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2018年5月31日 (木)

人生意気に感ず「日大の行方。米朝と日本の行方。司法取引」

 

◇日大悪質タックル問題が日本社会に大きな衝撃を与え、予想を超えた展開を見せている。私たちは、興味本位にテレビの三面記事的に捉えることなく、現代社会に投げかける真の意味を考えるべきである。

 

 アメリカンフットボールの連盟は、内田前監督及び井上前コーチを除名処分にした。組織ぐるみの反則の実態が浮き上がってきた。

 

 背後からの凄い勢いでのタックルの光景が繰り返し報じられた。激しいスポーツで鍛え抜かれた一流プレーヤーの攻撃によって大変な傷害が生じる危険があった。法的には故意である。今後、刑事事件としてどのような展開を示すのか注目される。

 

 今回の事件は大学のスポーツの場で、勝利を求める余りに生じた。スポーツが教育の一環であることを忘れた状況が大学スポーツ界に生じていたに違いない。スポーツの「勝利至上主義」が荒廃した教育の世界で進んでいる。この傾向がスポーツ嫌いを生んでいることが指摘されている。武道が教育に取り入れられているが、その行方にも影響を与えているに違いない。学校の部活では体罰が問題となっているがこれも勝利至上主義に結びついていることであろう。この日大タックル事件をスポーツとは何か、教育とは何かを考える契機にしなければならない。

 

◇米朝首脳会談は果たして行われるのか。トランプ大統領は、一度中止を表明したが、その後実施の方向で状況は激しく動いているようだ。会う場合には確実な成果が実現しなくては、世界のもの笑いになる。米中間選挙の勝敗にも大きく関わる。会見のための細い、そして微妙な詰めの交渉と駆け引きが行われているのだろう。北朝鮮はしたたかな曲者。国の存立をかけた抜け道や策略を模索しているに違いない。最も気がかりなのは、朝鮮半島からの米軍撤退と拉致問題である。半島からの米軍撤退は、日本の安全保障に重大な影響を及ぼす。ぎりぎりの交渉で拉致は後退の恐れがある。安倍首相はこれらの協議でワシントン入りする。正に日本にとって息をのむ瞬間が近づく。

 

◇「司法取引」が明日から始まる。アメリカでは昔からあったが日本では考えられないことと思っていた。仲間を「売る」かわりに刑事処分を軽くしてもらうとの見方も。取引によって刑事処分がかわるとは。取引の対象となる犯罪は限られる。冤罪の危険性があるが効果は大だ。(読者に感謝)

 

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2018年5月30日 (水)

人生意気に感ず「90歳の事故は。受刑者の告白か。精神の崩壊か最近の犯罪」

 

◇90歳の女性が交通事故を起こし、一人を死に至らしめた。まず驚くことは世の中の大変化である。人生50年と言われたのはそんなに昔のことではない。「二十四の瞳」という映画の中では、大石先生という若い女教師が自転車に乗って現れたことに驚く場面があった。交通の激しい大都会を現代メカの粋を集めた自動車を操って日常生活を送る90歳の女性。高齢者が自動車事故を起こす度に大きな話題になる。そして免許返上が問題になる。高齢者にとって自動車程助けになるものはない。高齢者が安全に乗れる自動車の進化も重要な論点である。人間も一つの機械と見ることができる。その司令塔たるコンピューターは脳である。そこに忍び寄るのは認知機能の衰えである。認知症が数百万人と言われる時代に入りつつある。認知症と車の運転は両立し難い。これは人類が、そして日本の社会が直面する最大の課題の一つである。

 

◇最近不可解な事件が余りに多い。ごく普通の市民が突然変身したように殺人鬼になる。人間の心の崩壊現象ともいうべきものが起きているように思えてならない。人を律する法制度がこの急激な変化に対応できないようだ。

 

 またミステリアスな事件が報じられている。2004年に岡山県で小3女児の殺害事件が起きた。目撃者はなく物証も乏しく、事件は迷宮入りかと思われていた。ところが別の事件で有罪判決を受け服役中の人物がこの少女の殺害を供述し始め、警察は今日にも逮捕するという。この受刑者の心に何が起きているのか興味あることである。過去に、受刑者がうなされて、犯した罪を自供するという例はよくあった。これは人間には良心があることを物語るのだろう。私は刑務の中の人間の心を想像する。

 

◇外国には、国によって発覚しなければ、また捕まらなければ許されると考える文化があるらしい。最近の日本にはこのような文化(?)が生まれつつある恐怖を感じる。正に日本の危機である。日本の危機を救う道は何か。絶望感を覚えるが出来ることから始めるより他はない。それは教育である。家庭、社会、学校が役割を分担し、果たさねばならない。その柱は何か。日本国憲法の理念は少なくとも、その一つであるに違いない。

 

◇アメフト連盟は、内田前監督と井上前コーチを最も重い除名処分にした。日大選手一同は「盲目的に従った」と声明を出した。日大は立ち上がれるか。(読者に感謝)

 

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2018年5月29日 (火)

人生意気に感ず「共産党の人たちと足尾を訪ねる。田中正造の原点へ」

 

◇5月27日、午前7時半発の「足尾を訪ねるスタディツアー」に参加。ふるさと塾からは私をいれて6名が参加。前日夜、私はふるさと塾で田中正造を語った。6人の胸にはその余韻が残る。スタディツアーの目的は、公害の原点、労働運動の発祥地、田中正造の思想の源流を探ること。主催は群馬県の学者・研究者・大学研究者からなる日本共産党後援会。私は、共産党の人たちのツアーであることを承知で参加した。人々の中には群大名誉教授、現職の群大教授の顔もあった。私はバスの中で、自民党の元県会議長と紹介された。人々の雰囲気は好意的であった。このツアーを企画した人物は、群馬県共産党の幹部で、田中正造の曾孫(ひまご)にあたり、私のふるさと塾にも時々参加する人物である。

 

 私の胸には。2012年の原発反対集会の光景が甦っていた。高崎城跡公園の大会に自民党現職として参加し、壇上の私は激しい野次を浴びた。バスツアーでは心の高揚は抑えて学習者に徹しようと自分に言い聞かせていた。

 

 バスは一路栃木の山中に向かう。峨々たる山並みが迫る。バスは田中正造と古河市兵衛の決戦場に向かっていた。目的地では足尾銅山すのこ橋ダム安全対策協議会会長の上岡健司さんが待っておられた。この日の案内約で80代の半ばと言われるが非常に元気である。足尾町議を8期勤めたと語る。この人が準備したぶ厚い資料は、現場で活動した人でなければ入手困難と思われる貴重なものであった。

 

 進入禁止の松木村廃村跡へも入ることが出来た。黒いカラミの山に囲まれた一帯はこの世のものと思われぬ光景である。龍蔵寺では抗夫の墓に立ち、悲惨な囚人の運命につき説明を聞いた。中国人慰霊碑では献花し、求められて挨拶した。日中の真の友好と平和のためには歴史を見詰める民間人の心が重要であること、そして今年は日中平和友好条約40年の節目に当たることからここで手を合わせることの意義は大きい、このようなことを話した。

 

 この日の強行スケジュールは、私の胸の中の田中正造を一段と育てることになった。頂いた資料を一つ一つ噛み締める作業が待っている。前橋へ帰るバスの中で福島第一原発事故と田中正造の姿を重ねて深く期するものがあった。そして、渡良瀬川鉱毒問題と田中正造は現代に生き続けているという感を深めた。(読者に感謝)

 

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2018年5月28日 (月)

人生意気に感ず「ふるさと塾で田中正造を語る。安倍が好きだと」

 

◇昨夜(26日)のふるさと塾は約50人の参加者で充実した雰囲気であった。私は田中正造の「狂気」の意味を語った。全体の空気を読んで発言する政治家、大衆迎合の世界で、田中の「狂気」を理解する立場である。

 

 この時間、田中が最大限対立した古河市兵衛のことにも触れた。京都の貧しい豆腐屋のせがれで古河財閥を築いた男である。戦国乱世の雄の観があった。

 

 足尾の銅を明治政府は戦争政策遂行上絶対に必要とした。近代戦争をたたかう上で電気通信材料としての銅は最先端の軍需物質であると共に生糸に次ぐ外貨獲得の手段であった。時は日露戦が迫る情勢下。明治政府は国民の命よりも戦争遂行の国策を優先させた。これに立ち向かったのが田中の「狂気」であった。田中の知行合一の行動は更に天皇直訴に突き進む。

 

 私は、戦争遂行のためにハンセン病患者を国辱として隔離した当時の政策が、鉱毒問題で足尾銅山を保護した政策と共通することを話した。

 

 田中の天皇直訴は日本中に衝撃を与えた。衝撃波の中に石川啄木、河上肇、内村鑑三がいたこと、そして直訴状を書いた人は大逆事件で死刑になった幸徳秋水であったことを力説した。塾生は熱心に聴いてくれた。

 

