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2018年8月10日 (金)

人生意気に感ず「へいわの講義で核を。8月5日の前橋、6日の広島」

 

◇8日(水)、「へいわ845」54回目のショート講義のテーマは「核」で、その2回目。私はマンハッタン計画の発端から話した。アインシュタインが物理学者を代表してサインしてルーズベルトに提案した核の製造計画である。アメリカはナチスに先を越されることを恐れ、この提案を容れて膨大な予算を注いで取り組んだ。昭和20年7月16日、2個の原爆実験に成功。しかし当初目標にしたドイツは既に2カ月程前無条件降伏していた。あとは日本のみとなった。そして、日本の敗色は濃く各地はB29の攻撃に晒されていた。

 

 完成した原爆は早くも7月26日太平洋上のテニアン島に運び込まれた。日本は風前の灯であったが、原爆のことを知らぬ日本軍の一部は本土決戦を本気で考えていた。

 

 そしていよいよ運命の8月である。ここで私は「今年の夏は観測史上例がない暑さであるが、73年前の8月は更に熱い焦熱地獄であった」と述べ、そして次のように語った。「8月5日前橋空襲。翌6日に広島に、9日長崎にそれぞれ原爆が投下されました」

 

 ここで私は次のように話し、人々の気持ちを盛り上げようとした。

 

「8月5日、皆さんは73年前の前橋空襲についてどの位の被害が発生したかご存知ですか。夜10時半、92機のB29が約2時間にわたり空襲し、前橋は炎によって焼き尽くされ廃墟になりました。死者は535人でした。当時4歳であった私は、母に手を引かれ前橋公園の防空壕に逃げ込んだ時のことを鮮明に覚えています」

 

 翌朝、前橋の街の光景は一変し、見渡す限り廃墟が広がっていた。この日、つまり8月6日の朝8時15分、私が死の街の姿に呆然としていた頃、遥か西の広島では想像を超えたとんでもないことが生じていた。人類史上初の原爆投下である。「へいわ845」ではここまでを話した。

 

◇昭和20年8月6日午前8時15分、広島の上空で目もくらむ閃光が走った。火の玉の中心は数百万度、爆心地は3000度から4000度に達し、多くの人々は即死した。人々は先を争うように水を求め、川は死体で埋まった。

 

 歩く人は手を前に出し、赤い肉がたれ下がっていた。母親の死体にすがりつき乳を飲もうとする子ども。かつて誰もが想像も及ばなかった地獄絵が展開していた。あれから73年が過ぎた。今年の酷暑は何を意味するのか。(読者に感謝)

 

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