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2018年10月31日 (水)

人生意気に感ず「78歳の誕生日。人生を振り返る。真の文明とは」

 

 

◇30日、私は満78歳を迎えた。振り返れば波乱の時代を激流に揉まれ生きてきた。折々の情景が目蓋に焼き付いている。昭和15年に曲輪町(現大手町)で生まれ、昭和20年8月5日、前橋空襲の夜、猛火を背にして防空壕に逃げた。敗戦、そして国破れて山河ありの中、赤城山中で開墾生活、小学校時代はランプの生活だった。元総社時代は貧しさの中で劣等感に押し潰される日々を送った。せんべいやダンゴを売りながら夜間高校に通った。血路を開いて大学に。そこには別世界が待受けていた。大学は学問との出会い、そして人との出会いの場だった。西洋史を専攻し林健太郎先生と出会ったことは私の人生に大きな意味を持った。

 

 結婚、しかし妻は若くして逝く。発起して政治の世界に。林先生は旗揚げの大会に県民会館に駆け付け、「歴史を踏まえた政治家になれ」と励ましてくれた。政治の世界には戸惑いと失望もあったが学ぶことが多くあった。7期、約28年、この間議長を勤め情報発信として「ふるさと未来塾」及び「ブログ」を続けた。ふるさと未来塾とブログは現在も続けている。

 

 7期を終え、別の世界を目指した。現在、文章を書き、日中友好に関わり多くの留学生に接している。これらの仕事に政治の体験が役だっていることを感じる。

 

◇30日の夜、数人の人々が誕生日を祝ってくれた。ホテルの階上から利根の流れが光って見えた。私は心置きなく、そして問われるままに人生を語った。その中でマラソンのことは楽しく話すことができた。私は365日走っている。群馬マラソンは長いこと10キロを走っている。走れなくなる時が人生の、また大きな転機になるだろう。11月3日、また目の前にマラソンの日が近づいた。人生はよくマラソンに例えられるが、振り返って私の人生は長距離マラソンである。人生放物線である。空中に投げられた物体は軌道を描いて地上に落下する。日々の走りは放物戦のカーブを弛め滞空時間を長くしていることを確信している。昨日の誕生会では「人生百歳の時代に入った。この会を百まで生きる会にしよう」と誓い合った。

 

◇今朝は「へいわ」の講義の第66回。田中正造の日記から私は「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さず」を語る。この日記を正造は明治45年に書いた。この年明治天皇は没し、世は大正となる。翌年正造も世を去った。(読者に感謝)

 

 

 

 

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2018年10月30日 (火)

人生意気に感ず「日中書道展と漢字文化。拉致に協力を示す習近平」

 

◇昨日に続く。ふるさと未来塾には、二枚のパネルを持ち込んで日中友好協会の事業を説明する資料に使った。それぞれは、「日中友好の歴史、群馬県と中国の歩み」及び「日中書道展開催に寄せて」である。それぞれの文は私が書いた。この文の特色の一つは、歴史家E・H・カーの一節があること。日中友好のシンボルとして上野三碑を説明する下りで使った。現在から問いかければ過去の事実は語り返す。上毛カルタには「昔を語る多胡の古碑」とありますと私は述べた。三碑の建立は奈良遷都(710年)の前後である。中国との交流でいえば、遣隋使に続く遣唐使の時代であった。

 

 日中書道展は、上海と群馬で行われた。上海の書道展は日中の少年たち、群馬を代表する書家が上海に渡り、その作品を展示した。高崎シティギャラリーの展示は、中国の有名書人が前回の続きの行事として参加した。中国では「書法」という。私はふるさと未来塾で漢字の歴史とそれに結びついた日中の文化の特色を話した。現在、漢字を国の文字として正式に使っているのは日本と中国だけであり、中国は略字体となっているが、日本はひらがなを発明したため漢字と巧みに組み合わせた独特の日本文化を築いている。漢字は中国を源流とする。漢字をとおした中国との文化交流は中国との強い絆を成している。この漢字の歴史を踏まえて、日中の絆を進化させたい。木や竹に刻んだ古い書体に語りかければ、それらは様々な事実を私に語り返してくれる。私は「過去との対話」を実感した。

 

◇安倍首相が訪中して習近平氏や季克強氏と対話した。習氏季氏共に拉致解決に協力すると応じたと言われる。拉致被害者家族はどんな思いでこの事態を受け止めたであろう。千載一遇のチャンスは、最後のチャンスでもある。ひょっとすれば、安倍首相の下で一挙に解決するかも知れない。日本は北朝鮮、及び朝鮮半島全体を侵略して大きな迷惑をかけた。拉致問題の解決にあわせて、北に大きな経済支援をすることは当然で、北もぎりぎりの所に追い詰められ、生き残る道にそれをかけている。トランプが北から良い成果を引き出す上でも日本は有力なカードになっている。中国は三国志の世界である。権謀述数の駆け引きに日本は弱い。アメリカとの同盟を武器に、日本が強かに判断して動く時。力がなければ中国に圧倒される。力とは総合力である。(読者に感謝)

 

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2018年10月29日 (月)

人生意気に感ず「中国はどこへ。米中対立の行方。友情と絆」

 

◇27日はハードなスケジュールが続いて途中、一時口を利くのも嫌は程疲れた。近年珍しいことなのだ。朝2時から原稿、資料などに取り組んで、ミライズ、政治塾の講演、ふるさと未来塾と過密であった。ふるさと未来塾の前は一時間程眠ることができ、力を取り戻した。ふるさと未来塾のテーマは「中国はどこへ」だった。

 

 米中貿易戦争が加速する中、中国は「一帯一路」を掲げ世界の超大国の歩みは止まらない。その姿に覇権主義への懸念は大きい。私は、中国の真意の底にはかつての中華思想があるだろうと語った。漢民族こそ世界の中心とする誇りは、近代に入って西欧列強の侵略によって踏みにじられた。今、世界第二の経済大国になって、その勢いは昇る朝日のようだ。そこに立ちはだかったのがトランプのアメリカである。「アメリカ ナンバーワン」は、中国の世界支配を許さない。貿易戦争はどうやら一時的なものではないらしい。習近平が手のひらを返すように日本に接近しているのは、したたかな戦略に基づいている。日米が連携して中国に対抗する状況に少しでも楔(くさび)を打ち込みたいに違いない。日本には、ここで重要な役割がある。それは何かと私は強調した。

 

◇私は群馬県日中友好協会のことを、この役割との関係で話した。設立は2013年(平成25年)、尖閣問題をめぐる最悪の状況であった。私は会長として、日中の民間の連携の重要性をこの間の嵐の中で実感することができた。

 

 今年は日中平和友好条約締結40周年である。中国大使館の中庭に五葉松を植えた。群馬から持ち込んだ松は天を指して勢いがよい。その姿は私たちの思いを受け止めているようだ。今年、この松の根本に石を据えて字を刻んだ。「友情の絆を」。文は私のもので、字は元総理大臣福田康夫氏である。福田さんは群馬県日中友好協会の最高顧問である。私はこの文字に込めた意味を説明した。それは、日中の歴史は驚く程古いが、今それを進化させる時で、その役割は日中を超えてアジアと世界の安定平和に寄与すること。そのために、真の友情を築くとき、日本はただ手を握り笑顔を交すだけでなく、言うべきことは言って、真の絆を実現しなければならない。このように私は説明した。植樹は協会の業者「山梅」が担当。石は山梅が榛名から運んだ。過日、中国大使館で除幕式を行い、ここには福田元総理、程駐日大使、協会の多くの仲間が参加した。(火曜日に続く)

 

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2018年10月28日 (日)

小説「死の川を越えて」第131話

 

 

 

一、 木檜泰山の発言

 

 

 

 第50回帝国議会におけるハンセン病に関する委員会は、大正14年2月26日開議となった。議題は、療養理想村補助に関する建議案。提出者は木檜泰山である。

 

「それでは先ず、提案者のご説明を願います」

 

 促されて木檜泰山は登壇した。木檜は、湯の沢に国の補助が欲しいと訴える。そのため湯の沢の現状を説くのである。

 

「昔から草津の湯はハンセン病患者に宣しいというので療養に四方八方から参ります。年々増えて、今日では500人もおります。これらの人々は、最初は相当の療養費を持って参りますが、2・3年後には郷里からの送金も絶え、何としても致し方がないのでハンセン病患者でありながら筋肉労働をして自分の病を治療しようとする者もおります。貧のどん底に陥る者もおり、それはまことに見るに忍びない状態であります。ところで、これに対しどこからか補助があるかというとどこからもないのであります」

 

 木檜は、このような窮状者を多く抱える湯の沢集落が素晴らしい自治の団体であることを訴える。だから国が援助の手を差し伸べよという論法なのだ。帝国議会で草津のこと、そして湯の沢集落のことが格調たかく語られることは驚くべきことであった。

 

「湯の沢の状態を見ますと、是は法律的には村ではないが、事実上一種の村を成して居ります。区長、副区長がおり、評議員が八名もおって、これら役員を選ぶについては、男女の別なく住民は投票権をもっております。その投票の資格はというと、ここに来て住む人というだけでよいのであります。また、更に、湯の沢の注目すべき長所があります。それは戸籍上の調査をしないということであります。ハンセン病患者になるとそれは、一家親族の体面に関わる、特に結婚の妨げになる。だから、草津へ行く者は大抵偽名で行くのです。集落はそれを許しておくのです。中には、帝大を出たような知識階級の人も居りますが、皆偽名のままで許しているのです」