◇このふるさと塾で「安倍9条憲法NO」の署名を求める動きがあったが私は断った。大衆が憲法9条を巡り沸騰していることを肌で感じる。9条をめぐる議論は単純ではない。世論が反安倍で感情的になっていることにも抵抗感がある。その人は「安倍が好きなんて人は一人もいません」と言う。こういう状況でつい対抗心を起こすのが私の悪い癖で、「私は安倍が好きだ」と言ったら、その人は信じられないという顔をした。私のふるさと塾も興奮する世論に巻き込まれていることを感じた。

 

◇「足尾の鉱毒問題は解決したのですか」という質問があった。現在、渡良瀬川は菜の花が咲き乱れのどかな景色が果てしなく広がる。しかし、これをもって渡良瀬の鉱毒事件が過去のものになったと考えるのは誤りである。公害の原点として学ぶことが今こそ求められている。政府が絶対に安全だと言っていたところに福島原発事故が起きた。それは人災だったことが検証された。核テロの恐怖をアメリカから示唆されていながら活かせなかった。国民を欺いたことではないか。最大の公害問題である。(読者に感謝)

 

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2018年5月27日 (日)

小説「死の川を越えて」 第84話

 

森山抱月は、この議会でハンセン病についてしっかりとした質問をしようとしていた。

 

 12月の議会で、森山は質問席に立った。

 

「ハンセン病患者の療養だが、草津の湯の沢集落にいる400人は本県にとり大問題です。その生活問題をいかにするかは誠に重大です。療養に関してはキリスト教徒の婦人が資金を負担し、この人の下で、医師は唯1人、これまたキリスト教徒の婦人が当たっているに過ぎぬ。私は日本人として、本県人として恥ずかしい。しかし、県の独力では困難です。社会問題としても人道問題としても国と県が協力して解決すべきであります。2つの歯車が噛み合わねば効果は上がりません。ところで県当局はこの点国に対して交渉しておりますか」

 

 ここで外国の一婦人とはマーガレット・リー女史のことであり、医師とは岡本トヨを指すことは勿論である。

 

 森山は本来、国や県が金を出すべきところを外国人が命がけで私財を投げ打っている姿を見て、政治家として恥ずべきことと痛感したのだ。

 

 これに対して県当局は次のように答弁した。

 

「湯の沢集落の問題は同感です。これは県及び国の多年の懸案でありまして、内務省から2・3回、また、伝染病研究所も度々見えて調査しています。県当局としても何とか解決したいと痛感していますので、内務省に対し県の意見を具申しておる次第であります」

 

「やる気があるのか」

 

 議員から野次が飛んだ。野次に呼応するように傍聴席でざわめきが起きた。

 

 日本は文明国でありながらハンセン病の対策が遅れていると批判されていた。政府はこれに対してハンセン病患者を調査した。1920年の調査では、全国の推定数は26,343人。これを踏まえて、既存の5か所の府県立連合療養所を拡張する計画を立てていた。森山が言うように国と県の歯車が噛み合う必要は迫られていたが、群馬の意識と動きはまだ低調だった。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年5月26日 (土)

小説「死の川を越えて」 第83話

 

 正太郎は大きな声で答えた。母から言われていて、何回も練習した成果であった。部屋に議員たちの笑い声が上がった。

 

「は、は。今のは練習じゃ。今度は本番。よいかな正太郎君」

 

「はい。下村正太郎です」

 

 パチパチと拍手が起きた。正太郎は誉められたとあって、瞳を輝かせて得意そうに母を見た。部屋の緊張は一気にゆるんで、和やかな空気が流れた。

 

「よいか、正太郎君、ここにいるおじさんたちは、恐そうな顔をしとるが、本当は皆優しいから安心せよ。それにな、シベリアで戦ったお父さんほど勇気のある人は誰もおらん」

 

 また、どっと笑いが湧いた。正太郎は大きく頷きながら、そうだねという顔を父に向けた。

 

 議員たちは質問した。

 

「湯の沢集落に医者はおるのですか」

 

 これには、さやが答えた。

 

「聖ルカ病院に唯1人、女のお医者様がいらっしゃいます。キリスト教徒の方で夜でも出向いて下さいますが、お1人なので大変でございます」

 

「湯の沢は、豊かな患者が多いと聞くが事実でありますか」

 

 別の議員が聞いた。これには正助が答えた。

 

「はい。お金を持った患者もおりますが、多くは貧しく、食べ物をもらい歩く人もいます」

 

 更にもう一人の議員が聞いた。

 

「大変失礼な質問ですが許されたい。あなたたちは見たところ普通と変わらない。レプラつまり、ハンセン病は、恐ろしい伝染病と聞くが実際はどうなのか」

 

「はい、世間ではそう思われていますが、私たちの受け止めは違うのです。リー先生始め、キリスト教徒の人々は、あそこで日常生活をして平気です。また、草津の共同浴場では、以前一般の人との混浴もありました。私たちは、移らない病気だと信じております」

 

 正助の発言に不思議そうに首を傾げている議員たちの姿があった。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年5月25日 (金)

人生意気に感ず「今月のふるさと塾は田中正造。北朝鮮は核実験場爆破。首脳会談中止」

 

◇今月の「ふるさと塾」(26日)では、もう一回田中正造である。川俣事件から直訴に至る流れに焦点を当てる。この事件については過日雲竜寺及び衝突記念碑を訪れ、事件の現場を見て当時の情況について想像を巡らせた。

 

 正造の生涯の歴史的意義は、「人権」と「公害」に命をかけたことだと感じた。

 

 雲竜寺を出発した大群衆は鉱毒哀歌を歌いながら渡良瀬川を越えて利根川に向かう。「見渡す限りの良田は、皆毒波に浸されて、家屋人畜流亡し、田畑に一穂の稔りなく・・」、それは戦国時代の一向衆が「進めば浄土、退けば地獄」と唱えて進んだ光景を想像させる。

 

 この大群衆を利根川の直前川俣村で多くの警察と憲兵が待ち構えていた。警察はサーベルで殴り、人々の顔を泥にねじ込み、凄まじい混乱の中で多くの犠牲者が出た。記念碑は地域の住民が村医を呼んで手当をし、にぎり飯を作って救済に当たったと記す。

 

 逮捕された人々は凶徒しゆう聚罪として裁判にかけられ、その舞台は前橋地裁だった。田中正造はこの事実を帝国議会で激しく追及した。巡査が臣民を土百姓土百姓という掛け声で打ちのめし虐待した。これは国が滅びていることだ、「亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国」と銘打った有名な演説である。これは明治33年2月17日のことである。翌年田中は衆院議員を辞職、そしてこの年12月、明治天皇に直訴した。直訴状を書いた人は大逆事件で死刑となった幸徳秋水。直訴の反響は凄まじく、多くの若者が奮起した。その波の中に石川啄木、内村鑑三、川上肇などがいた。このようなことを話す。(26日日吉町の市福祉会館6時半)

 

◇北朝鮮が核実験場を爆破させ閉鎖させたと報道した。全ての坑道を爆破崩落させ坑道の入口を完全に閉鎖したという。報道陣にとって心配なのは被曝の危険だろう。この点、防護服も着せず、放射能の線量計は没収したという。劇的な一歩であるが、真相は分からない。北朝鮮の意図に全世界の注目が集まる。息を呑む歴史的瞬間である。

 

◇また、報道によればトランプ大統領は、6月12日にシンガポールで予定されていた米朝首脳会談の中止を報告したという。核実験場爆破と合わせ、どうなっているのか。米朝間に虚虚実実の駆け引きが行われるに違いない。

 

◇ロシアで秋田犬がブームになっている。亡くなったナナが懐かしい。数日家を空けると会った時大騒ぎだった。(読者に感謝)

 

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2018年5月24日 (木)

人生意気に感ず「日大宮川選手の覚悟。出陣学徒代表・江橋先生を偲ぶ会」

 

◇悪質タックルの日大選手の記者会見は衝撃的だった。先ず驚いたのは宮川泰介選手の逞しい風貌である。遠景の中からクローズアップされて目の前に現れた感がある。激しいスポーツで鍛え抜かれたことを物語る。

 

 今回の事件は乱れに乱れた今日の社会で様々な問題を投げかけている。そして、問題の中心はスポーツとは何かである。

 

 宮川選手の表情には昔の侍の姿を偲ばせるものがある。分かったことは、宮川選手と両親は負傷選手と両親に謝罪に訪れていた事実。最初から謝罪に訪れようとしていたが、日大アメフト部に止められていたという。

 

 どういう形で終息するのであろうか。被害者側は警察に被害届を出したから、刑事事件として扱われることになるのだろう。この事件を機に日本中が、スポーツとは何か、スポーツと教育の関係を考え、議論し、成果が生まれることを期待したい。

 

 スポーツが勝利至上主義に走り過ぎている。スポーツは全国民のものである。人生百歳時代の入口に立ち、それを支える柱の一つがスポーツである。今回の事件を機にスポーツが本来の姿に立ち戻ることには測り知れない意義がある。

