紅蓮の炎に包まれて炎上する姿である。私は県議会にいた頃、行政視察で訪れたことがある。高い塔の中、薄暗い空間に多くの人々が祈っていた、しんとして物音ひとつしない荘厳な雰囲気だった。あれが燃えるとは信じられない思いである。ゴシック建築を代表する建物は堅固な石積みの建物の筈。不思議に思ったら多くの木材が使われて火の回りを早めたという。約700年前に造られたこの大聖堂はフランス人の心のよりどころと言われた。フランス人の落胆は大変なものであろう。

 マクロン大統領は、大聖堂はフランス人の文化や歴史そのものだと語り、再建を宣言し寄付を募った。これに応えるように驚くべき額の寄付金が集まっている。パリ市長は約63億円を、高級ブランドの創業者は約253億をと続々と寄付の表明が続いている。文化と伝統を大切にあるフランスの国民性が分かる。また一つの国を象徴する歴史遺産の重みが分かる気がする。

◇現代の犯罪で不思議なのは特殊詐欺である。長く続いて一向に減らない。高齢者を狙い、あらゆる文明の利器を使う点で現代社会の象徴的犯罪といえる。最近は犯行の拠点を国外に移し、この犯罪に国境はなくなってきている。最近、タイで大規模な犯罪拠点が摘発された。犯罪グループが借り入れた拠点の一軒家は家賃約22万円、プール付の豪邸で、52台の電話が押収された。捜査関係者はコールセンターのようだったと語っている。驚くべき手口の実態が明らかにされている。巧妙に手に入れた資料を使い、メールを一日に数万通送信する。すると200人に1人の確立でマールの連絡先に電話があったといわれる。15人の犯罪グループは、定期的に反省会を開いていた。「トークが長すぎる」、「もっと自信を持った方がいい」などと研究し合い、壁には騙した件数を示す棒グラフが貼られていたという。まるで中小企業の販売員の光景を思わせる。このような拠点の摘発が世界的に広がっているようだ。犯罪グループが文明の利器を利用するのだから捜査する側も文明の利器で対抗すべきで、こちらは遥かに有利な条件にあるのだからもっともっと成果を挙げねばならない筈だ。特殊詐欺の特色は日本人の精神をむしばむシロアリというべき点にある。騙し合いの社会が広がることは日本の危機である。(読者に感謝)

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2019年4月17日 (水)

人生意気に感ず「中国訪問団と会見。書と日中友好。難病の人に書くことを勧める」

◇中国の訪問団22名と昼食会を。上海師範大学の人々である。日本側の日中友好協会理事等を入れて総勢35名。中国の客には5歳の女の子もいた。6月か7月に子どもたちの書と絵の交流展を行うがその下見等が目的である。2・3年前、芳賀小学校で上海の少女が皆が見ている前で巧みな藤の花の絵を描き驚かせたことが思い出される。あの少女は今どうしているであろうか。

 私は心臓太く中国語で挨拶。中国語の持ち駒は少ないがそれを組み合わせると結構挨拶になるものである。上海語の方言「ダガホー」(こんにちは)にどっと拍手。この人たちを明日は東大の中を案内する。中国の書道界は日本の書道に注目している。そこで東京大学に於ける書の取組を視察したいと言ってきた。学生の書道部との調整がつかず、中文(中国文化研究会)と交流することになり、私がいた西洋史研究室も訪ねることになった。明日は午前10時、安田講堂の前で合流する。

◇訪問団の人々の表情にも日中関係の好転が感じられる。私はこの人々と話す中で協会成立時の緊張を思い出す。人口14億の巨大な国は政府の方針や情勢が一挙に変化する。2013年(平成25)にこの協会が船出した時は尖閣問題で荒れて大変だった。しかし、その時でも民間交流の大切さは変わらなかった。振り返って、国家間が大変な時こそ、民間の友好が支えになることを経験した。

◇今、午前2時。静かである。騒然とした社会にこんな静かな時がと思える程だ。「草木も眠る丑三つ時」という。昔から変わらない時間帯なのだと思う。私にとっては貴重な財産の時間。この時間に原稿用紙に向かう習慣は私の支えになっている。私は間もなく79歳になるが身体と精神にそれ程衰えを感じないのは書くことと走ることのお陰である。

◇昨日、私の体験から思いついたことをある女性に勧めた。長いこと難病に悩むこの人から、ある日手紙を受け取った。立派な文章が綴られていた。会って話を聞くと職場の対人関係で苦しんでおられる。昨日は2度目の話し合いであったが、聞いていてひらめいたことは、この人の苦難の歩みはこの人の財産であること、それを文章で表わすことで道が開けるに違いないということであった。「死んだ気になればできるではないですか」という私の言葉にこの人は頷いておられた。私は決断を期待し側面から支援しようと思った。筆の力が自分を支えることを、そして難病の前途を開くことを願った。(読者に感謝)

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2019年4月16日 (火)

