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2018年9月17日 (月)

小説「死の川を越えて」第117話

 

「湯の沢で、森川様が初めて私を見て大変驚かれたわけが分かりました」

 

「うむ。お品の子が成長した姿を見て、いかにも感慨深げであった。じゃがよいかな。わしがここでお前に言いたいことは別にある。よく聞くがよい。わしの人生は差別との闘いだった。お前の父もそうであった。しかし、人間の本質はそんな上っ面のものではない。マーガレット・リーさんが財産と命を投げ打って闘っているのはこの人間の本質を信じるからじゃ。ドイツ人のカールさんが生きるに値しない命について熱く語ったのも同じ、人間の尊さを知るからじゃ。お前に言いたいことは、父のことを決して引け目に思うことなく、大きな誇りにせよということじゃ。お前の母は夫のことを大変尊敬しておった。妹のお藤も同様だった。あの海底洞窟に入ったのも、少女のころ助けられたことへの恩返しだけでなく、義兄を心から尊敬していたからに違いない。今日は、お前に関することをお前だけに話したかった。ほっとしたぞ。胸につかえていたのだ。あとは、正助など揃ったところで話すことがある。今日は、ここまでじゃ」

 

 それから暫くして万場老人から声がかかりいつもの人たちが集まった。老人がおやという目を向けた。その視線の先に見慣れぬ女の姿があった。老人の表情に気付いた正助が言った。

 

「市川とめさんです。赤ちゃんを連れてこの湯之沢に来て、生きることの大切さを知った人です。仲間に入れてやって下さい」

 

 正助とさやは、かつて幼い娘を殺して自分も死のうとしていたとめを偶然助けた出来事を思い出し、この勉強会に誘ったのであった。

 

「おうそうか。大切な同志ですな。歓迎しますぞ」

 

 老人は嬉しそうに言った。

 

「正助が初めてここを訪ねた時のことを思い出す。お前は、あの時、ハンセン病と戦って人間として生きるために湯の沢の歴史を知りたいと言ったな。わしは驚き、そして嬉しかったのだ。わしはあの時、確かハンセン病の光を語った筈じゃ。あれから歳月があっという間に過ぎた。この間の世の中の変化は目を奪うばかり。我々ハンセン病の身も、社会の動きそして世界の動きと結びついていることを正助の体験からも知った。わしも、お前たち若者にずいぶんと教えられたのだ。わしは今、老いの身で決意したことがある。それは、我らが経験したことをバラバラにしておくのでなく、一つにつなげて理解することが力になるということじゃ。そのために、わしの知識が役立てばと思うぞ」

 

 そう言って、老人は、分かるかなという目で一人一人の顔を覗き込んだ。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

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