« 人生意気に感ず「人生の原点を訪ねる。老婆の手は昭和と平成の鼓動を伝えた」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第153話 »

2019年1月 4日 (金)

人生意気に感ず「私の原点を知る人。風前の灯は昭和と平成を生きた炎。今年のマラソン」

 

◇私の人生の原点を知る唯一の人に2日に会った。予感に引かれるようにしてその人の家を訪ね、私は彼女が深刻な状態にあることを知った。間もなく94歳になるこの人は血を吐いて高崎の病院に運び込まれていた。顔が一回りも小さくなって別人に見える老婆は、私を見て「のりおさん」と直ぐに言った。興奮すると動脈瘤が破裂すると言われ、そっと言葉を交わした。正に風前の灯と思われた。手を重ねると温かかった。それは激動の昭和と平成を生き抜いた生命力に違いないと思われた。それは私の原点に通じる火でもあった。私は松明を受け継ぐ思いで、その温もりを確かめてそっと病室を後にした。

 

◇人の一生は環境によって大きく左右されるが、その環境が特別である場合その影響も特別である。私の場合、昭和20年の社会の激流の中で赤城山の開墾に入ったことが人生の方向に決定的な影響を与えた。もし終戦後、一家が山に入らなかったなら私の人生は全く違った流れになったことだろう。

 

 下の集落に移ってもランプの生活で貧しかった。鼻毛石の小学校の生活は楽しかったし、長い通学路は私の脚を鍛えた。豆ランプの下で母と本を読んだことは私の精神の糧となった。父には心臓ゼンソクの持病があり、町の生活に活路を求めて一家は元総社に移った。元総社では父の病気の悪化もあって、貧の極限とも思える状況を経験し、その中から私は前高の夜間部に進むのであった。

 

 初っちゃん(病床の老婆を私はこう呼んだ)の手を握ると、瞬時に私の半生の出来事が甦った。今年は新しい元号と共に私は79歳を迎えるが、私の血はまだ若い。老いとは何か。心が萎縮することだと思う。このことを警戒しながら人生の次なる高峰に挑む時がきた。

 

◇今年の正月は珍しくマラソンを熱くなって観戦した。ニューイヤー駅伝と箱根駅伝である。風を切って走るランナーの肌が光る。その背景には長いぎりぎりの試練の積み重ねがあるに違いない。私は自分のマラソンと重ねて選手の走りを見詰めた。私の場合は毎年の群馬マラソン10キロである。比べものにならないが、78歳の私が毎年10キロ完走を続けられるのは日常の積み重ねがあるからである。全力を尽くした選手たちの表情は爽やかである。その胸の中は走ることに死力を尽くした者でなければ分からない。走る若者の努力する姿を共有することこそ新年の大きな課題ではないか。(読者に感謝)

 

|

« 人生意気に感ず「人生の原点を訪ねる。老婆の手は昭和と平成の鼓動を伝えた」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第153話 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生意気に感ず「私の原点を知る人。風前の灯は昭和と平成を生きた炎。今年のマラソン」:

« 人生意気に感ず「人生の原点を訪ねる。老婆の手は昭和と平成の鼓動を伝えた」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第153話 »