人生意気に感ず「満州の悲劇と陛下のこと。研石米寿の祝で」

◇愛新覚羅薄傑の娘嫮生さんと美智子さんが親しい関係にあることを知って驚いた。文藝春秋の両陛下123人の証言の一つである。私は満州国を研究する中で嫮生の姉慧生の数奇な運命に強い関心を持った。慧生は母の国日本に来て学習院大学に進み、東北出身の同級生と恋に落ちた。慧生の親は二人の関係を認めようとしなかったらしい。清朝の血を受け継ぐという誇りがあったのではないか。大久保君という青年は本郷の東大近くの新星学寮という寮にいた。寮の管理人は東大出身の穂積五一という人物。二人はピストルによる心中を遂げて社会的に大きな反響を巻き起こした。穂積寮監は二人が残した書簡をまとめて出版した。「われ御身を愛す」という題であった。自分が世話をした寮生が誤解されていることが不憫であったこと及び慧生の余りの純粋さに引かれたものと思う。寮監は二人の一番身近にいる者として真実を知る立場にあったろう。寮には私の友人もいた。慧生の手紙を読んで哀れに思ったことがある。ある時から慧生の大久保君に対する態度が大きく変わったのだ。まるで妻であった。二人の間に大きな変化があり関係が深まったことを感じさせた。長く続いた清朝の残映はそれほど深刻なものだったのか。満州国は日本の中国侵略の象徴である。日本の「犯罪」を暴く記念館を訪ねたことがある。ラストエンペラー溥儀と婉容の大きな写真が掲示されていた。婉容はアヘンに侵され廃人となっていた。婉容を連れて逃げる状況は地獄であった。嫮生は証言で「過酷な流転」と表現する。美智子さんは歴史の事実を知っていたに違いない。平成は戦争のない時代であったが陛下と皇后は過酷な歴史を踏まえて象徴の役割を果たされたことが窺える。

◇元満蒙開拓義勇軍の話を聞いて詠まれた陛下の歌も心を打つ。「戦の終わりし後の難き日々を面おだやかに開拓者語る」折に触れて歌を詠まれる伝統と習慣は万葉の昔から大切にされていることを改めて知った。

◇14日(日)、天田研石先生の米寿を記念した書展の祝賀会があった。当方の事務の手違いで欠席扱いになっていたが急きょ席が与えられ挨拶の機会を得た。「令和が始まる。令にはきりっとした美しさの意味が込められている。令和を支えるものは書のもつ精神文化である。書人は長寿者が多い。それは書が支える力を示す」私はこのようなことを話した。記念誌が出され私の挨拶文を確認した。300人近い書人の集まりに重い歴史を感じた。(慧生の部分は資料で確認できず、不正確があるかもしれない。後に検証しようと思う)

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2019年4月15日 (月)

人生意気に感ず「御成婚・世紀のヒーロー。皇太子の勇気と誠実」

◇令和の始まりが目前に迫り、私はいろいろな挨拶で令和に触れる。先日も多くの外国人留学生に「新しい時代の扉・歴史の転換点」を話した。天皇の退位を前にして両陛下の歩まれた姿が甦る。その中でも記憶に鮮やかなのは世紀のご成婚と言われた御二人の姿、特に美智子さんの清楚な美しさだった。私は前高の夜学に通っており、昼間は仕事に追われていたが、前橋市本町の八幡宮の境内で団子の作業をしている時であった。伴内さんという駄菓子屋に毎日お団子を卸す仕事であった。テレビが馬車の御二人を映し出しており、伴内さんの奥さんが「まあ、おきれい」と大きく叫んだのをよく覚えている。昭和34年4月10日のことで、戦後最大のヒロインの登場に日本中が湧いた。一年前にはテレビの保有台数が91万台だったのが結婚式直前には200万台を突破した。初めて民間から嫁がれた美智子さんは子育てにも改革を行い母乳で育て、子ども達とも同居された。皇太子の積極的な協力があったに違いない。少年だった私は皇太子のことを「うまいことをやった」位に思っていたが、今振り返って、平成天皇の最大の功績の一つは美智子さんを獲得したことではないかと思う。美智子さんは、今振り返って深い教養とその人柄で象徴天皇制を実によく支えてきたと思う。

 恋を実らせたということはよく知られた事実であるが、今プロポーズの真相が伝わってくる。プロポーズの言葉で決め手となったのは「お助け出来ないこともあるかも知れない。それでも結婚したいのでイエスと言って下さい」であったとされる。これは、公的なことが最優先で結婚生活は私事だからその次、という意味に解されているが、それはそれとして美智子さんは「助けられないこともあるが」という表現から正直さと誠実さを感じて心を動かされたに違いない。今の若者は、この皇太子の勇気と誠実に学ぶべきである。

 文芸春秋の最新号に両陛下、123人の証言が載っている。興味深く読んだがそれは戦後の動乱の歴史と共に御二人がいかに皇室の役割を果たしたかを物語る。その中で私が注目したのは愛新覚羅薄傑のことを書いた次女嫮生の文、満州開拓者が苦難の体験を語り、陛下がそれを歌に詠まれた話。慰霊訪問でスーサイドクリフ、バンザイクリフで拝礼したことなどだ。私の思いとも重なるので明日書きたいと思う。(読者に感謝)

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2019年4月14日 (日)

小説「死の川を越えて」第182話

 正太郎は答えない。なおも聞くと

「クラスのある子が、こうやって移るって言って追いかけるんだ。そしたら他の子も真似をして追いかけるんだ。みんな笑ってふざけているんだけど。僕は笑えない。悲しくなっちゃった」

 正太郎の説明によると、ある男の子が両手を前に出して、指を曲げ幽霊のように「らいだー」と言いながら追いかけたら、みんながどっと笑い、真似をしてクラスを走る者が出たと言う。

