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2019年1月26日 (土)

小説「死の川を越えて」第159話

 

 万場老人は笑って言った。

 

「いや冗談ではない。私と森山さんを仲間に入れて欲しい。森山さんも異存はないと言っておる。皆さんと共に学ぶ心なのです。もっとも、出席は滅多にかないませんが心は出席しているということでお願いしたい」

 

 木檜、森山両人が本気なのを知って、万場老人は言った。

 

「恐れ入りましたが、感激です。しかし、生徒というのでは、皆がかえって固まってしまいます。先生の一角でお願い致したいと存ずる。1年に一度でも、特別講師でお話頂ければ、この上なき幸せでございます」

 

 そう言って、老人が人々に視線を向けると、一斉に拍手が起きた。

 

「ははー、良いかたちで決定しましたな。いつか、皆さんの前でお話が出来ることが楽しみじゃ」

 

 木檜代議士との対面は、このように意外な結果を生んで無事に終わったのである。

 

 さて、正太郎の利発さには目を見張るものがあった。リー女史が大変賢いと誉めたことが決してお世辞でないことは、湯川生生塾でも直ぐに知るところとなった。記憶の良さ、理解力は抜群で万場老人も、これはと秘かに期するものがあった。

 

 

 

第八章 住民大会

 

 

 

一、 韓国からの客

 

 

 

 草津は深山幽谷の地にあった。草津温泉が名声を高め全国から浴客が集まることを温泉街の人々は切望していた。問題は交通手段だった。時代は急速に発展していた。こういう時代状況の中で、軽井沢、草津間に鉄道を敷設するという事業が進んだ。ハンセン病の患者にとって、鉄道の利用は天の恵である。しかし、社会一般は、ハンセン病は恐い伝染病で、伝染を防ぐためには接触を避けることだと信じた。そういう世の風潮を国の隔離政策が支えた。ここに鉄道会社のハンセン病患者乗車拒否が発生する。

 

 草軽鉄道は、大正8年に軽井沢、嬬恋村間に開通したが、軽井沢駅で頻繁に乗車拒否が起きていた。患者の多くは、ここから草津までのおよそ60キロを歩かなければならなかった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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