« 小説「死の川を越えて」第140話 | トップページ | 人生意気に感ず「戸籍を賭けた闘いと訴訟救助。裁判所にも情が」 »

2018年11月26日 (月)

人生意気に感ず「温かい人情に出会う、イタイイタイ病の現場を案内してもらう」

 

◇23日早朝、暗い中で日課の走りを終え、北陸新幹線で富山市に向かった。目的は富山県に残るイタイイタイ病の歴史的遺跡である。良い資料館があると聞いていた。神通川及び奇病が集中的に発生した婦中という地域も見たかった。富山駅から先ずバスで婦中町の行政サービスセンターへ行った。思い立つと目的に体当たりするのが私の流儀である。祝日で休みであるが用務員室で年配の女性から地域の昔を聴くことができた。交通の便が悪い所なので困っていると、この人は電話で「お父さん、こういう人がおられるが」と話している。間もなく現われたのは御主人で、何と案内してくれるというのだ。旅の面白さは出会いである。市の職員をしていたというこの人は、立派なガイドを果たしてくれた。立山連峰に抱かれたこの地域に日本の人情が残っていることに私は感激した。立山を背景にして流れる神通川を越え、カドミウムで汚染された土を「客土」して整然として広がる田を眺めた。それを過ぎたあたりに萩野病院があるはずであった。奇病の犯人はカドミウムであることを初めて発表し、孤立に耐えて生涯をかけた地元の医師萩野昇氏の拠点である。「ここでした」と指す先は雑草がしげる空き地である。他に移転したとのこと。空き地の情況が私の想像力をかき立てた。その他2、3の場所を見て県立イタイイタイ病資料館に着いた。

 

 評判通りの資料館であった。いくつもの映像設備が並び、再現された悲惨な患者の叫びと、闘った人々が語る生の姿が見られた。私は渡良瀬川の鉱毒被害及び、それと闘った田中正造を連想しながらメモをとった。心に刺さる場面がいくつもあった。「棺に入れて遺体を動かしたら骨がポキリと折れました」、「焼いた後の骨は紙を焼いたあとのようで本当に骨が少なかったのです」と映像は語った。骨身にこたえるとか骨を削る苦痛という表現があるが神経の中枢が走る骨が侵されていく痛さは骨をノコギリで切断するような痛さなのだろう。老婆の映像は語った。「呼吸をする時、針千本か二千本で刺すように痛いがです」、「痛くて痛くてかなわんで、這ってでも行けりゃ川へでも入って死ぬんやけどそれもでけん」人々は裁判に立ち上がった。映像が語る訴訟に至る経緯は迫力があった。古い因習が支配する農村のことだ。病に対するいわれのない迷信や風説に耐えられず立ち上がったのだ。  明日に続く。(読者に感謝)

 

|

« 小説「死の川を越えて」第140話 | トップページ | 人生意気に感ず「戸籍を賭けた闘いと訴訟救助。裁判所にも情が」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生意気に感ず「温かい人情に出会う、イタイイタイ病の現場を案内してもらう」:

« 小説「死の川を越えて」第140話 | トップページ | 人生意気に感ず「戸籍を賭けた闘いと訴訟救助。裁判所にも情が」 »