「みんな楽しげだけど、僕は泣きたかった。もう学校行くのやだよ」

 正太郎の思い詰めた表情を見て、正助とさやは遂に恐れていたことが起きたと思った。自分たちは長いこと世間の冷たい目と差別に晒されてきた。我が子が初めてその社会の現実に直面したのだ。正助は事の重大さを直感してさやに小声で言った。

「子どもの世界のことだと言って放っておくわけにはいかないよ」

 正太郎には務めて平静を装って言った。

「皆、ただふざけているだけだから、気にしないことだ。強くなるんだよ。この湯の沢の人間には、神様の試練が待ち受けているんだ」

「試練て何」

「お前が強く成長するための神様の宿題だよ。お前は以前、県会へ行って偉い先生の前で立派に答えて誉められたではないか。あれも試練、神様の宿題だったんだ」

 正太郎は黙って考え込んでいるようだ。

正助は万場老人に相談した。万場老人は暫く考えていたが、きっぱりと言った。

「正太郎が社会に踏み出した姿じゃな。先生と話し合うがよい。事を荒立てるとかえってまずい。よいか。正太郎が立派な態度を貫くことが一番の説得になることを忘れるでない」

正助とさやは、萩野花子先生と会った。実は、萩野先生も頭を抱えていたのだ。新住民の一部のお母さんが伝染の不安を訴えたため動揺が広がっているというのだ。

正助は言った。

「この問題が起きて、正太郎を改めて聖ルカ病院の医師に診てもらいましたが病気は出ていません。私たち夫婦も同様です。このことを是非知って欲しいと思います。正太郎には笑顔で頑張るようにと話しました。本人もその気になってくれました。私たち夫婦は、正太郎と共に耐える覚悟です。私たちは出来ることなら嵐が大きくならないで通過してくれることを願っています」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月13日 (土)

小説「死の川を越えて」第181話

 

 正太郎が湯の沢の子どもということは、初め秘密にされる方針であったが、隠し切れることではない、やがて分かるということで、敢えて隠さず自然に任せることになった。正太郎の両親も、むしろそれを望んだ。一部の生徒には早くもどこからか、正太郎が湯の沢の子であることが伝わっていた。

 正太郎は全身を耳にして座っていた。湯の沢と囁く小さな声が聞こえた。休み時間になった時、純子という女の子が言った。

「私のお父さんは警察官よ。でもね。優しい、いい警察官なの。あたしも、最近越して来た新入生なの。宜しくね」

 純子は、新入生の割には皆に溶け込んでいて元気にはしゃいでいる。正太郎は勇気づけられる思いであった。

 家では、正助とさやが心配していた。

「先生はね萩野花子先生といって、こずえお姉さんのようにきれいな人だよ。隣りの席は市川純子さんで、お父さんは警察官だって。でもね、優しいいい警察官だってさ」

 正助とさやは正太郎の話を聞きながら教室の風景を想像し、顔を見合わせて頷いた。両親の安心した表情を見て正太郎は得意げに続ける。

「ぼく、指されて答えられたよ」

「へえ、何を聞かれたの」

「うちゅうっていう字を書ける人と言うんで、ぼく手を上げたんだ。宇宙のこと、リー先生に教えられて、ぼくワクワクして聞いたことが役に立ったよ」

「まあ、勇気があったのね」

「ぼくしかいなかったみたいで、指されちゃった。前に出て黒板に書いたら皆んなが拍手したよ」

「は、は、は。それはよかった。正太郎、よくやったな。早速、万場先生に話さねばならない。実は先生も心配していたのだよ」

 こうして、草津小学校の正太郎の生活が始まった。 

しかし、正太郎には思いもよらぬ試練が待ち受けていた。ある日のこと、学校から帰った正太郎の様子が変である。さやは敏感に察知して訊ねた。

「学校で何かあったの」

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月12日 (金)

人生意気に感ず「ブラックホール撮影に沸く。桜田大臣の辞任。新紙幣」

◇11日、ブラックホールの初撮影のニュースが全ての新聞、テレビで報じられた。宇宙時代が遂にここまで来たと感じた。重力が余りに大きく光も脱出できないため見えない存在とされる。その存在が理論的に予言された時、全ての天文学者は信じなかった。この謎の天体は今では宇宙に無数に存在すると言われている。今回その姿が撮影されたのだ。宇宙の謎がまた一つ解明された歴史的瞬間である。私は少年の頃から宇宙の神秘に胸をときめかせてきた。大学の時、寮で同室の者が自分より遥かに進んだ知識をもっていることに驚き刺激されたことが懐かしい。

 私たちは銀河系宇宙に居る。かつてこれが宇宙の全てと考えられたがハップルはアンドロメダ星雲がその距離から銀河系の外にあることを発見。このことによって、銀河は無数に存在し、しかもそれが凄い速さで遠ざかっていることも判明した。膨脹宇宙の発見であった。膨脹を遡れば一点に至る。この始まりこそビッグバンであった。それから138億年膨脹は続く。膨脹は止まるのか。宇宙の果ては。膨脹は止まるどころか加速していることが分かった。そのエネルギーは何か。無数に存在する銀河の中心には巨大なブラックホールが存在する。ブラックホールは破壊と創造の場とされる。あらゆるものを引き込み消滅させると同時に何かを創り出しているらしい。

