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2018年9月23日 (日)

小説「死の川を越えて」第119話

 

こずえだけではなかった。誰もが不思議な世界に引き込まれたようにじっと耳を傾けていた。

 

「ご隠居様、お話しに力が入って、興奮されている御様子。あまり疲れてはお身体に毒。今日はここまでになされては」

 

 こずえの声に万場老人は嬉しげに頷いた。

 

 こずえは自分の身にも関わるこの重大な秘密を改めてしっかり聞きたかったのだ。

 

「話したいことは山ほどあるぞ。しかし、ここまでじゃ。この次は我々の運命に関わる社会の変化を話さねばならぬ」

 

 次の集まりでは顔ぶれに変化が見られた。マーガレット・リーと大門親分が参加したのだ。

 

 万場老人は一同を見て、これはこれはという表情で言った。

 

「今日は、世の中が急激に激しくなって、我々が増々肩身が狭くなっている話しをせねばならぬ」

 

「難しいお話しらしいわね」

 

 こずえは皆に気をつかっている様子である。

 

「前に、リー先生も参加して、ドイツ人のカールさんが『生きるに値しない命』という考えを問題にして皆で憤慨したことがあったな」

 

 万場老人の視線を受けてリー女史が頷いた。

 

「あれが、我々に強く関わる思想だと増々感じるようになってきた。じわりじわりと匕首が迫ってきおった」

 

「どういうことですか」

 

 リー女史が驚いた顔で言った。

 

「日本が戦争に向かっている。経済が非常に悪い。こう言えばわかるであろう。戦争に参加出来ない者、工場や田畑で働けない者は、税金だけかかる御荷物ということになる。日本はドイツのように、無用の人間を殺したりしないが、税金の無駄づかいという声が聞こえてくるようじゃ。誠に辛い」

 

「ドイツの危険思想を唯非難するだけでは済まないということなのね」

 

 リー女史の目つきが厳しくなっていた。

 

「そうじゃ、あの時は、そんな考えは間違っていると攻撃したが、ではどうしたらよいかを論じなかったのじゃ。よわったものだ」

 

「難しい理屈は分からねえが、この湯の沢のように自治会があって、リー先生のような支えがある所は、お上に頼る部分が少ねえから上等だと思うが」

 

 大門の親分が言った。

 

「その通りじゃ。ところが、この湯の沢集落の将来も最近不安になってきた。誠に重大な問題なのじゃ。湯の沢集落の移転と解散に繋がることだ。腰を据えて対策を考えねばならぬ」

 

「えっ、そんな深刻な問題があるとは聞き捨てならねえ。じっくり聞かせてもらいてえもんだ」

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

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