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2019年2月10日 (日)

小説「死の川を越えて」第164話

 

 

 

 こずえは包みから顔を出した封書の文字を見て思わず叫んだのだ。

 

「それは母の字」

 

 次に出た言葉だった。

 

「そうです。あなたのお父様が韓国におられる時、日本のお品おばさんから手紙がよく来たそうです。お父様が危険なお仕事でロシアに渡るとき、母に預けたものです。これはあなたのものです。どうかお受け取り下さい。母も天国で義務が果たせたと安心するでしょう。お品おばさんもきっと喜ぶに違いありません」

 

 こずえは、封書の束を強く抱きしめて涙を流した。感動の物語に聞き入っていた人々の間から拍手が湧いた。

 

 話に一区切りがついた時、鄭東順が改めて言った。

 

「皆さんにお願いがございます。昔私が落ちた白砂川の断崖、命を救われたふもとの里の医師の屋敷、そのあたりを案内してもらえないでしょうか。亡き妻を偲びたいと思います」

 

「喜んでご案内いたそう」

 

万場老人は深く頷いて言った。その後で、老人は正助に何か小声で指示をした様子である。正助が頭を立てに振る様子が見えた。

 

 翌日、一行は荷車に乗って、ふもとの里へ向かう坂を下った。うっそうとした森を流れる湯川の音が近づいたかと思うと遠ざかる。一つの曲り角に近づいたとき、数人の人影が見えた。正助が飛び下りて走っていく。何やら言葉を交わして戻って来て言った。

 

「朝鮮の人たちです。鄭さんと繋がりのある人たちで近くで働いています。昨日のうちに連絡しました。皆会いたがっています」

 

「ほほー。それは何と有り難いこと。温かい御配慮に厚く感謝します。明霞、お前も一緒に」

 

 そういって、鄭東順と明霞は人々に近づいた。正助が荷車から見ていると、人々は、主人に対するように低く頭を下げ礼を尽くしているようだ。鄭と明霞は同じように腰を折って手を差し伸べている。しばらく話して人々は去って行った。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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