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2018年4月30日 (月)

小説「死の川を越えて」 第74話

 

 正助とさやは顔を見合わせてにっこりした。

 

「お友達になりましょう」

 

そう言って差し出すさやの手を女はしっかりと握り返した。女の顔に笑顔が甦っていた。

 

「とめと言います。お友達になってくれるのですか」

 

「お願いしますね」

 

 さやは大きく頷いて言った。

 

 正助は助けてくれたシベリア、そして韓国の人たちの姿を思い出しながら、一つの恩返しが出来たという感慨にひたるのであった。

 

 

 

第三章 群馬県議会

 

 

 

一、森山抱月の登場

 

 

 

 大正11年の夏のある日、万場軍兵衛から声がかかった。いつもの顔ぶれが集まると万場老人はおもむろに口を開いた。

 

「このあばら家に大変なことが起こる」

 

老人の目は笑っているが、鋭い光があった。何事であるか若者たちには気になった。

 

「一体何ですか」

 

正助が興味深そうに尋ねる。

 

「驚くな、実は、近く偉い県会議員が訪ねて来ることになった」

 

「えー、こんな所にですか」

 

権太と正男が同時に声をあげた。

 

「森山抱月先生といって、わしとは旧知の間柄。お忍びで、この湯の沢のことを知りたいという。今、県議会でもハンセン病のことが取り上げられるようになった。この人は、キリスト教徒でな、議会でも指導的立場にある。リー女史とはクリスチャンということで知り合いの間柄で、この集落に入るにつき、感染の危険があるか聞いたそうだ。リー女史は、私を見て下さい、心配はありません、私を信じて下さい、と言ったので森山さんは安心して来られるという。もっとも、この人は危険があると知っても恐れぬ人じゃがな。目的は、県の政策としてハンセン病を取り上げるために、住民の生の声を聞くのだと言っている。わしに相談があったので、お前たちと勉強会のようなことをやっていると言ったら、それは好都合、是非その人たちに会いたいということになった。近くその日が決まる。その時、思うことを何でも発言し、また質問してほしい。この湯の沢集落の将来に関わることじゃからな」

 

「どえらいことになった」

 

正男がこういうと、皆が同感とばかりに頷いた。

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年4月29日 (日)

小説「死の川を越えて」 第73話

 

「正さん、何とか出来ないかしら。赤ちゃんのことで悩む姿は前の私と似ていると思うの」

 

「そうだね。俺はシベリアの経験で人の命の大切さを知った。俺はハンセンの人たちに助けられた。そのためにもハンセン病の人を救いたい。さやちゃん、急いだ方がいいね。取り返しがつかないことになるよ」

 

 二人はその夜、女に会った。

 

「女房から事情は聞きました。これも同じ病を抱え、悩んだ末に産みました。よかったと思っています。この湯の沢集落にはハンセン病を助けるために命をかけている外国人がいます。俺は最近、シベリアでハンセンの人たちに命を助けられました」

 

 正助の話が女に通じているのかどうか分からなかった。青ざめた表情、時々見せる視線、それは病的で絶望を現していた。正助は、シベリアで追い詰められ爆弾で吹き飛ばされ気を失い土に埋められた時、光の輪の中に妻と子が現れ励まされたことを話した。女の表情に変化が見えたのはこの時であった。

 

「子どもを殺すことは、悪いことですか」

 

女は正助をじっと見詰めて、低い声でぽつりと言った。

 

「悪いことです。自分が産んだ子でも、別の命です。その子の人生があるのです。俺は学問はないが、シベリアで人の生き死にのことをずいぶん考えました。毎日が殺し合いだった。藁(わら)くずのように人が死ぬ中で、かえって、命の大切さを知ったのです」

 

その時、子どもが目を覚まし、何かに怯(おび)えたように泣き出した。

 

「おう、よしよし、みっちゃん、悪いお母さんを許しておくれ。お母さんはお前をこの手で殺そうとしていました。おお、何と恐ろしいことでしょう」

 

女は、子どもを抱き上げて頬ずりをした。

 

さやがほっとした表情を示して言った。

 

「あなた、力を合わせて生きましょうよ。実は私も、この湯川に身を投げて死のうとしたことがあるの。でも生き抜いて幸せをつかみました。子どもを殺すのでなく、子どもを生かすために命を懸けるのよ。そこに生きる喜びが生まれるのよ」

 

女は、子どもを抱いて、さやの話をじっと聞いていた。その顔には、先程までの死の淵を彷徨う狂女の影は窺えなかった。

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年4月28日 (土)

小説「死の川を越えて」 第72話

 

八、死を選ぶ母

 

 

 

 さやは、京都帝国大学の小河原泉を訪ね、ハンセン病は遺伝病ではない、ハンセン病の菌の感染力は非常に弱いと説明され、安心して正太郎を産んだ。しかし、世間はハンセン病を伝染病として恐れた。迷信と偏見がこの風潮を増幅させた。その例は社会の至る所に見られたが、湯の沢集落には、全国から患者が集まるだけに様々な事件が起きた。中には、幼い命に関わる重大事もあった。