 

この時、議員の間に静かなどよめきが起きた。それを確かめるようにして木檜の訴えは続く。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2018年10月27日 (土)

小説「死の川を越えて」第130話

 

これを聞いて万場老人が言った。

 

「社会の無知と偏見が差別を生み、それが患者の精神までも侵し、暗くいじけたものにしてしまうのじゃ。間違った法律や制度が偏見と差別を助けてしまう。このことを中央の役人に知って欲しい。国の政策をつくり、それを実際に動かすのは役人の皆さんなのだからな」

 

 万場老人は西村課長の目をのぞき込むようにして言った。

 

「わしにも一言」

 

 そう言って発言を求めたのは森山抱月であった。

 

「私は、森山という県会議員です。木檜先生とはかつて群馬の県議会で同僚の間柄でありました。私は、この湯の沢集落の皆さんに大変学ぶことがありまして、行政の上で大いに役立ったのです。実は、今発言した下村正助くんの一家を県議会に招いて話してもらったのです」

 

「可愛い坊やが元気に発言した姿に、議員たちは感激したのです。そして、ハンセン病の人たちが助け合って生きる姿を初めて知ったのです」

 

「ほお。それは貴重なお話ですね。木檜先生がどういうお気持ちで何を語られるのかが分かる気が致します。今日は大きな収穫がありました」

 

「お願いがござる」

 

 万場老人が改まった声で言った。

 

「あなたの来訪によって、本省との貴重なつながりが出来ました。これを今日限りのものとせず、この湯の沢集落のため、今後に生かせるものにしたいものじゃ」

 

「はい、万場先生。もちろんでございます。行政に携わる者として大切な現場を知る機会を得たのです。私の方こそお願いする次第です」

 

 西村数馬は、ずしりと手ごたえのある成果を得た思いで湯の沢を後にした。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2018年10月26日 (金)

人生意気に感ず「安田さん解放と憲法21条。カタール国。日中の真の友好」

 

◇安田純平さんが解放された。3年4か月という長い拘束期間。平和と安全を空気のように享受している私たちとは対極の環境、正に戦乱からの脱出であった。それにも拘わらず安田さんの表情はじっかりしている。余程精神力が強いのだろう。

 

 情報に命をかける戦場記者の存在を改めて重く受け止めた。安田さんの行動を迷惑な行為と批判するのは簡単だが、その前に私たちは情報の重要性を少しでも理解しなくてはならない。日本国憲法21条は表現の自由を保障する。表現の自由は民主主義の基礎である。この表現の自由の重要な一つの内容として、私たちには「知る権利」がある。極限の状況で取材にあたる記者の姿は、この知る権利に奉仕するものだ。

 

◇安田さんの解放の背景には複雑な国際情勢があるに違いない。事実は小説よりも奇なりと言う。過酷な体験に耐えた安田さんの胸には驚くべきその事実が凝縮されているだろう。

 

 身代金は支払われたか、カタールという小さな国の存在、これらが全世界の注目を集めている。日本政府は身代金の支払いを否定している。支払えば、身代金ビジネスを助けることになる。かつて日本はダッカハイジャック事件で身代金の要求に応じて世界の批判を浴びたことがある。メディアは必死で情報を集めているが、メディアの示唆するところではカタールが支払ったらしい。

 

◇カタールは興味深い国だ。ペルシャ湾に突き出た青森県程の小さな国である。天然ガスの埋蔵量は世界3位。この経済力で独自の外交を展開している。安田さんの解放に大きく関わったとされるが、それもこの国の外交政策の現われだろう。現地、ジャーナリストのカショギ氏が残虐な殺され方をしたことに世界が注視しているが、カタールの行為は記者の命を救ったことになる。最小の国が最大の力を発揮したことに私は胸を躍らせている。

 

◇安倍首相が中国を訪問し、習近平氏と会談した。日中の関係改善が急速に進んでいる。背景には米中の対立がある。日中首脳は保護主義反対で共通認識に至ったことを確認したようだ。日本の役割は非常に重要である。日中平和友好条約40周年に当たり、日本は中国にしっかりものを言える関係を築くべきだ。中国の覇権主義には警戒し忠告しなくてはならない。今年私は、福田元総理と力を合わせて中国大使館の庭に「友情の絆を」と刻んだ。真の友好が試される時である。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年10月25日 (木)

人生意気に感ず「行政機関の障害者水増しは。公害の原点と田中正造。中国はどこへ」

 

◇中央行政機関の障害者水増しの実態が公表された。33行政機関のうち28機関が不適切なことを行っていた。その数3,700人。この実態は何を物語るのか。

 

 障害者雇用制度は働く人の一定割合以上を障害者とすることを義務づけている。障害者に仕事を提供することで、障害者に光を当てる。障害者に社会参加の機会を与え、平等に人間として生きる道を保障する。この理念は人権尊重の極めて重要なことである。この問題の根底には憲法の人間尊重の理念がある。すべて国民は個人として尊重され幸福追及の権利を有する(憲法13条)。これは福祉行政を支える理念である。この理念を推進する使命を担う国の行政機関のほとんどがこの理念を無視している。正に日本の危機というべきである。障害者は数でしか見られていないという障害者の落胆の声が聞こえる。

 

 日本は騙し合いの社会になってしまった。最も信頼できる筈の官僚の世界も腐っている。サムライの国日本が消滅していくのは悲しい。

 

◇毎週水曜日の朝、私が行う「へいわ845」は昨日第65回を迎え、この日は「公害の原点と田中正造」の2回目であった。谷中村が遊水地にされ国によって強制収用されていく。それに抵抗する農民とその先頭に立つ正造の姿。正造は「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と叫んだ。この日は、足尾鉱毒事件は公害の原点であると同時に健全な学生運動の原点でもあると語った。東京の学生たちは、内村鑑三等の指導の下、大挙して栃木の鉱毒被災地視察に向かった。今日の学生たちは自分の利益を守るためには真剣だが社会的な大きなことには声をあげない。公憤ということを忘れているのだ。私の講演は撮影係と、レジュメの整理に当たる人、二人が支える。世界に配信されているのである。一般の人も毎回少数だが参加している。歓迎である。詳しくはニッポンアカデミーに問合せて欲しい。(027-243-2222)

 

◇今月の「ふるさと未来塾」(27日)のテーマは「中国はどこへ」。アメリカの混乱と対照的に中国は「一帯一路」を掲げて世界に飛躍しようとしている。そこには新たな覇権主義を懸念する声も聞こえる。今年は日中平和友好条約40周年記念に当たり、日本の役割は大きい。私は群馬県日中友好協会の会長として思いを語りたい。(読者に感謝)

 

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2018年10月24日 (水)

人生意気に感ず「マラソンの番号届く。名古屋の朝を走る。圓周寺の無縁墓」

 

◇22日、28回ぐんまマラソンのナンバーカードが届けられた。男子10キロの部で、11444番。友人が「イイヨ、ヨシだね」と言った。いよいよだなと、胸が高鳴る思いである。11月3日、潮流のような群集の一点となって、秋の空の下を走る。直前の10月30日は誕生日で、私は満78歳を迎える。振り返れば人生は長距離マラソンである。ここまで来たという感慨が湧く。78歳で10キロを走れることを天に感謝しなければならない。

 

◇21日の早朝、名古屋市東別院の周辺を走った。真宗大谷派の本堂である敷地は広い。聞けばここにはかつて古渡城があって信長が桶狭間に向けて進軍した地であるという。今川義元の雲のような大軍を破った狂気の軍団の光景を想像しながら私は走った。

 

 この日私は名鉄名古屋線で甚目寺(じもくじ)町に向かった。目的はこの町にある浄土真宗の寺圓周寺である。入り組んだ路地の奥に古刹はあった。私の小説の中の小河原泉のモデルに小笠原登の実家である。前日の講演で司会をしたこの寺の住職小笠原英司氏は不在で、奥様とその母が待受けていた。親子の風貌は小笠原登の血を引くことを物語るように似ている。英司氏は婿に入られて寺を継いでいると、前日説明を受けていた。

 

 境内には多くの墓が並び、その一角に目指す無縁墓はあった。正助、さや、正太郎の一家が詣でた墓である。挿絵に描いた通りの姿が静かに佇んでいた。私は親娘と並んで墓を背にして写真を撮った。本堂の奥に案内されると、そこには古い畳の部屋がいくつかあり、その一つで小笠原登は京大を退官後、秘かに訪れる患者を診察したという。「この部屋です」と夫人は説明した。薄暗い部屋に横たわるハンセン病の患者とそれを細かく診察する医師。鬼気迫る緊迫の場面を想像した。当時特効薬があったが、厳しい隔離政策が続いており、特効薬が使えるのは収容された患者のみであった。小笠原登は自費で特効薬を購入して患者に射った。

 

 今回の名古屋講演でシーボルト事件と小笠原登との関係を知って驚いた。登の祖父は有名な医師でもあり、登は祖父の影響を強く受けた。シーボルト事件が起きたとき、この祖父は幕府に追われる関係者の医師を寺にかくまい、この時進んだ医術を学んだと言われる。それをハンセン病の治療に役立てたということを私は知った。高野長英につながる蘭学に思いを馳せた。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年10月23日 (火)

