« 人生意気に感ず「私の平成も終わる。ふるさと未来塾。へいわ845.ローマ法王。東電の刑事責任」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第150話 »

2018年12月28日 (金)

人生意気に感ず「戦争がなかった平成だが。東電幹部の強制起訴は。捕鯨始まる」

 

◇平成が終わりに近づくにあたり、戦争がなかった30年間を振り返れば、戦争にも匹敵する大災害があった。阪神大震災、東日本大震災である。特に、東日本大震災に伴う福島第一原発事故は原爆投下のような惨状をもたらし未だ終息が見られない。東日本大震災は本格化しつつある大災害の序曲であることは間違いないと思われる。とすれば、平成の時代はこの元号に込められたような平穏な時代ではなかったことになる。日本列島をすっぽり捉えた不気味な黒い影の兆候はいたるところに現われている。問題はこのような歴史的危機を受け止めるべき国民の心である。享楽に酔った状態が続いている。国民の意識は刹那的で社会や国を守ろうとする気概は極めて薄い。

 

 このような状況を打開すべき役割を担う筈の政治は存在感がない。地方議会は形骸化し議員になり手が不足している有様だ。あの太平洋戦争が風化し忘却の彼方に去ろうとしている。日本はもう一度、ガラガラポンに遭わないと駄目なのか。

 

◇こんな時だけに、原発事故の刑事裁判の行方は重大である。あれだけの事故が不起訴処分になり、再度の不起訴処分を経て強制起訴となった。巨鯨が必死で逃げようとしている。司法の民主化は形だけに終わるのか。

 

 三人の被告は事故前に10mを超える津波が原発を襲うという情報を得ていたから、それに対処すべき義務があった。対策が終わるまで運転を停止する義務があった。検察官役の指定弁護士はこう指摘した。これに対する被告の姿勢からはその重大な立場にふさわしい責任感が伝わってこない。自然に対する畏敬の念、人命を守らねばならないという謙虚さがあれば違った対応がとられたに違いない。国会事故調査委員会が指摘したように、日本の原発は無防備のまま3・11を迎えたことを改めて痛感する。

 

 新しい元号と共に新しい時代が始まろうとしている。巨大災害の足音が聞こえる。それに備える上で、最も重要なことは3・11から教訓を引出し活かすことだ。

 

◇来年7月に商業捕鯨が再開される。およそ30年ぶり。日本の捕鯨の歴史はノルウェーと共に古い。鯨肉は日本の食文化に深く根ざしてきた。古い伝統をもつ和歌山県太地町などは湧いている。日本の近海に限って行われるが、反捕鯨団体シーシェパードなどの反発は激化するだろう。(読者に感謝)

 

|

« 人生意気に感ず「私の平成も終わる。ふるさと未来塾。へいわ845.ローマ法王。東電の刑事責任」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第150話 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生意気に感ず「戦争がなかった平成だが。東電幹部の強制起訴は。捕鯨始まる」:

« 人生意気に感ず「私の平成も終わる。ふるさと未来塾。へいわ845.ローマ法王。東電の刑事責任」 | トップページ | 小説「死の川を越えて」第150話 »