 

 正助が帰国した後、さやは麓の枯れ木屋敷から再び湯の沢集落に移り、以前のように大津屋で働くようになった。ある時、さやは正助に妙なことを言い出した。

 

「うちのお客がおかしいのよ。赤ちゃんの命が危ないわ」

 

さやが語るところによれば、少し前に1歳程の赤ちゃんを連れた若い女が泊まるようになった。さやが隣りの部屋で仕事をしていると、女のすすり泣く声が聞こえる。耳をそばだてると

 

「みっちゃん、お母さんと天国に行くのよ。お母さんを許しておくれ」

 

と、子どもに語りかけているのが聞こえた。

 

「何かお困りのようですね」

 

さやがそれとなく声をかけると、女は重い口を開きぽつりぽつりと話し始めた。女は前橋の生まれで市川とめと言った。ある男と結婚したが、ハンセン病を発病したことで離縁されて実家に帰った。

 

両親は年老いていて狼狽(うろた)えるばかり。そして、兄は妻の手前もあって冷淡であった。この分だと一族に累(るい)が及ぶから家を出てくれと言って僅かのお金を与えたという。生きる道を必死で探して湯の沢集落に辿り着いたが、お金も尽きたし、子どもの将来を考えると、育てる勇気も湧かない。この子が女として私のような人生を辿る運命なら、死んだ方が幸せになれる。この子を殺して死ぬつもりですと、語る女の顔は目も虚ろで死神にとりつかれたようだ。さやは、すやすやと眠る赤ちゃんの顔を見た。さやは、この子が泣き出したら、それが引き金となって、女はこの細い首を締めるに違いないと思った。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年4月27日 (金)

人生意気に感ず「東日本大震災最大の教訓。大川小と船越小。裁判は語る」

 

◇東日本大震災は災害の国日本に、特に直近の災害として大きな教訓を残した。中でも大きな教訓として、私はこれまで船越小と大川小の事件に注目してきた。指導者の判断によって運命が分かれた事例である。一方は全員が助かり、他方は多くの人が波に呑まれた。この地獄の底に運び去られた人々が宮城県石巻市の大川小学校の生徒及び職員であった。私は何度もこのブログで書いた。7年が経過したが遺族の方々の胸のうちでは時計はあの時に止まったままであろう。時計を進める上で、被害者遺族は悲しいことだが訴訟に踏み切らざるを得なかった。また、それは厳正な記録として後世に残すためにも必要なことであった。遂に訴訟が提起され、一審二審で審理がなされ、この度仙台高裁の判決が下された。厳粛な思いにこのブログに刻む。

 

◇26日、仙台高裁は原告の慰謝料14億円余の支払いを市と県に命じた。裁判長は「校長らは震災前に校庭周辺への津波襲来を予見できたのに危機管理マニュアルに避難場所を明記するなどの対策を怠った」と指摘した。これは学校や市の震災前の対応に過失があったと認定したのである。全国の教育現場に大きな影響を与えるだろう。

 

 大川小は北上川河口から4キロ、川べりから約200mにあった。2011年3月11日、地震発生から50分後に自動108人のうち70人が死亡し4人が行方不明に。津波襲来の7分前には校庭の前を広報車が高台避難を呼びかけて通った。なぜ、裏山へ逃げなかったのか。発生から襲来までの50分、現場の指導者は何を考えていたのか。大災害の状況が幕開けとなった今日、全国の教育者は教育への姿勢を試される時が来た。教育の目的は生きる力。子どもの命は生きる力の根幹である。教育の現状は上滑りしている。今こそ教育の原点に立ち返るべきだと、今回の裁判は警鐘を鳴らしている。

 

◇大川小と対照的なのが岩手県の船越小である。津波が迫っている、生徒は校庭に整列、裏山が迫った立地。この状況は大川小と同じである。違ったのは一人の校務員の必死の行動だった。この人は「後で笑われてもいい」と言って、裏山に逃げることを校長に訴えた。その鬼気迫る様子に押された校長は決断した。136人の児童は助かった。「校庭で5分も考えていたら全員呑まれた」と校長は振り返る。大川、船越の両校をセットにして教訓を生かす時。(読者に感謝)

 

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2018年4月26日 (木)

人生意気に感ず「硫黄島の戦いを語る。戦争と平和。平和のための戦い」

 

◇昨日(25日)、朝の「へいわ845」の講義で硫黄島の戦いを話した。早いもので39回となった。日本アカデミーの一部門として「平和学院」がスタートしているが、その一つのコアとなる存在である。20分位であるが映像を使って中味の濃い話を心掛けている。桜井マイさんという若い職員がアシスタントとしてきびきびと動き、別に守屋さんという男性の職員がカメラを回し動画をネットで配信している。なかなか本格的な布陣なのだ。毎週水曜日の朝8時45分からやっている。30人位のアカデミー職員が聴いているが一般の人も拒まない。場所は県庁舎の南、自民党県連の向うのプレハブ校舎である。私としてはこの講義の趣旨からして一般の方々の参加を望んでいる。(問合せ027‐243‐2222)

