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2019年1月31日 (木)

人生意気に感ず「平和の講義でアンクルトムの小屋を。イライザは息子を抱いて氷の上に」

 

◇毎週水曜日の平和の講義は昨日(30日)で77回を迎えた。このところストウ夫人の「アンクルトムの小屋」の物語を切り取りながら解説している。戦争を巻き起こした小説といわれるように奴隷解放を行った南北戦争に大きな影響を与えた。リンカーン大統領は夫人に会って「大きな戦争を起こした小さな婦人」といって敬意を表したと言われる。現在は日本アカデミーの職員を対象に話している。若い人は歴史を知らない。アメリカ史を流れる人権の歴史を知ることは現在の世界の動きを人権と結びつけて理解する上で重要である。農場主は莫大な借金のためトムじいやを売ることにした。それでも不足なので走り回っている可愛い奴隷の子ハリイも売ることにした。母親のイライザは奴隷商人の訪問に異常なものを察知し、息子が売られる話を盗み聞いてしまった。「かあかちゃんはお前を決して離さない」美しい女奴隷は息子を抱いて屋敷を抜け出しました。カナダへ逃亡することを決意して行動に移したのです。州境を越えてオハイオ州に行くにはその間を流れるオハイオ川を渡らねばなりません。追っ手が迫っていました。オハイオ川の激しい流れは氷の塊で閉ざされ、氷はギシギシとぶつかり合いながら勢いよく流れています。追っ手が見えます。イライザは矢のように走り氷に飛び乗りました。足元の氷は割れてイライザは濁流にのまれようとします。彼女はさっと次の氷に飛び移りました。ハリイが必死でしがみついています。イライザには氷の冷たさも深い川に落ちる恐怖もありません。母は強しなのです。不思議なほどの力をふりしぼり、獣のような動きでイライザは氷から氷に飛んで遂に対岸に渡ることができました。オハイオ州には奴隷に同情し逃亡を助ける人が多くいました。追っ手は「あの女は悪魔でもとっついたに違いねえ。そうでなきゃ山猫みてえに飛んでいけるはずがねえ」と言って悔しがりました。イライザはオハイオ州で親切な人に導かれ上院議員のバード氏に会うことができました。しかし上院議員は困った顔をして意外なことを口にするのでした。

 

 第77回は次の展開に期待を持たせながらここで終わりになりました。アンクルトムの小屋が発刊されたのは1852年で日本では幕末の嘉永5年。翌年ペリーが浦賀に来て米大統領の国書を渡し開国を迫りました。(読者に感謝)

 

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2019年1月30日 (水)

人生意気に感ず「上海の珍客に『タガーホー』。少子高齢に向かう中国。今夜GTVで」

 

◇29日、上海の少年少女14名を群馬県日中友好協会として迎えた。2年程前、日中書道交流で来日したグループの子どもたちで、引率する先生たちは同じ顔ぶれである。前日は伊香保の温泉を経験し、この日前橋市内の小学校で交流し歓迎を受けた。ロイヤルホテルの中国料理の昼食会で子どもたちの笑顔は輝いていた。

 

「皆さん、今日はようこそ群馬県へ。私は群馬県日中友好協会会長の中村と言います。今日は皆さんと会えてとても嬉しいです。中国は偉大な国で、私は小さい頃から中国の文化と歴史を学んできました。日中の関係は増々重要になりました。私は皆さんと力を合わせて文化の交流を進め、両国の発展に力を尽くしたいと思います」。私はこれを中国語で表現した。子どもたちは静かに耳を傾けている。一呼吸して「タガーホー」と言うと一斉に歓声が起きた。上海は上海語といわれる程、方言が強い地域である。「タガーホー」は「タージャハオ(こんにちは)」の方言である。私は上海の書道展の会場でこれを使った時、会場がどっと湧いた光景を思い出した。方言は伝統の文化を現し地域の人々の心の表現である。それを外国人から聞いた時、彼らは意外性に驚き同時に感動する。「タガーホー」はこの日も同席した上海出身で前橋市在住の書道家郭同慶さんからあの日上海の会場で教えられた。

 

 私の隣りに座った少女は風が冷たいと言った。上州の山々は前日から雪で覆われ南の客を歓迎していたが、そこから吹き降ろす風は身を切るように冷たかった。子どもたちは絵が得意である。訪ねる先々で描いた絵を列を作って私に見せてくれた。「書画一体」を実践しているのが中国。前回、芳賀小で即席です素晴らしい藤の絵を描いた少女を思い出した。通訳が兄弟姉妹の有無を訊ねると一人っ子が多かった。中国は既に一人っ子政策を改めているが、二人は産まないのが普通だという。今や中国は急速に少子高齢化が進んでいる。私は一人一人と握手しながら彼らの将来を思った。

 

◇国会が始まり、首相は厚労省の不適切統計を詫びた。行政のたががゆるんでいる。大変な時代に向かう時、行政とそれを担う官僚組織は国家の要。適切な統計はその基礎の基礎だ。

 

◇今日30日、午後9時30分から群馬テレビで8分程生出演し小説「死の川を越えて」を語る。重いテーマへの関心が少しずつ高まっている。ハンセン病の「人権の碑」も語る予定。(読者に感謝)

 

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2019年1月29日 (火)

人生意気に感ず「ふるさと未来塾で米中対立を語る。鄧小平と改革解放路線」

 

◇26日の「ふるさと未来塾」は「米中の対立と日本の役割」をテーマに、私は毛沢東・周恩来・鄧小平を中心に語った。チラホラと白いものが飛び始めた寒い夜だった。私は3人の巨人を熱い思いで語りながら中国への歴史の奥深さと日中の絆の強さを改めて感じた。米中の歴史を知らなければ対立の本質も分からない。従って日本の役割も理解出来ないのである。そこで先ずは中国の近現代史となったわけである。

 

 毛沢東は1949年中華人民共和国の建国を宣言したが、大躍進政策で失敗し、2千万から5千万人といわれる餓死者を出し、国家主席の座を劉少奇に譲った。

 

 そして文化大革命の勃発。すると毛沢東はこれを利用して権力奪回を計るが鄧小平は反対だった。周恩来は文化大革命でも基本的には毛沢東を支持するが、紅衛兵の暴走を抑え、秘かに革命後に備えた。1972年、米中及び日中間に大きな動きがあった。ニクソン大統領が中国を訪問した。そして田中角栄首相も訪中し毛沢東と会い日中国交正常化が合意された。

 

 1976年(昭和51)、周恩来・毛沢東が世を去り、翌1977年文化革命は終わる。鄧小平が実験を握り1978年日中平和友好条約が結ばれる。条約批准のため来日した鄧小平は東海道新幹線に乗りその速さに驚き、日本の企業を視察してその技術力に目を見張った。この視察がその後の彼の政策決定に大きな影響を与えたと言われる。この年11月、中国は改革解放路線を決定する。巨大な中国の市場が世界に向かって開かれていった。その後の中国の変化は驚くばかりであった。一党独裁の国では一度決定されればただちに動きが起こる。その後、中国は世界の工場になり、更に世界の市場となった。この間、中国は世界の技術を学び自分のものにした。今や中国は世界第二の経済大国となりその勢いは止まらない。トランプ大統領が「アメリカナンバーワン」を叫ぶ姿はこのままでは中国に追い抜かれるという危機感の表れにも見える。中国の実力の象徴は月の裏側に探査機を着陸させたことである。

 

 習近平主席は第19回党大会で「中国の特色ある社会主義」実現を宣言した。世界は米中対立の時代に入り、この動きは今後長く続くに違いない。アメリカは、このままでは衰退に向かうだろう。アメリカの真価が試されている。日本の役割は増々大きい。このようなことを語った。(読者に感謝)

 

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2019年1月28日 (月)

人生意気に感ず「市職員が起こした事件が問うもの。幼児を叱れない親。外国人との共生社会に」

 

◇前橋市職員が起こした女性殺害事件が地域社会と市役所内に衝撃を巻き起こしている。伝わってくる情報は真面目な若者らしいこと。殺害女性は昨年まで高経大にいて英語を真剣に学んでいたというし、加害者の鳥山祐容疑者も勤務態度はよかったという。今の若い人たちの恋愛事情は分からぬことが多い。情報では被害者の娘さんが暴力を振るわれていたらしい。恋愛の段階で、普通の真面目な男性が女性に暴力を振るうというのが理解出来ない。別れ話になり「彼女がいなければ生きていけない」という気持ちで思い詰めて犯行に及んだらしい。県内有数の進学校に学び、大学に進んだらしいが、教育とは何なのかも改めて考えてしまう。学校は受験の技術を身につけさせるところなのか。教育の本来の目的は生きる力だと思う。恋愛をしてトラブルに突き当たることは通常に有り得ることだ。このような場合の問題解決能力こそ生きる力ではなかろうか。最近、普通の若者が突然豹変してとんでもない事件を起こす例が多い。これらの事件の底には何か共通のものがあるのではなかろうか。鳥山という若者には悩みを相談する友人もいなかったのか。教育とは何か、教育を支えるものにどんな問題が潜むのか。私たちは真剣に考えるべきところに来ていると思う。

 

