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2018年12月24日 (月)

小説「死の川を越えて」第149話

 

 正太郎以外の子どもにとり、こずえも万場老人も初対面の人であった。きれいな女の人と恐いような老人の取り合わせが子どもたちにとっては不思議であった。老人の容貌自体は、湯の沢集落では珍しいことではない。しかし、うず高い書物を背にした姿は不思議な力を放つように子どもたちを威圧していた。親に言われてやって来たがこれから何が始まるのか。子どもたちの心には好奇心と不安が半ばしてあった。

 

「皆さんこんにちは。わしが万場軍兵衛と申す者です。今日は、湯川生生塾の出発の日です。先ず、この塾は何をするところなのか話したい。わしの顔を見て恐れるような意気地なしは、この集落にはいない筈じゃ。は、は、は」

 

 老人の笑い声が、張り詰めたその場の緊張を幾分解(ほぐ)したようだ。

 

「わしにもお前たちのような小さい時があった。一生懸命勉強したが、勉強の目的は、実はよく分からなかった。試験を通るためあるいは偉くなる手段と考えていた。ある時、この病気になって草津湯の沢に来た。振り返るとな、世の中は驚く程変わった。この集落が、病気ゆえに世間からいじめられていること、ここの人々は、辛い思いで生きねばならぬことを、お前たちは分かっているであろう。だから、ここの人は賢く、そして強くならねば生きられない。勉強はそのためなのじゃ。今日は、初めの日なので難しいことを話すようだが、心配せんでいい。段々に分かる」

 

 万場老人は、ここで言葉を切って、子どもたちの顔を一人一人眺めた。そして、こずえの方に顔を向けると、こずえは心得て待ち受けたように茶を差し出した。老人はそれをうまそうにすすって話を続けるのだった。

 

「さて、湯川生生塾じゃ」

 

 老人はそう言って、こずえに目配せをする。こずえは二枚の紙を並べ筆を取り出した。子どもたちの好奇の視線がこずえの白い手と筆先に集まる。こずえは、一枚にはひらがなで、もう一枚には漢字で塾の名を書いた。美しい字は子どもたちの心をとらえたようだ。こずえはよく見える位置に二枚を貼った。

 

「次からは、この字をお前たちが書くのじゃぞ」

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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