 

◇前置きが長くなった。硫黄島の戦いは当時のアメリカ国民を震撼させた。それは、サムライ日本の存在感を見せつけた歴史に残る名勝負であった。山手線の内側位の小さな面積で一本の川もなく湧水もない小島。米軍は5日で占領できると計算していたが36日間もかかった。摺鉢山に米兵が星条旗を立てる写真を紹介した。世界で最も有名な戦場写真である。

 

 空前の物量で臨んだ米軍を手こずらせたのは栗林忠通中将の戦術であった。太平洋の島々で日本軍はバンザイを叫んで突撃し「玉砕」した。栗林は死を急ぐことを許さなかった。火山の島に地下道を張り巡らし徹底したゲリラ戦を展開した。東京まで1250キロ、本土への本格空襲を少しでも遅らせるために、栗林は大本営の方針に逆らってゲリラ戦を最大限有効に戦ったのである。名を捨てて実をとるこの戦法を他の島でも徹底させたら、負けるにしてももっともっとアメリカを手こずらせたに違いない。クリント・イーストウッドが監督し、渡辺謙が栗林を演じた映画「硫黄島からの手紙」にも触れた。

 

◇平和の尊さを訴える講義でなぜ地獄の戦争を語るのか。戦争の悲惨さを知らなければ平和の尊さも分からないからだ。国の全体の方針は間違っていても個々の国民は平和を求めて必死で戦った。硫黄島で戦った人々の千分の一、万分の一でも、平和のために戦う決意がなければ平和は守れない。唯、戦争反対を叫ぶ人々は平和を守る厳しさをどこまで認識しているのか。歴史は繰り返す。世界が現実にきな臭くなってきた。戦争と平和を考える時なのだ。(読者に感謝)

 

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2018年4月25日 (水)

人生意気に感ず「巨大地震は近いのか。化学テロと五輪。国会の茶番劇」

 

◇このところの日本列島の地震状況は異常ではないか。昨日(24日)午後5時過ぎ北海道根室市南部などで震度4の地震があった。

 

 九州の宮崎、鹿児島両県県境で火山の爆発が続いているが、火山の動きと地震も連動しているように思える。それにしても地震が多い。日本列島は地震の巣と言われるが、全体の巣が連動し合っているような不気味さである。この先のことを連想すると身も凍る恐怖を覚える。首都直下型や南海トラフ型の巨大地震である。これらは確実に近づいているに違いない。そしてその巨大地震が現実となる時は直前に前兆があるのではないか。最近の地震や火山の状況は何を語ろうとしているのか。

 

◇東京五輪が近づいている。この五輪は最悪の状況で行われることになる。無事に乗り切れることを神に祈るばかりである。日本国を挙げての行事、いやそれどころか全世界的なイベントに国会は最大の危機感をもって対策を研究すべきではないか。現状を見ていると政治家にその危機感が見られない。

 

◇東京五輪は天災だけでなく、テロなどの人災に備えなければならない。東京の雑踏に足を踏み入れて感じることは誰の目にも明らかな無防備さである。ここに危険物を置かれることは防ぎようがないと感じる。

 

 オウムの地下鉄サリン事件は皮肉にも最大の教訓を提供することになった。国は五輪の科学テロとしてサリン対策を進めていると言われる。オウムの事件がなかったなら危機感の程度が違ったのではないか。

 

 厚労省の研究班が研究を始めた。競技場でサリンが散布された場合を想定している。解毒剤の備蓄、迅速な配送など、研究すべきことは限りない。サリンは恐怖の神経剤で一滴を皮膚にたらすだけで死に至るとされる。米英仏がシリア攻撃に踏み切ったのは、シリアがサリンなどの化学兵器を使用した疑いがあるからだ。

 

 厚労省の研究を資料にして、警察と医療機関が連携しなければ対策は覚束ない。東京五輪がパニックに陥った場合、最も頼りにすべき力は自衛隊であるが、自衛隊はこのような場合に有効に動けない制度上の制約の下にある。刻々と迫る危機。起きてからでは取り返しがつかない。なのに国会は茶番劇に明け暮れているように思える。

 

◇安倍首相は窮地に立っているが国民と国家の為にベストを尽くす時である。(読者に感謝)

 

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2018年4月24日 (火)

人生意気に感ず「赤ちゃん取り替え事件の深淵。小説完結記念の集い。日赤の完成」

 

