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2018年11月25日 (日)

小説「死の川を越えて」第140話

 

 

 

 万場軍兵衛は、そう言って目を閉じ考え込んでいる。ややあって、老人は目を開き、正助を見詰めて言った。

 

「よくやったぞ。この湯の沢のことを考えながら、白砂川まで歩いたとはな。わしは何も言わなかったが、お前がやったことは必要なことであった。牛川知事も木檜代議士も、この広い一帯を実際には見ていない。一番大切なことは、理論と現実を結びつけることじゃ。二人の先生の提案は、国に対して問題を突きつけると同時に、我々湯の沢の住人に提案を出したことを意味するのじゃ。お前の行動は、湯の沢住民として、この提案に向き合ったことじゃ。当然やらねばならぬ第一歩であった」

 

「先生、俺、そんな偉いことやったつもりはありません。恥ずかしいですよ」

 

「うむ、立派なことなのだ。じゃが、このことは未だ他人に話さぬがよい。わしも、お前の行動に点数は付けぬ。湯の沢の運命にかかわる事ゆえ、慎重に、そしてじっくりと取り組むことに致そう」

 

 万場老人は一人になると正助が言ったことをじっと考えていたが、意を決したように文机に向かって呟いた。

 

「西村課長に返事を書かねばならぬ」

 

 手紙の文面は次のようなものであった。

 

「帝国議会の重要な資料と共にお手紙を頂き、誠に感謝に耐えません。湯の沢は日本の僻地であり、我々は社会の最底辺で生きている者であります。このような我らに政府の高官が心を掛けて下さることに深く感動致しております。帝国議会の資料は、我らの運命に関わるものと受け止め、よく読ませて頂きました。政府答弁に気になる箇所が見受けられます。それは、湯の沢集落の問題に関し、土地の選定を研究しているという点であります。もし湯の沢集落移転ということになれば、反対運動が起きることが予想されます。もとより未だ具体化せず、その中味も未定のことなので、この問題は今のところこの老骨の胸に止めてあります。ここで、重要な一つの事実を御報告申し上げたいと存じます。課長は、過日、湯の沢に来られた折り、下村正助なる若者が発言したことを覚えておられると存じます。シベリア出兵に参加し、患者同士で結婚し子どもを育てている人物です。私はこの男に、牛川知事の請願書を説明しました。湯の沢を温泉の引ける所へ移転させるという案です。また、木檜代議士の建議、つまり湯の沢を移さずに改良する案も説明しました」

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

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