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2018年10月22日 (月)

人生意気に感ず「東本願寺派の拠点に出発する朝。名古屋で待つものは」

 

◇ここで語る文は名古屋に出発する日の朝(20日・土)に書いたものである。小説で小河原泉のことを書いたのが縁で、真宗大谷派の名古屋教務所で私は20日講演することになった。

 

 間に入って講演実現に動いて下さったのは圓周寺の住職小笠原英司氏である。小説で描いた小河原泉のモデル・小笠原登の生家が真宗大谷派の圓周寺であった。小笠原登の祖父は江戸時代、この圓周寺の住職であり、同時にハンセン病の患者を診る高名な医師であった。この人はハンセン病の患者が境内で暮らすことを許し患者を人間的に扱った。モデルの小笠原登は少年時代、それを見て育った。祖父の姿は小河原登の原点を形成したのである。

 

 さやは京都帝大を訪ね小河原泉に接して腹の子を産む決意を固めた。訴訟の舞台では、小河原医師のことがさや及び正太郎と共に語られる。勝訴が確定したとき、さや、正助、正太郎たちは小河原泉の墓を詣でる。小説の中の墓のモデルは圓周寺に実在する。それは、小説で書いた通りハンセン病の患者と共に眠る無縁墓で戒名も何もないのである。

 

 「死の川を越えて」について大きな講演を実施するのは名古屋が二度目である。最初は九月十五日草津の楽泉園内で行った。今回の名古屋は東本願寺・真宗大谷派の名古屋別院という所で行う。どういう雰囲気でどういう人たちが待受けるのか分からない。私は期待で胸をふくらませている。話の焦点の一つは、小笠原登をモデルにした小河原泉である。小説は数十部を既に郵送した。講演の後、懇親会が予定されている。色々な出会いと小笠原登についての発見もあるだろう。それらの情況は現地で文章にして火曜日のブログに載せるつもりだ。

 

◇宗教が不毛ともいわれる現代である。器械の文明が異常に発展するのと反比例するように精神の砂漠が広がっている。このような中で、東本願寺の一つの拠点に乗り込むことに私は心の高まりを覚える。この日の夜、大学時代の関西の友人が私を訪ねる予定であるがこれも楽しみの一つ。

 

◇巷は相変わらず騒然としている。片山さつきが週刊文春のターゲットにされた。やはり東大出で狂女の如くマスコミに登場しやがて波間に沈んだ豊田まゆ子とどこか通じるものを感じてしまう。私はおどろおどろしい政治の世界を離れて冷めた目で芝居の展開を観ている。(読者に感謝)

 

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