 

◇江橋慎四郎さんがほぼ一世紀の生涯を終えられ、偲ぶ会が来月行われ、私も出席する予定である。私は日本チュックボール協会の会長であるが、これは「次は中村君が」という先生の声で決まった。江橋先生は東大名誉教授をされながら様々なスポーツに関係された。日本チュックボール協会の会長もその一つであった。

 

 先生はスポーツマンにふさわしい健康長寿を貫かれた方である。温和な人格者であるが、激しい生涯を生きられた方と拝察していた。

 

 先生の人生で最大の出来事は昭和18年末の学徒出陣であったに違いない。雨の神宮外苑で全都の学生は行進し、東条首相が激励した。この時、出陣学徒を代表して答辞を述べた人が東京帝大の江橋慎四郎さんであった。先生が「もとより生還を期せず」と叫ぶ姿を私はNHKの記録フィルムで見たことがある。この学徒出陣は日本が敗戦に向けて抜き差しならない状況に至ったことを物語るものであった。翌昭和19年東条内閣は総辞職する。私は、ある時この事に触れようとしたら先生は避けられた。万感の青春の思いがあったに違いない。偲ぶ会は6月23日、学士会館で行われる。(読者に感謝)

 

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2018年5月23日 (水)

人生意気に感ず「日大反則劇の衝撃。世田谷一家殺害事件の展開は。高山補選の結果」

 

◇日大アメフト部選手の反則タックル事件は衝撃の展開を示した。当のタックルをした選手が記者会見をして、具体的に監督の指示を語ったのだ。ここまでとは思わなかった。監督の存在は選手にとって絶対であることを改めて知った。「相手のQBをつぶせば出してやる。怪我をして試合に出られなければこっちの得」、やりますと言ったら、「やらなきゃ意味ないよ」、監督のこんな発言があったことを当の選手は語った。この選手はもうアメフトはしたくないとも言っている。監督の言動はまるで暴君の姿である。スポーツは教育であるから、教育の場での暴君の実現ということになる。日本大学としての責任も重大である。どういう結末を迎えるのか日本中が注目する瞬間である。

 

◇世田谷一家殺人事件はこのまま迷宮に入るのかといつも心にかかってきた。週刊誌が何度も取り上げ遺留品も多いのにいたずらに時が過ぎた。そんな時に警視庁が新たな視点を示して情報の提供を呼びかけた。これを見て、私は何かの反応が期待できるのではと思った。

 

従来発表されていた犯人像よりやせているという。当時15歳から20歳の学生らしい。マフラーも示された。注目される点は卒業アルバムを見て似ている人が写っていないか調べて欲しいと訴えている。

 

人を殺すことを何とも思わぬ凶悪事件が増えている。日本中から死体や白骨がみつかり、日本の山野は墓場に化したようである。最良の犯罪対策は犯人を逃がさないことである。「天網恢恢疎にして漏らさず」の古諺が生きていることを示さねばならない。

 

◇NPOの活動家に懲役12年の判決が下った。46人もの男の児童にワイセツ行為を繰り返したという。寝ている児童にワイセツ行為をし、動画にして流していた。今日の社会の堕落した現実を象徴するような事件である。事件の詳細はまた週刊誌等が報じるだろう。歴史を振り返ると一つの社会が崩壊に近づくと必ず性倫理の乱れがある。今日の社会はそういう状況に近づきつつあるのではないか。

 

◇高山村議選の情況は民主主義の危機を象徴する。欠員2のところ、立候補者は1人で欠員は埋まらなかった。政治家になりてがいないという現象は全国に広がりつつある。地方議会の形骸化が一段と深刻化する。社会公共の為という意識と地域の活力が共に低下する。(読者に感謝)

 

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2018年5月22日 (火)

人生意気に感ず「自爆テロの異常さ。娘の体に爆弾を巻く父。英王室に結婚式とテロ」

 

◇東南アジアで家族を巻き込んだ自爆テロが頻発している。中東IS(イスラム国)がやっと力を失って消滅の方向かと思われた。一方で、テロは世界に拡散し尖鋭化するという見方があった。インドネシアの自爆テロ多発はこれを示すのであろうか。

 

 インドネシアで、家族による自爆テロが頻発している。何も分からない小さな子どもを使った家族もろともの自爆はどうしても理解できない。インドネシア第2の都市スラバヤの事件では、父親が自ら9歳と12歳の娘に爆弾を縛り付け実行、一家6人が死亡した。娘の体に爆弾を巻く光景はこの世のものとは思えない。

 

 IS(「イスラム国」)は現在も「聖域」(ジハード)を呼びかけている。それに応えて子どもを洗脳する人々。それは人間の姿ではない。

 

 インドネシアを含む東南アジアにはイスラム教徒が多い。国際化の波に乗って多くのイスラム教徒が来日している。ほとんどのイスラム教徒はテロとは無関係であるが、テロの分子が紛れ込んでいる恐れは存在している。日本は無防備である。防ぎきれない恐れがある。オリンピックが刻々と近づく。一度テロが起きたら大変なパニックになる。それはあの地下鉄サリン事件が如実に物語っている。

 

◇英王室の結婚式について思う。英国は日本と共に長い王室の歴史を持つ。時代は大きく変わって、現代では国民に支持されなければ王家は存続できない。思想や価値観が分裂し対立する状況の中で王室は国民を統合する象徴としての役割を担う。国民の歓迎ぶりをみると、英王室はその役割を良く果たしているようだ。遥か彼方まで霞むように広がる大群衆に驚く。その大群衆の光景の中に注目されるのは群衆の前に隙間なく立つ黒い人の姿。警備の警察官である。3千人以上の警官等が警備に当たった。式の費用は大部分が警備に充てられた。ヨーロッパは今、分裂しテロの恐怖に晒されている。ウィンザー城を舞台とする夢のような物語もテロに遭えば一挙に吹き飛ぶ。警備の警察官は一部に違いない。監視社会化が進むと言われる英国。この挙式の背後には防犯カメラをはじめとした徹底した対策がとられているに違いない。日本の治安を守る当局は最大の教材として学んでいると思う。(読者に感謝)

 

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2018年5月21日 (月)

人生意気に感ず「悪質タックルが投げかけたもの。臨江閣と楫取素彦。英王室の結婚式」

 

◇「悪質タックル」の後始末が実に悪い。日大内田監督は「監督を辞任します。全て私の責任です」と述べ、負傷させた相手選手に直接謝罪した。意図的な反則を指示したかは明言を避けているので分からない。

 

 パスを試みた後の無防備の相手に背後から激しいタックルをした日大の選手も問題である。恐らく、この場面だけを切り離して論じることが出来ない実態があるのではないか。

 

 それは悪しき慣れかも知れない。勝利のために多少の違反は当たり前という習慣が続いていたのではないか。勝利至上主義は、恐らく日大のアメリカンフットボールだけではないだろう。多くのスポーツ関係者が肝を冷やしているのではないか。

 

 オリンピックでドーピングが大問題になったのも、勝利という目的のために手段を選ばない勝利至上主義の現われに違いない。東京五輪がじわじわと近づく今、あらゆるスポーツはスポーツの原点に立ち返るべきだ。今回の反則タックル問題はそのための警鐘である。

 

◇臨江閣が国の重要文化財になる。初代県令楫取素彦の業績を評価し、改めてそれを認識する上で意義がある。その業績の一つは精神的道徳的なものである。

 

 浄土真宗の寺、前橋市の清光寺の創立には楫取の妻寿子が大きく関わる。寿子は吉田松陰の妹で熱心な浄土真宗の信者だった。彼女は群馬の人の心が荒れているのは健全な宗教がないからだと信じ、門主に訴えて前橋に説教所が実現した。それが清光寺の起源となった。

 

 長い年月を経たが、今日の群馬の人々の精神は豊かになったとはいえない。群馬だけではないが、豊かな物質文明の中で人間の心は貧しくなった。

 

 楫取素彦は教育によって群馬の基盤を築こうとした。妻寿子の影響も大きかったに違いない。廃娼という人権問題で画期的な業績を遺したことも楫取の人間尊重の理念が基底にある。臨江閣建設に楫取が大きく関わった背景にも、楫取のそういった理念があるに違いない。先日(19日)、私は清光寺で楫取と妻寿子のことをこのような思いで話した。

 

◇英王室の結婚式にさわやかさを感じる。メーガン妃の母親はアフリカ系米国人で離婚経験もある。イギリス国民は温かく受け入れている。世論の分裂と混乱の続く英国で国民統合の象徴として皇室が大きな役割を果たしていることに感動している。(読者に感謝)

 

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2018年5月20日 (日)

小説「死の川を越えて」 第82話

 

県議会が始まったある日、議会の一室に正助一家の姿があった。

 