 この広い宇宙で人類以外の知的生命の存在を今では疑う人はいないだろう。人類に未来はあるのだろうか。知的好奇心を失っているのが現代の子どもたちではないか。この好奇心こそ困難に挑戦する生きる力の源泉と思われる。ブラックホールについての歴史的快挙は教室で教えるべき絶好の教材ではなかろうか。

◇宇宙の快挙が報じられる時、地上ではお粗末な政治劇が展開されていた。桜田五輪相がまたまたの失言で辞任したのだ。岩手県出身の高橋衆議院のパーティで「復興以上に大事なのは高橋議員です」と語った。自分が発言する一語がどのような結果を招くか分からないらしい。当選7回、しばしばの失言は教養のなさを暴露させてきた。各紙、ブラックホールの写真と並んで掲載させた。桜田氏がブラックホールに吸い込まれる姿を想像してしまう。

◇紙幣が変わる。登場するのは渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎である。肖像が回転しているように見える世界初の偽造防止技術を採用。現行紙幣もそのまま使える。詐欺師たちは何か悪計を考えるだろう。(読者に感謝)

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2019年4月11日 (木)

人生意気に感ず「留学生入学式の大波。敢行した『へいわ』の講義。ゲスペント(亡霊)が現われる」

◇昨日はNIPPONアカデミーおもてなし学院の入学式が行われた。639人の若者たちの瞳は輝いている。世界の人々と共生するという時代の潮流が足下まで押し寄せていることを感じた。遠くアフリカのカメルーンやブラジル、ハイチの若者もいる。多いのはネパール、インドネシア、スリランカ、ベトナム等の新興国である。彼らの表情からは日本の若者が失ったものを内に秘めていることが窺われる。私はマイクを握って強調した。

「皆さんは大きな歴史的転換点に立っています。今、日本では平成という時代が終わり令和という新しい時代が始まろうとしています。日本は多くの難しい問題を抱えながら大きく変化しようとしています。しかし日本の若者には皆さんのような開拓精神がありません。海を越えてこの日本にやってきた皆さんの勇気に敬意を表します。皆さんは日本の礼節を学ぼうとしていますが、礼節を失った日本人こそ皆さんから学ばねばなりません。私たちは皆さんと力を合わせて新しい日本を築いていきたいと思います。このおもてなし学院は全力を尽くして皆さんの期待に応えたい。皆さんの前途は洋々としています。力いっぱい学ぶことによってその前途は皆さんのものになります」

 満堂の人々の間に静かなどよめきが起きるのを感じた。この若者たちは、NIPPONアカデミーで一つの過程を終えており日本語がかなりのレベルに達している。近い将来、日本の各地で彼らが生き生きと働く姿が目に浮かぶ。

◇この日は朝から多くの教室はオリエンテーションなどでごった返していた。本来ならこの状況では、朝の私の「へいわ」の講義は休講となるところであるが、「アンクルトムの小屋」の続きを敢行した。心機一転を目指し職員の心を一つにする必要があった。物語では逃亡する奴隷を救う白人たちが登場する。今回はクエーカー宗徒たちである。戦争を巻き起こしたと言われた原作者ストウ夫人の狙いが分かる。奴隷を救った白人の動きはアメリカの良心を現す。私はアメリカ独立宣言の一節「すべての人間は造物主によって平等に造られている」を紹介した。奴隷が人間なら平等でなければならない。奴隷解放はこの独立宣言の約束を果たす動きである。

◇現在、世界の民主主義におかしな動きが起きている。ナチスの亡霊が頭をもたげようとしている。私は大学1年の時学んだ「ゲスペンティッシュ・アーバービルクリッヒ」を思い出す。「亡霊的だが現実的」というエンツェンツベルガーの論文である。(読者に感謝)

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2019年4月10日 (水)

人生意気に感ず「県議選の総括。楫取素彦を巡る新しい動き」

◇県議選を総括したい。私が候補者の決意を知ってから実質3週間ばかりの戦いであった。最大の成果は無風、無投票の回避であった。無風は一変して順位争いの嵐となった。候補者は記者会見で「選挙事務所も設けない」、「選挙カーも使わない」と表明した。信じる政策を発信することのみが目的であったのかもしれない。私が参加することで本格的な選挙戦となった。

 このブログで触れたが、途中私は「降りる」と決意し迫ったことがあった。主な理由は「廃県・前橋区」の主張への反対である。地方の発展充実は今日の様々な課題を解決する大前提だと思う。そのためには東京一極集中を改めねばならない。「地方の時代」、「地方創生」はそれを目的とし時代の流れになっている。私の主張を容れて、「廃県・前橋区」を発言しないことになったが不徹底があった。信念を掲げて突き進む姿は、ドン・キホーテを思わせ、「知行合一」を実践しようとする決意は潔く、その姿は青年のように鮮やかであった。多くの留学生を抱える国際的な教育事業を進める上で、信念を政治の上で実現しようとする行動は清水氏の純粋な良心であった。それを十分に支えられなかったことを私は反省している。清水氏は所期の目的を果たしたと思っているのではないか。今回の出馬は社会に一石を投じた。日本アカデミーの事業の推進に結果としてプラスになると信じる。

