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2018年4月15日 (日)

小説「死の川を越えて」 第69話

 

 万場老人の家の戸を激しく叩く者があった。老人が何事かと戸を開くと息を切らしたさやの姿があった。

 

「正さんが帰るの」

 

さやが叫んだ。

 

「え、本当か」

 

万場老人も叫んだ。

 

「これを見て下さい。正さんの手紙です」

 

老人は受け取ると食い入るように読んでいる。

 

「うーむ、正助は大変な経験をしたらしい。海底の洞窟の事が書かれているな。恐ろしいことだ。正助があそこを通ったとは不思議な因縁じゃ」

 

万場老人はそう言って、目を閉じ暫く考え込んでいる様子であった。恐ろしい暗黒の場面を想像しているのであろうとさやは思った。それにしても、万場老人は、その洞窟をなぜ知っているのだろうと不思議に思った。

 

「正助は、ハンセン病の人たちのために尽くしたいと申しておる。別の世界を知って、心の世界を大きく成長させたのだ。再開が楽しみじゃな。正助を迎える準備をしようではないか」

 

「はい、ありがとうございます」

 

さやの瞳は輝き頬は紅潮していた。

 

 

 

正助は列車を乗り継ぎ、上野駅に着いた。古里の玄関口に近づいた思いで正助は興奮していた。およそ4年振りに会う人々はどう変化しているか、そして何よりも自分の分身たる正太郎とはどんな男の子であろうか。高崎へ近づくにつれ、正助の胸は高鳴る。福岡を出る時、担当官が、高崎までの到着時刻を調べて、草津の役場に連絡すると言った。確実に時間を計画出来るのは高崎駅であった。だから、もしかしたら高崎駅にさやたちは出迎えているかも知れないと正助は思った。それは、確実性のない、いちるの望みかも知れなかった。しかし、列車の進行と共に正助が描く高崎駅頭のさやたちの姿は朧(おぼろ)なものに輪郭が与えられ、回りの状況も加わって次第に動かぬものになっていった。左手に妙義の山影が現れ、やがて右手前方に赤城山が見えた。正助はいたたまれず立ち上がって通路を進んだ。高崎まではまだ距離があるらしいと知り、正助は逸(はや)る心を抑えて席に戻り目を瞑(つむ)った。目に浮かぶのは、シベリアのハンセン病の集落であり、あの海底洞窟であった。ここに居るのが夢のように思えた。振り返れば、あの暗黒の洞窟は、正助を幻の世界からこの世に導いた通路であった。不思議な体験で正助は体のどこかに何か未知な力が生まれたように感じた。<あの海底洞窟が新しい俺を生み出したのか>。そう呟いた時、「高崎―、高崎―」と車内に声が響いた。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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