 天井の高い部屋にはシャンデリアがついて、十数人の議員たちが席についていた。それに対面した位置に親子と医師が座るテーブルとイスが用意されている。議員たちは、立派な髭をつけた人が多く、皆威厳があった。正助には、この部屋に重い空気が張りつめているように感じられた。さやは、緊張の極にあるようで、肩が小さく震えているのが分かった。小さな正太郎だけが明るく元気だった。正太郎はきれいなシャンデリアに目を見張っている。草津の山奥からおとぎの国に来たような気持ちになっているのだ。

 

 森山抱月が前に出て発言した。

 

「皆さん、今日は珍客を迎えました。既にお話しした草津湯の沢集落の下村さん一家です。今や、ハンセン病のことは本県の重大課題であり、人道上の問題です。病気で苦しむ人々の実態を知らずして、地に足をつけた議論が出来ましょうや。それは不可能なのであります。私は、先日、一足先に、湯の沢集落を訪ね、皆さんと膝を交えて話しました。そして、これは是非諸君にも話を聞いてもらう必要があると感じたのであります。その時、この坊やがおりましてな、県議会という所へ来てくれますかと言ったら、大きな声でハイと答えてくれました。その勇気に私は驚きましたぞ。まず、坊やから紹介しましょう」

 

 森山抱月は、こう言って、正太郎の耳に顔を近づけた。

 

「名は何と言ったかな」

 

 小さな声で囁(ささや)くと、

 

「正太郎です」

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年5月19日 (土)

小説「死の川を越えて」 第81話

 

 

 

 皆が去って2人だけになった時、こずえは万場老人に訊ねた。

 

「ご隠居様、森山様は私の顔を見て大変驚いていた御様子でしたが、何か」

 

「うむ。実はな、森山さんはお前の母親をよく知っておる。改めてゆっくり話すことがあろう」

 

 老人の目は、今はそれ以上話したくないということを語っているようであった。こずえは一瞬不思議そうな表情をしたが、それ以上聞こうとしなかった。

 

 

 

六、 県議会で

 

 

 

 大正11年の11月県議会が始まる少し前、衛生問題の委員会で湯之沢集落の話をして欲しいという県議会の正式の要請が、正助の下に届いた。ここに至る迄には、聖ルカ医院の女医と県の担当医の間で交渉があった。議員の間には感染についての不安があったのだ。女医の岡本トヨは、下村夫婦は患者とは言え極く軽微で、最近の検査では菌の反応が認められないと説明した。そして女医は、私見だがと断って、充実した精神状態の故に免疫力が高まったことも一因かと述べた。親子を県会に招くに当たっては慎重を期して、県の医師が立ち会うことになった。

 

「まさかと思っていたら本当になったのね。どうしましょう。あたし、そんな偉い人の所でお話しなど出来ません。以前、県議会に傍聴に行ったけど、大変な所なのよ」

 

 さやはいかにも困った表情であった。

 

「この集落のためじゃないか。そればかりでない。広く同病の患者のためと思って覚悟を決めよう。正太郎も、あの時、森山先生にはっきりと返事をしたのだから」

 

 正助は既に腹を決めていたので動揺しなかった。

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年5月18日 (金)

人生意気に感ず「日大の反則事件が語るものは。平和の講義で鈴木貫太郎」

 

◇一目瞭然な反則タックルが繰り返し放映される。日大選手の対応については争う余地はないのだ。日大側の対応について揺れに揺れている。謝罪と事実解明、日大監督の対応が問題になっている。

 

 既に明らかなのは、パスを投げ終えて無防備となったクォーターバックに背後からタックルし負傷させた点である。この反則をした選手は監督から反則の指示があったと周囲に話していると言われる。通常のパワハラを超えて傷害罪に当たる行為である。背景にはスポーツ界の勝利至上主義がある。大学は今、少子化で大変な時を迎え試練に立たされている。問題を抱えている大学は少なくないのではないか。スポーツの祭典オリンピックが近づいている。これを機にスポーツを本来の姿に戻すことは国民的課題である。

 

 大学のスポーツの姿は、ある意味日本のスポーツ全体の象徴である。勝利至上主義は全部のスポーツの本来の姿を歪めている。私は県議会にいた頃、この問題を時々取り上げた。スポーツは教育の重要な一環である。勝利至上主義がスポーツ嫌いを生んでいる。スポーツは日常の生活を豊かにする要素であり、心と身体の健康に結びついている。高齢社会のスポーツを楽しいものにするためにスポーツの改革が求められている。オリンピックの精神の本質が忘れられようとしている。今回の反則タックルが投げかけた問題は重大である。

 

◇今週の平和の講義は鈴木貫太郎のその1.毎週水曜日の朝行い、第42回。日本アカデミーの職員が対象だが一般の人も歓迎である。

 

 しばらく太平洋戦争を続け、米軍の本土上陸が目前に迫るところまで来た。サイパン、硫黄島、沖縄と戦争の悲惨さを映像で語り、平和を守るためには命がけで戦う覚悟も必要だと訴えてきた。タイトルは「日本を救った総理」である。「その1」では前橋の桃井小に転入した時のエピソードに触れた。父親は県庁の職員だった。朝、親子で歩きながら語ることがよくあったという。父がふと語ったことが貫太郎の終生の人生の指針になった。「人間は腹を立ててはいけない。腹を立てては成功しない。それは根性がないからだ」。貫太郎は他県からの転入で淋しい思いをしていたのだ。桃井小には貫太郎の言葉を刻んだ石碑がある。「正直に腹をたてずにたゆまず励め」。昭和20年、貫太郎は戦争を終結させるために、78歳で総理の座に。次回は来週水曜日、朝8時45分。(読者に感謝)

 

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2018年5月17日 (木)

人生意気に感ず「女児を狙う性犯罪対策。北朝鮮のあがき。中国人と礼節」

 

◇小2女児殺害事件は急転して容疑者の逮捕となった。女児の顔、容疑者の顔が新聞テレビで報道となった。あどけない人形のような女児。私は絶句した。23歳の容疑者の姿がまた意外。顔を隠すでもなく、普通の好青年に見える。犯行の動機は何か。真相の究明が待たれる。

 

 報道されるところからは、小林容疑者には幼女に関する前歴があるらしい。幼女を襲う性癖というものは特徴があて、繰り返すと言われる。遺伝的要素なのか。犯罪対策はそういう人間の奥に潜む未知の分野にも関わることを考えると大変なことだ。

 

◇世界では幼女を襲う性犯罪には大胆な対策がとられているところがある。GPSを足につけさせるなどだ。これは前歴者の人権と幼女保護をどう調整し、どちらを優先させるかという問題である。

 

 性暴力犯罪者に衛星測位システム(GPS)を義務づけているのは韓国である。米国は全州で性犯罪者は顔写真と個人情報がネットで公開される。

 

 日本には性犯罪者に関しては情報提供制度がある。13歳未満の被害者に対する性犯罪で服役して出所した者が対象。法務省が警察庁に情報を提供し、定期的に所在を確認する制度である。

 

◇日本でもGPSの携帯を義務づける条例の制定が検討された例がある。宮城県議会で議論されたが平成23年の東日本大震災で打ち切りとなった。今回の事件で、この議論がまた再燃するのではないか。

 

◇北朝鮮問題はやはり一筋縄ではいかない。南北閣僚級会談を中止すると表明した。米朝首脳会談も再考慮せざるを得ないと言いだした。悪あがきに見えるが、メンツを重視することの現われであり、駆け引きの一環に違いない。日本にとって最大に重要なのは拉致問題である。これについても最近、解決済みという見解を表明して索制を始めた。日本はこれに気を緩めることなくアメリカとの強い連携を貫いて欲しい。

 

◇買い物の列で順番を守るのは日本の礼節であり文化である。渋谷で中国人がルールを破り暴力沙汰を起こして逮捕された。中国大使館は在日中国人にルールの順守を呼びかける声明を出した。

 

私は、日本アカデミーで多くの外国人留学生に日本の文化、その一環として礼節の順守を教えている。日本文化の崩壊を守らねばならない。(読者に感謝)

 

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2018年5月16日 (水)

人生意気に感ず「議員を辞し、直訴に。若者は興奮して立ち上がった」

 

◇今日も田中正造を書く。田中正造とのいわば遭遇を経験し、佐野市などの田中の施設を巡り関連した資料を読み私の胸は躍る。ある施設のボランティア説明員が田中のことを「奇人・変人と呼ぶ人がいます」と語り、田中も「馬鹿・狂人と言われる」と自身のことを書いている。これらの表現が意味することは深い。

 

 川俣事件の年(明治33年)に前橋地裁でアクビ事件を起こした。また翌年、田中は鉱毒事件に関して最後の質問を果たし、この年10月23日衆議院議員を辞職した。61歳であった。辞職に追い込まれた訳ではない。何を起こして辞職を要求されても議席にしがみ付く政治家が多いのが現実であることを考えると、これは大変なことであった。田中は秘かに期することがあって決断したのだ。事情が分からない人は、この行動を指して「奇人・変人・狂人」と表現したことだろう。

 

