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2018年9月15日 (土)

小説「死の川を越えて」第115話

 

正助は、湯の沢集落に帰って、万場軍兵衛に報告した。

 

「そうか。牛川知事に会ったか。着任してそれ程経っていないが既に名県令との噂が出ている。大震災後の財政の難局を緊縮財政で乗り切る決意を示している。知事への信望がなければまとまらないことだ。それからもう一つ、県庁舎の改築を決断した。これは、初代の楫取県令以来の懸案に断を下したことを意味する快挙なのじゃ」

 

 万場老人の声には熱がこもっている。正助は難しいことは分からないが、偉い知事に会ったのだということに今更ながら驚いていた。万場老人は正助の真剣な眼差しを確かめるようにして続けた。

 

「実はな、県庁は初め高崎に決まりかけていたのを楫取県令が強引に前橋に持ってきた。高崎市民は怒って裁判まで起こしたが動かなかった。以来、高崎は長い間、この問題にこだわっている。県庁舎は県政の殿堂であり、県民の心の拠り所じゃ。ぐらぐらしていては、県政の発展の妨げとなる。この度、牛川知事が前橋市の10万円の寄付を受け入れて、県庁舎改築に踏み切ったことは、積年の問題に決着をつけることを意味する。県議会では高崎出身の議員を含めて誰も反対しなかったという。これは一重に牛川知事の人徳じゃ。恐らく楫取と並ぶ名県令との評判が出ることであろう。正助よ、お前はこんな偉い知事に会ったのだ。このことはきっと、湯の沢のためになるに違いない」

 

万場老人はきっぱりと言った。

 

 70歳を過ぎてから万場老人は時々、体力の衰えを訴えるようになった。時代は昭和が近づき、内外の情勢は増々風雲急を告げていた。万場老人の元へは、どこからか様々な情報が入るらしかった。その度に、憂える様子がこずえには良く分かった。

 

 ある時、老人がいつになく何か語りたげな顔をこずえに向けた。

 

「お前に話しておかねばならぬことがある。時を失すると取り返しがつかぬからな」

 

「改まって何でございますか。ご隠居様、何か恐いみたい」

 

「わしも、いつまでも生きるわけではない。話しておくことと、あちらへ持っていくことを分けねばならぬ」

 

「まあ、そのような御冗談を」

 

「お前の生まれについては敢えて語らぬことがあった。お前の心の成長を待つべきと思ったからだ。その時が来たようじゃ」

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

 

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