◇先日NHKのニュースで幼児お断りのレストランが現われていることを報じていた。両親が叱らないために幼児に礼儀が身についておらず迷惑をかけることが理由らしい。昔の親は叱る時は厳しく叱ったものだ。学校でも体罰に触れることを恐れる余り先生たちは厳しく適切に叱ることが苦手らしい。それでは教育者の使命は果たせない。甘やかして育て、きちんとした礼節を身に付けさせなければ、その付けは子どもの上に、また社会の上にまわってくる。「鉄は熱いうちに打て」は言い古された諺で、今日では私語になった感すらある。なまくらな子をつくらぬように親も教師も刀鍛冶の覚悟が求められているのだ。

 

◇外国人が多く押し寄せる時代になった。外国人と共生することは避けられない。そこで何が求められるか。一つの大切なことは日本の伝統文化を堅持することである。これは日本人の心の問題でもある。地に足がつかない、浮草が漂うような社会になっている。日本の文化の中心にすえるべきは日本国憲法である。憲法を日本人の心の柱にすべきである。(読者に感謝)

 

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2019年1月27日 (日)

小説「死の川を越えて」第160話

 

 ある日、韓国から万場軍兵衛の下に一通の手紙が届いた。万場老人は、はっとして息を呑む思いで一読すると、すぐに正助とこずえに声をかけた。

 

「ハンセン病の頭の鄭東順さんと娘の明霞さんが草津に来られるぞ」

 

「えっ、本当ですか。懐かしい。俺、夢のようです」

 

 正助は明らかに興奮していた。

 

「お藤おばさまの御主人に会えるなんて、また明霞さんに会えるなんて。私も夢のよう」

 

 こずえも頬を紅潮させている。

 

「こう書いてある。父は元気なうちに是非草津をもう一度見たいと言っています。父の病気は治っています。顔の外見もよく見ないと分からないので拘束されることはないと存じます。母お藤の遺品を整理していたら珍しい貴重なものが見つかりました。それをこずえ様に渡すことも目的です、と」

 

「何でしょう。父に関することかしら」

 

「いずれにしても、鄭東順さんに会えるとはわくわくじゃ」

 

「俺は大変助けられた御礼を言わなければ」

 

 正助が嬉しそうに言った。

 

 それから一月程が経った。鄭父娘は日本に上陸して、無事軽井沢まで来たが、ここの駅で嬬恋行きの電車に乗車することを拒否されてしまった。

 

 実は、この駅にハンセン病患者に目を光らす妙な男がいた。又八という、元馬方のこの男は、湯の沢地区の宿屋に客引きに雇われていた。見つけると駅に密告し乗車を拒否させ、自分の馬を使わせる。弱味に付け込んで法外な料金を要求するのだ。ほとんどの患者は又八の特異な眼力から逃れることが出来なかった。

 

 又八は訳有りげな2人に早速目を向けた。金のあるげな朝鮮人と見て駅に告げた。父娘は乗車を拒否された。しめしめと思いながら頃合いを見て又八は声をかけた。

 

「へ、へ。檀那さん、お困りのようで。お見受けしたところ、湯の沢に行かれるようで、あっしは湯の沢の宿屋のものでごぜえます。馬が二頭ありますのでお使い下せえ」

 

 

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2019年1月26日 (土)

小説「死の川を越えて」第159話

 

 万場老人は笑って言った。

 

「いや冗談ではない。私と森山さんを仲間に入れて欲しい。森山さんも異存はないと言っておる。皆さんと共に学ぶ心なのです。もっとも、出席は滅多にかないませんが心は出席しているということでお願いしたい」

 

 木檜、森山両人が本気なのを知って、万場老人は言った。

 

「恐れ入りましたが、感激です。しかし、生徒というのでは、皆がかえって固まってしまいます。先生の一角でお願い致したいと存ずる。1年に一度でも、特別講師でお話頂ければ、この上なき幸せでございます」

 

 そう言って、老人が人々に視線を向けると、一斉に拍手が起きた。

 

「ははー、良いかたちで決定しましたな。いつか、皆さんの前でお話が出来ることが楽しみじゃ」

 

 木檜代議士との対面は、このように意外な結果を生んで無事に終わったのである。

 

 さて、正太郎の利発さには目を見張るものがあった。リー女史が大変賢いと誉めたことが決してお世辞でないことは、湯川生生塾でも直ぐに知るところとなった。記憶の良さ、理解力は抜群で万場老人も、これはと秘かに期するものがあった。

 

 

 

第八章 住民大会

 

 

 

一、 韓国からの客

 

 

 

 草津は深山幽谷の地にあった。草津温泉が名声を高め全国から浴客が集まることを温泉街の人々は切望していた。問題は交通手段だった。時代は急速に発展していた。こういう時代状況の中で、軽井沢、草津間に鉄道を敷設するという事業が進んだ。ハンセン病の患者にとって、鉄道の利用は天の恵である。しかし、社会一般は、ハンセン病は恐い伝染病で、伝染を防ぐためには接触を避けることだと信じた。そういう世の風潮を国の隔離政策が支えた。ここに鉄道会社のハンセン病患者乗車拒否が発生する。

 

 草軽鉄道は、大正8年に軽井沢、嬬恋村間に開通したが、軽井沢駅で頻繁に乗車拒否が起きていた。患者の多くは、ここから草津までのおよそ60キロを歩かなければならなかった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2019年1月25日 (金)

人生意気に感ず「人権の碑・記者会見で。科学の進歩と人権・ゲノム編集」

 

◇昨日、草津の「栗生楽泉園」に向かった。晴天であるが外気は氷点下で車の正面に迫る山は吹雪に半ば包まれている。「人権の碑」建立に関する記者会見は午後1時半に始まる。私は、建設委員会の委員長である。始まる前に楽泉園自治会会長の藤田三四郎さんを訪ねた。最近病室が変更となり新しい病室までの距離は驚くほど長い。92歳の老人はこの日いつもより元気に見えた。パリッとスーツに着替え、記者会見に臨む意気込みが窺えた。会見室には数社が集まっており、NHKのカメラも見られた。その場の雰囲気はハンセン病に対する世論の関心の高さを反映しているようであった。車いすの藤田さんの姿からは静かな迫力が漂い、それだけでハンセン病の過酷な歴史を物語っている。事務局長の大川さんの司会により、藤田さんと私が短く挨拶し、質疑応答が行われた。

 

 記者たちの関心は碑を建てる目的、碑文の内容、その費用と設置場所などが主なものであった。碑文に関する私の発言の主な内容は次のようなものであった。ハンセン病の史実を正しく伝えること、史実としては元患者たちの苦しみ、差別、偏見を助長した国の誤った政策、それを追及し勝訴した国賠訴訟のこと、国の政策の象徴ともいえる「重監房」のこと等であった。

 

 また、記者の質問には碑文はハンセン病に限るのかそれ以外の事にも及ぶのかという点があった。私は、ハンセン病に限らぬことを説明した。その理由として、国賠訴訟の証言に於いて施設の外の一般社会の中に目に見えない差別の壁があると指摘されたように社会に存在する差別を問題にしなければならないことを話した。

 

 碑建立への協力要請の発信は始めたばかりであるが事務局に寄せられる反応は驚く程大きい。事務局長はラブレターを受け取るような気持ちだと私に語った。この日の報道によってこの反響が加速されることを願っている。

 

 ある社の記者が私の小説「死の川を越えて」の売上の一部を寄付することが報じられているがと私に質問した。私は既にある額を振り込んだと告げた。

 

◇科学技術の進歩と「人権」が新たな問題を起こしつつある。中国では遺伝子を狙い通りに改変するゲノム編集技術を利用して、実際に双生児が誕生していることが確認されたという。遺伝子編集の結果は子孫に受け継がれる。「神の領域」を侵すことで人権を侵す危険が大いにある。科学と人間の尊厳の両立が問われる。(読者に感謝)

 

 

 

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2019年1月24日 (木)

人生意気に感ず「米中対立の行方を。北方領土の行方は。人権の碑の記者会見」

 

◇今月の「ふるさと未来塾」のテーマは「米中対立の行方と日本の役割」。世界の大波が怒涛となって日本に寄せている。その中の二つの渦がアメリカと中国である。二つの超大国は鮮やかな特色をもって対峙する。民主主義対全体主義、追う立場と追われる立場等。中国の変貌ぶりは信じられない程である。その象徴が月ロケットである。世界で初めて月の裏側に探査機を着陸させた。「アメリカ第一」を掲げるトランプ大統領の姿は追われるアメリカのあがきにも見える。私はアメリカがこのまま中国に破れるとは思わない。アメリカの底力は建国以来の民主主義の歴史の中にある。日本は民主主義の陣営にあってアメリカとは特別な同盟国関係にある。そして、中国とはアメリカ以上に深い関係をもつ。二つの超大国は激化する対立の中で共に日本を重要視する状況にある。海洋国家日本は、太平洋を舞台にその特殊な立場を活かし生き延びていかねばならない。

 

