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2019年3月11日 (月)

人生意気に感ず「7年前、原発反対集会の出来事。8年が過ぎた」

 

◇2011年3月11日14時46分のことであった。私は現職の県議会で、最後となる県議選の直前であった。鉛色の雲がたれこめていた。忘れもしない。突然天地を揺るがす轟音がとどろき、大地が鳴動を始めたのだ。一瞬、大地震ということは意識したが何が起きたのかは分からなかった。やがて全貌が明らかになった。振り返れば千年に一度とも言われる瞬間であった。東日本大震災と命名されたが、より深刻な事態は福島第一原発の事故であった。74年前の原爆投下にも匹敵する巨大事故であることがやがて明らかになった。

 

◇翌2012年、私は7期目の県会議員であった。この年の3月12日、高崎市の城址公園で「原発反対千人集会」が開かれ、私は自民党現職県議として参加した。翌日の赤旗は勇気ある保守系議員と小さく報じたが、その時の会場は私の登壇で騒然となった。赤い旗が燃えるように林立するあたりから大きな野次が湧いた。その声は「なぜ自民党の県会議員が。下りろ」と叫んでいる。覚悟していたが、私には千人の聴衆が皆敵に思えた。「黙れ」私はありったけの声で叫んでいた。「私は一人、文句があるならここに上がって来い、腰抜けめ」揺らめく旗に刺激されたか、私は激高していた。

 

 静かになった聴衆に向かって私は自分の原発についての考えを話した。意外にもどっと拍手が起きた。

 

◇後のある日、私は県立図書館のある職員にあの日の光景を載せたインターネットの動画を見せてもらった。タイトルは「中村議員に脱帽、ストックヤード、止めよう原発、群馬ネットウォッチ」である。それには次のような文が添えられているではないか。「勇気と潔さを心より讃えたいと思います。野次を消そうとしましたが、真摯な中村議員の姿勢の方が勝ります。卑劣で愚かな野次をあえて残しました」。私は長い県議生活で、勇気ある行動をとれなかったという思いがあるので、この「事件」は私にとって重要なのである。

 

 10日、また高崎の城址公園で原発反対集会が行われる。私は一般市民として参加するつもりだ。尚、今回はハンセン病の「人権の碑」建立の募金のピーアールも行う予定である。今、私の胸に7年前のあの光景が甦っている。福島に田中正造がいたらどう行動するかも関心事である。原発事故は21世紀の一大公害なのだ。(読者に感謝)

 

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