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2018年12月16日 (日)

小説「死の川を越えて」第146話

 

「まあ、素晴らしいことですわ。この湯川も先生なのね。私もお手伝い出来るのかしら」

 

「おお、出来るとも、お前は助手じゃ。お前は字が上手。読み書きを教えねばならぬからな。教えることは自分にとっても勉強なのだ。頼むぞ」

 

 こずえには、万場老人の熱いものが伝わってくるのが感じられた。

 

 万場老人は、湯川生生塾の看板を改めてじっと見詰めた。目を移すと湯川が音を立て激しく流れている。岩に砕ける白波が見えた。老人は湯川の光景を見ながら、自分の学問の人生に思いを馳せていたのだ。東京帝大を出て一族からも世間からも嘱望された人生の筈だった。昔の仲間とは一切の連絡を絶ったが、彼らは皆、輝かしい栄達の道を歩んだ筈だ。自分は地獄に落ちた。この醜い姿は何事かと世を怨んで、この湯川に身を投げようと思ったこともあった。それを踏み止めさせたのは何かと自問した時、答えは学問だと気付いた。

 

 追い詰められた時、自分に示唆を与えたもの、そして自分の心に勇気を与えたものは折に触れて読んだ文学であり、歴史であり、大学の講義であり、その他学問生活の中で積み重ねたものであった。自分にとって救いになった学問なら他の患者にも力になるに違いない。

 

 自分の学問を同病の人のために役立てねばならない。万場老人はそう決意したのである。

 

 リー女史の寺小屋に通える子どもは限られていた。湯の沢集落に住人の数が増えるにつれ、子どもの数も増えていた。世の流れはとうに寺子屋の時代ではなくなっていた。明治五年に学制が布かれて以来、全ての子どもは公教育にという国の方針もあって、ほとんどの寺子屋や塾は姿を消した。しかし、湯の沢集落は別であった。ここの子どもは、社会一般から差別され受け入れてもらえないのだから、湯の沢集落が自治ということを誇るなら、自治の重要な内容として、教育に取り組むべきことは当然であった。西村課長が自治と聞いて集落の教育に関心を示したのも当然であった。

 

万場老人は、このことに思い至ったとき、リー女史の教育活動に敬意を払いつつ、自分も役割を果たさねばという思いを強めていた。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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