人生意気に感ず「名古屋の講演の成果。司会は小笠原住職だった」

 

◇20日(土)の名古屋講演は予想以上の成功であった。主催は真宗大谷派東別院。東別院会館50周年記念講座の一つ。私の話の中心は、権力に抗してハンセン病患者に寄添って生きた小笠原登をモデルにした小河原泉である。講演を終えて、東別院の人たちと話す中で、この大谷派と小笠原登が格別の関係にあって、現在も別院がこの人物に並々ならぬ関心を抱いていることを知った。偶然の要素も重なって私の講演は成果を収めたといえる。

 

 講演の司会者は圓周寺住職小笠原英司氏。このことも、この講演が小笠原登といかに関係が深いかを物語る。圓周寺は小笠原登の実家なのだ。私は講演で小説の中の小河原泉のモデルは小笠原登であることを自信をもって語ることができた。

 

 お腹に小さな命を宿したさやが京都大学を訪ね小河原泉に接し、その語る話と人柄に打たれて子を産む決心を固め、そこで生を受けた正太郎が活躍する下りを会場の人々は身を乗り出すようにして聴いてくれた。

 

 小説の重要なポイントに悪魔の監獄「重監房」がある。これは国の隔離政策の象徴であった。ここに入れられた人々の救済に軍兵衛たちは苦心したが、カツオブシの差し入れを提案したのは正太郎であった。

 

◇講演後の懇親会で、名古屋の真宗大谷派と小笠原登の意外な関係につき話を聞き、また貴重な資料を頂いた。

 

 かつて名古屋にはハンセン病の患者が多かったという。そして、この地の大谷派は国の隔離政策に積極的に協力した。良かれと信じて行ったことであった。一方に真宗大谷派に属しながら隔離政策に頑強に反対した小笠原登がいる。この関係は一体どうなっているのか。時代が大きく変化し、司法は国の隔離政策の誤りを認めた。真宗大谷派も大いに反省することになった。この情況の中で、大谷派の人々は小笠原登の存在を改めて認識し評価するようになった。私は話に耳を傾け、頂いた資料「時代に抗した念仏者」を読んでこのことを確信した。資料によれば小笠原登は、京都大学退官後、他の病院に勤めながら土日には実家の圓周寺に戻り、秘かに患者の治療に当たった。県はこれを察知していたという。見つかれば患者は隔離されてしまう。小笠原は「帰りは気を付けなさい」と注意したという。この寺に小笠原登が眠る無縁墓がある。小説の中でさや及び正太郎がこの墓を詣る場面が語られる。(読者に感謝)

 

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2018年10月22日 (月)

人生意気に感ず「東本願寺派の拠点に出発する朝。名古屋で待つものは」

 

◇ここで語る文は名古屋に出発する日の朝(20日・土)に書いたものである。小説で小河原泉のことを書いたのが縁で、真宗大谷派の名古屋教務所で私は20日講演することになった。

 

 間に入って講演実現に動いて下さったのは圓周寺の住職小笠原英司氏である。小説で描いた小河原泉のモデル・小笠原登の生家が真宗大谷派の圓周寺であった。小笠原登の祖父は江戸時代、この圓周寺の住職であり、同時にハンセン病の患者を診る高名な医師であった。この人はハンセン病の患者が境内で暮らすことを許し患者を人間的に扱った。モデルの小笠原登は少年時代、それを見て育った。祖父の姿は小河原登の原点を形成したのである。

 

 さやは京都帝大を訪ね小河原泉に接して腹の子を産む決意を固めた。訴訟の舞台では、小河原医師のことがさや及び正太郎と共に語られる。勝訴が確定したとき、さや、正助、正太郎たちは小河原泉の墓を詣でる。小説の中の墓のモデルは圓周寺に実在する。それは、小説で書いた通りハンセン病の患者と共に眠る無縁墓で戒名も何もないのである。

 

 「死の川を越えて」について大きな講演を実施するのは名古屋が二度目である。最初は九月十五日草津の楽泉園内で行った。今回の名古屋は東本願寺・真宗大谷派の名古屋別院という所で行う。どういう雰囲気でどういう人たちが待受けるのか分からない。私は期待で胸をふくらませている。話の焦点の一つは、小笠原登をモデルにした小河原泉である。小説は数十部を既に郵送した。講演の後、懇親会が予定されている。色々な出会いと小笠原登についての発見もあるだろう。それらの情況は現地で文章にして火曜日のブログに載せるつもりだ。

 

◇宗教が不毛ともいわれる現代である。器械の文明が異常に発展するのと反比例するように精神の砂漠が広がっている。このような中で、東本願寺の一つの拠点に乗り込むことに私は心の高まりを覚える。この日の夜、大学時代の関西の友人が私を訪ねる予定であるがこれも楽しみの一つ。

 

◇巷は相変わらず騒然としている。片山さつきが週刊文春のターゲットにされた。やはり東大出で狂女の如くマスコミに登場しやがて波間に沈んだ豊田まゆ子とどこか通じるものを感じてしまう。私はおどろおどろしい政治の世界を離れて冷めた目で芝居の展開を観ている。(読者に感謝)

 

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2018年10月21日 (日)

小説「死の川を越えて」第129話

 

 

 

 国の役人がわざわざ湯の沢に来たというので、人々は何事かと緊張していた。それを察したかのように役人は笑顔をつくって言った。

 

「内務省の西村数馬と申します。この地の木檜泰山先生が、国会で、この湯之沢のことを取り上げられます。そこで、良いお手伝いが出来るようにと勉強に来ました。宜しくお願いします」

 

 そして、万場軍兵衛に丁寧に頭を下げて言った。

 

「万場先生でございますか。上司の山田衛生局長から先生の御経歴をお聞き致し、驚き感動致しました。私どもの大先輩でいらっしゃいます。どうかご教示の程お願い申し上げます」

 

「何の、遠い昔のこと。夢中で生きて来ただけじゃ」

 

「ここへ来て、皆さんを前にし、先ず感じました。私たちが役所で取り組んでいるのは、表面のことで軽い。しかし、ここには重い実態があるということです。そして、皆さんの姿こそが私たちが知らねばならぬ真実なのですね。万場先生はこの真実に身をもって取り組んでこられたから、あなたは仕事の上でも優れた先輩でいらっしゃいます」

 

 西村課長の言葉は理屈っぽく響くが、その言葉に乗ってこの人物の誠実さのようなものが人々の胸に伝わってくるのであった。

 

 正助は自分が何か発言することが重要なのだと直感して、妻と力を合わせて正太郎を育てたこと、シベリア出兵のこと、そして、ハンセン病の光のことなどを話した。

 

 正助の話をじっと聞いていた課長は言った。

 

「ハンセン病の光とは、助け合いの中から生まれる生きる力のことなのですね。ハンセン病というと暗いイメージばかり描いていました。大変失礼な言い方ですが、皆さんは人間として立派に生きておられる。患者の皆さんの心はレプラ菌に侵されていないということを知りました」

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2018年10月20日 (土)

小説「死の川を越えて」第128話

 

 代議士が国会で発言する場合に、政府委員の準備は大変であった。そのやりとりが一国の政策に大きく関わっていくのだから、それは当然であった。

 

 山田衛生局長は、木檜泰山が扱う問題が草津湯の沢集落に関するものであることを知って、心中秘かに期するものがあった。木檜は、湯の沢集落を理想の療養村と位置づけ、そのための国の補助を求めようとしている。しかし、それは国が進めようとしている方向とは必ずしも一致しない。答弁には注意しなければならない。そのためには、湯の沢という所の実態を知らねばならないと思った。

 

 山田衛生局長は部下の課長に命じた。

 

「群馬の草津にある湯の沢集落の実態を調べて欲しい。近くに迫っている委員会の木檜代議士の発言に備えるためだ。そればかりでなく、これからの我が国のハンセン病対策に大きく関わることになりそうなのでしっかり頼む。そして、この湯の沢には万場軍兵衛という人物がいる。面白い経歴と体験の持ち主なのだ。この男、昔、東京帝大を出てこの内務省に入ったがレプラに罹って辞めた。ベルツ博士とも交流のあった人物で、内務省は秘かに相談にのってやったこともある。最近は内務省が重視している人物だ。確かな男で、湯之沢の実態を正しく語れる人はこの人物をおいて他にいない。これからハンセン病が社会の大問題になる時、重要な役割を果たすことになるだろう。必要があれば、君が直接出向いてくれたまえ」

 

 課長は、西村数馬といった。局長の話を聞いた西村は事の重大さを察知して直ちに動いた。彼は群馬県の担当課を通して万場軍兵衛に連絡を取り、会見の日時場所を決めた。その際、住民の生活の実態も知りたいので形式張らない会見にしたいと申し添えた。

 

 その日がやってきた。場所は山田屋の一室で、集まった人々の顔ぶれには、万場老人の他に、正助、さや、こずえがおり、驚いたことに森山抱月の姿もあった。万場老人の配慮であった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

 

 

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2018年10月19日 (金)

人生意気に感ず「死の川で取材を受ける。あらすじをここに。カシヨギ氏暗殺の怪」

 