◇選挙の期間中に楫取素彦の法要、及び顕彰会事業としての楫取の映画鑑賞会を行い、これらは成功を収めた。参加者の中には楫取素彦を改めて評価する人もいて、これから新たな運動を起こそうと言っている。楫取素彦と人権は、群馬の原点を考える場合の重要なテーマである。

◇今日(10日)、平和の講義第83回を行う。前回は止むを得ず休んだ。人権を考える材料として「アンクルトムの小屋」が続く。戦争を巻き起こしたと言われる原作者ストウ夫人の狙いは流石である。奴隷を助ける白人としてクエーカー宗徒を登場させる。クエーカーは神を信じることを厚く徹底した平和主義者たちである。人種差別の廃止は平和の大前提なのだ。

◇今月のふるさと未来塾(27日)は、楫取素彦を新しい視点から取り上げる。楫取の映画は中国大使館でも上映された。ヒューストン国際映画祭で賞を得たことでアメリカでも評価の動きが起きている。「廃娼と人権」は時代を斬る重要なテーマである。(読者に感謝)

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2019年4月 9日 (火)

人生意気に感ず「楫取素彦。追悼法要と映画、楫取素彦物語」

◇5日の夜、ロイヤルホテルの教会に悪役レスラー「BJボス」が現われて、格闘を演じた。ボスに飛び蹴りをくれたのは素人ながら格闘に自信のあるM氏。BJボスはM氏を踏まえて叫んだ。「俺は悪い政治家は許さねえ、バッグドロップで、その腐った頭を打ち砕いてやる」

 私は短く解説した。「映画・楫取素彦物語の中で3人の娼婦が楫取邸を訪ねます。その時いかついヒゲの門衛がここはお前たちが来る所ではないと咎めます。このヒゲの男こそBJボスなのです」

◇8月6日、楫取素彦の追悼法要が清光寺で行われ、次いでロイヤルホテルで楫取顕彰会主催の映画観賞会が開かれた。楫取能彦、小田村初男氏も参加された。楫取素彦は初め小田村性であった。現在、楫取の血を受け継ぐ流れとして楫取家と小田村家が存在するのである。法要は楫取素彦と2人の妻(寿子・美和)の追悼を目的とし、清光寺と楫取素彦顕彰会が共同で主催した。清光寺は浄土真宗の寺で吉田松陰が深く関わる。楫取の妻寿子は松陰の妹で性格が松陰と似て烈婦と言われた。群馬の政治が安定しない一因は正しい仏教が根づいていないことにあると考えた寿子は西本願寺の門主に訴えて説教所を開くことに成功する。それが清光寺の開基となった。焼香の後、私は次のように話した。「令和の時代が始まるが、時代は激しく変化し混乱し羅針盤のない船が大海を漂うようである。今求められることは時代の原点を見詰めることである。群馬の原点は初代県令楫取素彦が築いた。楫取は教育による人づくりと生糸の新産業でそれを実現させようとした。物づくり立県を目指す群馬県に於いて、この理念は今こそ重要である」。

◇その後、会場を移しロイヤルホテルで映画楫取素彦物語の鑑賞会が行われ、およそ130人が参加した。私はこの映画が廃娼を描いた点に一つの意義があると説明した。私が企画・原作のこの作品は櫻井監督によって見事な作品となりヒューストンの国際映画祭の歴史部門で最高賞(グランプリ)を得た。受賞式に渡米しテキサスのホテルの周辺を朝走ったことが甦った。久しぶりに観るこの映画に改めて感動した。それは私の中で「人権」への思いが成長したからかもしれない。映画の後、楫取家の人たちと中華料理を食べながら私は田中正造に取り組んでいることを話した。(読者に感謝)

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2019年4月 8日 (月)

人生意気に感ず「県議選の結末。令和を迎える不安」

◇7日の夜、県議選の結果はあっさりと決まった。予想通りの結果であるが、惨敗である。「敗軍の将兵を語らず」という古諺の通り、清水候補はただ「私の不徳の致すところです」と語った。私は事務長として、最大の敗因は選挙に臨んだ期間が余りに短かったことを語り、それとは別に我が陣営の果たした意義を強調した。「それは無投票当選を回避させて民主主義の危機を救ったこと及び知行合一を実行したことです」と。県都前橋で無投票だったことは私の知る限りかつてなかった。もし、無投票当選となっていたら、全県に及ぼす影響は深刻だったに違いない。

 清水氏は、多くの留学生や職員の前で教育の危機を訴え、理想と信念を行動に移すことの重要性を語っていた。この知行合一を実現する最大の舞台が選挙であるとの確信が出馬につながったのである。初め、記者会見で事務所も設けない、宣伝カーも使わないと表明したことは、当選を考えなかったことを示している。私は強く主張した。「当選を目指して最大の努力をしなければ有権者を欺くことになる」と。かくして凄まじい行動と作業が開始されたが結果は空振りに終わった。このブログでも何回か書いたが「風車に立ち向かうドン・キホーテ」に似ていた。私は「下りる」と迫って作戦に異を唱えたが、私の努力が足りなかったと反省している。社員の中にはホッとしている者もいるに違いない。仮に当選していたら、増大する留学生の事業に支障が出ることが懸念されるからである。