 もう一つの超大国はロシアである。プーチンのロシアも閉塞状況にあってその打開のために日本の協力を必要としている。「ふるさと未来塾」では、この関係で大詰めに来た北方領土問題も取り上げる。ロシアとの間でしっかりとした関係を築くことは米中の間に立って日本が果たすべき役割を尽くす上で重要な意味を持つからだ。ふるさと未来塾は26日(土)午後6時半から。場所は前橋市日吉町の福祉会館である。

 

◇ロシアは恐い国で最も嫌な国というイメージが日本人の間に定着している。第二次世界大戦の時の満州及びシベリアの暴虐非道ぶりが忘れられないからだ。北方四島の不法占拠は日ロ間に横たわる悲劇の象徴である。戦後74年も異常な状態が続いている。両首脳の会談の状況が伝わってくるが、四島のうち二島返還で決着の可能性が高まっているようである。日本の固有の領土のうち二島を永久にあきらめることに国民は納得するか。安倍政権は世論に問うために衆議院の解散総選挙を行うかも知れない。参院選は既に決まっているから考えられるのは衆参同日選である。消費税がらみで参院選は自民に不利であることから同日選は大いに可能性ありだと思う。

 

◇今日(24日)草津の栗生楽泉園で記者会見を行うことになった。ハンセン病の過去の患者たちを慰霊し、同時に人権を永遠に学ぶために「人権の碑」を建てることになった。その発表である。(読者に感謝)

 

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2019年1月23日 (水)

人生意気に感ず「東京医大助成金ゼロ。運転の自動時代に。日中友好協会のパーティ」

 

◇東京医大は巨額の私学助成金を受けられなくなる。入試の不正が原因である。受験生にとっては命がけである。厳正公正であるべき受験に於いて大学が不正な得点操作をしていたというのだからたまったものではない。人生を狂わされたと考える人もいるに違いない。教育に対する信頼が音をたてて崩れる姿を想像する。多くの若者は大人の世界はこんなものかと思うのではないか。東京医大は前年度約23億円受給していたが、2018年度ゼロになる。大学受験生も大幅に減るだろう。伝統ある大学が失う社会の信頼度は測り知れない。同様な問題を抱え、肝を冷やしている大学が他にもあると思う。大学全体がこの事件を機に襟を正すべきである。

 

◇技術の進歩による社会の変化は凄まじい。中でも驚くべきことは車の自動運転である。まさかと思われることが実現されようとしている。自動車運転中のスマートフォンの利用や食事、読書などが可能になるという。機械と人間が競争する時代に入っている。分野によっては既に人間は機械にかなわない。将来機械にとってかわられる分野は増々ふえるだろう。人間の心理が追い付かない不安を感じる。車の自動運転は身近で差し迫った例である。

 

 警察庁は自動運転に対応する道路道交法改正案をつくり、近く通常国会に提出するといわれる。自動運転はレベルゼロから5まであり、改正案は2020年の実用化を目指すもので「レベル3」に対応するものである。それは高速道路などに限ってシステムによる運転になるという。

 

 自動車業界は完全自動運転の開発にしのぎを削っている。現在高齢者の運転が大きな社会問題になっており、免許証の返上現象が続いている。児童運転の問題は高齢社会が抱える難問を解決する一つのカギになるかも知れない。

 

◇昨日(22日)、群馬県日中友好協会の新春パーティが前橋市内のホテルで行われた。会が始まる前、中国大使館の代表と話したが最近の中国情勢が聞けて面白かった。私は会長として米中の対立と日本の役割について語った。中国の躍進ぶりには目を見張るが、その象徴が最近の月の裏側へのロケット着陸だろう。米国は「ナンバー1」が脅かされることに現実の恐怖感を抱いたに違いない。日本の役割は極めて大きい。私たちは中国大使館の庭に「友好の絆」の碑を建てたが真の友好の意味が問われる。(読者に感謝)

 

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2019年1月22日 (火)

人生意気に感ず「自殺、刑法犯の減少。特殊詐欺の状況」

 

◇日本における最近の顕著な事実として自殺者が減り、刑法犯の認知件数も減っている。日本は豊かで安全な国なのに自殺が多いという不思議な現象が続いていた。長いこと年間自殺者数は3万人を超えた。ピーク時の1998年は3万2863人で、これは驚くべき数字であった。ところが最近は減少を続け、3万人を切ったことが報じられた。

 

 自殺白書によると刑法犯の認知件数も減り、17年のその数は戦後最少を記録した。自殺者及び刑法犯の減少は何を物語るのか。日本が良い国に向かっていると喜んでいいのか私は戸惑っている。

 

◇犯罪白書が示す数字で注目すべきことは高齢者の再犯率が高まっている事実である。全体の再犯率は48.7%で過去最悪である。中でも70歳以上の高齢者の再犯率は1998年の7倍であるという。これは悲しい数字である。背景には家族の絆が薄くなった等の冷たい現実があるに違いない。頼る家族がないことから万引きなどの窃盗を繰り返す。出所しても仕事がないから又繰り返してしまう。超高齢社会が進む中で、高齢者を取り巻く環境は増々厳しくなっている。高齢者を社会で孤立させないための国の施策が求められている。国は再犯防止のために「協力雇用主」の確保に力を入れているが実績が上がらないようだ。日本は豊かな社会に違いないが、表面だけでなく真に豊かな社会でなければならない。真に豊かな社会とは弱者が住み良い社会である。間もなく新元号が発表されるが、新元号は弱者を優しく包み込むイメージを感じさせるものがよい。

 

◇犯罪は時の社会状況の中でそれを反映して生じる。その意味で注目すべきはオレオレ詐欺などの特殊詐欺及び最近の危険運転に関する犯罪である。オレオレ詐欺が始まってから久しい。一向に減らないのは驚くべきことだ。高齢社会に於いて人間心理を巧みに衝いた手口は増々巧妙化し日常化している。金を持っている高齢者がターゲットにされていることも特徴である。犯罪組織に関わる若者には罪の意識も感じないようだ。あおり運転が目立ち厳罰が科されることが目立っている。高速交通時代の犯罪である。多くの国民が苛立っていることの反映ともいえるのか。法律は常に後追いである。厳しく取り締まらないと社会が崩れていく。新時代の到来に際し世界一安全安心な国つくりのために力を合わせる時代が来た。(読者に感謝)

 

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2019年1月21日 (月)

人生意気に感ず「ゴーンの包囲網は狭まる。日航の信じられない安全管理」

 

◇カルロス・ゴーンの形勢が悪化しているようだ。ある著名な評論家が最近、ゴーンに関して「いずれ蜂の一刺し級の証言が出てみっともない醜態をさらして終わるだろう」と注目すべき発言をしていた。蜂の一刺しとは、田中角栄裁判において、田中有利を支える証言を覆した衝撃の証言を指す。

 

 会社を私物化したと見られる不正が次々に明らかにされゴーンが窮地に立たされている状況は先の評論家の発言が現実化しつつあることを物語るようだ。フランスに於ける同情論及び政府見解も一変しているらしい。ゴーン解任に慎重だった仏政府も解任に向けて動き出した。

 

 日産は日本を代表する世界企業である。ゴーンの不正を許した日産の責任も重い。自動車業界は100年に1度の変革期にあると言われる。ゴーンの事件は変革期を乗り切る企業が直面する困難を物語る。日本の企業の中には同種の問題を抱えて肝を冷やしている所もあるのではないか。物づくり立国日本が試練に直面しているといえる。

 

◇日航の社長が記者会見で「多大な迷惑をかけ信頼を失墜させたことを深くお詫び申し上げる」と謝罪した。航空機の飲酒運転など想像もしていなかったことである。昨年11月、ロンドン発羽田行きの日航の副操縦士が大量飲酒で英国で逮捕されたことを知って、私は愕然とした。あの1985年の御巣鷹の大惨事を思う時、同じ日航のパイロットが飲酒運転とは何たることか。このようなことが日常的に行われていたと思われても仕方がない。ぞっとする。日航社長は、安全に対する組織風土を改めるため社長をトップとする社内検証委員会を設置した。石井国交大臣は、飲酒について再発防止の実施状況を確認するため今後日航を含む国内航空各社に立ち入り検査することを明らかにした。空の安全に関し、世界の信頼を取り戻さねばならない。空の事故は一瞬で多くの命を奪う。世界の観光客が日本に押し寄せる時代である。世界の人々は日本は安全の国と思っている。その期待を裏切ってはならない。慣れ程恐ろしいものはない。航空機の操縦士は空の運転を自転車に乗るくらいの感覚でいるのかもしれない。一般人が抱く空の恐怖を原点として認識するところから出発すべきである。あの事故の時日航社員は正座して棺に顔を入れて誤ったと報じられた。もう飛行機に乗らないというメモもあった。(読者に感謝)

 

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小説「死の川を越えて」第159話

 

 木檜の視線は万場老人の傍らに座るこずえに注がれた。その姿からこのハンセン病の集落には異質なものを感じていたのであった。それと察した森川が言った。

 

「こずえさんといいまして、下の集落に住む娘さんで、万場さんの縁の者です。この生生塾では助手を務めておるそうで、子どもたちにもお母さんにも人気のある美人先生なのです」

 

「ほほう。わしも入塾したくなりました。わっはっは」

 

 木檜泰山は豪快に笑った。万場老人は、森山から反骨の闘将と聞かされていたこの代議士の本質を垣間見る思いで、その横顔を眺めていた。

 