◇事実は小説よりも奇なりという。そんな事実が報じられている。51年も前に起きた赤ちゃん取り違え事件である。この種の事件はこれまでも時々報じられた。半世紀も経って取り違えがどんな悲劇を生じるかを如実に示す事態となっている。「私は誰」、親が分からなければこういう気持ちを抱くのは当然だ。取り違えられたもう一方の当事者がいる筈。双方に産みの親と育ての親がいる。順天堂病院の担当者のちょっとしたミスが多くの関係者の人生行路を狂わすことになった。この種の事件で表に出ないものは多いのではないか。現在医療事故が頻繁に起きているが赤ちゃん取り違えは医療ミスの最たるものではないか。昔は産婆さんが取り上げたが、今日は近代システムの中で出産が行われている。出産が近代化する中で、出産が形式的、機械的になった感がする。出産は人生の原点に関わる厳粛な行為であるという認識に改めて立ち戻る時である。

 

◇取り違え事件に戻ると、この当事者の育ての母は似てない子どもを産んで浮気を疑われ離婚になった。再婚したが生活は苦しく、継父に高校は出せないと言われたという。事件がなければ違った人生を歩んでいたに違いない。この母は、事実に気づいて、知らせずに墓まで持っていくつもりだったという。順天堂大学側は産みの親の情報は明かさないというが、これだけ事が大きくなるとそういうわけにもいかないのではないか。事態の推移を興味深く見守りたりと思う。

 

◇21日の小説完結記念は盛大でうまくいったという感を抱くことが出来た。私は15分間の「紙芝居」に全力を注いだ。紙芝居といっても現代版で大型のスクリーンに12枚の絵(イラスト)を映し出して、私は語りを行った。運営は実行委員会に任せたが、出席者の人選は私が中心になって行った。中学時代の同級生は数人に絞らざるを得なかった。会場はロイヤルホテルの鳳凰の間。貧しかった中学時代の仲間は77歳である。Kという女性は農業をやっているが油菜をつんできて仲間に配ったらしい。ほのぼのとした光景に私は心を打たれた。

 

◇この日、新しい前橋日赤が完成し落成記念が行われた。私もかつて、日赤の経営審議員を務め日赤建替問題に関わってきた。県会議員の時は議会で発言した。県民の健康を守る壮大な砦が出現した。新しい器に何を入れるかが課題である。(読者に感謝)

 

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2018年4月23日 (月)

人生意気に感ず「日赤新病院完成の意味。北朝鮮の歴史的変化は本物か」

 

◇前橋日赤の新病院が完成した。群馬の壮大な医の砦。最大の課題はそれをいかに生かすかである。大規模災害に備えなければならない。私が県会議員の時は現実の問題として、新型インフルエンザの危機があった。現在、様々な危機が迫っている。例を挙げれば、戦争、原発事故、火山の爆発、地震、国際テロなどである。東京五輪が近づく中での群馬の地理的状況にも重要な意味がある。

 

◇新病院には現在の4倍の12万平方メートルの敷地が当てられる。地上7階、病床555、これは群大病院に次ぐ規模。県都には2つの医の砦が設けられたことになる。安全神話に胡座をかくと言われることへの警鐘に応える意があると思う。

 

 重症患者向けベッド数は従来の36から72床になり、手術室も9室から15室に増える。屋上と地上にヘリポートを設け自衛隊の大型ヘリも離着陸が可能になる。

 

「サイバーナイフ」は県内初の放射線治療装置で、脳腫瘍、肺がん、肝臓がんなどを治療できる。

 

 古来より、医は仁と言われる。このことは医の近代化、技術化、そして社会全体の機械化が進む状況で増々重要である。新病院の背景には赤城山がゆったりと裾野を広げている。患者にとって心の癒しは最大の治療である。この観点から院内には多くのアート作品が展示される。病院の一角がミニ美術館となれば効果は大であろう。

 

 特に懸念されることは首都直下型地震、そして首都のテロである。東京五輪が近づく中で治安の関係者はこのことを深刻に憂えている。距離的に近く高速交通網が発達した本県の役割は大きい。新日赤はこれに備える役割を担う。

 

◇北朝鮮に大きな変化が現われている。それは本物か。我々はこれまで幾度となく騙されてきた。27日の南北首脳会談、そして6月までに見込まれる米朝首脳会談でそれは明らかになる。

 

 朝鮮労働党の中央委員会は核実験、大陸間弾道ミサイルの発射実験の中止、一部の核実験場の廃棄を決定した。「騙されるな」の国際社会の声は強い。私は、北朝鮮がこれまで張り子の虎の実態でありながら無理な虚勢を続けてきたことを考えれば、北の歴史的譲歩は事実かと思う。トランプが拉致被害者を帰国させると明言したことを安倍首相は語った。果たして。(読者に感謝)

 

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2018年4月22日 (日)

小説「死の川を越えて」 第71話

 

 正助が語るシベリアの話は尽きなかった。小隊が全滅したことや、死体が集落の川の淵に投げ込まれることを語った。そして、海底洞窟の話になると、さやは目を丸くし、恐いと言って正助にしがみついた。

 

