« 人生意気に感ず「ある日の中国大使館・友情の絆。ふるさと塾は『理想の最期』」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第169話 »

2019年2月23日 (土)

小説「死の川を越えて」第168話

 

 明星屋の主人がうちの法学士の先生をと言って推薦した水野高明は、かつて九州帝大で法律を講義していた人物であった。もとより本名ではない。明星屋の主人は逗留の日々が過ぎる中で、この浴客の素性を知り、又篤実な人柄に接し、自分の所にこういう客がいることを自慢に思うようになっていたのだ。

 

 湯の沢で、患者と主人の結びつきは特別である。それは、一種の家族のような関係であるが主人は大事な客を特に大切に扱うので自然と信頼関係が生まれるのだった。

 

 水野は熊本藩の元士族の出で、相当の資産のある一族であった。ハンセンの病を得た水野は一族の名誉を考えて、大学を辞め、資産を分けてもらって熊本を去る決意を固めた。自分の悲運を嘆いた水野は、どこへ行くかと迷った末、大学在職時代の本妙寺集落の研究から、自由があり、自治を育んでいるという湯の沢の事を思い出し、逃げるようにしてやってきたのだった。落ち込んだ水野の心に光をあて望みを繋いだものは、ここには自分の研究の課題である人間の自由や人権の問題があって、水野から見れば生きた大学ともいえる状況が感じられることであった。自由に書を読み、ものを書くことが出来る環境ということも水野は気に入っていた。

 

 法学士水野は早速嘆願書に取り組んだがいざ文章をまとめるとなると、湯の沢集落の歴史や県、国の動きを知らなければ書けない。ある夜、水野は秘かに正助を訪ねて来た。

 

「聞くところによると、君は県議会へ行き、湯の沢集落のことを説明したそうですね。ついては何か資料があれば見せて欲しいのだが」

 

「先生、分かりました。目的は、この湯の沢のため、俺たち患者のためですからね。先生の御協力に俺は感謝しているので、資料を捜します。心当たりがあるので少し時間を下さい。明星屋にそっと連絡しますよ」

 

 正助は、学者先生の面子もあると思い気を遣うつもりでいたのだ。正助は、万場老人に事情を話し、資料作りを手伝ってもらった。老人は言った。

 

「その学者に良い嘆願文を作ってもらうことは、この集落のため、そして、お前の今後のためだ。わしも力を貸そう」

 

 老人はこう言って、正助が語る県議会を訪ねたときの状況を詳しく書き取った。それから、議会から取り寄せて研究していた県議会の資料を読んだ。 

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

|

« 人生意気に感ず「ある日の中国大使館・友情の絆。ふるさと塾は『理想の最期』」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第169話 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小説「死の川を越えて」第168話:

« 人生意気に感ず「ある日の中国大使館・友情の絆。ふるさと塾は『理想の最期』」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第169話 »