 堅い空気は和んで話は弾んだ。正助はシベリアの不思議な経験を話した。森山抱月はこずえの母お品、そしてその双子の妹お藤のことにも触れた。さやは、京都帝国大学を訪ね学者先生からハンセン病は遺伝病ではない、また感染力も非常に弱いと聞かされて正太郎を産んだことを話した。

 

 じっと耳を傾けていた木檜泰山は姿勢を正して言った。

 

「いや、感激しました。皆さん、お一人お一人に熱い人生の物語があるのを知りました。皆さんから今日お話を聞けたことを、この木檜、決して無駄にしないことを約束します。それから万場先生、この湯川生生塾は素晴らしい。世はすっかり公教育の時代となったが、学問の原点は国の権力と離れた所にあるべき。学問の真の目的は生きる力。それは個人の心の問題です。だとすれば、権力は心を支配すべきではない。これは私の信念です。だから、こういう私塾の存在の意味は大きい。湯の沢は差別された社会だから特別であるが、一般社会でも公教育一色は良くないと思う。私も塾生の1人に加えて欲しい」

 

 木檜代議士がこう言いながら森山抱月を見ると、自分もという表情で頷いた。

 

「有り難いことじゃが、御冗談でございましょう」

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています

 

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2019年1月19日 (土)

小説「死の川を越えて」第158話

 

 木檜泰山は笑い声によって、その場の緊張をほぐそうと試みていることが人々には分かった。演技は上手くなかったが、その気遣いが人々に伝わり雰囲気を和らげていた。

 

「それでは、私から皆さんを紹介致します。改めて、この方が万場軍兵衛さんで、私の古い友人です」

 

森山抱月の言葉に万場老人は深く頭を下げた。

 

「お噂はかねて聞いていました。あなたのことは局長も、内務省の先輩だと申しております。これを機にご指導願いたい」

 

「そのような過分なお言葉、誠に恐縮です。先生の帝国議会のご発言には、湯の沢集落と我等を思う熱い気持ちがあふれておりました」

 

「おお、読んでくれたのですね。あなたに、そのように受け止めてもらえたことは感激です。思うようにはいかぬ問題ですが、私の発言を今後に生かす責任を深く感じています。あなたの今の言葉で自信をもつことが出来ました」

 

「有り難いことでござる。先生のご発言と牛川知事の請願文は、この生生塾でも勉強致しましたぞ」

 

「何と、それは素晴らしいこと。そのような天下の大事を論じるとは、誠にかの松下村塾を思わせる。ところで、森山さんが申していた県議会へ出向いた人々はどなたですかな」

 

 木檜代議士の言葉に正助が顔を上げた。

 

「私が下村正助です。これが女房のさや、そして息子の正太郎でございます」

 

 この言葉に、後ろにいた正太郎は、両親の肩の間から頭を上げにっこりと笑顔を向けた。

 

「ははー。君のことだな。森山先生から聞きましたぞ。ヒゲの先生たちを少しも恐れず元気に名前が言えたというね。こういう勇気のある若者をこの生生塾で大きくまっすぐに伸ばして下さい。この湯の沢のため、また、天下のために、万場先生よろしくお願いしますよ」

 

「はい、微力な私ですが、社会に対する最後の御奉公と考えております。厳しい道を覚悟するために湯川の文字を上につけたのでございます」

 

「なるほど、なるほど、その通りです。鉄をも溶かす世界一厳しい水の流れを社会の不正義に対する怒りと捉えるのですね。わしら政治家こそ第一に忘れてならぬことです」

 

 木檜代議士は森川県議と顔を見合わせて頷くのであった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2019年1月18日 (金)

人生意気に感ず「平成の二大地震からの教訓。ボランティア元年とは。ハンセンの会議」

 

◇平成の最大の災害は阪神大震災と東日本大震災である。阪神大震災は1995年1月17日に起きた。あれから早くも24年が経った。この2つの大震災はこれから本格化する巨大災害の序曲と考えねばならない。確実に近づく首都直下及び南海トラフの大震災。火山活動も活発化しており、何が起こるか分からない。今なすべき最も重要なことは2つの大震災が引き出した教訓を最大限に活かすことである。

 

◇私の書斎には、重要資料のマークをつけた一冊の白書がある。平成12年度、経済企画庁が出した「国民生活白書」で、副題が「ボランティアが深める好縁」となっている。阪神大震災に関して出された特集ともいうべき内容で、この災害に於けるボランティアに関して生じた出来事が記されている。当時の経済企画庁長官は堺屋太一であった。

 

 阪神大震災について驚くべきことは、一年間に延べ120万人ものボランティアが参加したことであった。他人のことに、そして社会のことに無関心と思われていた多くの若者が手弁当で救援に駆け付けたことは日本のみならず世界の注目を集めた。そしてこの震災の年は「ボランティア元年」とされ、3年後(98年3月)にはNPO法が制定された。これは、社会貢献のためのボランティア活動が組織的に行われ効果を上げるために容易に法人格を与えることを目的とするもの。営利活動に法人格を与える道には会社設立があり簡単に出来るが、非営利活動が法人格を取得することは極めて難しい。それに新分野を開いたのがこの通称NPO法(正確には特定非営利活動法人法)であった。私も県会議員の時代に早速NPO法人「情報バンク」を作った。

 

◇ぎすぎすした社会が進んでいる。皆、豊かな社会に慣れきって欲望を求めることに夢中になり精神の荒廃が広がっている。しかし、阪神大震災の時のボランティアの状況を見ると、国民の精神の奥には脈々と流れている地下水脈があることを感じる。大災害の時代の入口にあって、現在最も教訓とすべき点はここにあるのではなかろうか。

 

◇17日、草津楽泉園で第三回「人権の碑」建設委員会が開かれた。年内完成をめざして碑文の確認、碑の石の購入とその費用の検討等、細々と議論された。ハンセンの元患者自治会会長藤田三四郎さんは、耳が遠く目が不自由にも拘わらず職員のサポートを得ながら要所要所で的確な決断を下した。92歳の体から衰えぬ迫力を感じた。(読者に感謝)

 

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2019年1月17日 (木)

人生意気に感ず「稀勢の里の涙。小鴨の前を巨大ヘビが。がんの時代」

 

◇稀勢の里の赤ん坊のような顔に光る涙を見た。そして言葉を詰まらせながら語った。「練習ではこれ以上できないというところまでやった」。その後の笑顔は無邪気な幼児のように

 

可愛かった。それは重圧の苦しみから解放された表情であった。

 

 私は初日から3日間の相撲を見ることができなかった。というより見る気にならなかった。「恥を知れ」と心で叫んだことも何度かあった。唯一人の日本人横綱に対する強い期待の裏返しの感情といえた。国技と言いながら「外国技」ともいうべき現状に対する怒りがあった。

 

 稀勢の里は横綱として十分な使命を果たせなかった悔しさと経験を今後の親方として活かすに違いない。私は稀勢の里の涙を見ながらそう思った。

 

◇15日、県庁ホールの写真展で凄いのを見た。三羽の小鴨の前を巨大なヘビが過ぎていく光景である。題には「お先に失礼」とある。ヘビは周囲との比較から2メートルを優に超えるようだ。赤いまだら模様からヤマカカシではなかろうか。小鴨の側には母鴨もいてヘビに怯える風もなくのどかな様子である。私はヘビが大嫌いなのだが強い興味がある。ヘビは空腹でなく鴨の親子にはそれが分かるのか、自然界の妙を感じる。直前の水面を過ぎるヘビの顔も心なしか優しく見える。

 

 偶然撮影者を知り電話をしてみた。この方の話では小鴨を撮ろうとカメラを構えていたら大きなヘビが横切り出した、長さは写真に納まらない尻尾の部分もあるのでもっと長いということだった。ヤマカカシは猛毒を持ち、時には青大将より巨大化するという。大蛇の伝説は至る所にあるが、最近ヘビが少なくなった。彼らが暮らせる環境が少なくなっているのであろう。この巨大ヤマカカシを見て、彼らの一族が生存しているのかと想像を巡らせた。どこの水面かは敢えて訊かなかった。その場面も含めて想像の世界を大事にしたい。

 

◇ガンの時代が進む。厚労省は2016年にガンと診断された人は99.5万人と発表した。部位別最多は大腸がんで、胃・肺・乳房・前立腺と続く。全ての病院でのガン登録が義務化されたことにより実態が正確に把握されるようになった。それにしても3人に1人がガン死するという恐怖が窺える。人生100年の時代が実現に近づく中で、ガンの攻勢も力を増しているのだ。内なる敵に挑戦しなければならない。(読者に感謝)

 

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2019年1月16日 (水)

人生意気に感ず「北方領土は還るか。強制抑留、鳩山一郎、国交回復。前橋は無投票か」

 

◇北方4島が本当に還ってくるのだろうか。情況が大きく動き始めたのは事実だが、その成果に関してはにわかに信じ難い。歯舞、色丹、国後、択捉の4島なのか歯舞、色丹の2島なのか。日ソ共同宣言で引き渡すことを明記しているのは歯舞、色丹の2島である。

