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2018年12月14日 (金)

人生意気に感ず「原爆写真展を観る。アメリカの大罪。サダ子学園。井上死刑囚の手記」

 

◇県庁の県民ホールで原爆写真展を観た。その悲惨さ、むごさは73年の時を超えて生々しい。我々日本人は想像力によって地獄というものを描いてきた。原爆が作り出したものはそれを遥かに超えている。閻魔様、血の池地獄、鬼たちに怯える亡者の姿などはむしろ牧歌的に思える。原爆は最先端の科学が生み出したもの。それは一般の人々の想像の遥か先にある。従ってその恐ろしい結果も人々の想像の及ばない所にあるのは当然である。私は改めて思った。一般市民を大虐殺した様は、ナチスのアウシュビッツどころではない。毒ガスも遠く及ばない。アメリカは、人道上の大罪を犯したのだ。なだれを打って川に飛び込み人々は両手を前に伸ばし、そこから肉が垂れ下がっている。あまりのむごさに私は思わず顔をそむけた。

 

◇この写真展の一角に「貞子」のことがあった。被曝して、生きたいと願いつつその願いを鶴に込めて、千羽鶴を折りつつ亡くなった原爆少女は世界に反響を及ぼした。棺に納められた少女の写真を私は初めてみた。

 

◇私は県会議員の時、スペインの「サダ子学園」を視察した。地の果てにサダ子の名の教育機関幼稚園があることに奇異な感じを受け、それが原爆少女の名であることを知って衝撃を受けた。この学園は原爆の洗礼を受けた広島を学び、13歳で鶴を折りつつ亡くなった小さな命を忘れないことを建学の精神としていた。広島の原爆の衝撃波が少女の千羽鶴と共にここまで届いていたことを確認した瞬間であった。

 

◇昨日、「オウム死刑囚魂の遍歴」を買った。この日に発売されたもの。死刑囚井上嘉浩が拘禁中に書いた手記は400字詰め原稿用紙で5千枚を超えた。ごく普通の少年、難関の進学校に入った少年がなぜ狂気の宗教に入り、大罪を犯し死刑判決に至ったのか。オウムの事件は現代社会にあいた真っ黒な闇の穴である。この黒い闇の中を少しでものぞきたいと思った。そこには宗教とは何か、人間とは何か、現代の若者の心の中にあるものは何かなどが蠢いている。黒い穴の底にこれらを解く鍵があるに違いない。マスコミが狂ったように騒いだ割には多くの国民はオウムの実態を知らない。13人の死刑は執行された。2018年7月6日、処刑された井上は48歳であった。その前日に書いた絶筆の写真が載っている。生前、ニューヨークで行った「空中浮揚」のことが目につく。正月休みに読むつもりだ。(読者に感謝)

 

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