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2019年1月 5日 (土)

小説「死の川を越えて」第153話

 

 万場老人は興奮冷めやらぬ中で、西村課長のことを思った。西村課長は、以前、その手紙で「子どもは将来を担う存在です。また、社会から一番差別される弱い立場にあります。ですから、自治の部落が子どもの教育にどう取り組んでいるか気にかかっています」と正直な気持ちを伝えてきた。これに答えねばならぬ、それは今後の布石にもなる。老人は、こう信じて筆を執った。その内容は、「湯川生生塾」を始めたこと、この塾の目的、ここで正太郎が真剣に学んでいること等であった。そして、最後に、次のことを付け加えた。

 

「母校のことを振り返りつつ、私の学問が天下のことに多少とも役立つことは感無量でございます。小さな小さな塾ですが、学問という光を通して、この塾が大きな世界につながっていることを信じております。かの松下村塾には遠く及びませんが、この特殊な環境で、小さな芽が少しずつ伸びることを秘かに夢みております。どうか遠くから見守り下さいますようお願い申し上げます」

 

 湯川生生塾を始めて一と月程経った時、万場老人は、こずえと正助を前にして言った。

 

「こずえは、さやさんと、以前、京都大学を訪ねて驚いておったな。小河原という学者に会って話を聞いたことで正太郎を産む決心をしたわけじゃった。不思議なことよのう。いや、不思議というのは学問の力のことじゃ」

 

 老人は目を閉じて何かを考えている風であった。

 

「わしは、帝国大学で学びながら、学問の意義を分からぬ間にこの年を迎えた。学問の力とか、学問の役割などが真に分かってきたのは、最近のこと。湯の沢集落のことで激しくハンセン病のことを考えるようになってからじゃ」

 

 老人は、そう言って、再び目を閉じた。そして、目を開くと意外なことを言った。

 

「時代が大きく変わろうとしている。我々の集落も変わろうとしている。それなのに、我々は小さな穴の中にはまり込んでいる。よしの髄から天井を覗くでは、我々は増々みじめになる。穴から出て世の中を見なくてはならぬ。この穴の出口、あるいは外の世界を見る窓といおうか、それが生生塾なのじゃ。知識と学問が心の世界を広げる。我々の眼を開く。正助は、朝鮮やシベリアを経験した。それは正しい知識と学問によって、広い世界を知る力になる。学問と行動は共に必要で、これを知行合一というのじゃ。このことの重要性をわしは反省と共に噛み締めておる。どうじゃ、正助、わしの言っていることが分かるであろう」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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