 川俣事件、田中の国会における鉱毒の追及で世論は高まりつつあった。この年10月30日、田中の衆院辞職から一週間後、古河市兵衛夫人が入水自殺した。

 

 この年12月10日、日本中を震撼させることが起きた。田中が明治天皇に直訴したのである。明治天皇が国会の開会式に臨んだその帰りの馬車を目指し「お願いがございます」と飛び出したのだ。荒畑寒村はその著「谷中村滅亡史」の中でこの場面を描く。「紫電飛び白刃ひらめきて兵馬動く」と。馬に乗った護衛の兵が刀を振りかぶったのである。田中は転び、兵も落馬し、田中は目的を果たせず取り押さえられた。

 

 田中はこの行動に出るために衆議員を辞職したのだ。議員の職にあって直訴をすれば、政治的目的のためと誤解される。真に被害住民のために死を覚悟した上での決行であった。

 

 私は、田中の最後の議会演説を読んだが、死を覚悟して演説したのかと知ってこの演説を振り返ると、田中の真情の並々ならぬことが伝わってくる。

 

 直訴文は田中の依頼を受けて幸徳秋水が書いた。田中はその文面に修正を加え、その箇所に印を押した。田中は直訴は失敗と思ったが、その反響は凄かった。新聞は号外を出し、直訴の全文を載せ、人々は争って読んだ。特に若者たちの心を動かした。啄木は感動して歌を詠み、東大生を中心にした学生の視察が行われた。その指導者の一人に内村鑑三がいた。(読者に感謝)

 

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2018年5月15日 (火)

人生意気に感ず「田中正造の入獄と心の灯台内村鑑三」

 

◇田中正造は激しく行動し、それに対して世の注目が集まる。川俣事件は明治33年(1900)2月23日。田中の一連の行動は翌年の天皇直訴の序曲であったと思う。この年、前橋地裁で川俣事件の公判が始まった。12月9日、田中は公判を傍聴中検事の論告に怒って大きなあくびをした。

 

 先の議会での演説から推して、いいかげんにしろという抵抗の意味が込められていたに違いない。田中はこれによって官吏侮辱罪で起訴された。世にいうアクビ事件である。

 

 田中の行動を世の識者はどう観ていたか。「心の灯台内村鑑三」の内村が田中正造とこの問題で深く関わっていたことは驚きでもあるので紹介したい。明治35年6月21日の「万朝報」に載った「田中正造翁の入獄」という一文である。「田中正造翁の入獄は近来稀に聞く所の惨事である。深く此事に就て思念をめぐらす人にして奇異の感に撃たれない者はあるまい」という書き出しで始まる。その内容は大要次のようなもの。明治の一義人たる田中が窮民を弁護しつつあったとき、法廷であくびしたという理由で一ケ月と15日の刑に処せられた。現代の法律は情と慈悲から余りに離れているからこのような稀有の善人まで獄に投ずることになる。田中正造に対して正反対の人物が古河市兵衛である。一方は窮民を救わんとし、他方は窮民をつくりつつある。しかも、朝廷から正5位の位を賜った。7人の妾を蓄え十万人の民を飢えに迫らせている。これを見ると現代の法律の多くは決して人物の正邪を十分に判別できるものではないと思う。

 

 こう述べた後、内村が続ける次の点こそ、内村が心の灯台と言われる所以である。

 

「善をなし義を行わんとしてそのために苦しみを受くること程幸福なことはない。ソクラテスの心を知りたいと欲し、キリストの苦を思いやらんと欲すれば人は必ず一度は苦痛を味わなければならない。ソクラテス等世界有数の偉人の心を知る栄誉は明治政府がその寵児に与ふる位階勲章に勝る幾層倍の栄誉であることは明らかである。だから田中翁は今回の入獄に失望せず、人を恨まず、社会を憤ることなく、出獄の日を待って一層の謙遜と慎重の態度をもって終生の志望を貫かれんことを友人の一人として獄中の君を思いて祈願する」と。この思いが獄中の田中に届いたとすれば打ちひしがれた田中の心を照らす灯台の役割を果たしたことであろう。(読者に感謝)

 

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2018年5月14日 (月)

人生意気に感ず「川俣事件の現場に立つ。田中正造の絶叫は」

 

◇11日金曜日午後、時間をつくって館林市の明和町へ行った。川俣事件の記念碑が目的であった。鉱毒で苦しんだ被害住民が警察や憲兵と衝突した川俣事件の現場である。のどかな初夏の日差し、近くには真如院があり、その南に視界を遮る高い堤防が。その上に立つと利根川が遥かに広がってゆっくり流れていた。近くに大きな橋があり、それには群馬県知事小寺弘之の名が付けられている。懐かしく感じた。百年以上も前のこの地の騒然とした状況が甦る。碑文は記録の資料でも見られるが想像して胸を熱くすることは現場に立たなければ不可能である。

 

 碑文には当時のことが生々しく描かれていた。1900年(明治33)2月13日午前9時、前夜から雲竜寺に結集した2500余の被害住民は同寺を出発。利根川の手前の川俣地内で待受けた警察隊に阻止され多くの犠牲を出して住民は四散。捕縛された15名は近くの真如院に連行された。翌日以降の捜査で更に百余名が逮捕され、うち51名が凶徒聚衆罪で起訴された。

 

 これに対し、この地の村長等は村医を読んで応急手当をし、炊き出しで握り飯を出して救済につとめた。この手厚い扱いに被害民等の関係者は深く感銘した。今、足尾鉱毒事件は公害の原点として新たな脚光を浴びている。この史実を永遠に風化させないために、川俣事件発生百年に当たり、記念碑を建てて後世に伝えるものである。大要、このような内容が黒い記念碑に刻まれている。

 

◇この川俣事件の直後、田中は帝国議会で有名な演説をした。「亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国」である。

 

 田中は帝国議会で激しい怒りをぶつけた。その姿が目に浮かぶようである。何も持たない、杖一つ持たない被害民を300人の警察官が襲いかかって傷つけた。巡査が人民に口を揃えて「土百姓、土百姓」と声を上げて殴った。そして凶徒聚衆罪という罪名で召補って裁判へ送った。「私もその一人であるから、何故私を先に捕まえなかったか」、「この速記録を天皇が御覧にならないものであるなら思うさま汚い辞を以て罵倒し存分に酷い罵りをするのだ」、「鉱毒を無くす位のことは何のことはない、それができない政府に、外交などできないにきまっている」、このように絶叫する姿に、政治家の本分が現われている。凶徒聚衆罪を裁く舞台は前橋地裁であった。(読者に感謝)

 

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2018年5月13日 (日)

小説「死の川を越えて」 第80話

 

 森山抱月はしきりに感激し、何度も正太郎の頭を撫でた。正助は求められるままに、シベリアと韓国の体験を話した。他の仲間が追い詰められて全滅したこと、ハンセンの集落で助けられたこと、海底洞窟の恐怖にも触れた。聞き終わって森山抱月は言った。

 

「いや、感動の物語ですな。私だけで聞く話ではない。今日のことは県議会で、皆に報告することに致します。それから一つ頼みがあります。議会の委員会で、正助君の話を聞きたいということになったら来てもらえますか」

 

 正助は、これはえらいことだと思いながら万場老人を見ると、大きく頷いている。

 

「私に務まるでしょうか」

 

 正助の顔には不安の色があった。

 

「大丈夫です。私に任せて下さい。ハンセンの光を議会に届けることになるかも知れません。その時は坊やもお父さん、お母さんと一緒に来て下さいね」

 

「はい」

 

 正太郎は母の目を見ながら答えた。県会議員を囲む家の中は重い緊張感に満ちていたが正太郎の声でほっとした空気が生まれた。

 

 森山抱月は満足の表情で湯之沢集落を去って行った。

 

「どうじゃな。正太郎が立派な役割を果たしたであろうが。は、は、は」

 

 万場老人の声が明るく響いた。

 

「大変なことですよ。正太郎が県議会に行くなんて、ないことだと思いますが」

 

 さやは本気で不安に思っている。

 

「いや、そうでないぞ。小さな命が囲りに支えられて、両親の下ですくすく育っている。それを集落が支えている。そういうことがハンセンの社会で可能だということを議会人に教えたい。これが森山さんの目的なのだよ。わしはあの人の人道主義と強い信念を知っておるから、正太郎が前橋の県議会に行く日が来ると思うのじゃ」

 

「正ちゃん、頑張ってね」

 

 こずえが笑顔を向ける。

 

「うん」

 

 正太郎は大きな瞳を向けて頷いた。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年5月12日 (土)

小説「死の川を越えて」 第79話

 

「その2人が両親でな、聖ルカ病院のキリストの医師も支えています。父親の正助は、シベリアから帰りました。この部落では、このように同病が助け合っております」

 

「何と言われた、シベリア出兵の帰還兵とは驚きですな。聖ルカ病院のリー女史は同宗の者として存じております」

 