「気を失っていた時、さやちゃんと正太郎が現れた。光の中で、お前が招いているのだ。俺は必死で近づこうとした。あの生きる意欲が俺を救った。さやちゃん、お前と正太郎が俺を救った。ありがとう。家族というのはいいものだね」

 

こう話しながら、すやすやと眠る正太郎に視線を移すと、さやは大きく頷くのであった。

 

 ある日のこと、正助たちは万場老人を囲んでいた。

 

「今日は正助の生還祝いじゃ。下の里から少し食い物も運ばせた。一杯やりながら正助の話を聞こうではないか。正助の手紙から知ったが生還は奇跡じゃ。正助、足はあるか。は、は、は」

 

老人は愉快そうに笑った。

 

「海底洞窟のことが書いてあった。恐ろしかったであろうな」

 

「この世のものとは思えませんでした。今思ってもぞっとします」

 

正助は、頭(かしら)と呼ばれた鄭東順という人物のこと、その妻が日本人で、その人はあの洞窟に呑まれたことを話した。

 

「実はな、鄭東順は、わしの知り合いであった」

 

万場老人がぽつりと言った。正助は、その時、鄭東順が万場軍兵衛と浅からぬ縁があると言っていたことを思い出した。

 

「いずれ詳しく話すことがあるだろう」

 

万場老人はそう言って話題を変えた。

 

「わしたちは、正助の貴重な体験を生かして、ハンセン病の光を広げる努力を積み重ねることが重要じゃ。今日は、ひとまず楽しく飲もうぞ」

 

 老人は正太郎の頭を撫でながら言った。にぎやかな笑い声が狭い部屋に響いた。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年4月21日 (土)

小説「死の川を越えて」 第70話

 

正助は列車を出て、ゆっくりと歩いていた。運命の時を迎えるという厳粛な気持ちが正助の足に静かな力を与えていた。改札口が目の前にあった。

 

「正さーん」

 

手を振るさやの姿があった。小さな男の子の手を引いている。

 

「正助、ただ今帰りました」

 

正助は直立の姿勢で挙手の礼をとり言った。涙が頬を伝って落ちた。さやも泣いている。

 

「これが正太郎か」

 

「正太郎、ほらお父さんなのよ」

 

正太郎はきょとんとして見上げている。正助は息子を抱き上げた。ずしりとした重みが不思議な運命の絆を伝えていた。さやの目から涙が止めどなく流れていた。

 

「こずえさんと権太さんが来ているの」

 

涙を拭きながらさやが囁いた。

 

「え、こずえさんが、権太も」

 

思わず声を上げたとき、物陰からこずえと権太が現れた。

 

「お帰りなさい。御苦労様でした。ご隠居様が代わりに行けと申しました」

 

「先生は、正さんが怪我をしていて大変かも知れないと思っているの。こずえさんは看護婦さんのつもりなの。権太さんは、あなたの荷物を」

 

「正助よかったな。生きて会えるとは思わなかったぞ。荷物は俺に任せろ」

 

正助と権太は固く抱き合っていた。

 

 湯の沢集落では、正助の主人である山田屋の主(あるじ)の計らいで、一軒の家が用意されていた。ある患者が住んでいたもので、その人が亡くなって空き家になっていた。コンウォール・リー女史の住居の近くであった。

 

「正さん」

 

「さや」

 

 新居で二人は固く抱き合った。正助はさやの胸の鼓動を受け止めて生きていることを実感した。

 

「本当に正さんなのね」

 

さやは正助の胸で泣いた。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年4月20日 (金)

人生意気に感ず「死の川を越えての記念パーティが。硫黄山噴火の意味」

 

◇明日「死の川を越えて」の完結記念の集いが行われる。参加者は150人。草津からは患者自治会の藤田三四郎さん、重監房の北原誠さん、聖バルナバ教会の松浦信牧師の3名が出席される。長編小説に魅力を与え導きの松明の役割を果たしたのは115枚のイラストである。若い岡田啓介さんの渾身の力作は人気があった。

 

 当日はこのうちから何枚かを選びスクリーンに映しながら私が解説する。現代版紙芝居である。イラストは「死の川」の第一話から始まり、最後に圓周寺の墓地を訪れる所までのおよそ12枚。

 

 第一話では、死の川の辺で助け合って生きるハンセン病の人たちの集落のことが語られる。そこに万場軍兵衛という謎の老人が住んでおり、ある日この老人を訪ねた正助が人間として生きたい、俺たちに未来はあるのかと尋ね老人はこの集落にはハンセン病にとっての光があると不思議なことを話した。ハンセンの若者、正助とさやは結婚するがさやはお腹の子を産むかどうかで悩む。京都大学の小河原医師を訪ね、その話を聞いて産む決意を固める。時代は巡り、日本国憲法ができた。死の床で万場老人は憲法を活かし国を相手に裁判をせよと遺言して世を去る。様々な出来事は細流となって終章の訴訟という大河に流れ込む。私が紹介する最後のイラストは正助、さや、この間に産まれた正太郎たちが圓周寺という寺を訪れる場面。目的は小河原医師の墓であった。立派な墓地を予想した人々は大きな衝撃を受ける。小河原泉はハンセン病の人たちと共に無縁墓地に眠っていたのである。与えられた時間は約15分。難しいと思われ敬遠されがちな訴訟を易しく面白くと心掛けたが、明日多くの人々はどう反応するか楽しみである。