◇群馬テレビの特報を見ていると、平成最後の県議選は世の中の大きな変化を感じさせた。早々と無投票当選を果たした人々が画面に登場する。連続3期も無投票当選の人もいる。その選挙区の有権者は何を考えているのか。今日の深刻な課題はどこも同じはずだ。有権者とその代表たる議員は力を合わせて課題に取り組まねばならないのは当然なのに無投票当選では議員と有権者の絆は薄れるばかりである。

◇形骸化が進み、地盤沈下が懸念される県議会の復活は可能なのか。7月には知事選が行われるが、知事の交替は一つの刺激になるに違いない。春の嵐は去った。続くのは本物の嵐の到来である。間もなく、「令和」の扉が開く。今年の夏は異常気象の異常さが更に増大するだろう。巨大地震の足音が近づく。東京五輪、パラリンピックが近づく。正に国難の時だ。(読者に感謝)

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2019年4月 7日 (日)

小説「死の川を越えて」第180話

「どういうことですか先生」

「分からぬか。差別の突破口よ。湯の沢は特別とはいえ、まだまだ差別されている。低く見られている。学問する能力も資格もないと考えている人が多いのも事実じゃ。正太郎によって見直すに違いない。正太郎は辛い思いをするに違いないが、名誉ある先兵になるのじゃ。あの子なら出来る。我々も力一杯支えねば」

「先生、よく分かりました。正太郎にはよく言って聞かせます」

 正助夫婦の目には喜びの色が溢れていた。

 万場老人は次にマーガレット女史に会った。正太郎のため、湯の沢に対する差別を突き破るためということに女史は打たれた。

 草津町小学校は正太郎を診断し学力を検査した。正太郎は11歳に達していたのである。学校側は正太郎の学力の確かさに舌を巻いた。算数、国語、歴史などの教科の力は草津小の生徒と比べ群を抜いているように見えた。そして、協議の結果、4年生への編入が適当だろうということになり、町長もこれを認めた。

 ある日、正太郎は4年生のクラスに出席した。緊張で胸がドキドキしている。クラスの皆が好奇の視線を向けている。それが正太郎には刺さるように感じられた。

 萩野花子という若い先生は、正太郎を紹介した。

「下村正太郎君です。今日からクラスの仲間です。仲良しになって下さいね。草津小学校に入るための試験に健康も勉強も立派な成績で合格しました。正太郎君をクラスに迎えることは、皆さんにも大変勉強になるに違いありません。席は市川純子さんの隣りよ。純子さんお願いね」

「はい、分かりました。大丈夫です」

 活発そうな女の子はにっこり笑って正太郎を隣りの席に迎えた。萩野先生は、湯の沢の子ということでいじめられたりしないよう、また、不安がったりしないよう配慮するように校長から言われていたのだ。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月 6日 (土)

小説「死の川を越えて」第179話

「勝って兜の緒を締めよですね、先生」

「そうじゃ正助。今回の出来事を通じて、お前は大きく成長した。お前の責任は今後大きくなるぞ。謙虚に学ぶことを続けることじゃ。水野先生、宜しくお願い申しますぞ。そうじゃ、あなたにも、この湯川生生塾の講師をお願いしたい。宜しいかな」

「はい。喜んでお引き受け致します。ここは、大学の教室にはない生きた学問の場ということに気付きましたのでな」

 人々の間に一斉に拍手が起きた。

 

  1. 正太郎、草津小学校に

 

 昭和の初めの頃、湯の川地区の患者の子どもが草津小学校へ通い始めた。湯の沢の人口は増え、健康な子どもたちも増えていた。一方、国民に等しく教育を施すことは、明治以来の国の一大方針であったから、県及び草津町としても湯の沢集落の子どもたちを放置出来なかった。

 湯の沢の健康児童を受け入れるといっても、ことは簡単ではなかった。ハンセン病の菌が隠されていて、感染する心配はないのか。そいう町民の不安をなくして、受け入れるためには、健康診断を整え、一般の生徒と父母の理解を進める等の準備が必要であった。それにしても湯の沢の子どもが草津の町立小学校に通えることは革命的な出来事であった。

 ある日、万場老人は正助、さや夫婦と話した。

「正太郎君を草津小学校に通わせることをどう考えるか、お前たちの考えを聞きたい」

 正助が口を開いた。

「素晴らしいことで、名誉ですが不安もあります。マーガレット先生、そしてこの塾にもお世話になっています。どうしたらよいのでしょうか。先生教えて下さい」

「うむ。よいか。一つは正太郎君のため。正太郎君は賢い子じゃ。広い競争の世界で才能を伸ばすことが大切なのだ。もう一つは、より重要なことで、この湯の沢のため、そして我々ハンセンの患者のためなのじゃ」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月 5日 (金)

人生意気に感ず「ついにここまで来た選挙。楫取の法要」

◇ついにここまで来た。残すところは、投票日を含め3日間。昨夕の決起集会はこの陣営として一応の成功を収めた。屋内集会で、1・2階を使い、メインの会場は2階にした。2階の状況は1階の壁面に大きく映し出された。こういう技術は我が陣営ではお手もの物である。私は選対事務長として、清水候補が県都の無投票を回避させた意義、つまり「民主主義の危機」を救おうとしたことを訴え、「知行合一」を貫いたことを熱く叫んだ。清水候補の話もこの日のものは締まっていた。外柔内剛の人はこれまでの修羅場でも動揺を現さなかった。その一つは、私が「下りる」と激怒して思いを満身で現した時だ。清水候補が冷静にそして誠実に対応したことは、私の心を打ち「雨降って地固まる」の結果を導いた。私が「知行合一」を精一杯実行した場面であった。