「同病の方が立派に結婚して、こんな可愛い子を産んで育てておられるとは。シベリアは地獄だと聞きました。御主人の留守を奥さんは立派に守り、子どもを育てたのですね」

 

「皆さんが助けて下さったお陰でございます」

 

さやが言った。そして正助が続けた。

 

「この湯の沢は、ハンセンの手で仲間を助ける仕組みが出来ています。妻が私の留守に子どもを育てられたのもそのお陰です。会長を決め、ハンセンの人が仲間のために旅館を経営し税金も納めます。私は、シベリアでも韓国でもハンセンの集落を見ましたが、この湯の沢のようなところはありません。万場先生が、ここのことをハンセンの光と申しますが、私はこのことを身を以て体験し、納得致しました。韓国、シベリアと外国へ行き、外から見て、この集落の素晴らしさが分かったのでございます」

 

「うーむ。ハンセンの組織によって仲間を助ける。ハンセンの光ですか。よい話ですな。今まで、ハンセン病の悲惨なことばかり想像してきましたが、認識を改めなくてはなりません。議会の中だけでは良い政策は生まれません。昔の廃娼運動の頃を思い出しました。大切なことは、生の人間を見詰めることですな」

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年5月11日 (金)

人生意気に感ず「3人の釈放とトランプ。トランプは変化するか。米朝首脳の会談は」

 

◇アメリカが沸いている。3人のアメリカ人を奪い返して大統領自ら空港まで出迎えたのだ。世界の目が釘付けになった瞬間である。

 

 しかし、この光景を複雑な重い心で見ている人たちがいる。それは日本の拉致被害者家族であり、拉致被害者を自分たちの問題として憂えている多くの日本人である。

 

 金正恩委員長の譲歩と屈服の具体的一歩が始まった。窮極の目的は非核化である。入口の段階で、もたもたしたくないとアメリカは考えるだろう。だから日本人拉致の問題は、これから本番の交渉が進む中で取り上げられるのではないか。日本は焦らず忍耐強く千載一遇のチャンスを生かすべきだ。

 

◇日本人拉致の問題は人権の問題として国境を越えて普遍的である。だから、人権の本家ともいえるアメリカにとっても非常に重要である。トランプ大統領は「アメリカ第一」を掲げてアメリカの大統領らしくないと、世界から批判を浴びた。トランプを機に世界の情勢がおかしくなったとも言われた。それはポピュリズム、つまり大衆迎合の潮流が生まれ、偏狭なナショナリズムが頭をもたげる危険が生じたからだ。ローマ法王などもこの傾向をナチスの時と似ていると発言した。

 

 もしトランプ大統領が日本人拉致の問題まで解決することができたなら世界の人権問題に大きな貢献を果たしたものとして従来のトランプの評価が大きく変わるきっかけとなり、アメリカは再び偉大な国になることができるかも知れない。その効果は世界の平和と民主主義にとって測り知れない程大きい。その時には、まさかと思われるトランプのノーベル平和賞が実現するかも知れない。

 

 とにかく、現在壮大な世界史の上で画期的な展開がなされようとしている。その歴史的舞台の現場に私たちは立ち合っている。それは歴史を目撃する千載一遇のチャンスである。

 

◇米国人3人の釈放で、米朝首脳会談が現実のものとなった。会談を開くということは、確実な成果を期待できることを意味する。

 

 場所もシンガポールに決まった。トランプは「人々が可能だと思っていなかったことが出来るだろう」と大見栄を切っている。あの太った独裁者が世紀の大舞台でどんな役者ぶりを演ずるのか見ものである。そしてトランプ大統領は将来の訪朝もあり得ると語った。果たして世界はどうなるのか。(読者に感謝)

 

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2018年5月10日 (木)

人生意気に感ず「異常犯罪多発社会。北朝鮮は崩壊か新生か。日中韓サミットは」

 

◇異常な犯罪が多発している。小2の女児を殺害し線路に置いた、現職の警察官が強盗を犯した、障害の高齢者を投げ落として殺す等々。社会の綻びから中の膿がぼろぼろと飛び出してくるようだ。犯罪は個人が起こすが、社会の状況を背景にして犯罪を犯す個人はその影響を受けている。今日の犯罪状況は日本の社会が狂い始めている現われだと思う。

 

 群馬県警の警察官の事後強盗は謎である。家族があるのだろうが、わずかな金銭のために一生を棒にし、家族を奈落に落とす大罪をなぜ起こしたか。どこをどう逃れているのだろうか。公開された写真からは立派な青年に見える。5月17日に恒例の警察マラソンが予定されており、私も参加することになっていたが、この事件の関係で中止となった。一刻も早く容疑者が逮捕され真相が明らかになることを望んでいる。警察の使命は治安の砦をつくることである。何が起こるか分からない不気味な時代が進んでいるのだ。警察と政治が信頼を取り戻すことが健全な社会の大前提である。

 

◇北朝鮮が3人の米国人を釈放する。北朝鮮が米朝会談で大きく譲歩する一歩を示すものとして大きな意味がある。トランプ氏は3人をワシントン近郊の空港まで出迎えに行くといって興奮しているらしい。この一歩がどこに続くのか。そして日本人拉致被害者の帰国にまでつながるのか。謀略国家、工作国家、そして犯罪国が相手なので全く見当がつかない。

 

◇9日、日中韓サミットが東京で開かれ、3人の首脳が記者会見でその中味を語った。

 

 北朝鮮を巡る大きな歯車が現実に動き始めたことを感じる。3首脳は北朝鮮の完全な非核化に向けた連携で一致。安倍首相は拉致問題の早期解決への協力を要請し理解を得た。そして3氏は、大きく発展するアジアでのインフラ整備などでも協力することを合意した。安倍首相は3カ国が北東アジアの平和と安定へリーダーシップを発揮していくと強調し、非核化に関しては北朝鮮が正しい道を歩むのであれば日朝平壌宣言に基づき不幸な過去を清算し、国交正常化を目指すと述べた。安倍首相の態度は堂々とし強い意志が感じられた。私たちは「不幸な過去」は何を意味するか、日韓併合以来の侵略の歴史を見詰めて考えねばならない。本当の新しい関係はそこから始まる。(読者に感謝)

 

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2018年5月 9日 (水)

人生意気に感ず「北を巡る歴史的瞬間。日本の役割。中国の存在。警察官の犯罪」

 

◇今日の北朝鮮を巡る状況は、歴史の歯車が大きく回るのを世界が息を詰めて見守る瞬間である。米朝の会談が近づいている。水面下で様々な攻防、駆け引きが行われているに違いない。金正恩委員長は敗北を認めてトランプにひれ伏すのだろうか。

 

 米朝の会談に向けて、南北の会談、中朝の会談が行われている。これらの動きの中に日本がある。日本を囲むこれらの動きは日本の運命に大きく関わっている。日本は置いていかれるのかという心配の声は強い。拉致問題はどうなるのか。正に、日本の外交力が試されている。昔の戦国時代、また中国の三国志の世界のような権謀術数が渦巻く中に置かれているのに、司令塔たるべき国会はその役割を果たしていない。苛立たしい限りだ。

 

 これらの渦の中で、日本の役割は極めて重要である。特にアメリカ・中国との関係で日本が果たすべき役割は大きい。

 

◇こんな時、国会の空転は許せない。野党の審議拒否に国民が厳しい批判の目を向けるのは当然である。最も重要な時に力を終結できない野党に国民は呆れている。内憂外患で課題が山積している中、優先順位をどう考えているのか。

 

 やっと野党が国会審議に応じる姿勢を示した。遅きに失する感がある。

 

◇中国との関係が大きく動き出している。私は群馬県日中友好協会会長として、中国との関係に注目し、その変化を肌で感じてきた。数年前の尖閣を巡る火花を散らすような関係は大きく変化した。今年は日中友好平和条約締結40周年の大きな節目。中国は世界国家に向けて大きく変貌しつつあり、日本の協力を必要としている。中国はしたたかな国である。日本も中国を利用しなくてはならない。李克強首相が来日し安倍首相と会談する。その先には安倍首相の訪中、そして習近平主席の訪日が実現しそうだ。日本は中国を利用しつつ中国の独走と暴走を抑制しなければならない。日中の関係は北朝鮮問題に大きく関わる。日本は国内的に結束して外交のカードを巧みに切らねばならない。私は安倍首相の役割は大きいと考える。

 

◇強盗容疑の警部補の写真が公開された。家族が気の毒だ。知能犯捜査の中核にいたという。何とも不可解な事件だ。再発防止のため、また県警の名誉のためにも早く逮捕して容疑者の心の問題も含め事実を究明して欲しい。何が起きているのだろうか。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年5月 8日 (火)

人生意気に感ず「田中正造の遺跡を巡る。旧宅・雲竜寺・惣宗寺」

 

◇連休のある日、田中正造の遺跡を訪ねた。田中正造旧宅、堀米地蔵堂、雲竜寺、惣宗寺である。それぞれ、田中正造の実態を知る点と線である。それを全体の姿に作り上げるのに私の想像力も重要である。

