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2018年10月 6日 (土)

小説「死の川を越えて」第123話

 

 正助は黙って老人の目を見た。偽名は通常のことだから驚くに当たらない。その上に、この人は何を話そうというのか。背後の天井に届く程の書物の山がこの老人の謎を静かに語り始めようとしているように見えた。

 

「わしの本姓は湯本じゃ。祖先は白砂川のほとりの集落でな、父の代に東京に出た。わしは東京帝大に入った。天下をとったような意気軒高たるものがあった。寮におってな、酒を飲むと皆で寮歌を高唱したぞ」

 

 驚いたことに、老人は正助の前で声高らかに歌い出したのだ。目を閉じ、昂然と胸を張る様は、昔の学生時代に立ち返っていることを物語っていた。正助は老人の中に若い心が息づいていることに感動した。

 

「大学を出て、官庁に入り、何年かして結婚した。全てが順風満帆に見えた。しかし、黒い転機は突然にやってきた。腕に妙な斑点が出来て不審に思っていたが、深刻には考えていなかった。省内の健康診断でレプラだと分かった時は天地が覆るが如き驚きだった。大地がぐらぐらと崩れていく。目の前が真暗となった。妻とも別れ、役所も去る決意をした。将来の事を考えると途方に暮れてな。夜、上野の忍ばずの池を何度も回った。何回目かの時、思い切って東大の構内に足を踏み入れた。忍ばずの池から道を一つ隔てた一またぎの所が東大の裏門で、そこを入ると坂の上に東大病院の建物が黒々と広がっていた。ここを過ぎるとな、安田講堂じゃ。大きな時計台の建物が黒い巨大な怪物のように立っている。わしはなぜかそこを目指していた。東大とも別れを告げる意識があったのかも知れん。医学部の建物を過ぎようとした時、はっと閃くものがあった。それは、ベルツ博士だ。ドイツ人の高名な医学者で、東大で教えていた。ハンセン病を研究しているとのことだ。わしは、何かを求め、藁にもすがる思いでベルツ博士に会う決意を固めたのじゃ」

 

 万場老人の話に正助の胸は躍った。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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