 

◇私は平成17年に上毛新聞社から「望郷の叫び」を出した。シベリア強制抑留地を元抑留者と共に訪ね、過酷な実態を取材したものである。この中で、瀬島龍三や石田三郎等長期抑留者が日ソ共同宣言による国交回復によって帰国できたことを取り上げた。当時の鳩山一郎首相が自らモスクワに乗り込んで結んだ文書である。この宣言の中で「平和条約締結後に歯舞、色丹を現実に引き渡す」こと及び「日本人抑留者を帰国させること」が書かれていた。平和条約は実現できないまま今日に至っているが、国交回復後は両国の議会で承認が得られ、ソ連は直ちに動き最後の抑留者の帰国が実現した。私には北方4島も、最後の抑留者ではないかという思いがある。

 

 日本人抑留者は奴隷のように従順で卑屈だと言われたが、最後にサムライとしての意地を示したのがハバロフスク事件であった。私は石田三郎を中心とした決死の、そして見事な抵抗ぶりを描いた。この事件の終決は昭和31年3月であり、日ソ共同宣言の調印はこの年10月であった。

 

◇日本の国民感情が最も悪い国はロシアである。その主な原因はシベリア強制抑留である。安倍首相は戦後外交の総決算と言っている。ソ連はしたたかで恐い国である。人道上の観点からは動かない。冷たい計算で動く国である。シベリアの開発及び当面の行き詰ったロシアの問題の解決にはどうしても日本の協力が必要だと踏んでいるのだ。日本が全面的に協力するには、平和条約を結ばねばならない。プーチンの強力な独裁権力が重い扉を開かせる可能性をもっている。日本の歴史、そして世界の歴史の大きな歯車が回ろうとしている。ラブロフ外相と河野外相が14日に会談した。これを踏まえて安倍首相とプーチン大統領が22日に首脳会談を行う。息を呑む瞬間なのだ。

 

◇昨日(15日)、久しぶりに県議会の自民党控室を訪ねた。団会議が終わった後らしくほとんどの議員が顔を揃えていた。温かく迎えられたが、県議選が近づく中で、前橋・高崎も無風らしいと知って驚いた。民主主義の危機を緊張感のない控室の空気から感じた。(読者に感謝)

 

 

 

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2019年1月15日 (火)

人生意気に感ず「ゴーン被告の運命は。東京地検の自信。新成人の行方」

 

 

◇ゴーン被告が特別背任で東京地裁に追起訴された。庶民から見れば途方もない額を不正に着服したという容疑である。株式会社は株主のものであり、極めて社会的な存在である。だとすれば株主総会はなぜここに至るまで放置したかと問いたくなる。それに対する答えはこうだ。会社を追及する手段は有価証券報告書であるが、それに虚偽の記載がなされていたために株主も投資家も騙されてしまったということだ。

 

 

 

 企業はグローバル化しているから、虚偽記載の責任は極めて重大である。が拘置長期化していることもあり、海外では日本の捜査に関して批判も起きている。東京地検は記者会見で「有罪を得られると判断している」と自信を見せている。特捜部の自信を支えているのは新しく導入された司法取引である。日産内部でゴーンに仕えた人物が秘密を暴露しているのだ。これから次々に驚くべき事実が白日の下に晒されていくに違いない。

 

 

 

◇今回追起訴の理由となっている特別背任罪のポイントは、任務に反して会社に損害を与えたか否かである。ゴーン被告は関係部署の承認を得た支出であり会社に損害は与えていないと、闘う姿勢を示している。日産側は「承認は得ていない。全く支出の必要のない金だった」と証言している。これも司法取引に基づく証言に違いない。恐らくこのような証言がまだまだあるのだろう。

 

 

 

◇日産は、ゴーン容疑者を特別背任容疑で東京地検に刑事告訴した。そして「到底容認できないものである。厳重な処罰を求める」とのコメントを発表した。猛獣のようなゴーンの容貌が長い裁判闘争の過程でどう変化するか興味が湧く。

 

 

 

◇13日、県内多くの市町村で平成最後の成人式が開かれた。報じられる彼らの表情にははじけるような若さが輝いている。しかし、私は自分の成人式を振り返り、その後の人生を考えながら彼らの行く手に何が待ち構えるのかと思いぞっとなった。天にも地にも未曽有の困難があることは間違いない。新成人にはそれに立ち向かうハングリー精神を期待することは出来ない。東日本大震災及びその中で起きた原発事故は彼らに大きな課題を突きつけている。福島県飯館で原発事故に遭遇した当時小学6年生だった若者のことが報じられた。大変な青春である。全国の新成人が福島のこの悲劇を共有することが求められている。若さを活かして。(読者に感謝)

 

 

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2019年1月14日 (月)

小説「死の川を越えて」第157話

「ごめんください」

 従者が声をかけると、すかさず中から女の声があった。

「はーい。お待ち申しておりました。木檜様でございますね」

 にっこり笑って迎え入れたのはこずえである。中には数人の人々の姿があった。

「御苦労様です。目立つので出迎えは敢えて致しませんでした。どうぞ」

 一歩入ったところで出迎えた森山が言った。

「おお、森山君、しばらくですな。この度はお世話になります」

 木檜泰山はそう言いながら、はっとした表情で、岩のような老人の姿を見た。紛れもなくその人と認め代議士は深く頭を下げた。

「万場軍兵衛さんですね。木檜です。地元でありながら初めてお目にかかります。湯川の流れを聞き、あなたの前に立って、ここに我が国の大きな問題が凝縮していることを感じます」

 万場老人は深く頷いた。

 木檜泰山は老人が背にした書物の山を見ながら更に言った。

「入口に湯川生生塾とありました。現代の松下村塾ですね。恐れ入りました」

 そして、改めて人々に向かって口を開いた。

「こんにちは。私は、原町から出ている国会議員の木檜泰山と申します。以前は、森山先生と一緒に群馬県議会におったこともあります。湯の沢集落の真実を知るために参りました。ここには、人間の尊厳、人間の自由平等の問題があるので、ことは重大です。

 この集落の移転問題が国会で持ち上がっています。私も考えがあって発言しています。しかし、今日は、難しい問題を議論するのが目的ではない。この集落の真の姿、皆さんのことを知ることが目的です。この集落の実態を肌で知らねば、政策の議論も地に足がつかぬものになる。発言にも魂が入らぬものになる。これから重大な局面に入るので、このことを痛感するのです。いや、つい難しい話をしてしまったが、どうか固くならんで欲しいのです。私は普通の人間、一上州人ですから。は、は、は」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年1月13日 (日)

小説「死の川を越えて」第156話

 

「そして、今度は、私との話になりました。御承知のように、木檜さんと私はかつて県議会で一緒であったが、正太郎君が県議会に来て、元気に自分の名を答えたのは大正十一年であった。この時、木檜さんは、国会議員になっていて、県議会には既におられなかった。そこで、私があの時のことを説明すると大変興味を示しておられた」

 

「ところで、どうやってお会いすることになりますかの」

 

「木檜さんはここがよいと申しておる」

 

 森川抱次はいとも簡単に言ってのけた。

 

「まさか。このような所に天下の国会議員が。山田屋あたりがいいでしょう」

 

 万場老人は、有り得ないだろうという顔で言った。

 

「いや、国会議員であるだけに、今回は山田屋は人目につき良くないのです。ここがいいというのは木檜さんの思い入れです。集落の実態を肌で感じ取りたいという決意なのです。あの人は私とは政治の同志ですが、反権力、そして、反骨の闘志、人間の平等とか自由とかについて、信念をもっておる。万場さん、会えばきっとあなたと通じるものがあると信じますぞ」

 

 万場老人は、森山の目を正視して深く頷いた。

 

 約束の日が近づいた時、森山から手紙が届いた。それには、希望を受け入れてくれたことに代議士は感謝し、県議会に出席した下村正助一家、特に、正太郎君にも会いたがっている。それはハンセンの集落で元気に生きる子どもの姿には重要な意味があると考えているからだとあった。

 

 その日がやってきた。秋の日の午後であった。湯川に沿った細い道を二人の男が一定の前後の間隔をとって歩いている。後の男には、身なりは質素だが、鋭い眼光と共にどこかあたりを払う威風が感じられた。この男が反骨の熱血漢と言われた木檜泰山であった。前を行く従者らしき男が立ち止り、後ろを振り返り、一方を指してここですと言った。木檜はゆっくり近づき、湯川生生塾の文字をじっと見て深く頷いた。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2019年1月12日 (土)

小説「死の川を越えて」第155話

 

「まあ、森山様」

 

「ほほー。突然来て、こずえさんに会えるとは。これで何度目かな。こう近くで見ると、お母さんのお品さんに生き写しじゃ。立派な姿にお母さんもあの世で喜んでおられよう」

 

 この時、こずえは、森山の前に正座して両手をついた。

 

「母が昔、森山様に大変お世話になったことをご隠居様からお聞き致しました。私がこの世でこうしておられるのも、森山様のお陰と知りました。本当にありがとうございました」

 

 こずえの白い手に涙が光って落ちた。

 

「万場さんからそれを聞きましたか。お品さんも、あなたも大変な人生。人の縁は不思議です。ここには万場さんがおられるから安心しておりますぞ」

 