◇今日はちょっとした企画がある。悪役プロレスラーB・J・BOSの登場である。棚橋弘志と宣伝したのは間違いであった。

◇明日6日は初代県令楫取素彦の法要及び楫取の顕彰会を行い、顕彰会の集いでは映画「楫取素彦物語~至誠の人~」を鑑賞する。選挙とは切り離し、選挙には一切触れない。五代目当主楫取能彦さんも出席される。この映画の中に登場する楫取の門衛を演じる人物がB・J・BOSであった。娼婦を招き入れるのは寿夫人である。(読者に感謝)

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2019年4月 4日 (木)

人生意気に感ず「終盤に臨む。イケメン悪役プロレスラー登場」

◇ついに7日目を迎えた。新元号は令和となった。この漢字2字についての専門家の解釈はともかくとして、美しい平和を願う思いがストレートに伝わる。新元号の波が春霞の中に広がっている。しかし、私はその中で激しい戦の渦中にある。幻と現実が交差しているような奇妙なものを覚えつつ、私はひたすら走り続けている。この数日を振り返ると様々なことがあった。候補者と激論し「もう下りる」とカバンを持って去りかけたこともあった。私の激情はゆるんだ雰囲気を一変させる効果があった。

 かつての私の支援者は例外なく私の思いを受け入れてくれる。培った友情と絆は生きていた。戦いを始めて極く僅かな期間である。「ドン・キホーテ」、「蟷螂の斧」という言葉がよぎる。「桶狭間の戦」は成るか。

 昨日は私のかつての地元、芳賀地区に入った。私が引退した後は当然ながら草刈り場となって、各陣営が勢を伸ばそうとしのぎを削っていた。「無投票を回避させる」という一つの目的だけは実現できていると痛感した。

 あと3日、山は動くのか。世論に変化はあるのか。

◇5日には、ある有名なプロレスラーが登場する。イケメンの「悪役」レスラーは映画『初代楫取素彦物語~生涯の至誠~』に登場する。私が企画原作のこの映画は第45回ヒューストン国際映画祭の歴史部門で最高賞(プラチナ賞)を受賞した。受賞式の朝、ヒューストンのホテルの回りを複雑な思いで走ったことが今甦る。

 廃娼に理解を示す楫取素彦の屋敷をある日4人の遊女が訪ねた。いかつい体のヒゲの門番は叫んだ。「何だ何だ。ここはお前たちが来る所ではない」。これに対して遊女は「いいじゃないか」と抵抗する。この時、奥から女中を従えた楫取の妻寿子は現われ「お通ししなさい」と門衛に指図する。この映画のクライマックスの一つである。この時のヒゲの門衛が実はイケメン悪役のプロレスラーであった。(読者に感謝)

 

 

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2019年4月 3日 (水)

人生意気に感ず「新元号と万葉集。選挙戦中盤、清水ますみ氏の戦い」

◇1日午前11時半過ぎ、石倉町の利根川端に数人の女性たちが一様にかがみこんでスマホを見詰める光景があった。老女たちの頭上では桜が満開を迎えていた。気付くと異様なグループがあちこちで見られた。言うまでもなく元号の発表を待つ人々。全国の縮図に違いない。政府が国民へのピーアールの効果を狙っているとすれば大成功に思えた。

 午前11時半ごろの発表という予告は大幅に遅れた。11時50分頃か。私の車の中のケータイで「令和」を知った。友人の女性の第一報である。「令和よ。万葉集!」興奮が伝わってくる。万葉集とは、予想が当たったことに私の胸は躍った。私は万葉集を望み、かつ予想していた。日本の国書から元号を、という声は世論になりつつあった。何故、中国の古典に頼るのか、日本の文化に誇りを持つべきだという声が次第に大きくなっていた。それは当然と思えた。そういう中で、古事記・日本書紀・万葉集が考えられたが、神話や国家権力から離れた万民の声を移す「万葉集」こそ、日本の伝統を映すものとして最適であった。

◇「令和」の引用元の一節は大伴旅人(たびと)が書いたとされる。旅人は安麻呂の長男で大宰府長官であった。万葉集には、梅や桜の中で春を喜ぶ歌は多い。万葉人の姿が目に浮かぶ。「梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや」。この歌は梅についで桜が咲いた感動を歌う。私たちにも共通する心があるが古代人は強烈に強烈に梅や桜を喜んだ。心の原点である。

 令和の元号と共に万葉集が国民の間に一層注目されるだろう。学校現場で万葉集が教材として取り上げられることを望む。

◇現代人の心は砂漠化し、機械化しているのだ。新元号はこのような不毛の現代人の胸に梅や桜の花びらと共に春風を吹き込み生き返らせる効果が期待される。

◇選挙戦は中盤に入った。私は足を棒にして、昔の私の支援者を訪ねる。私との絆は生きていて例外なく再会を喜んでくれる。しかし、私と清水候補の繋がりを知らなかった人は非常に多い。清水ますみ候補支援の余地は非常に多いが、開拓しきれずに選挙は終わるだろう。「人事を尽くして天命を待つ」のみである。今、午前2時。私は激しい選挙戦の中でもこの静寂を楽しむ。そして、この静けさを自分の財産であり宝と感じるのだ。清水ますみの一途の思いはどれだけ有権者に届くのか。(読者に感謝)

