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2018年8月21日 (火)

人生意気に感ず「荒畑寒村10巻を買う。谷中村滅亡史。幸徳秋水の死刑」

 

◇つい先日、荒畑寒村著作集全10巻を煥乎堂古書部で購入した。箱入りの新品状態で定価通りなら2万4千円のものを一冊600円ということで6千円であった。古本漁りは面白い。私の少年時代からの趣味である。

 

 荒畑寒村は熱血清冽な社会主義者であった。大逆事件で処刑された幸徳秋水や管のすが等と交流があったが、私が特に関心を抱くのは田中正造との関係である。寒村が弱冠20歳の時、政府の谷中村強制収容に痛憤して一気呵成に書き上げたのが「谷中村滅亡史」であった。20歳の筆先に遠慮などはない。刃から血がしたたるような容赦のない攻撃振りのこの書は発行と同時に発売禁止になった。この谷中村滅亡史は著作集第一巻に収められている。そこでは、後に復刻出版された時のことを56年ぶりに死児に再会するようだと語っている。

 

 私は、現在田中正造に打ち込んでいるが、資料として岩波文庫版を寒村の熱血に衝き動かされるように一気呵成に読んだ。

 

 田中正造が帝国議会で鉱毒問題で政府を追及したのは日本の運命がかかった大変な時代であった。田中正造は、住民運動でも議会活動でも鉱毒被害の解決に道が開かれないことに失望して一大決心する。それが明治天皇に対する直訴である。議会を辞し、妻に別れの手紙を書き、決行に及んだのは1901(明治34)年のことであった。直訴状を書いたのは社会主義者幸徳秋水であった。

 

 この時、進んでいた日本の運命を左右する大事件とは日露戦争である。その開戦は直訴事件のおよそ3年後、1904(明治37)年であった。政府の指導者とすれば、世界最強の陸軍国ロシアとの戦いが遥かに重要である。田中は「鉱毒によって国民の命を奪う政府に、国民に戦争に命を捧げることを強制することはできない筈だ」と絶叫した。

 

 そして、幸徳秋水や荒畑寒村等社会主義者は日露戦争に反対であった。でっち上げと言われた大逆事件はこのような状況で、1910(明治43)年に起きた。政府は戦争に反対する社会主義者を根こそぎにする狙いであった。

 

 荒畑寒村と結ばれていた管野すがは大逆事件に連座して処刑された。30歳であった。一方荒畑寒村は94歳まで生きた。彼は91歳の時、モンブランを訪れて「名にしおう、ユングフラウの立ち姿、わが初恋の女に似たりし」とうたった。気高くそびえる高峰に管野の姿を重ねたのか。(読者に感謝)

 

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