◇昨日18日、上毛新聞の取材を受けた。連載小説「死の川を越えて」が完結し、出版も成り間もなく書店にも並ぶことを知らせるための取材である。記者との話には熱が入り2時間以上が過ぎていた。思い入れのある登場人物はと問われ、私は万場軍兵衛、正助、さや、正太郎、小河原泉などを語った。

 

「死の川」とは草津湯川を源とする湯川のこと。強酸性ゆえに生命の存在を許さない川であった。この川の辺にハンセン病の人たちが助け合って生きる集落があった。小説の舞台はここから始まる。集落の少年正助は、ある日万場軍兵衛に訪ねた。「俺は人間として生きたい。どうすればよいですか」。これに応えて「この集落にはハンセン病の光が出ている」と軍兵衛は不思議なことを語った。

 

 正助とさやは愛し合う仲で、さやの腹には小さな命が宿っていた。さやは産むべきか否か大いに悩んだ。京都帝大の医師小河原泉は誠実な人で、その語る話にさやは心を打たれ産む決心を固める。正助はこの時出征していた。物語の背景は戦争の時代であった。ハンセン病の患者は戦争遂行の妨げであり国辱と見られた。ハンセン病の患者を収容する過酷な隔離政策がとられた。その象徴が悪魔の牢獄と言われた「重監房」であった。

 

 時は遷り、日本は戦争に破れ、日本国憲法が誕生した。万場軍兵衛は「憲法を活かして国を相手に裁判をせよ」と言い遺して世を去った。ハンセン病の人々は訴訟の場で力を合わせた。訴訟の焦点は国の隔離政策の誤りを立証することであった。法廷では小河原泉の弟子が原告側証人となり師の思想を語った。

 

 とかく近寄りがたくとらえられる訴訟劇を熱く分かり易くと心掛けたことを記者に話した。勝訴が確定し、ハンセン病の人たちが小河原医師の墓を詣でた時、人々は衝撃を受けた。何と小河原はハンセン病の患者と共に無縁墓地に眠っていたのだ。死んだ後もハンセン病の人々と共にという小河原の姿に人々は涙した。次いで人々は万場軍兵衛の墓に報告する。正助は額ずいて語りかけた。「先生が昔語ったハンセン病の光を実現することができました」

 

◇サウジの反体制記者カシヨギ氏の暗殺劇が世界を震撼させている。拷問、生きたまま切断、暗殺団等、アラビアンナイトの時代が未だ続いているのかと思わせる。人権とか報道の自由などと無縁なおとぎの世界なのか。(読者に感謝)

 

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2018年10月18日 (木)

人生意気に感ず「確実に近づく南海地震。2~3年内説も。東電幹部の証言。地面師の怪」

 

◇異常な夏が去る。観測史上初といった記録的豪雨はその一つ。これは地球温暖化が一因で、これから毎年のことになるだろう。これと重なるように巨大地震の足音が近づく。

 

 足音とは今年に入っての各地の大地震である。大阪北部(震度6弱)、北海道(震度7)、千葉東方沖(震度4)。専門家は何回トラフの前兆と捉え、空前の巨大地震は2~3年内と警告している。2年後に迫ったオリンピックと重なったら、それは悪夢である。

 

◇南海トラフ巨大地震のメカニズムはプレート理論が解き明かす。フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下にもぐり込んでいる。この動きには限界がある。耐えられなくなったユーラシアプレートが跳ね上がる時が近づいている。その前兆が二つのプレートの境(トラフ)での動きなのだ。

 

 南海トラフ地震の歴史を振り返れば、昭和南海と安政南海に改めて衝撃を受ける。昭和南海は1946年、敗戦(1945年)の直後、社会の混乱に追い打ちをかけるように起きた。また、安政南海は黒船来航の1854年、鎖国の扉をこじ開けるようにして発生した。いずれも歴史の偶然か大きな政治の節目におきた。現在の日本は正に大きな政治の曲がり角である。

 

 静岡県や四国高知には30mを超す巨大津波が予想されている。東京のゼロメートル地帯も水面下になるだろう。その時、地下街は、インフラの被害は。津波に追われる地帯の高齢者たちの運命は。手をこまねいていないで出来ることから対策を実行しなければならない。

 

◇昨日も書いたが東電元幹部の被告人証言。元副社長武藤氏は改めて15.7mの津波予測について「信頼性がないと説明を受けていた」と述べた。そして「事故の予見や回避は不可能だった」として無罪を主張した。私たち国民が描くところと大きな違いがあることを感じる。人災か天災かにつき司法はどう判断するのか。もう一度「国会事故調」の報告書を読もうと思った。

 

◇地面師というおどろおどろしい言葉が躍る。積水ハウスが都内の土地55億を騙し取られた。その巧みな手段にはただ驚くばかりだ。現在の日本は詐欺社会である。特殊詐欺は社会現象として定着してしまった感がある。特殊詐欺にたずさわる人々は今回の巨大詐欺を自分たちの頂点とみるかも。詐欺社会の象徴である。(読者に感謝)

 

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2018年10月17日 (水)

人生意気に感ず「東電幹部の犯罪容疑・原発事故。教員不足。近づく南海地震」

 

◇強制起訴で被告席に立たされた元東電の幹部たち。その被告人としての証言に私は固唾を呑む思いで注目する。私は国会事故調査会の報告書を胸を熱くして読んだ。報告は安全神話にあぐらをかいたことによる人災だと厳しく指摘した。多くの古文書や地質学の調査に基づく警告に驚いた。専門分野のトップは熟議を重ねて15.7mの津波を試算した。そして実際15.5mの津波に襲われた。データに基づく忠告はアメリカからも寄せられたのに東電は耳をかさなかった。

 

 あの地獄絵巻のような惨状は、謙虚な気持ちがあれば避けることができたのではないか。東電トップの声を聞きたい。日本中が、いや世界中が注目するその舞台が16日東京地裁で実現した。

 

◇この日の被告人質問は元東電副社長武藤栄氏である。被告はこの人を含めて3人の東電元幹部である。罪名は業務上過失致死傷罪である。罪の認定には巨大津波を予見できたか(予見可能性)及び、それを回避できたか(結果回避可能性)が問題となる。武藤被告は冒頭、「多くの方々に言葉では表せないご迷惑をおかけし当事者としておわびしたい。誠に申し訳ございませんでした」と深く頭を下げた。

 

 証言は、16日・17日と続く。司法はこれをどう受け止めるのか。未曾有の大災害から最大の教訓を引き出さねばならない。そのための訴訟である。東日本大地震は未だ終息していないと見るべきだ。そして、次の巨大地震の足音が迫っている。

 

◇教員不足が新たな教育の危機を生んでいる。小中学校の教員が不足し、必要な授業が行えない所も現われている。この事態に文科省は臨時免許の制度で対応しようとしている。

 

 臨時の措置で容易に免許を与えれば、教員の質の低下が懸念される。教育の危機は国家の危機。現在、教育の現場では教員が働きづらい様々な状況が指摘されている。教員不足の問題は小手先の対策では解決しない。地方の教育委員会の役割は重要であるが、教育委員会だけの問題ではない。正に地方が試されている。

 

◇南海トラフ型の巨大地震が近づいている。東日本大震災の教訓をどう活かすか。超高齢化社会の状況下、対策はまったなしである。日本の科学力は凄い。それを人命救助に役立てる必要がある。正しく恐れ、身近な対策を。(読者に感謝)

 

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2018年10月16日 (火)

人生意気に感ず「市民運動会に参加。死の川を越えてが出版となった」

 

◇14日(日)、芳賀市民運動会に参加した。県議会を去ってから地域の行事に参加することはほとんどなくなったが、今回は強く要請されてしぶしぶ行動を起こした。スマートボールリレーという老人の競技である。町内ごとに隊列を組んで行進し、主催者及び来賓の挨拶をきく。かつてはあそこに立ってよくああいう風に挨拶したものだと思うと感慨深いものがあった。いろいろな人が声をかけてくれる。長年の身についた習性というべきか、各町のテントを回る。かつてとは違った雰囲気である。心の垣根がなくなったせいか、楽しい会話ができて参加の喜びを感じた。

 

◇「死の川を越えて」が完成し、一部が私の事務所に運ばれた。書店に並ぶのはもう少し後であるが、私には各地に郵送する日が迫っているという事情があったのだ。表紙には帯がつき、一角に「上毛新聞連載小説」という文字が印刷されている。出版されたものを手に取る気持ちは何度も経験しているが、そのたびに格別のものがある。

 

 ハンセン病と四つに取り組んだものだけに、無事に終わったという感慨が湧く。上毛新聞は慎重に構えて連載を決断したようだ。幹部の見識に敬服する次第である。

 