 

◇宮崎県の硫黄山が250年ぶりに噴火した。これは何か来るべき大噴火、あるいは大地震の予兆なのか。九州では宮崎・鹿児島県境の新燃岳の噴火など騒がしくなっている。そして各地に大きな地震が連続している。壮大な地下の構造にどんな変化が生じつつあるのか。大自然の営みは人智の遠く及ばないことである。最近の異常気象と連動しているのかと素人は考えてしまう。「来る、来る」の警告は久しく言われ続け慣れっこになった感がある。「狼が来る」の声を謙虚に、騙されることを恐れずに受け止める時ではないか。危機感の麻痺と慣れの上に胡座をかいている日常を反省すべきだ。(読者に感謝)

 

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2018年4月19日 (木)

人生意気に感ず「安倍の支持率。知事のスキャンダル。財務次官のセクハラ」

 

◇安倍首相の支持率が急落し危険水域に至った。回復は可能か。これは日本の運命にかかわる。一方、首相は夫人と共にトランプを訪問し、北朝鮮問題で協議。その親密ぶりに世界の目が集まっている。北朝鮮の変化は本物か。固唾を呑む瞬間である。このような時に行われたアメリカのシリア空爆は何を意味するのか。トランプの決断は金正恩を更に追い詰めて北の非核化への効果に結び付くのか。それともアメリカの攻撃は現実的だから核は手放せないと、逆の効果に結び付くのか。

 

 安倍、トランプ会談で特に重要な課題は拉致問題である。トランプは米朝会談のテーマにすると表明した。被害者家族の代表はこれを見て「千載一遇のチャンス」と述べた。

 

 これらがもし良い効果となって実現するなら安倍の支持率はある程度回復するに違いない。安倍首相には好運と不運が謎のように結び付いている。私には不思議な人物と映る。

 

◇新潟県知事が辞任した。前日の記者会見を見た人は「独身で自由恋愛、なぜ責められるのか」と、涙の会見姿にむしろ同情を寄せる人もあった。しかし、今朝早く週刊誌を買って読むと、報じられていることが事実なら、どうやら涙をそのまま受け取れない状況らしい。止まることを知らない最近の享楽の濁流に軽率な政治家が足を踏み入れた姿のようだ。若い女子大生A子、B子との援助交際が書かれている。女子大生は一回2万円とか3万円とかで知事とラブホテルに行ったことをしゃあしゃあと語っている。売買春の可能性すらある。独身であることを別にすれば、かつて週刊新潮で写真を撮られた前橋の代議士と大差ないようである。

 

 小学生時代から町の神童と騒がれ、灘高から東大医学部に進んだ。ここまでは華麗な歩みだが、途中で政治の世界に関心をもったあたりが理解し難い。衆議院選に過去4回も落選をしている。政治に対する確たる信念があったのだろうか。現在、このような人物が政治に関心を抱くこと自体に政治が軽くなっていることが現われているようだ。

 

◇福田財務次官がセクハラ問題で遂に辞任した。女性記者に軽率に問題発言を続け、録音されるということが不可思議である。今、優秀な人材が官僚にならない傾向と言われるが、それを物語る事実であろうか。政治の森で後から後から不祥事が発生している。一度、ガラガラポンとなって出直さないと日本の社会は駄目ではないかと思われる。その時が近いように思われる。(読者に感謝)

 

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2018年4月18日 (水)

人生意気に感ず「3市長選の結果。特に富岡の結果は。中国の発展は」

 

◇15日の夜、一斉に注目の市長選の開票結果が出た。最も激しかったのは富岡市であるが新人が大差で現職を破った。現職の岩井さんは、かつて県議会で一緒だった人。やり手で選挙上手だった。自身が経営する福祉施設を巡って厳しい批判を受け新聞の袋叩きにあったことがあった。凄まじい選挙戦をやり当落を繰り返した。

 

 世界遺産の富岡製糸場を抱えて2期勤めた現職の有利さがあった筈だが、大差で敗れた。かつての不祥事を富岡市民は忘れていなかったと思える。

 

 万歳を叫ぶ新人榎本氏と深く頭を下げる岩井さんの姿が対照的である。長い政治の経験で幾度となく見て来た光景である。私とはほぼ同年齢の岩井氏、敗戦の心理的影響は大きいことだろう。疲れが一挙に出たに違いない。今後の富岡市行政の行方を見守りたい。

 