 

◇旧宅を訪ねたのは初めてではない。回を重ねる度に新しい収穫がある。この日は農教倶楽部と志賀直哉について理解を深めた。「農協」ではなく「農教」であることが重要なのだ。正造は死の直前、小中村の将来に農業と教育が不可欠と考え家屋敷を寄贈して農教倶楽部を創設した。政治家田中正造は同時に教育者でもあったのだ。

 

 旧宅母屋の壁に志賀直哉のことが貼られていた。志賀直哉も田中の直訴に衝撃を受けた若者の一人だった。鉱毒地視察に関し反対する父親と激しく口論した記事である。

 

◇堀米地蔵堂は旧宅の近く、同じ県道沿いにあった。田中の遺跡として注目する人は少ないだろう。小さな社と榎の古木があるだけだ。若い頃、田中は獄から出された後に振り返って、ここで子どもを教えていたことが人生で最も楽しかったと語った。熱血先生田中と彼を囲む子ども達の姿が甦るようである。私は自分の中村塾を重ねて懐かしく思った。

 

◇雲竜寺では予め連絡しておいたので、病身の住職が会ってくれた。歩けない程弱っておられるが田中を語る時の視線に力があった。

 

 この寺はかつて鉱毒反対運動の拠点であり、その事務所となったところである。高い堤の向こうを渡良瀬川が流れている。当時、遥かに広がる流れの中に何千という住民が集結した。

 

 今、視界を遮られていることで私はかえって自分の想像を逞しくさせた。伊東正巳住職はこの寺で田中の仮葬儀が行われ、本葬は惣宗寺で行われたことを語った。勧められて墓と救現堂を見た。墓を改修する時、中にお骨を確認したという。救現堂は田中が死の床で「現在を救いたまえ」と叫んだことに由来する。住職は私に田中正造の写真を寄贈された。

 

◇雲竜寺から2キロ程の所に惣宗寺があった。田中の本葬が行われた寺である。多くの参拝者が列をなしているが、この人たちは田中の大きな墓石には目もくれない。墓石の前に二つの木標がたつ。一つには俊徳院殿義巌徹玄大居士と戒名が書かれ、他には「夕川に葦は枯れたり血にまとう民の叫びのなど悲しきや」と。啄木の歌である。直訴に感激して詠んだものである。(読者に感謝)

 

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2018年5月 7日 (月)

人生意気に感ず「警察官の不祥事。群馬の治安は。キラウエアの爆発」

◇警察官の不祥事が多発している。警察官も人の子だから、昨今の時流の中で不良分子が紛れ込むのは止むを得ないという見方もあろう。しかし、警察官についてはそのような甘い考えは許されない。極く稀に警察官が犯罪を起こすことは昔からあった。最近の状況は頻発である。警察官の使命は社会の砦である。治安の悪化が深刻なところに警察官の不祥事の頻発である。正に社会は砦が崩れ、崩壊の危機にある。
◇平和な農村、嬬恋村で警察官による強盗事件が発生した。容疑者の警部補は以前嬬恋村内の交番に勤務したことがあるという。交番は日本独特の制度といわれ、地域住民に溶け込んで治安維持に当たる。まさかあの人がと村民の衝撃は大きいだろう。
 警察官に対する信頼の失墜は治安維持にとって深刻な事態である。県警は警察官教育の原点に立って不退転の決意で対策に取り組むべきである。私は県会議員の時、度々この問題について発言をした。警察官内部だけは解決は難しい。県民全体で協力態勢をつくらねばならない。県議会は何をしているのか。議会の形骸化が一般に叫ばれている。治安の維持は県民生活の活性化の大前提である。
 大災害の時代に入りつつある。まさかの時警察への信頼が失われていたら県民が力を合わせることは出来ない。公安委員長は今こそ役割を果たす時である。
◇このところ、火山と地震の動きが内外で激しくなっている。この動きは今後継続して何か未曽有の大災害につながるのか。
 ハワイのキラウエア火山が爆発し、2千人もの住民が避難している。映像まばゆいばかりの美しさであるが、住民にとっては正に地獄の業火。私たちにも地球のはらわたに見える。
 日本は大丈夫かと、海外の火山状況の報道の度に思う。浅間は、そして火山と連動するかもしれない大地震は。東京五輪が刻々と近づく。首都直下型は、その前か後か。そういう緊急事態が現実化しつつあると見なくてはならない。
◇5日6日と下仁田温泉清流荘に出かけた。長男と年2・3回は実施している癒しの旅。深山幽谷に囲まれた秘湯であった。緑が眩しいようで、夜は谷川の音が響く。猪の肉がおいしかった。ビールが実にうまく、はらわたに染み渡る。親子のよい対話ができた。早朝杉木立の中を走った。(読者に感謝)

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2018年5月 6日 (日)

小説「死の川を越えて」 第78話

 

「ごめん」

 

声をかけると、中から戸が開く。そこに立つ予想外の美しい女の姿に森山は戸惑っている。女の顔を見て、森山の目に一瞬はっとしたものが流れた。

 

「どうぞお入り下さい。森山様ですね。お待ち致しておりました」

 

こずえがにっこりして迎え入れる。

 

「やあ、万場軍兵衛さん、お久しぶりです」

 

 そして、森山はこずえを見やりながら小声で言った。

 

「あれが、もしやお品さんの・・・」

 

 軍兵衛は黙って頷く。そして小声で言った。

 

「先年、木檜泰山先生の傍聴に県議会へ行ったのも彼女たち。その折りはお世話になりました」

 

 森山抱月は、ほうという表情で改めてこずえを見た。

 

「偉い先生がこんな所に来られるのは開闢(かいびゃく)以来のこと、名誉なことじゃが皆緊張しております」

 

「なんのなんの。皆さん若くて良いですな。昔を思い出しますよ。廃娼運動というのがありましてな、草鞋(わらじ)に腰弁当で田舎の家まで乗り込んだものです。若い情熱があった。懐かしい限りじゃ」

 

「そのことです。先日、先生の業績を説明する中で、廃娼運動を話しましたぞ。初代県令楫取素彦のことも併せてな。人間の尊重という点で、この集落の抱える問題と同一だと皆に話したところです」

 

「そうですか、その点は私も十分承知ですぞ。今日の目的は、理屈でなく、実態を肌で受け止めることです。この音が、死の川湯川ですか」

 

 森山はこう言って、外に耳を傾ける仕草をした。轟々(ごうごう)と流れの音が響いている。そして、傍らの正太郎に目を止めた。

 

「おや可愛い坊やがなぜここに」

 

「おお、わしが紹介しますぞ」

 

 万場老人は待っていたとばかりに声をあげた。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年5月 5日 (土)

小説「死の川を越えて」 第77話

 

万場老人の表情は沈んでいた。

 

「では、群馬がやったことは奴隷解放ではないですか」

 

正助が興奮して言った。万場老人はそれを目で受けて続けた。

 

「ハンセンの問題と共通するとは、このようなことなのじゃ。廃娼で輝かしい業績を挙げた群馬県が、ハンセン病でも成果を示して欲しいと願うばかりじゃ。それは難しいことだが、我々の努力にもかかっている思わねばならぬ。こういう覚悟で森山県議を迎えようではないか。どうじゃ、少しは納得がいったかな」

 

 老人は自分の感情を抑えるようにして、若者たち一人一人に鋭い視線を投げた。

 

「人間は皆平等でそれを実現することが人間の尊重ですか。それがハンセン病の光の元になることですね。分かるような気がするなあ。それにしても、あの有名な吉田松陰の義兄弟が群馬県の初めての知事だったとは知らなかった。不勉強で済みません。しかし、それは明治のことでしょう。この大正の時代に森山先生がなぜ廃娼運動なのですか」

 

正助が不思議そうに言った。

 

「うむ、そこじゃ。廃娼は一筋縄ではいかなかった。楫取県令が去ると、次の知事は娼婦の制度を復活させようとした。その時、大いに頑張ったのが上毛の青年たちであった。全県下の青年が連合を作って廃娼に立ち上がって、その力で結局、群馬の廃娼は実を結んだ。この青年たちの中に森山抱月さんがおったのじゃ。その後も、折に触れ、公娼復活の動きがある。森山さんは県議になっても、この廃娼に信念をもって取り組んでおられる。繰り返すが、ハンセンの問題と廃娼は、人間の解放ということで共通じゃ。森山県議と会った時に、このことをしっかりと承知してもらいたいと思う」

 

正助たちは事の重大さを知って、身構える思いでその時を待った。

 

 その日が来た。森山抱月は、従者を温泉街に待機させ、単身で湯の沢集落に足を踏み入れた。目立たぬ様子をしているため、一見普通人に見えた。

 

 

 

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2018年5月 4日 (金)

小説「死の川を越えて」 第76話

 