「死の川」のモデルは草津の湯川である。かつてこの川は強酸性故に生命の存在を許さなかった。「死の川」の名称の由来はこの川の辺に住む死に直面した人々の姿をテーマにしたからである。小説の背景は史実としての戦争の時代である。軍国主義の足音は大陸に伸び、挙国一致の波が全国を支配した。ハンセン病は国辱とされ隔離された。この政策の象徴が草津の重監房であった。主人公には「国を相手に裁判をせよ」と言って世を去った万場老人や常に患者の立場に立って国の権力に対抗した浄土真宗を信ずる医師小河原泉も登場する。患者たちは勝訴して小河原の無縁墓地に報告し手を合わせた。今月20日、名古屋市の真宗大谷派東本願寺で講演することが決まっている。先日。草津の楽泉園でも元患者や関係者の前で「連載を終えて」と題して講演した。名古屋の教務所へは、新しい本を近く郵送する。どのような反応か気になるところである。小説の舞台として西は熊本までのびる。帯に使わせて頂いた推薦文は、山口県長門市極楽寺の前住職である。上毛から取り寄せて熱心に読んで下さった。心から感謝申し上げたい。(読者に感謝)

 

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2018年10月15日 (月)

人生意気に感ず「天皇代替わりと10連休。政治塾で田中正造を語る」

◇来年のゴールデンウィークは天皇代替わりと重なり、沸き立つ春となりそうだ。新しい象徴天皇を祝う平和な季節にしたい。既に天皇制はすっかり定着し、日本の文化を支える基盤の一つになっている。天皇の存在は万葉の古代から国民と共にある。万葉集は日本人の心の古里でもあるが、その巻1の巻頭には天皇が野に出て菜を摘む娘に声をかける歌が載る。春であろう。いかにものどかな情景である。「菜つます児 家聞かな(聞きたい)、名告のらさね(名乗っておくれ)」第21代雄略天皇の歌と言われる。

 

 10連休は、来年5月1日を「祝日」とすることで実現する。政府はそのための特別法を今月召集の臨時国会に提出する意向を示した。

 

 なぜ10連休となるのか。それは祝日法の故である。祝日法は「前日及び翌日が祝日である日は休日とする」と定める。つまり祝日に挟まれた間の日は休日となる。5月1日を特別法で祝日とすることにより4月29日(昭和の日)との間の日、4月30日が休日となり、5月3日(憲法記念日)との間の日5月2日が間の日となる。

 

 祝日法はその第一条に次のように定める。「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるためにここに国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日を定め、これを国民の祝日と名付ける」

 

 祝日法は、日本国憲法施行(昭和22年)の翌年に施行された。この一条からは正に国民主権の平和憲法と方向を同じくし新憲法の息吹が伝わってくるようだ。

 

◇13日(土)、自民党の政治塾で講演した。テーマは田中正造である。政治をめざし、あるいは深い関心を持つ若者に本物の政治家とは何かを示したい気持ちがあった。命が輝きあふれる渡良瀬川が銅山の鉱毒のために「死の川」と化した。今回出版される私の小説は「死の川を越えて」であるが田中正造の姿は「死の川に抗して」であった。正造の怒りは明治天皇直訴に凝縮された。帝国議員を辞し、妻に離縁状も出した。一切の退路を断った行動に世の人々は大きな衝撃を受けた。文を書いた人はその後大逆事件で死刑になった幸徳秋水であった。心を燃えたたせた若者の中に石川啄木や内村鑑三もいた。政治塾の塾生も、田中正造の姿に心を打たれている風であった。彼らの中には来年の地方選に出る人もいるのだ。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年10月14日 (日)

小説「死の川を越えて」第127話

 

「患者の取締りには警察が中心となる仕組みなので、どの県でもそれが可能となるように知事の命令が定められた」

 

 万場老人はそう言って、更に別の書類を引き出した。

 

「当時の群馬県知事は神山順平。警察に次のように命じておる。つまり、ハンセンの患者名簿をつくり、患者の届け出があった時には、直ちにその名簿に載せ、その謄本を知事に提出すべしというのじゃ。

 

 あの法律が出来てから10年以上経って、この法律の威力と恐怖が増々高まってきた。弱ったことじゃ」

 

 万場老人は手に持った書類をわきに打ち付けるようにしながら言った。

 

 

 

六章 帝国議会の場で

 

 

 

一、 帝国議会の動き

 

 

 

 反骨の闘将あるいは吾川将軍と言われた木檜泰山は、大正9年衆議院議員に当選し、帝国議会に乗り込むことになった。かつて、群馬県議会で政友会という政党色をむき出しにした知事大山惣太と激しく対決した熱血漢である。

 

 木檜は自分の地元問題である湯の沢集落を国会の場で正面から取り上げることに強い使命感を抱いていた。時代は国内外とも激しく動き、風雲急を告げていた。国は戦争に備えて国内を引き締めるためにも、ハンセン病患者を特定の場所に閉じ込めようと考えていた。その根拠となるのは、癩予防法であった。一方、湯の沢集落は、伝統的に歴史を築いてきた自治の理想を時代の流れに抗して守ろうとしていた。

 

 こういう流れの中で、木檜泰山は、第50回帝国議会に「療養理想村補助に関する建議案」を提出する。木檜は、この議案を審議する委員会の委員長に選任され、提案者として説明することになっていた。この委員会で、質問に答える政府答弁者は、内務省の山田衛生局長だった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2018年10月13日 (土)

小説「死の川を越えて」第126話

 

万場軍兵衛は決意を固める表情で切り出した。

 

「ハンセン病の問題が新たな局面を迎えようとしている。ここで大切なことは問題の根っこをつかむことじゃ。わしは、お前にわしの過去を語ったことで踏ん切りがついた。難しい問題を易しく説いて情報を提供する。そして、この根っ子を明らかにする。これがわしの第一の使命と考えるに至った。そこで行動に移さねばならぬ。第一歩を踏み出さねばと思うに至ったのじゃ。正助よ、いつもの人たちを集めてくれ、欲張らずに一歩一歩前進する決意じゃ」

 

「先生、分かりました」

 

 正助は、万場軍兵衛の秘密を最初に知った者として大きな誇りを持っていた。集まった人々の中には、またリー女史もいた。

 

「今日は、難しい法律の話。われわれの運命を縛っておる法律の話じゃ。覚悟して聞いて欲しい。我々ハンセン病の患者は、さまよえるゴミ、嫌われる社会の汚物。このゴミを、そして、ゴミや汚物を集めて管理しようとするのが、これから話す法律の目的じゃ」

 

 万場老人はそう言いながら傍らの書類の山から一枚の紙片を引き出した。

 

「これじゃ。明治40年につくられた、癩予防に関する件という法律で、法律第11号とある。我々患者が最も恐れる消毒もこの法律に定められておる。この消毒で故郷を追われた者は、この湯の沢にも少なくない筈」

 

 この時、さやは、唇を噛んで下を向いた。福島の実家の悲劇が頭に甦っていたのだ。さやがハンセン病と知られ、大掛かりに調査されたことにより、姉は離縁され井戸に飛び込んで死んだ。ああ、あの忌まわしい出来事の本を定めた法律のことか、と思うとさやは頭を上げることが出来ない。

 

「この法律の根幹、つまり、根と幹を説明しますぞ。法律は本来、国民のものだ。この場合、最も関わりが深い国民とは我々患者であるぞ。その患者が誰もこの法律を知らぬとは何ごとか。悪い法律なら、それと闘わねばならぬが、知らなければ闘いようがあるまい。もっと早く話すべきであった。わしの怠慢であった」

 

 万場老人の声には、いつもと違う力がこもっていると感じられた。正助は、これが東京帝国大学で学んだ力なのかと、先日、老人が大学の寮歌を歌った姿を思い出していた。

 

「この法律はな、医者が癩患者を診断した時は患者と家人に消毒を指示し、かつ三日以内に届け出よと定めておる。国の法律だから、これで全国が一斉に動き出す」

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2018年10月12日 (金)

人生意気に感ず「ノーベル平和賞はコンゴの医師。レイプを訴える。世界の胃袋開場す」

 

◇今年のノーベル平和賞受賞者には異色の人物がいる。コンゴ民主共和国の医師デニ・ムクウェゲ氏である。長く続いた内戦下でレイプされた女性の救済に当たった婦人科医である。

 

 コンゴということで私の胸は躍った。想像力は少年の頃ドキドキしながら読んだ「少年王者」の世界に広がる。コンゴの奥地でゴリラに育てられた少年真吾、捜査隊の中にはいとこの美少女すい子がいた。「ナンザ、ナンザ」と叫ぶ人食い人種、真吾の危機を救う怪人アメンホテップ。暗黒大陸アフリカは今大きく変貌を遂げつつある。中国が勢力拡大を狙って躍起となり、日本の企業も市場開拓を求めて必死である。人類発祥の地にして最後の楽園は現在様々な深刻な問題を抱えている。

 

 その一つが内戦である。倫理も法秩序も踏みにじられる泥沼の内戦で犠牲になるのは女性である。新聞の取材に応じて訴えるムクウェゲ氏の話は衝撃的である。「レイプは性的テロリズムだ。日本人も女性たちの苦しみを知り、レイプを防ぐ闘いに参加して欲しい」と語った。

 

 ムクウェゲ氏は病院を設立し20年間にわたり被害女性の治療やケアを続けてきた。近年被害が増加傾向にあるという。「先週運ばれた女性はレイプされた後に大勢の人の前で性器を焼かれていた。戦争の手段として使われるレイプは爆弾テロと違いはない」。ムクウェゲ氏の声を通して悲惨な被害女性たちの姿が想像される。

 