◇安中市長選挙も大差で勝敗がついた。初の女性市長の現職が2期目を飾った。茂木英子氏と岡田義弘氏は共に県会議員出身。岡田氏は自民党県議で特色のキャラクターであった。79歳でリベンジを目指したが果たせなかった。

 

 この年齢も不利な要因であったと思われる。茂木氏は女性首長のパイオニアとして後に続く女性議員の目標になる可能性がある。

 

◇みどり市は、予想通りの結果であった。新人同士の争いであったが、県会議員出身の須藤さんが大勝した。堅実な人柄で、行政に対する感覚も豊かであるからいい市政を展開することだろう。

 

◇更に続くのが藤岡市長選である。ここでも県会議員だった新井雅博さんが頑張っている。相手は元衆議院員の秘書。四つに組んでの戦いで、22日の投開票の結果が見ものである。

 

 地方選は立候補者が少なく民主主義の危機が叫ばれているが首長選は激戦となるところが多い。それは首長という職務に魅力があるからである。ということは地方議会議員のポストは魅力が薄いということでもある。地方議会の形骸化が叫ばれている。何とかしなければ増々地盤沈下してしまう。

 

◇上海から帰って、改めて中国の変化を振り返っている。中国は大きく変貌しつつあることを感じた。アメリカは衰退に向かい、中国は増々躍進に向かうという印象を受けた。米中の間にあって日本は危機にたっている。その象徴が安倍首相の姿である。今、安倍さんの胸中には大変な窮地にあった祖父岸さんのことがあるであろう。(読者に感謝)

 

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2018年4月17日 (火)

人生意気に感ず「呉昌碩記念館のこと。驚異の人庄炎林。群馬の奥座敷へ」

 

◇2日目、呉昌碩記念館の開幕式は盛大であった。庄炎林氏の紹介には特別のコメントがあった。97歳であるという。前に歩み出る様は大地を踏み締めて堂々とし、質問に答える言葉も確実で乱れがなかった。華僑連合の会長として世界の華僑を率いてきたその背景を想像して私は胸を高鳴らせた。毎朝寒水の中を泳ぐと聞き、それが誇張でないことをこの人の全体像から感じることができた。

 

 司会の女性が高齢は先天なのかと訊いた。庄炎林氏は「先天もあるが後天も大事です」と答えた。これを聞きながらこの人の人生はどんなだったのかと思った。この百年は中国にとって稀な程激変の歴史の過程であった。私は「炎林」という名から侵略すること火の如く静かなること林の如しというあの風林火山の旗を連想した。

 

◇この日は、開幕式の前に上海市長を訪問した。日中書道展の公式行事の予定にはないが、福田さんが上海に入ることで計画されたもの。大澤知事と私が同席した。中国第一の経済都市の市長応勇氏の発言には注目すべきことがいくつかあった。

 

「11月にある上海博覧会は中国が世界の市場となることを示す場である。日本と力を合わせて成功させたい」と市長。福田さんはこれを受け止めた上で次のように発言した。

 

「国家間の交流の基礎は国民同志の交流であり、文化の交流は特に重要である」このような発言に続いて市長は、今年日本を訪問する予定であること、日本から高齢者問題などを学びたいと語った。これに対して福田さんは、その際東京の奥座敷群馬に是非と誘いかけた。一時間で来られる良い温泉がある、夜来て朝に帰れますと群馬を巧みに宣伝し、市長は日程を調整すると答えていた。上海と群馬との関係を大きく改善させるための重要なニュースになる可能性がある。

 

◇この日の夜は日本側が中国を招待する夕食会となった。私は初めに用意した中国語で庄炎林氏の「先天・後天」の話しに感銘を受けたと触れた。急速に進む高齢社会の良い手本として、日本として又群馬県全体として受け止めねばと話すと、庄炎林氏は立ち上がって私の手を強く握った。私は生きる力を受け止めたのである。この手の力強さと温かさの意味をどう受け止めるかは私の内面にかかっていることであった。(読者に感謝)

 

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2018年4月16日 (月)

人生意気に感ず「上海を走る。迎賓館の光景。福田元総理の人気振り」

 

◇11日から3日間の中国訪問の第一日目。上海での日中書道展である。上野三碑の世界記憶遺産登録を祝っての書道展が日中友好平和条約締結40周年記念を兼ねて呉昌碩記念そして群馬県日中友好協会会長の私である。

 

 この退会には中国側が並々ならぬ力を入れていることが感じられた。それには、最近の中国の政治状況が強く反映しているに違いない。

 

 中国は国家権力が強い国である。国のトップの政治姿勢で末端までの状況が一挙に変化する。3日間、中国側の様々な挨拶に接したが、そこでも随所にこのことが現れていた。ある要人は「中日の春が来た」と語った。数年前、尖閣諸島で異常に緊張した時を思い出して私は驚きを感じた。

 