 この時、万場老人が大きな声で言った。

 

「こずえは、この塾の立派な先生を務めております。わしよりも、こずえに人気がある」

 

「は、は、は。それはそうであろう。いや、立派。頑張って下さい。ところで、万場さん、今日は大事な要件で参上しました。秘密を要することはここが一番ですな」

 

「何事ですか」

 

「木檜泰山代議士が秘かに会いたいと申しております」

 

「例の件ですな」

 

「そうです。この湯の沢集落のことは、山田という衛生局長が代議士に説明したと申す。木檜さんはご自分の地元のことで、初耳のことも含まれていて驚いたらしい。もっとも、山田局長は、委員会の答弁で、委員会に備えて、湯の沢集落の実態を部下に調べさせたこと、部下の報告では、住民が自治をつくって助け合っていること、それを見て部下は他に例がないと感動したことまで答えたそうです。これは、地元の木檜さんを立てる意味もあったであろうが、事実なので木檜さんは大いに面目を施したそうです」

 

「森山さん、その局長の部下が、西村数馬氏と申す課長で、この湯の沢に来て、我等と親しく話し合った人物ですぞ」

 

「その通り、わしもあの時山田屋にいて、あの課長と話して、威張らない誠意ある人物であると感銘を受けましたのでよく覚えております。その続きが大切なのですぞ。木檜さんは、その部下に会いたいと言いだし、衛生局長を通じて呼び出し、国会内で西村課長と会ったのです。そしてこの課長からあの時の様子を詳しく聞いたのだ。万場さんのこと、正助君や正太郎坊やのことまでな」

 

「ほほう。意外な展開ですな。わしのことはともかく、正太郎君が帝国議会で話題になるとは」

 

 万場老人は驚いたように言った。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2019年1月11日 (金)

人生意気に感ず「ゴーンの運命は。日本の司法は甘くない。ips細胞と免疫力」

 

◇毎日ゴーンのことが新聞で報じられないことはない。ゴーンとはそうとう強かな男という印象を受ける。世紀の怪物が東京地検という法網にかかった。これから起訴され、長い本格的な闘いが続く。ゴーンを擁護するかのような外国メディアの報道、同情を誘うような身内の話も伝わるが、それらは全て根拠のないことと思われる。

 

 最高の弁護団を準備して反逆するのだろう。その様はかつての田中角栄の裁判を思わせる。力のない被告は簡単に有罪を宣告され、力ある者は罪を免れるような不公平はあってはならない。「地獄の沙汰も金次第」という諺があるが「司法の沙汰も金次第」は許してはならないことだ。東京地裁は周到に準備を重ねてゴーン逮捕に踏み切ったことは、その後次々に驚くべき事実が明らかになったことからも窺える。東京地裁の自信を支えるものは、法律が変わって司法取引が正式に認められるようになったことに違いない。

 

 ゴーン事件の教訓には世界中が注目している。日本の司法は厳正であること、日本は犯罪に甘くない国であることを示さねばならない。「天網恢恢疎にして漏らさず」をこの国際化時代に於いて世界に示さねばならない。

 

◇人のips細胞から免疫細胞を作りガン治療を行う治験が年内にも始まるという。2人に1人がガンに罹り3人に1人がガンで死ぬ時代。世は正にガンの時代になった。ガンの襲来に対して人間がいかに戦うか。それは新たな戦国時代のようだ。戦いの武器は科学の力である。最も有力な武器の一つがips細胞戦略だろう。

 

 先にこのブログにも書いたことはパーキンソン病治療にips細胞を使う京都大の試みであった。今回報じられているのは、ips細胞から特殊な免疫細胞をつくる方法である。免疫力を高めてガン細胞の縮小を目指すのだという。細かいメカニズムは別にして、免疫力を高める治療法というのは非常に説得力があると思われる。ガンを発症する人しない人、発症しても治ってしまう人など不思議な現象は限りないが、人間の体内に持つ病気と闘う力、つまり免疫力と関係するのではないか。その免疫力を最先端の科学力で高めてガンを克服するというのだ。30数年前ガンで死を前にした妻に免疫力を高めるために必死で精神療法を試みた自分を思い出す。(読者に感謝)

 

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2019年1月10日 (木)

人生意気に感ず「世界の潮流はどこへ。その中で日本は。日本の課題は」

 

◇新しい元号の時代には何が待ち構えているのか。新年のスタートにあたり誰もが思うことである。世界の潮流は激しく動き、一時も休むことはない。私は日々、多くの外国人留学生に接するが彼らの動きは世界の変化を窺わせる。日本は彼らと共にある。日本はどこへ向かうのか。

 

 世界の大きな変化を象徴する最大の注目点は米中の存在である。世界の安定を支えてきたアメリカがその役割を変えた。アメリカ国民がトランプ大統領を選んだからだ。世界の安定は音をたてて崩れようとしている。強固な同盟関係にある日本はどこまでアメリカと運命を伴にするのか。

 

 一方で中国の躍進ぶりには目を見張る。農業国があっという間に世界の工場、世界の市場に変化した。一帯一路政策を掲げ、その勢いは世界を席巻するかの如くである。中国のこの勢いを象徴する出来事が月の裏側に探査機を着陸させたことである。米中の対立は今や宇宙にまで発展しつつある。

 

 このような米中の対立の間に立つのが日本である。そして、日本の役割は増々大きい。米中間に立って日本は世界の平和と発展にとってキャスティングボードもといえる影響力を行使し得る立場にある。日本は海洋国家である。近代日本は太平洋と共に発展してきた。太平洋を舞台にしてアメリカと戦い敗れたとはいえ、太平洋に対する影響力は衰えていない。中国は新たに海洋国家を目指しているがその実現には日本の協力が不可欠である。

 

◇アジアからアフリカに至る国々が一番信頼している国は日本だと言われる。私はアフリカのカメルーンにまで至る留学生に接する中で、そのことを肌で感じる。この信頼感を支えるものは日本国憲法である。アジア、アフリカの発展途上国はかつて西欧の国々によって植民地としての屈辱を受けた。日本も西欧と同様の道を歩もうとして失敗した。生れ変わった新生日本が立脚するのが日本国憲法なのだ。日本国憲法は近い将来改正されるだろう。しかし、現憲法の基本的姿は変わらない。

 

 日本はアメリカと組んで太平洋を守り、中国との絆を生かしてアメリカに対する自主独立を堅持すべきなのだ。

 

◇とはいえ、このような壮大な事業を行う主体は国民である。最大の問題は国民のパワーが落ちていることである。敗戦から立ち上がった時のハングリー精神を今こそ学ぶべきなのである。(読者に感謝)

 

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2019年1月 9日 (水)

人生意気に感ず「百歳になった亀作さん。上毛新聞の新年会。人種差別と肌の色」

 

◇昨日(8日)、夕方帰宅すると岩田亀作さんから貴重な郵便物が届いていた。ダンピール海峡とサラワケット越えの惨状が綴られている。魔の海を漂った恐怖と4千メートルを超えるサラワケットを踏破した事実が亀作さんの胸に甦っているのだろう。

 

 大正8年(1919)1月生まれの亀作さんはこの1月に満百歳を迎えた。便箋の末尾に「私の壮絶な事業を引き継いで下さい」とある。これは亀作さんが地域を行商しながら多くの人の仲人をしたことを指す。約25年間に11組の成婚を実現させた。「少子化防止のために」と私に訴えている。何回も死線を越えたこの人の誠意に若者たちは心を動かされたに違いない。

 

 残念ながら、今日このような世話をする人がいなくなった。亀作さんの新年のメッセージから並々ならぬものが伝わる。今月2日と3日の出来事が甦った。何かに動かされるようにして中嶋初江さんを見舞ったらその翌日他界されたことだ。初江さんは99歳に手が届く寸前だった。私は亀作さんに会おうと決意した。

 

◇8日、上毛新聞社の新年会に出た。今年の会場はマーキュリーホテルからグリーンドームにかわった。冒頭は新社長の内山充氏の挨拶である。内山さんは「新聞は誰のためか」と提起し「新聞は社会の公器、天下万民のため」と決意を語っていた。格調の高い挨拶だった。

 

 地方の時代と言われて久しい。民主主義の危機が叫ばれているが、民主主義を救う力は地方の充実から生まれる。地方紙の果たす役割は増々大きい。

 

◇今朝は平和の講義、第74回で「人種差別と平和」を語る。毎週水曜日の朝の平和の話。短時間だが濃いものをと心掛けている。差別は人間社会から永遠になくならないように見える。差別を生む要素は限りなく多いが、古代から絶えることがないのは肌の色による差別。特に白人の価値観が酷かったが、白を頂点として黒を最低に位置づけた。黒人を人間とみない場面すらあった。コロンブスの新大陸発見以降、アフリカの黒人を運ぶ奴隷貿易が本格化した。肌の色に基づく偏見は今日の私たちの中にもある。国際化の波の中で目を開かねばならない。

 

◇今月の「ふるさと未来塾」は26日(土)。群雄割拠の戦国時代の如き世界情勢を語るつもり。トランプ、習近平、プーチン、金正恩。その虚虚実実の権謀術数に振り回される日本の運命等。(読者に感謝)