◇このような助成の被害はコンゴだけではない。過激なイスラム主義者により性奴隷にされた多くの少女のことが報道されている。少女たちは学校から集団的に拉致されて兵士たちに分配されているというのだ。女性が「物」として扱われる人種の過去の汚点が現代に於いても続いていることに衝撃を受ける。

 

 私が関わる日本アカデミーにアフリカからやってきた留学生たちがいる。彼らは日本を礼節の国と見ている。礼節を支えるものは人権である。日本は一見平和であるが内実は混乱し大きく揺れている。日本はアフリカの留学生の期待を裏切ってはならない。外国人との共存の世界が広がる。そこでは日本の文化が問われ、日本人の心が試されているのだ。

 

◇「日本の台所」、豊洲市場が開場した。日本の胃袋であり、国際化の時代、オリンピックを控え日本の食文化を支え、世界の胃袋である。(読者に感謝)

 

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2018年10月11日 (木)

人生意気に感ず「インドネシアの大災害。スラウエシ島支援集会。福祉に食い込む暴力団」

 

◇インドネシアの地震・津波被害は想像を絶するものらしい。死者は2,000人を超え、流された行方不明者は、一説によれば数千人に達すると言われる。私は、いつかは必ず来ると言われる南海トラフ型の巨大地震と津波を想像した。

 

 昨日(10日)、日本アカデミーに属する三校(NIPPONおもてなし専門学校・NIPPON語学院・NIPPONへいわ学院)の合同入学式が行われた。私は日本アカデミー全体の名誉学院長とNIPPONへいわ学院長を兼ねる。毎週水曜日の朝、力を入れている平和の講義はNIPPONへいわ学院の主要行事で、今週は第63回を数えた。

 

 昨日の入学式では合わせてスラウエシ島支援集会が行われた。大型のテレビでインドネシア・スラウエシ島の惨状が映し出された。また、この画面を通じてインドネシア現地の学校と生のやりとりが行われた。向こうの画面で「頑張っています」と言うと、こちらの多くの留学生が一斉に拍手をする。義捐金の箱が回され、インドネシアの留学生に渡された。国際化時代の教育の生きた一コマである。世界は一つの感を強くした。

 

 私は彼ら留学生に海を越えて日本に学びに来た勇気とチャレンジ精神を称え、日本語と共に日本の文化、礼節を理解して欲しいと話した。

 

◇留学生の中には将来福祉の道に進む者もいる。医療と福祉にとって必要なものは心であり、それは礼節である。古来「医は仁」と言われたが、福祉についてはそれ以上に仁が求められる。

 

 今日、日本の医療・福祉は深刻な問題に直面し危機にあると言える。人生の末期、深刻な病状故に人生の末期を迎えた人が「生きるに値しない命」としてゴミのように扱われる傾向にある。更に、モラルが地に落ちたことと繋がる事態として、福祉・医療が暴力団やブローカーの食い物にされている驚くべき事態が進んでいる。暴力団は暴対法によって追い詰められ、合法を装った巧妙な手段で医療福祉にシロアリが巣をつくるように食い込んでいる。医療・福祉法人は国から大変な助成を受けている。つまり国に対してその請求権が発生する。経営が危うくなった法人に巧みに近づき、この請求権を担保にとり法人を乗っ取るようなことが行われているらしい。恐ろしいことである。(読者に感謝)

 

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2018年10月10日 (水)

人生意気に感ず「元総理福田さんの講演は面白い。鄧小平のこと」

 

◇先日、渋川のホワイトパークで元総理福田康夫さんの講演を聴いた。長い間日本の政治の中枢におり、現職を退いてからも中国を初めとしたアジアの諸問題に深く関わっている人の話は本質を踏まえたもので興味深かった。講演のテーマは日中外交を中心としてその関連に及んだ。私は群馬県日中友好協会会長で、福田さんは同協会の最高顧問である。

 

 中国についての見解は、中国を侵略して多大な迷惑をかけたということが基底にあった。そういう姿勢の福田さんの話は説得力があり納得いくものだった。その一つが南京事件であった。最近福田さんが南京を訪れたことに一部から批判の声が出ていたが、福田さんのソフトな語り口には、そんなことは意に介しないことを窺わせる静かな決意が現われていた。「虐殺があったことは事実。それが30万か20万か10万か、数字は問題ではない」というのだ。福田さんの基本姿勢に賛成である。康夫さんは父赳夫さんが総理のとき、その身近にいたのでその辺のエピソードも聴けて面白かった。

 

 平和友好条約は福田赳夫総理の時調印され鄧小平が来日して批准書が交換された。この時、鄧小平は日本財界からも歓迎を受けた。

 

 福田さんはこの講演から次のようなエピソードを紹介した。鄧小平は千葉の新日鉄の工場を見て驚き「これと同じ工場を中国に作ってください」と要請し、平岩社長(当時)は「はい、これよりよい工場をつくりましょう」と約束。松下幸之助(当時松下電器)も同じような要請を受けた。重役たちは慎重にとブレーキをかけたが、松下さんは「隣りの国が豊になるのだからいいじゃないか」と重役たちに話したという。平岩さんの頭には戦争中迷惑をかけたことが頭にあったのだろうと、福田さんは振り返っていた。かくして、鄧小平は国に帰って、近代化に踏み出したという。

 

 鄧小平は毛沢唐路線から大きくカーブを切って自由主義経済に踏み出したが、それには日本の経済力の協力が必要だった。日中平和友好条約の批准、そして新日鉄、松下の姿勢の背景にはこのような大きな流れがあったのではなかろうか。今月の「ふるさと塾」は中国を取り上げるが。このようなエピソードも話すつもりだ。また、福田さんは憲法改正問題にも触れて、改正するにしても不戦の理念をはっきりさせる必要があるときっぱり述べた。(読者に感謝)

 

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2018年10月 9日 (火)

人生意気に感ず「神田さち子の熱演、残留婦人・かえってきたおばあさん」

 

◇神田さち子さんの熱演「かえってきたおばあさん」で群馬会館は沸いた。大ホールは満席で、日中平和友好条約40周年を記念するにふさわしいイベントだった。

 

 私は群馬県日中友好協会会長として挨拶した。会場にはこの協会を知らない人も多い。挨拶の冒頭でこの会を紹介した。「平成25年、嵐の中で船出し民間交流の大切さを経験しました」。嵐の中とは、尖閣諸島をめぐって日中は戦後最悪といわれる程の状況であったことを指す。私は続けた。「世界情勢が激変する中、日中の関係は増々重要になりました。先日、中国大使館の中庭に石碑を建て『友情の絆を』を刻みました」日中の真の友情は歴史の真実を踏まえて育まれねばならない。

 

 神田さち子さんの一人芝居は、動乱を必死で生きる日本人女性の姿を通してこの歴史の真実を訴えていた。主人公の春代は我が子を殺し、夫に見捨てられ中国残留婦人となった。殺した筈の娘は実は生きていた。自分を見捨てたかつての夫カツゾウへの思いは複雑である。そんな思いを抱いて、春代は故郷鹿児島に一時帰国する。テレビで報じられてもカツゾウは姿を現さない。失望して中国へ帰ろうとする時、カツゾウから一通の手紙が届いた。春代はそれを読んだ。驚くべきことが綴られている。カツゾウは、満州の荒野で春代と別れた後、朝鮮まで歩いたが38度線あたりでソ連に逮捕されシベリアの強制収容所に送られたという。今は鹿児島で家庭をもっている。現在の妻も春代さんに会いたいと言っているから家に来てくれとある。手紙を読む春代の姿は感動的だ。春代は結局カツゾウに会わないで中国へ帰る。中国には可愛い子どもと夫が待っている。春代は叫んだ。「カツゾウさんと私を引き裂いたものは戦争です。あんな戦争は二度と決して起こしてはなりません」。背後の大きなスクリーンに、満州を象徴する真赤な太陽、それに重なる杖をついた「かえってきたおばあさん」のシルエットが。会場から大きな拍手が起きた。

 

 表に現われない多くの残留婦人たちの現実は深刻に違いない。その現実を知らなければ戦争の悲惨さも分からない。スクリーンには大きな満州の地図が掲げられた。「五族協和、東西の新秩序、満州は生命線と国は喧伝し人々はそれを信じました。しかし、他人の国に武力で踏み込んで勝手に満州は生命線もないものです」。春代さんは叫んだ。(読者に感謝)

 

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2018年10月 8日 (月)

小説「死の川を越えて」第125話

 

「先生、良いお話しをありがとうございました。俺の胸に大きな勇気が湧いてきました」

 

「それは嬉しい」

 

 こう言って二人は強く手を握り合った。

 

 

 

一、 立ちはだかる壁・癩予防法

 

 

 

 正助は、万場老人の不思議な過去に感動した。次に会った時、正助は、高まる気持ちを抑えて言った。

 

「先日、先生はとても気になることを言いました。この湯の沢の移転とか解散につながることがあると。俺は、そのことがとても気になっています。一体、どういうことなのですか」

 

「うーむ。重大なことで、我々の前に立ちはだかった大きな壁じゃ。時代の大きな流れの中で、国がある動きを始めようとしている。ハンセン病の患者を集めて収容しようという動きなのじゃ。癩予防法という法律が根拠になっておる。実は群馬県議会にも関係した動きがある。わしは、古巣の中央の官庁の友人から秘かに情報を得て調べておる。我々ハンセン病の運命に関わることじゃ。唯、流されるだけでは絶対にいかん。闘わねばならん。そのためには、情報を共有し、心を合わせねばならぬ」

