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2018年7月 9日 (月)

人生意気に感ず「遂に7人を処刑。死刑を論ずる時。殺人看護師の怪」

 

◇松本智津夫元教祖以下7人の死刑が執行された。世界が注目する衝撃の出来事を感情的に、そして興味本位に見ている人が非常に多い。

 

 しかし、事件から教訓を引き出さねばならない。そのためにはショーで終わらせてはならない。事件は社会の病理を背景として起きている。若者の渇いた心の隙に邪教が蛇のようにもぐり込んで棲みついた。高学歴の者が多かったが、教育とは彼らにとって何だったのか。絞首台に引き立てられ首に縄をかけられた時、生きたいと言って泣き叫んだのであろうか。自業自得と突き放して見ることは許されるのか。

 

 EU(欧州連合)からは処刑の中止を求め日本の死刑制度を批判する声が届いた。事件から真の教訓を引き出すためにも死刑制度を真剣に議論すべきではないか。

 

◇松本元教祖の死が殉教と解釈され、神とされれば邪教が生き延びることになる。今、元教祖の神格化として懸念されている問題である。ここで元教祖の遺体の行方が注目されている。元教祖は処刑の直前、その四女に遺体を渡すことを遺言したという。公判で口を閉ざし正常な判断を危ぶまれていた者に、果たしてこのような決断が可能なのか。ミステリアスなことに思える。

 

◇先進国の中で日本は死刑を堅持する数少ない国の一つである。死刑の是非については論ずべき点がいくつかある。憲法は残虐な刑罰を禁じているが、最高裁は現行の絞首刑は残虐にあたらないとする。最大の問題は冤罪の恐れである。執行後に無罪が判明した場合は取り返しがつかない。制度存置による犯罪抑止効果については両論がある。死刑は極刑であるが、これに次ぐ重刑の無期刑との間の差があり過ぎる。無期は10年程で出られる可能性があるからだ。そこで終身刑を創設すべきだという議論が強い。国家権力は、正義でなければならない。人権尊重を高く掲げる文化国家に於いて国家が人の命を奪うことが許されるのかという基本的な問いかけが存在するのである。

 

◇人の命が木の葉のように扱われる風潮がある。先の短い高齢者は生きるに値しないとして汚物のように投げ捨てられる事件が跡を絶たない。福祉施設の上階から投げ捨てられたと思われる例があった。今度は看護師が点滴の溶液に消毒液を混入して2人を殺した容疑が浮上した。この女は20人もの人に消毒液を点滴したと証言している。さほどの罪の意識がないらしい。社会の何かが大きく狂い出したのだ。(読者に感謝)

 

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