 

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2019年1月 8日 (火)

人生意気に感ず「今年最初の驚き。中国の宇宙技術。象徴天皇と国民」

 

◇今年最初の大きな驚きは中国が月の裏側に無人探査機を着陸させたことである。中国の技術が遂にここまで来たこと及び、宇宙時代の新局面到来の衝撃である。

 

 私たちは遂最近まで、中国は農業社会だったというイメージをもっている。私も自転車の洪水のような光景を目にしたのはそれほど昔のことではない。中国の変化が驚く程速いのだ。これは独裁国家の一つの特色に違いない。トップの号令一下、新しい流れが出来てそれが怒涛のように動きだす。民主主義は多くの意見を調整して進める制度だから効率が悪いのである。問題は効率が全てなのかということだ。

 

 かつて効率第一の独裁主義の下で崩壊した国の例は枚挙にいとまがない程だ。その中には戦前の日本も含まれる。日本は歴史的教訓として新憲法によって民主主義の基盤を築いた。

 

 民主主義も万能ではない。それを支える主権者が進歩しなければ民主主義も危うい。中国は、中国の特色を活かした社会主義を進めると宣言し、その行方を世界が注目している。

 

 月の裏側に探査機を着陸させたことは中国の変化の象徴であろう。中国はもはや大きさだけの国ではない。今回の宇宙技術はハイテクの成果である。そのまま軍事力に通じるものだ。米中対立の時代を迎える中で、複雑な気持ちでこれを受け止めているのはトランプであろう。

 

◇平成最後の正月を迎えた。これを象徴する出来事が宮中への国民の参賀である。今年の国民の一般参賀は凄いものだ。天皇の生前退位が目前に迫り、生きた天皇に最後に会うという思いが国民の胸にあるに違いない。

 

 私は憲法の「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」を直ぐに思った。天皇は万感の思いで途方もない人の波を受け止めたのだろう。6回で打ち切りの筈の国民との対面を7回実施した。正にサプライズである。私は昭和20年8月の皇居前広場を思い出した。多くの国民が皇居に向かって手をつき頭を下げる光景は異様であった。外国では敗戦を責める国民が押し寄せるのが通例ともいえる。天皇の存在は、古来から国民の心にあった。天皇の象徴性は憲法によって作られたものではないのだ。どこかの国のように、権力によって動員されたのではなく、自由意志によって集まった民衆の姿を見て私はほっとした。(読者に感謝)

 

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2019年1月 7日 (月)

人生意気に感ず「一年のスタートに闘志が湧く」

 

◇週明けと共に新年の活動が本格化する。ざっと挙げると、7日弔辞、8日講演、9日講演といった具合。7日の弔辞は今年初めてのもの。先日のブログで書いた私の人生の原点に関わるもの。天国の94歳の女性に語りかける。私は時々弔辞をやる。中には予約済みのものもあって面白い。今日の弔辞は特別のものだ。今月二日に病院で面会し、三日の早朝亡くなった。私が山に入ってから74年が経つ。この人は天国で新しい元号を迎える。新元号の時代は未曽有の出来事が待ち構えていそうである。

 

 8日の講演は「生と死のフォーラム」というシリーズ。毎月1回行うもので、8日私は今年のトップバッターである。新聞連載の小説「死の川を越えて」が上下2巻で出版された。今回はそれを紙芝居の形で解説する。因みに、会場はロイヤルホテルで入場は無料。関心おありの方は是非ご参加頂きたい。この日、私は紙芝居おじさんに変身する。もっとも、21世紀の紙芝居として、プロジェクターやパソコン等の文明の利器を使った形で普段は行うが、8日は画家が描いた絵を使う。私の子ども時代、私が育った大手町では自転車のおじさんが町内をタイコをたたいて回り飴を売りながらやったものだ。そんな昔の場面を想像しながらやることを楽しみにしている。

 

 9日(水)の講演は毎週水曜日に行う平和の話で、今回は第74回である。日本アカデミーの職員を対象とするが、一般の人も参加している。これも紙芝居と言えないこともないが文明の利器を使ったスマートなもので、サポートする人も常時2人いる豪華版。若いマイちゃんはレジュメを準備し、中年のおじさん守谷さんは機械を扱うプロで、講演を撮影したものは世界に配信しているのだ。水曜の朝8時40分に始まる。短時間だが中味は濃い。今回は「人種差別と平和」がテーマ。一般の方にもご参加を勧めたい。

 

 ついでに、年の初めなのでコマーシャルに及ぶと、今月の「ふるさと未来塾」は26日土曜日午後6時半から前橋市日吉町の福祉会館である。20年も続いているがマンネリにしないように心掛けている。私のメッセージを発信する場であり、私自身の勉強の場になっている。振り返ると愚直という言葉が当てはまるかもしれない。ある意味で私の人生のマラソンでもある。今、新元号を目前にして新たな状況に走り込んでいくことを感じる。身内に力が湧き上がるのを感じる。挑戦の時である。(読者に感謝)

 

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2019年1月 6日 (日)

小説「死の川を越えて」第154話

 

「はい先生、よく分かります。朝鮮では凄い反日運動を見ましたし、シベリアでは本当に恐ろしい経験をしましたが、あれも学問に結びつけなければ正しく理解できないことが今、分かった気が致します」

 

「社会の変化は今後増々激しくなるに違いない。我々ハンセン病の患者は途方もない大波に見舞われるだろう。その中で、我々が生きぬくためには、力を合わさねばならない。力を合わせる絆が学問なのじゃ。学び、そして力を合わせることで、我々は力をつけ、小さな穴から抜け出せるに違いない。今日はわしの人生を振り返ったが、難しい理屈になってしまったわい」

 

 万場老人は一気に語り終えて、ほっとした表情であった。

 

 

 

二、木檜泰山と会う

 

 

 

 事態は思わぬ展開を示し始めていた。ある日、県議森山抱月が突然万場老人を訪ねた。

 

「ほほー、湯川生生塾ですか。現代の松下村塾ですな」

 

「いえ。そんな大それたものではありません、見た通りのわびしい寺子屋です。じゃがな森山さん、中味は光る塾ですぞ。この名の通り、厳しい湯川に負けない意気込みがござる。実は先日、森山さんが気にかけて下さった正太郎君は、この塾の優等生ですぞ」

 

「ほほー。県議会で元気に返事をした姿が目に浮かぶ。はて、確かリー女史の寺子屋で学んでいるという話であったがな」

 

「その通りです。リー先生と話し合って、正太郎は、両方で学んでおるのです。ここでは日本の心、リー先生の所では西洋のこともな」

 

「それは、それは。理想の姿ですな。和魂洋才と申す。日本の伝統の精神が忘れられようとしている。西洋の文化も必要。理想は2つの調和ですからな。大いに期待しますぞ」

 

 その時、足音が近づいて、こずえが姿を現した。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

 

 

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2019年1月 5日 (土)

小説「死の川を越えて」第153話

 

 万場老人は興奮冷めやらぬ中で、西村課長のことを思った。西村課長は、以前、その手紙で「子どもは将来を担う存在です。また、社会から一番差別される弱い立場にあります。ですから、自治の部落が子どもの教育にどう取り組んでいるか気にかかっています」と正直な気持ちを伝えてきた。これに答えねばならぬ、それは今後の布石にもなる。老人は、こう信じて筆を執った。その内容は、「湯川生生塾」を始めたこと、この塾の目的、ここで正太郎が真剣に学んでいること等であった。そして、最後に、次のことを付け加えた。

 

「母校のことを振り返りつつ、私の学問が天下のことに多少とも役立つことは感無量でございます。小さな小さな塾ですが、学問という光を通して、この塾が大きな世界につながっていることを信じております。かの松下村塾には遠く及びませんが、この特殊な環境で、小さな芽が少しずつ伸びることを秘かに夢みております。どうか遠くから見守り下さいますようお願い申し上げます」

 

 湯川生生塾を始めて一と月程経った時、万場老人は、こずえと正助を前にして言った。

 

「こずえは、さやさんと、以前、京都大学を訪ねて驚いておったな。小河原という学者に会って話を聞いたことで正太郎を産む決心をしたわけじゃった。不思議なことよのう。いや、不思議というのは学問の力のことじゃ」

 

 老人は目を閉じて何かを考えている風であった。

 

「わしは、帝国大学で学びながら、学問の意義を分からぬ間にこの年を迎えた。学問の力とか、学問の役割などが真に分かってきたのは、最近のこと。湯の沢集落のことで激しくハンセン病のことを考えるようになってからじゃ」

 

 老人は、そう言って、再び目を閉じた。そして、目を開くと意外なことを言った。

 

「時代が大きく変わろうとしている。我々の集落も変わろうとしている。それなのに、我々は小さな穴の中にはまり込んでいる。よしの髄から天井を覗くでは、我々は増々みじめになる。穴から出て世の中を見なくてはならぬ。この穴の出口、あるいは外の世界を見る窓といおうか、それが生生塾なのじゃ。知識と学問が心の世界を広げる。我々の眼を開く。正助は、朝鮮やシベリアを経験した。それは正しい知識と学問によって、広い世界を知る力になる。学問と行動は共に必要で、これを知行合一というのじゃ。このことの重要性をわしは反省と共に噛み締めておる。どうじゃ、正助、わしの言っていることが分かるであろう」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2019年1月 4日 (金)