 

 老人はそう言って、正助の顔を鋭く見据えた。

 

「前回、ベルツ博士のことを話したな。博士は最高学府を出たわしがハンセン病に罹ったことには意味があると申された。その時は漠然と受け止めていたが、最近核心に近づいていることを感じるようになった。そして、わしの使命が明らかになってきたのじゃ。我々の運命に関わる問題が目の前に現れたために、わしの使命が分かったのじゃ。それはこの大問題と対決することなのじゃ。わしは、老骨に鞭打って頑張るつもりじゃ。よいか、力を合わせるのだ」

 

「分かりました。俺は無学で難しいことは何も分かりませんが、先生の言う通り一生懸命動きます。そして、一生懸命勉強します」

 

「おお、よくぞ申した。この湯の沢で暮らしたことが重要な意味をもつことが分かってきたのだ。この湯の沢で暮らした体験を生かして、ハンセンの光を育てるのじゃ。ハンセンの人々の生きる力を育てるのじゃ。お前が大陸へ行って経験したことも生きるのじゃ。そうそう県議会へ、お前たち家族が行ったこともきっと生きるぞ」

 

 老人はきっぱりと言い放った。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2018年10月 7日 (日)

小説「死の川を越えて」第124話

 

 

 

「どきどきしますね。ベルツ博士は確か草津にも来ていますね」

 

「うむ、そうじゃ。わしは恩師の紹介でベルツ博士に会うことが出来た。驚いたことにな、ベルツはわしがレプラに罹ったという話しを聞くと直ぐに草津の湯を語り出したのじゃ。博士が言うには、草津の湯は強い酸性で結核によく効く、結核菌と癩菌はよく似ている」

 

「だから草津の湯はハンセン病にも効く筈だと。草津といえば、わしの祖先の地。ハンセン病に効く話は聞いていたが、高名な医学者に言われて、強く動かされたのじゃ」

 

「ははあ、それで先生は湯の沢に来たのですか」

 

「ここに辿り着くまでには、ずい分悩み、時間がかかったが、まあ、結論はそうじゃ。ところでな、ベルツはわしに大変重要なことを教えてくれた。お前には、今日それを伝えたい」

 

 万場老人は、ここで話すのを止め、茶をすすった。正助は、老人が何を語るのか固唾を呑む思いで待った。

 

「ベルツ博士は語った。ハンセン病は非常に歴史が古い。ハンセン病とどう向き合うかは人間性の問題だ。ハンセン病にはどこの国でも迷信と偏見がつきまとっている。無知が迷信と偏見を生む。また、社会の仕組みが無知と迷信を作り出す。こういうのだ。そして、博士は草津へ来て、共同浴場でハンセン病患者と一般の人が一緒に入っている様に腰を抜かす程驚いたと申す。そして、わしにこう申したのだ。日本の最高学府で学んだ君がレプラに罹ったことは、君にとっては誠に気の毒であるが、社会のためには重要な意味がある。自分のため、社会のために、レプラと向き合って闘ってみてはどうか、と。はい、そうですかと簡単に答えられる問題ではない。でもな、ベルツ博士の言葉はなぜか私の心を強く揺すった。草津には何かがあるに違いないと思い、この湯の沢に来たのじゃ。立身栄達とは無縁となったが、湯川の音を聞きながら、好きな書を読み、物を書くことに秘かな喜びも感じられるようになった。それに、お前たちが集まるようになってからは、人と交わりハンセン病という社会問題にも関わるようになった。今、わしは自分の人生を噛み締めておるぞ。東大、そして、ベルツ以来のことを話して、今、残りの人生が増々重要に思えてきた。正助頼むぞ」

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2018年10月 6日 (土)

小説「死の川を越えて」第123話

 

 正助は黙って老人の目を見た。偽名は通常のことだから驚くに当たらない。その上に、この人は何を話そうというのか。背後の天井に届く程の書物の山がこの老人の謎を静かに語り始めようとしているように見えた。

 

「わしの本姓は湯本じゃ。祖先は白砂川のほとりの集落でな、父の代に東京に出た。わしは東京帝大に入った。天下をとったような意気軒高たるものがあった。寮におってな、酒を飲むと皆で寮歌を高唱したぞ」

 

 驚いたことに、老人は正助の前で声高らかに歌い出したのだ。目を閉じ、昂然と胸を張る様は、昔の学生時代に立ち返っていることを物語っていた。正助は老人の中に若い心が息づいていることに感動した。

 

「大学を出て、官庁に入り、何年かして結婚した。全てが順風満帆に見えた。しかし、黒い転機は突然にやってきた。腕に妙な斑点が出来て不審に思っていたが、深刻には考えていなかった。省内の健康診断でレプラだと分かった時は天地が覆るが如き驚きだった。大地がぐらぐらと崩れていく。目の前が真暗となった。妻とも別れ、役所も去る決意をした。将来の事を考えると途方に暮れてな。夜、上野の忍ばずの池を何度も回った。何回目かの時、思い切って東大の構内に足を踏み入れた。忍ばずの池から道を一つ隔てた一またぎの所が東大の裏門で、そこを入ると坂の上に東大病院の建物が黒々と広がっていた。ここを過ぎるとな、安田講堂じゃ。大きな時計台の建物が黒い巨大な怪物のように立っている。わしはなぜかそこを目指していた。東大とも別れを告げる意識があったのかも知れん。医学部の建物を過ぎようとした時、はっと閃くものがあった。それは、ベルツ博士だ。ドイツ人の高名な医学者で、東大で教えていた。ハンセン病を研究しているとのことだ。わしは、何かを求め、藁にもすがる思いでベルツ博士に会う決意を固めたのじゃ」

 

 万場老人の話に正助の胸は躍った。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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2018年10月 5日 (金)

人生意気に感ず「早くも25号が、群馬は。群馬マラソン近し。帰ってきたおばあさん。ふるさと塾・へいわ」

 

◇24号という嵐が去ったと思ったら、その余韻も冷めぬ間に早くも台風25号が近づいている。前号と比べやや北を進んでいるようだ。列島周辺の気圧の塊の力関係により群馬県直撃は十分にあり得ることだ。その大型化と強力化は常態化してしまった。群馬県民は依然として安全神話にあぐらをかいているが、この神話を吹き飛ばす事態が早晩訪れるに違いない。

 

◇10月は諸事慌ただしい。そして私にとっても節目の時である。今月30日に満78歳を迎える。毎朝の走りは欠かさないが脚力の目に見えぬ衰えは認めざるを得ない。群馬マラソン10キロの完走は容易だが、タイムは大幅に落ちるだろう。マスコミは人生100年時代に入ったと盛んに言っている。その受け止めは人によって様々だろう。私には100年という大山が目の前に迫り、それに足をかけようとしている感がする。この山には様々な怪物が待ち構えているだろう。新たな発見もあるに違いない。

 

◇今月12日、上毛新聞連載の小説「死の川を越えて」は上下2巻として上毛新聞社から出版される。その前に産経新聞で連載された小説「至誠の人 楫取素彦」もいずれ本にする予定で、先日産経以外からの出版について産経新聞の了解を得た。

 

◇群馬県日中友好協会は重要な役割を果たしつつある。尖閣問題で緊迫する状況下でスタートして、いくつかの重要な課題をこなしてきた。今年は日中平和友好条約40周年で、中国はアメリカと対決する中で戦略的に日本に大きく接近している。日本の役割は大きい。先日中国大使館に「友情の絆を」の石碑を建てた。文は私のもので揮毫は福田康夫さんである。来る6日、群馬会館ホールで神田幸子さんの「帰ってきたおばあさん」上演会を行う。入場料無料ということもあるのか、既に満席の状況である。

 

◇毎週水曜日の「へいわ845」は先週で62回。世界に配信している。毎日のブログは私の舞台であり文章修業の場ともなっている。月1の「ふるさと塾」も長く続けている言わば私の戦場。これら忙しい仕事が可能なのは、県会議員をやめたからであり、優秀な事務員とボランティアの協力のお陰である。

 

◇今、田中正造の研究に打ち込んでいる。正造の活動には現代的意味が大きい。「甦る田中正造」は私の人生の大きな課題になりそうだ。渡良瀬川は「死の川」であった。死の川は至る所に存在する。(読者に感謝)

 

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2018年10月 4日 (木)

人生意気に感ず「平和の講義でキャスリン・伊勢湾・水俣病を。万葉集を買う」

 

◇3日(水)のへいわ「へいわ845」は第62回で、「災害と平和」をテーマに話した。平和とは平穏な生活が出来ることであり、平和を脅かすものは戦争だけではない、それは大災害であるという視点。大災害として、キャスリン台風・伊勢湾台風を取り上げ、公害・水俣病について話した。毎週水曜日朝の私の講義は短い時間だが中味は濃い。外部の一般者も何人か参加している。問合せ先は027-243-2222.私を支えるスタッフは2人で、動画を世界に配信している。

 