「その通り、そして、議会の決議を実行に移した人物が初代群馬県令の楫取素彦(かとりもとひこ)なのだ。群馬は廃娼で金字塔を打ち建てた。今、そのことが忘れられようとしている。金字塔の意味が分かるか。それは虐げられた女に光を当て救ったことじゃ。群馬の偉業は1回限りで終わったのか。同様な深刻な課題があるのに関心を示さないのでは、あの金字塔は本物かと疑われても仕方あるまい。その同様に深刻な課題がハンセン病問題なのじゃ。群馬にも人物はいるぞ。森山さんもその1人。我々は政策が動くのをまっているだけではいかん。積極的な努力が必要じゃ。森山さんに協力するのもその1つと考えねばならぬぞ。楫取素彦は、かの吉田松陰の妹を妻に迎え、近代群馬の基礎を築いた。この廃娼とは女の解放、そして人間の尊重を実現するということで極めて重要。我々ハンセンの問題を理解する上で欠かすことが出来ない」

 

「ずい分と難しい話だ」

 

「俺たちにゃ荷が重いんじゃねえか」

 

 権太が言った。

 

「うむ、いかにも難しい。しかし、差別と偏見は我々の前に立ちはだかる巨大な壁じゃ。乗り越えねば未来はない。逃げて地獄の釜に落ちるか、それともハンセンの光に一歩でも近づくかどちらかなのだ」

 

 万場軍兵衛は毅然として言い放った。

 

「逃げねえ、戦います。教えて下さい」

 

 正男が言った。

 

「よく言った。我々の宿命なのだ。大切なことはハンセンだけではないということだ。ハンセンだけの問題だと捉えるなら、世の中が変わらないからハンセンも解決出来ない。娼婦の実態は実に悲惨であった。自分の体を売り、自由を奪われ、牛馬のように蔑(さげす)まれ、病気にまみれて死んでいく」

 

 

 

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2018年5月 3日 (木)

小説「死の川を越えて」 第75話

 

「お前たちは、以前に県議会に傍聴に行ったから、県議会とはどういうところか大体の感じは分かっておろう。あの時、森山さんにはお前たちの傍聴について、了解を得ていたが、森山さんがお前たちに会うことはなかったわけじゃ」

 

 万場老人はこずえを見ながら笑った。

 

「あの時は、木檜先生の凄さに驚くばかりでしたわ」

 

 こずえがさやを見て言った。

 

「そうね。私は、あそこに居ることがしかられはしないかと恐かったの。戦地にいる正さんのことを思ってじっと耐えていたわ」

 

さやが応えた。二人は顔を見合わせて当時を振り返った。

 

「そうそう、正太郎君も連れて来てほしい」

 

「え、正太には何も分かりませんよ、先生」

 

さやが驚いて言う。

 

「大切な役割があるのじゃ。心配はいらん」

 

老人はすかさず言った。

 

 その日が決まった時、老人は急いで皆を再び集め、森山抱月という県会議員について改めて語った。佐波郡出身で商家を継ぎ、蚕種の製造も行っている。上毛民報という新聞を発刊し、廃娼(はいしょう)で正義の論陳を張った。このような経歴を説明してから、万場老人は言った。

 

「廃娼運動と教育に貢献した人物で、激しい気性の正義漢じゃ。孤児、盲唖者にも理解がある。この男がこの集落に関心を示すのは当然じゃ」

 

「廃娼運動とは何ですか、先生」

 

正助が尋ねた。

 

「うむ、お前たちは知らないであろうな。廃娼とは、娼婦の制度を廃止することじゃ。娼婦とは、まあ、女郎のこと。貧しさ故に体を売る女が全国に多数いて、奴隷のようだという非難が集まっていた。そういう女は群馬にも多くいた。明治の県議会はこれを廃止しようと決議した。その中心となった県会議員が湯沢仁悟であった」

 

「ああ、新島襄の弟子のキリスト教徒ですね」

 

正助が口を挟んだ。

 

 

 

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2018年5月 2日 (水)

人生意気に感ず「全40巻を8600円で。田中の直訴と明治の若者。学生視察団と内村鑑三」

 

◇田中正造研究の資料として内村鑑三全集が必要であった。全40巻を古書店で購入してあっ驚いた。立派な箱に入った新品同様な状態のものが全巻合計8600円とは。事務員がインターネットのオークションで入手した。他に買い手がなかったことの結果であるが、古書流通界には不思議な変化が感じられる。先日はオークションではない経路で、山川出版の世界史小辞典(新品定価2千数百円)をわずか49円で購入。田中正造全集19巻はいくつかの古書店から買って揃えたが中には1円というものがあった。世の中では書物離れの減少が生じており、洪水のように出版される書物がゴミのように扱われ捨てられている。書く人は並々ならぬ精神的エネルギーを注いでいるのだ。機械化が進む中で文化の崩壊現象が生じているのだと思う。廃棄の運命の流れから救い上げて提供する古書店の努力は有り難い。救われる書物の中には珠玉のものがある。内村鑑三全集に分け入ってそう感じた。「心の灯台内村鑑三」と上毛カルタにあるが、何をもって心の灯台なのか、多くの人は知らないに違いない。

 

◇ふるさと塾では政治家の役割論を話し、田中正造の現代的意義は、公害と人権問題の草分けだと持論を語った。命あふれる渡良瀬川が鉱毒によって死の川に変化した。何をしても動かない政府に怒った田中は死を決して最後の手段に出た。明治天皇に対する直訴である。彼は衆議院議員を辞してその行動に出た。

 

 直訴の文を書いたのは幸徳秋水。この直接行動の衝撃は凄まじかった。各紙は号外を出し直訴状の全文を載せた。特に若者に大きな影響を与えた。時は1900年(明治33)12月、日清戦争の後でロシアとの対決を控えた緊迫の世相も人々の心を刺激したことだろう。社会の不正に対し怒る姿勢を失った今日の若者とは大きく違っていた。百雷に打たれたように多くの若者が行動を起こした。その中には石川啄木がいたし、東京の学生たちは現地視察団を結成した。啄木はこの時旧制中学4年で「夕川に葦は枯れたり血にまどう民の叫びやなど悲しきや」と詠んだ。800人にも達した視察団は特別列車の中で鉱毒を怒る歌を合唱した。その光景を想像すると壮観である。内村鑑三は学生たちの指導者であった。内村は汚染の土に驚愕し農学校で「土壌」を学んだことが初めて役に立ったと語っている。(読者に感謝)

 

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2018年5月 1日 (火)

人生意気に感ず「世界劇場の非核化は果たして。拉致は。田中正造と内村鑑三」

 

◇世界劇場のドラマが終演に近づきクライマックスを迎えているらしい。27日、南北両首は「板門店宣言」に署名した。宣言は、完全な「非核化」を通じて「核のない朝鮮半島を実現する共同の目標を確認した」と謳う。6月にも予定されている米朝会談の確実なステップになるのか。世界には未だ半信半疑の声がある。長い北朝鮮の背信を振り返れば劇的な豹変をにわかに受け入れられないのは当然である。

 

 しかし、北朝鮮を囲む世界の制裁の激しさは鉄壁であった。アメリカは最新にして圧倒的な軍事力でじわじわと包囲網を縮めていた。直前に決行したアメリカのシリア攻撃は、トランプが決断して実行する男であることを金正恩に見せつけたに違いない。不可解な独裁者金正恩は、独裁者の悲劇的末路を思い描いたことだろう。その例は検挙にいとまがないのだ。このような客観的状況を踏まえれば、核のない朝鮮半島へ向けた動きは実現するのではなかろうか。世界の火薬庫はひとまず沈静化するとしても、そのまま火薬庫が消滅するわけではない。それは、中国・ロシアとの結びつき、及び朝鮮半島の歴史を振り返れば明らかなことだ。ここで、引き続き私たちが一番気がかりなのは拉致問題である。

 

 我が国の主権を犯し、人権を踏みにじった犯罪行為が「非核化」という大問題の陰で、影が薄くなることは許されない。主権と人権という人類普遍の問題として、「非核」に劣らぬ重大問題なのだ。千載一隅のチャンスは、拉致被害者だけのものではない。日本国民全体にとって心に刺さった刃なのだ。それを他人事と考えることに日本の危機がある。

 

◇28日(土)の「ふるさと塾」は前回に続いて田中正造であった。前日午後、佐野市郷土博物館に飛んで、山口館長から田中に関する話を聞き資料も頂くことができた。田中には子がなく、柏崎家の娘ツルを養女に迎えた。このツルが結婚した相手が山田友次郎である。

 

 このツル、友次郎夫婦の孫が前橋に住んでおられ、私のふるさと塾の塾生であることに、私は田中正造との間に何か縁のようなものを感じる。館長からは、山田友次郎日記のコピーを頂くことが出来た。友次郎は田中の熱烈な支援者であり同志であったが、あることから田中は友次郎と絶縁した。田中の死の前日、二人は和解したという。内村鑑三全集には鉱毒地を視察に訪れた内村が友次郎に現地を案内してもらったことが書かれている。塾では内村と直訴についても話した。(読者に感謝)

 

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