人生意気に感ず「私の原点を知る人。風前の灯は昭和と平成を生きた炎。今年のマラソン」

 

◇私の人生の原点を知る唯一の人に2日に会った。予感に引かれるようにしてその人の家を訪ね、私は彼女が深刻な状態にあることを知った。間もなく94歳になるこの人は血を吐いて高崎の病院に運び込まれていた。顔が一回りも小さくなって別人に見える老婆は、私を見て「のりおさん」と直ぐに言った。興奮すると動脈瘤が破裂すると言われ、そっと言葉を交わした。正に風前の灯と思われた。手を重ねると温かかった。それは激動の昭和と平成を生き抜いた生命力に違いないと思われた。それは私の原点に通じる火でもあった。私は松明を受け継ぐ思いで、その温もりを確かめてそっと病室を後にした。

 

◇人の一生は環境によって大きく左右されるが、その環境が特別である場合その影響も特別である。私の場合、昭和20年の社会の激流の中で赤城山の開墾に入ったことが人生の方向に決定的な影響を与えた。もし終戦後、一家が山に入らなかったなら私の人生は全く違った流れになったことだろう。

 

 下の集落に移ってもランプの生活で貧しかった。鼻毛石の小学校の生活は楽しかったし、長い通学路は私の脚を鍛えた。豆ランプの下で母と本を読んだことは私の精神の糧となった。父には心臓ゼンソクの持病があり、町の生活に活路を求めて一家は元総社に移った。元総社では父の病気の悪化もあって、貧の極限とも思える状況を経験し、その中から私は前高の夜間部に進むのであった。

 

 初っちゃん(病床の老婆を私はこう呼んだ)の手を握ると、瞬時に私の半生の出来事が甦った。今年は新しい元号と共に私は79歳を迎えるが、私の血はまだ若い。老いとは何か。心が萎縮することだと思う。このことを警戒しながら人生の次なる高峰に挑む時がきた。

 

◇今年の正月は珍しくマラソンを熱くなって観戦した。ニューイヤー駅伝と箱根駅伝である。風を切って走るランナーの肌が光る。その背景には長いぎりぎりの試練の積み重ねがあるに違いない。私は自分のマラソンと重ねて選手の走りを見詰めた。私の場合は毎年の群馬マラソン10キロである。比べものにならないが、78歳の私が毎年10キロ完走を続けられるのは日常の積み重ねがあるからである。全力を尽くした選手たちの表情は爽やかである。その胸の中は走ることに死力を尽くした者でなければ分からない。走る若者の努力する姿を共有することこそ新年の大きな課題ではないか。(読者に感謝)

 

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2019年1月 3日 (木)

人生意気に感ず「人生の原点を訪ねる。老婆の手は昭和と平成の鼓動を伝えた」

 

◇思い切って、ある人を訪ねた。私の運命に関わる人と言っても過言ではない。急がねばというある種の予感があった。昭和15年生まれの私の人生の方向を決定付けた出来事は昭和20年に一家が赤城山の奥地に開墾に入ったことである。私は満5歳だった。それまでは前橋市の曲輪町(現大手町)に我が家はあった。戦争と敗戦が異常な事態であることは子ども心に分かっていた。前橋大空襲で炎を背にして逃げた。翌日の見渡す限りが廃墟と化した光景はこれが戦争なのだということを何よりも雄弁に語っていた。母は言った。「これからアメリカ軍がやってくると、もっと酷いことが起こるのよ」。様々な風評が飛び交っていたのだろう。我が家は生き延びる方法を求めて赤城山の山中に逃れたのだった。私は、終戦前にある衝撃的な場面を目撃した。それは二人のおじさんがネズミを串に刺して焼いて食べている姿だった。母が言う「もっと酷いこと」とは食料難のことだと思った。しかし、大人たちが恐れていたことは別次元の地獄であったに違いない。

 

 開墾に入った所は人家から遠く離れた山中で、我が家が掘立小屋を造った場所は深い谷のどん詰まりだった。このあたりに私たちより前から住んでいた家が3軒あった。そのうちの一軒では一家が米俵にもぐって寝ていた。それはこれからの山の生活が並々ならぬことを幼心に突きつける衝撃の姿と映った。

 

 我が家は一年位で開墾を諦めて下の集落に移り、3軒の人々もその後はそこに住まなくなったが、そのうちの一軒は近くで牧場を行った関係で、私は後年政治家になってからも時々この家を訪ね私の幼少時を知るお婆さんと昔を懐かしく語り合った。平成最後の年となり、昔の我が家の開墾のことを知る人はこのNさん唯一人になっていた。

 

 「お婆さんは?」「血を出して入院した。今、K病院に居る。危ないよ」。外国から来た嫁さんは語った。もう少しで94歳になるという。そこに中学3年生という男の子が現われた。しっかり勉強しており成績も良いという。私は昔の私の姿と重ねた。私はすぐ高崎市の病院に飛んだ。ICU室で顔もすっかり小さくなり別人のようなNさんは、私を一目見ると「のりおさん」と分かってくれた。Nさんは私が訊ねるままにあの山中のことを語ってくれた。忘却の彼方に薄れようとしていたことが甦ってきた。Nさんの手は温かかった。それは昭和と平成の時代の鼓動を伝えていた。(読者に感謝)

 

 

 

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2019年1月 2日 (水)

人生意気に感ず「元日の朝を走る。今年の日本と世界は。米中の行方は」

 

◇朝日と共に新年が始まった。「元旦や初日の中を初走り」。7時、いつものようにいつものコースを走った。11月3日の群馬マラソン10キロを想像しながら走った。今年はその時、私は79歳を迎えている。走ることは私にとって生きることの証。大地を踏みしめると大地から私の胸に刺激が伝わる。大地との対話である。

 

 今年もブログを続ける。ブログは私にとって大地の一部。大切な対話の広場でもある。

 

◇今年は平成が終わる年である。新しい扉の向こうに何があるのかわからない。世界は一体化しているから日本国内の状況はただちに世界の流れの影響を受ける。世界の流れで特筆すべきことは米中の対立である。そして日本の差し迫った状況として、人口減少、超高齢化、人手不足など様々なものがあるが、私は日本人の心の問題に深刻な危機を覚える。享楽の中で物欲に走り、自分本位で社会公共のために尽くすことを考える人は少なくなった。礼節の国は消えて外国人に礼節を教えられる時代が来るかも知れない。

 

◇トランプ大統領の出現と共に、世界が大きく変わりつつある。かつて米ソの対立があったが、今、米中の対立が始まった。トランプが掲げるアメリカ第一はアメリカの理想、つまり民主主義を危うくしているように見える。米中関係で安定した姿は実現するのだろうか。このことに関して日本の役割は極めて重要である。なぜなら日本は日米同盟で結ばれながら中国とは切っても切れない極めて重要な絆で結ばれているからだ。米中の戦略的に安定した関係を築くために米中双方が日本を必要としている。日本は、両国に言うべきことを言わねばならない。それは対米追従では果たせない。

 

 中国の行き過ぎにブレーキをかけられるのは日本だけだと思う。中国の覇権主義に世界が危機感を抱いている。特にアジア、アフリカの発展途上国はそうだ。日本は日中友好の基盤に立って中国の誤りを正すための役割を果たすべきだ。私は群馬県日中友好協会会長としてこのことを確信する。昨年、中国大使館の庭に立派な五葉松を植え、その前に石碑を建てた。石には「友情を絆に」と刻んだ。文は私が作り文字は福田元総理のものである。昨年、ブッシュの国葬に福田さんが特使として出席したことには日中の歴史を重視する意志をアメリカに伝えるメッセージが込められていたに違いない。(読者に感謝)

 

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2019年1月 1日 (火)

新年あけましておめでとうございます。

 

歴史の大転換点に立ちました。大きな潮流が目の前でうねっております。人生100年時代の大きな一歩が始まります。外国人との共生の動きも本格化するでしょう。東京五輪・パラリンピックも目前です。

 

 私は、今年も走り続けます。「ふるさと未来塾」にも新たな息吹を注いでいきます。「へいわ845」も一層の進化を遂げるよう努力します。

 

 世界の潮流が日本に押し寄せます。米中の対立は恒常化するに違いありません。眠りから醒めた巨龍・中国の躍進は止まることなく続くでしょう。米中の間に立つ日本の役割は増々重要です。このような状況下、私は群馬県日中友好協会会長として、微力を尽くす決意です。

 

 ブログは皆様との絆を築く大切な手段なので、今年もしっかりと続けます。また今年の課題として、「田中正造」に魂を注ぐこととノーベル賞受賞のマララさんを前橋市に招くことがあります。マララさんの件は、昨年末松井広島市長に会いその協力を取り付け、また山本前橋市長の協力を得ながら前進させております。

 

 逆巻く怒涛の中で懸命に泳ぐ私にとって皆様との絆は命綱であります。

 

 皆様御一人御一人の御多幸を祈念致します。

 

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