 キャスリン台風を取り上げたのは、群馬は大丈夫という安全神話に警鐘を鳴らすため。昭和22年赤城山を中心に異常な降雨があった。群馬県の死者・行方不明者は699人。私は小学1年生で、通学路の二つの橋が落ちた。赤城山は保水力が小さい。最近の異常気象の下でキャスリンの再来は有り得ることである。

 

 昭和34年の伊勢湾台風は空前の大災害で、死者・行方不明者は5,098人に達した。これを取り上げたのは、今回の台風24号の中でNHKは何回となく伊勢湾を凌ぐ被害を訴えていたからだ。風力、降水量からすればその恐れは十分あった。最近の異常気象の下では伊勢湾を想定しなければと思って訴えた。この伊勢湾台風を機に「災害対策基本法」が作られ、都道府県はその義務として災害対策に取り組むことになった。そのために死者の数は各地の災害で激減したのである。公害・水俣病は有機水銀が神経の中枢を侵す奇病で、飛んでいるカラスが落ち、猫は壁に頭を打ち付け、人間は犬の鳴き声のような声を出して狂った。資本主義の下で国も自治体もこのような企業を守ろうとする構造は基本的に変わらない。足尾鉱毒事件がそうだった。福島原発事故もそうだ。来週の公害は神通川のイタイイタイ病を取り上げる。「神の通る川」といわれた美しい流れはカドミウムによって「死の川」となった。

 

◇昨日、煥乎堂古書部で万葉集3巻を購入。動機は雄略天皇の歌である。天皇が菜を摘む美しい娘に愛の声をかけた。「菜摘す児 家聞かな 名告らさね」家はどこか、名は何というか教えて欲しいと。今なら不審者情報としてケータイに流れることだろう。のどかな時代であった。万葉集は日本人の心の原点である。昔大学一年の時、原教授は哲学の講義でこの歌に触れた。「昔天皇が娘にどうだと声をかけた」と。教室に静かな笑いが広がった。懐かしい思い出である。(読者に感謝)

 

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2018年10月 3日 (水)

人生意気に感ず「ノーベル賞の快挙。免疫療法。追い詰められる怪物。インドネシアの巨大地震は」

 

◇突然の朗報に私の胸は躍った。ノーベル賞、それも画期的な抗がん剤を生み出した研究である。2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ時代である。世の中はどこもかしこもがんであふれている。「2人に1人」、そして「3人に1人」は極めて身近に感じられる。がんの波はじわじわと明日は我が身とばかりに迫る。

 

 受賞者本庶氏の研究は免疫療法という点で画期的である。人間の体には異物を攻撃して身を守る免疫がある。この免疫がなぜ癌細胞には働かないのか。永遠の謎と思われてきた。がん細胞は免疫から逃れ、自らを守る力を持っていた。がん細胞がもつその秘密を発見したのである。がんがもつその秘密の仕組みを逆手にとってやっつける方法を発見したのだ。その成果が抗がん剤「オプシーボ」である。劇的な効果が確認されている。末期がんにも効果があるという。この薬は驚く程高価である。オプシーボの薬価は発売時100ミリグラム73万円。その後半額に引き下げられたというがそれでも高い。正に「地獄の沙汰も金次第」である。

 

◇日本人のノーベル賞受賞は24人。外国籍を含めると計27人である。全ての受賞者が一様に語ることは長い間の陽の当たらないこつこつとした基礎研究の努力である。目先の利益を追及した結果ではない。ひたすらに学問を愛した姿が胸を打つ。教育の成果であるが、現在の教育がここに繋がっているか心配である。理科離れが進んでいる。その底には教育に関する根本的な問題がある。教育の目的は生きる力を育むことだ。そして、生きる力の中には、未知なるものに対する夢、それを求める好奇心、チャレンジ精神がある筈である。知識偏重で窮屈な教育環境はこのような心の力を抑えつけている。

 

◇がんの治療で免疫療法が脚光を浴びたことについて、私には感慨深いものがある。私の妻は40歳でがん死したが、私は藁をもすがる思いで走った。当時、免疫療法と関係が深い丸山ワクチンがあった。私は退院した妻に自らこのワクチンを注射した。彼女は天国で今回の本庶氏の偉業を心から喜んでいるに違いない。

 

◇インドネシアの大地震の被害が日を追って増大し、1234人に達したという。救済の手が届かぬところがあり、情報不足もひどいらしいから更にこの数字は増えるだろう。日本にも巨大地震が近づいている。とても他人事とは思えない。(読者に感謝)

 

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2018年10月 2日 (火)

人生意気に感ず「中国が抱える悩み。中国の少子高齢化。中国の社会主義とは」

 

◇9月27日、ホテルニューオータニの中国主宰のイベントは上昇気流の勢いを感じさせた。しかしその華やかさの陰にある中国の深刻な情況を想像した。アメリカとの経済の対立、少数民族の問題、高齢少子化、一党独裁の維持等数えればきりがない程難問が山積している。

 

 1949年、毛沢東は内戦を征し、天安門上で中華人民共和国の建国を宣言した。今年は建国69年にあたる。また、日中平和友好条約締結40周年でもある。中国は今大きな試練の時を迎えている。日本は、米中の間に立って極めて重要な役割を担っている。

 

 私は群馬県日中友好協会会長として、中国がこの協会を非常に重視していることを感じる。それは福田康夫元総理がこの協会の最高顧問を務めていることと大いに関係することだと思う。元総理に対する中国の信頼は大変なものだ。

 

 中国は強かな国である。アメリカとの対立が激化していることから、日本に接近することの重要性と必要性を計算しているに違いない。

 

 群馬県日中友好協会所属の企業人と話した。中国に大規模な老人施設をつくっている人。この人は、中国の高齢少子化状況の凄さと深刻さを語った。日本の介護保健のような制度はない。社会主義とは名ばかりではないかと思う。

 

 一人っ子政策は止め、二人の子を持つことを許される現状だが、若い夫婦は一人しか子を持とうとしない。このままでは人口のアンバランスは深刻化する。政府は三人の子どもを持つよう働きかけようとしている。

 

 中国は最近、三匹の子ブタを持つブタの家族の記念切手を売り出した。これが何を意図するかは明らかである。しかし、最近の若者は笛吹けど踊らずである。日本の若者と同様ハングリー精神がとぼしい。一人っ子は王子様、王女様として育てられたからだ。家族の絆も薄くなっているらしい。人口学者は「一人っ子世代の夫婦にスピード離婚が多い」と懸念している。社会主義は全ての人間が平等に豊かであることを理想としている。それは国家の政策と共に一人一人の国民の自覚がいかに重要かを示すもの。最近の中国は特色ある中国的社会主義を打ち出した。「一帯一路」を掲げ中国はどこへ向かうのか。孔子、孟子の思想は消え去るのか。中国大使館の庭に、私たちは「友情の絆を」と石に刻んだ。日本の真の友情が今求められていることを痛感する。(読者に感謝)

 

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2018年10月 1日 (月)

人生意気に感ず「台風24号の衝撃。インドネシア大地震が意味するもの」

 

◇台風24号についてテレビは繰り返し記録的暴風雨と報道していた。午前0時、前橋あたりも大暴風域に入った。凄い音だ。テレビはこの後、最大瞬間風速50mと予測している。これまで経験したことのない風速。利根川などはどうなっているだろう。地球温暖化が原因で異常な台風が常態化しているに違いない。太平洋戦争下のB29の襲来が日常的になるようなものだ。群馬は大丈夫などと安全神話にあぐらをかいていられないことは火を見るよりも明らかである。

 

 問題は、私たちの生活を支える山や川などの自然も、街のインフラも、全てが過去の災害を想定していることである。今起きている新たな事態に対しては、それが通用しなくなっているのだ。いわば、全てが想定外なのだ。

 

◇今回の報道はしきりに伊勢湾台風に匹敵する災害を警告している。昭和34年に襲ったこの台風は死者不明5098人を出し正に今世紀最大の自然災害と言われた。その惨状は、広島長崎の原爆被災地の再来かと思わせた。

 

 国や自治体はこのような事態が今後頻繁に生じると思わねばならないのに、果たして備えはあるのだろうか。私たちは、行政に頼れないとすれば、日頃から最大限の備えを個人として尽くさねばならない。しかし、もとよりそれには限界がある。政治は何のためにあるのかという原点に立って、私たちは政治を動かさねばならない。現状は渦巻く政治不信がそれを妨げている。かつては学生たち若者が世論の先頭に立って行動したが、今やそれも鳴りを潜めている。民主主義の危機と言わねばならない。

 

◇インドネシアで大きな地震と津波が発生し被害が拡大している模様だ。384人が死亡したとされるが、通信が寸断されていることから犠牲者は増えるのではないか。M7・5で、津波は一説では6mを超えた。地震が頻発している日本の情況からして、他人ごととは思えない。現地は混乱し阿鼻叫喚が予想される。報道によれば刑務所の壁が崩壊し多くの受刑者が逃走しているという。

 

◇大阪の拘留中逃走犯が遂に逮捕された。逃走中、道の駅で万引きをし、現行犯逮捕された。逃走資金が尽きた果ての万引きだろう。

 

 警察は自らの過失で逃走を許したという責任を感じたのだろう。その威信をかけて物々しい力の入れようだった。それにしても群馬の警察官による強盗事件はどうなったのか。生きているとすれば受刑者以上の苦痛であろうと思われる。(読者に感謝)

 

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