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2018年8月27日 (月)

人生意気に感ず「小説“死の川を越えて”が上下2巻の書に。草津楽泉園で講演を」

 

◇上毛新聞連載の小説「死の川を越えて」が上毛から出版される。何回か校正を重ねて完成に近づいた。ハンセン病に対する差別と闘う人間ドラマで、連載は約1年に亘った。新聞連載は産経新聞(群馬版)に「至誠の人・楫取素彦物語」を一年間連載したのに続いて2回目であった。

 

 新聞でハンセン病を小説として正面から扱うには新聞社として勇気の要ることであった。ハンセン病の患者を書く視点によって社会の様々な反応が予想されたからである。

 

 私は上毛新聞の英断を傷つけることがないようにと決意して筆を進めた。難しい問題を易しく表現することを心掛けると共にドラマの展開を面白くするよう苦心した。

 

 物語は死の川の辺のハンセン病の集落から始まる。ここに万場軍兵衛という不思議な人物が書物に埋もれて暮らしていた。ある時、正助という一人の少年が軍兵衛を訪ね「人間として生きたい」と言った時、軍兵衛は「この集落にはハンセン病の光がある」と不思議なことを語った。

 

 この物語の展開は日本が歩んだ時代背景と不可分である。それは戦争の時代であった。日本は、中国大陸へ進出、日中戦争、そして太平洋戦争へと進んだ。それは個人の権利よりも国家目的を第一に考える軍国主義、全体主義の渦中であった。戦争遂行の妨げとなるハンセン病は国辱とされ、人権無視の隔離政策がとられた。その象徴が悪魔の牢獄重監房であった。軍兵衛たちは重監房の人を救うためにカツオブシを差し入れた。

 

◇時代は大きく転換する。開闢以来の敗戦を契機に人間尊重の日本国憲法が生まれたのだ。軍兵衛は死の床で「憲法を活かして国を相手に裁判せよ」と言い遺して世を去った。

 

 湯の沢集落には、元熊本帝大で人権を教えていた水野高明という人物がいた。水野は熊本県に住む元教え子から熊本地裁で始まった訴訟の情報を得ていた。草津の人々は軍兵衛の遺志を守り訴訟の勝利を目指して頑張る。物語の様々な動きは細流となって、国家の犯罪を追及する大河に合流する。

 

◇9月15日、草津楽泉園の中央会館で、「死の川を越えてを書き終えて」と題した私の講演会が開かれる。午後1時から3時まで。また、10月20日には愛知県の浄土真宗大谷派別院で同様な内容の講演が予定されている。(読者に感謝)

 

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