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2018年4月 3日 (火)

人生意気に感ず「田中正造と今。命の川は死の川に。谷中村の共同墓地は」

 

◇4月1日、早目に昼食を済ませ急遽栃木県に向かった。このところ胸を熱くしている田中正造を求めて走った。上武から北関東を経て旧小中村の田中正造旧宅及び墓地まで約1時間。この地の訪問は2度目。田中への思いを深めた。前回の続きの話を聞いてから佐野市郷土博物館に向かった。入口近くの石碑には明治31年作の田中の歌が刻まれている。

 

「世をいとひ そしりをいミて何かせん 身を捨ててこそたのしかりけり」

 

 この歌に、田中が歩んだ厳しい闘いの道と彼の激しい正義感があふれている。一歩踏み入れると古い木造船が展示されていた。洪水と闘ったこの地の住民の姿と闘将田中を想像した。この博物館で田中への思いを深めた。ここに来る途中で越えて来た渡良瀬川は命あふれる母なる川であった。それを死の川に一変させたものは足尾銅山の鉱毒である。鉱毒の被害を拡大させ支えたものは実に政府の誤った住民無視の政策であった。荒畑寒村の「谷中村滅亡史」には次の一節がある。「鉱山より吹き出す毒煙は近傍の山林を不毛に帰せしめ」、「一朝豪雨到る時は河水たちまち増加し、水勢渦を巻きて奔流し、渡良瀬、利根沿岸一帯を荒撫せしめり」

 

 これらの惨状の極致である旧谷中村の遺跡に向かった。温かい春の日差しの中に菜の花が咲き乱れ、渡良瀬の河川敷は親子連れで賑わっていた。この人々はこの地でかつて何が展開されたかの歴史を知らない。歴史を知らなければこの地の一木一草も答えてくれない。「歴史は現在と過去との対話」である。こんな思いを抱きつつ道を尋ねながら進み目的地に着いた。見渡す限りに広がる葦の湿原。その一角に旧谷中村遺跡はあった。高い展望台に登ると目の下からその跡地は広がっていた。葦の中にどんな遺跡が残されているのか。私はここで偶然にも一人の人物に出会った。私はよく見知らぬ人の懐に飛び込んで幸運をつかむ。この人は私を案内してくれた。葦の中に小山がありそこに昔役場があったという。近くには何々の屋敷跡と木標が立ち、特に私の心を捉えたのは寄り添うように立つ古びた墓石たちである。共同墓地であった。地底から悲痛な叫びが聞こえるようだ。公害の原点、民主主義の原点である。葦が焼かれる時は火の海になるという。私は火災の中に人々の怨念が甦る姿を想像した。(読者に感謝)

 

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