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2018年7月23日 (月)

人生意気に感ず「ふるさと塾でマララとパキスタンを語る。マララの演説」

 

◇今月の「ふるさと塾」はマララ招請を意識して話した。昼は焦熱地獄もかくやと思われる暑さだったが30人以上が参加した。

 

 先ずパキスタンの地図を映像で示した。インド、アフガニスタン、イランに接し、北は8千m級のヒマラヤの山々で、ここからインダス川が国土を東西に分けて流れ、アラビア海に注ぐ。イランはかつてのペルシャである。ペルシャを征したアレキサンダーが紀元前このパキスタンに入った。壮大な民族の興亡の歴史を背景に今も激しい争いが絶えない。

 

 マララはこのパキスタンの北部スワート渓谷の地に生まれた。極端に女性を差別する因習の地で、女に教育は不要とされた。マララの父は学校の経営者で女性の教育を進めていた。マララは5歳で字を読み、女性の教育の必要を信じ女性の権利のために闘う少女として注目される存在となっていった。イスラム過激派タリバンにとって許せぬマララは命を狙われることとなった。

 

 2012年10月9日、15歳のマララは側頭部を打たれ瀕死の重傷を負った。九死に一生を得たマララは16歳の誕生日(7月12日)に国連本部でスピーチした。私は、ふるさと塾でこのスピーチの要点を紹介した。

 

「皆さん、マララデーは私の日ではありません。今日は権利を求めて声を上げたすべての女性、すべての少年少女の日です」

 

 国連はマララの誕生日は7月12日をマララデーと名付けたのである。マララは続ける。

 

「何百人もの人権活動家やソーシャルワーカーがその権利を言葉で主張するだけでなく、平和、教育、平等という目標を達成するめたに日々闘っています。テロリストによって命を奪われた人々は数千人。負傷した人々は数百人にのぼります。私はその一人にすぎません。私は2012年10月9日、タリバン兵に左の側頭部を撃たれました。彼らは銃弾で私を黙らせようと考えたのですが、そうはいきませんでした。その時、沈黙の中から数千の声が上がったのです。テロリストは私たちの目的を変えさせ、私の意思をくじこうとしたのですが、私の人生で変わったことは一つだけ。それは弱さ、恐怖、絶望にかえて強さと力、勇気が生まれたということです。私は今までと同じマララです。私の意志も変わっていません。私の希望も夢もそのままです」

 

 このマララの言葉を塾生が真剣に受け止めた姿が私を勇気づけてくれた。熱い一日もマララの熱さに比べたら物の数ではない。(読者に感謝)

 

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