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2018年4月13日 (金)

人生意気に感ず「田中正造の政治姿勢とは。その今日的意味。川俣事件とは」

 

◇田中正造の写真からその性格が伝わってくる。顔は履歴書である。がっしりした顔の輪郭、太い口元、そして何よりも大きな鋭い目。資料にあるように怒り絶叫する姿が甦るようだ。田中の凄いところは、一時の激情でなくその怒りと行動を生涯貫いたことだ。

 

 私は自分の政治人生を振り返って、田中のそれと比べると恥ずかしい思いが湧く。かつて「明治は遠くなりにけり」と言われたが、遠くなった第一は政治家像である。今日の政治家は木の葉のように軽く、その大衆に迎合する様は嘲笑の的となっている。政治家は羅針盤を失って漂流する社会の象徴ともいえる。大衆に迎合しないためには自らがしっかりとした理念を持たねばならない。田中正造にはそれがあった。県議会、帝国議会の演説にそれが現われている。そしてその頂点を示すものが天皇直訴である。

 

 社会主義者幸徳秋水が文書を引き受けたのは田中正造の信条を本物と認めたからである。20歳の荒畑寒村が一気に「谷中村滅亡史」を書いたのも同様であったに違いない。私は先日、渡良瀬川河畔の雲竜寺の境内に立って田中の姿を想像した。そこの石碑には田中の静かな覚悟が刻まれている。

 

 毒流す わるさ止めずば 我止まず

 

    渡らせ利根に血を流すとも。

 

 世に名高い川俣事件はこの雲竜寺から発した住民運動に関して起きた。半鐘が鳴らされ、かがり火がたかれる中、多くの被害農民は続々とこの寺に集まり東京の請願に向けて出発した。川俣村でこれを待ち受け阻止しようとしたのが二百数十人の警察官であった。彼らは「暴民撲滅・百姓撲滅」と口々に叫びながら農民に暴行を加えた。それは酷いもので、目撃した新聞記者は「群馬に警察なし」と書いた。田中は直後の帝国議会で「政府は官吏によって人民を殺傷せしめた」と指弾した。

 

 このような官吏(警察官)の行動は旧憲法下だから起きた。そのような旧憲法下の権力に対する田中の抵抗は並大抵ではない。

 

 このような住民の請願行動を権力は凶徒聚衆罪で起訴した。この裁判の場が前橋地裁であった。しかし、その展開は意外であった。前橋地裁の裁判官は凶徒聚衆罪の成立を否定したのだ。第二審も同様に判断を示した。司法の健全性を示すと共に、鉱毒問題の本質が国家権力をもってしても否定できぬことを物語るものであった。(読者に感謝)

 

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