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2019年4月 2日 (火)

人生意気に感ず「新元号は何か。心をいやすトコと三太」

◇今日4月1日、新元号が発表される。息を呑む歴史的瞬間が近づく。2文字の漢字による元号はこれ迄全て中国の書物から選ばれた。今回は、日本の書物から選ばれるのではなかろうか。例えば、古事記・日本書紀・万葉集などだ。

 元号は新しい時代を象徴する。全国民の意識に測り知れない影響を与える。国際化時代に日本の新しいイメージを世界に伝える意味がある。国内的には日本人の心に与える影響が重要である。羅針盤を失って漂うような状況の日本である。新元号は国を愛する心に寄与することが望まれる。もし、万葉集の中から選ばれるなら日本の原点の再認識という点からも素晴らしい。マスコミは少しでも気配をつかもうと必死である。政府は漏れないように必死である。選定に関わる人々はケータイやスマホまでも預け、使えないという。凄まじい。

◇平成は当時の小渕官房長官が墨書したものを掲げた。県会議員だった私は色々な集まりで「平成」を示して説明した。今日、県議選の最中、午前11時半頃公表される。エイプリルフール、悪戯に使う人が出るかも知れない。

◇昨日、県議選3日目も私なりに全力を尽くした。いつものマラソンで使う運動靴で走った。選挙事務長であるから、本来なら選挙事務所に控え、来客に対応するのが基本の形であるが、私はそれを他の選対幹部に任せた。私の熱い支援者に一人でも多く接しなければならない。宝の山は眠ったままである。それに働きかけ目を醒まさせることが出来れば勝利が生まれる。

◇昨日(31日)は、かつての私の後援会を回り、公園の花見の人々にも訴えた。花見に集まる人々は一般社会の縮図である。政治も選挙にも無関心な人が多い。時々吹く強い風の中を桜の花びらが舞う。

 昼食はウグイスたちと鳥取町の食堂で生姜焼き定食を食べた。自宅が近くなったので三太とトコに会いに寄った。「ニャー」と近づくトコと尻尾を振る三太。「お前たちは選挙の厳しさを知っているのか」と言って、私は頭を撫でた。裏切ることを知らない我が友の姿は限りない癒しである。

 遥か先を走る他候補の姿がチラホラ見える位置に来た。このまま追いつけずに終盤を迎えるのか。古来、戦は厳しいもの。天才軍師の作戦もギリギリの窮地に立たされて生まれたものに違いない。勝敗は天に任せて堂々とやろうと自分に言い聞かせる。(読者に感謝)

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人生意気に感ず「4日目の『知行合一』計は我が方寸にあり」

◇県議選の4日目を迎えた。苦しい情況の中で私の第一回を振り返る。様々な光景が鮮やかによみがえる。告示の直前になってやっと選挙事務所が決まった。決まりかけては駄目になることが重なった。他陣営の妨害だといきり立つ者もいた。最後にやっと決まった場所は、小坂子町の外れ、人家の少ない所にぽつんと立つ建設会社の事務所(第一建工)のプレハブであった。地元の組織的支援は皆無に見えた。市街地の支援者は「行けども行けども事務所に着かない」と嘆いた。

 強い風が吹くとプレハブの屋根が爆撃を受けたように鳴った。そして、遂に投票日の夜を迎えた。正に息を呑む瞬間だった。200票の差で落選。夜のプレハブ小屋を埋め尽くした人々はいつまでも去らなかった。熱気がみなぎる中で誰かが叫んだ。「負けたのではない。票がわずか足らなかっただけだ」と。30年以上も前のあの声が私の耳の底に焼き付いている。私は、このブログの文を、今日選挙事務所の壁に貼ろうと思う。選挙の原点と選挙の辛さを示すこの一文が陣営の人々に刺激を与えることを信じて。

 思えば、あの「落選」は私の貴重な財産となった。一票の価値をかみ締めることが出来た。あの落選があったから、私はその後上位当選を続けることができた。選挙というものの意義を肌で知ることができた。政策を訴え、それによって有権者と心の絆を築く。これこそ民主主義の原点だと今でも振り返るのである。

◇世の中は大きく変化した。立候補者がいないという状況が各地で生まれ、私が経験したこの前橋ですら、無投票を迎えるところであった。今、一変して激戦となっている。この無投票を回避させたものは、清水ますみ氏の決断だった。この人は初めての記者会見で、事務所も設けず街宣車も走らせないと表明して世間を驚かせた。信念となっている政策を訴え、かつ無投票の回避だけが目的であったのだ。私は出馬する以上、勝利を目指さねば有権者を欺くことになると説得した。しかし、「知行合一」を目指して決断した勇気に打たれて私は事務長を引き受けた。「知」、すなわち日頃口にしている政策、「行」それを実現するための行動、この二つを結びつけさせる「知行合一」こそ、今求められていることである。花の下の酔客が「どうせ口だけだろう」と言った。知行不合一が政治不信の大きな原因であることをこの酔客は鋭く突いている。皆さん、この大義を信じて中盤を戦い抜こうではないか。(読者に感謝)

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