 第一日目(11日)の主な行事は中国側主催の歓迎会である。虹橋迎賓館の状況は豪華にして壮大であった。壁面を埋めた堂々たる風景画は中国の威厳を示して私達を迎えている。チャイナドレスの美女たちが動く姿には中国の宮廷を想像させるものがあった。

 

 福田元総理の到着はやや遅れていた。夕闇の中、到着の情報が伝わると全員が玄関に出て迎えた。友好条約40周年記念を別にしても中国に於ける福田さんの人気は格別なのである。

 

◇会場は正面に両国の二人の要人が占め、コの字形に席が設けられている。福田さんと並んだ正面の中国人の風貌に私の目は引き付けられた。かなりの高齢らしいが堂々とした骨格と顔面に潜むものには威厳と風格があった。名は庄炎林で中国華僑連合会の名誉会長と紹介されたが、3日間の中で私はこの人物の実像に近づき驚きと共に人生の収穫を得ることになる。それは最後の晩餐会で、私の手を握った庄氏の手の温もりから確実に受け取ることになる。

 

◇私の宿舎は義人飯店(メゾンホテル)である。早朝6時半、私は上海市街を走った。外国の街を走ることには格別の意味がある。街の素顔が少しでも見られるからだ。プラタナスの並木が続き高い塀の佇まいはかつてのフランス租界の名残を感じさせる。一方には中国第一の経済都市を象徴する高層ビル群が見えた。中国は屈辱の過去から立ち上がり変貌しつつある。朝の光景はそれを語りかけていた。(読者に感謝)

 

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2018年4月15日 (日)

小説「死の川を越えて」 第69話

 

 万場老人の家の戸を激しく叩く者があった。老人が何事かと戸を開くと息を切らしたさやの姿があった。

 

「正さんが帰るの」

 

さやが叫んだ。

 

「え、本当か」

 

万場老人も叫んだ。

 

「これを見て下さい。正さんの手紙です」

 

老人は受け取ると食い入るように読んでいる。

 

「うーむ、正助は大変な経験をしたらしい。海底の洞窟の事が書かれているな。恐ろしいことだ。正助があそこを通ったとは不思議な因縁じゃ」

 

万場老人はそう言って、目を閉じ暫く考え込んでいる様子であった。恐ろしい暗黒の場面を想像しているのであろうとさやは思った。それにしても、万場老人は、その洞窟をなぜ知っているのだろうと不思議に思った。

 

「正助は、ハンセン病の人たちのために尽くしたいと申しておる。別の世界を知って、心の世界を大きく成長させたのだ。再開が楽しみじゃな。正助を迎える準備をしようではないか」

 

「はい、ありがとうございます」

 

さやの瞳は輝き頬は紅潮していた。

 

 

 

正助は列車を乗り継ぎ、上野駅に着いた。古里の玄関口に近づいた思いで正助は興奮していた。およそ4年振りに会う人々はどう変化しているか、そして何よりも自分の分身たる正太郎とはどんな男の子であろうか。高崎へ近づくにつれ、正助の胸は高鳴る。福岡を出る時、担当官が、高崎までの到着時刻を調べて、草津の役場に連絡すると言った。確実に時間を計画出来るのは高崎駅であった。だから、もしかしたら高崎駅にさやたちは出迎えているかも知れないと正助は思った。それは、確実性のない、いちるの望みかも知れなかった。しかし、列車の進行と共に正助が描く高崎駅頭のさやたちの姿は朧(おぼろ)なものに輪郭が与えられ、回りの状況も加わって次第に動かぬものになっていった。左手に妙義の山影が現れ、やがて右手前方に赤城山が見えた。正助はいたたまれず立ち上がって通路を進んだ。高崎まではまだ距離があるらしいと知り、正助は逸(はや)る心を抑えて席に戻り目を瞑(つむ)った。目に浮かぶのは、シベリアのハンセン病の集落であり、あの海底洞窟であった。ここに居るのが夢のように思えた。振り返れば、あの暗黒の洞窟は、正助を幻の世界からこの世に導いた通路であった。不思議な体験で正助は体のどこかに何か未知な力が生まれたように感じた。<あの海底洞窟が新しい俺を生み出したのか>。そう呟いた時、「高崎―、高崎―」と車内に声が響いた。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年4月14日 (土)

小説「死の川を越えて」 第68話

 

七、再会

 

 

 

 段取りが進んでいたらしく、正助の身は日本軍の部隊に移され、一応の取り調べを受け、軍の病院に入ることになった。病院で検査を受けたところによると、正助の傷はかなり深刻であった。弾丸が貫通した太ももの機能は回復しておらず、従軍して重労働に従事するのは無理と判断された。また、正助が長いこと抱えているハンセン病について、これ迄、厳密に軍の手で検査を受けることはなかったが、この入院で正式に調べられた。その結果、病状の進行はないがハンセン病の患者を軍に置くことは出来ないということになった。これらの事情で、正助はひとまず軍を除隊し本国に帰ることになったのである。意外な展開に正助は驚いた。不名誉と思う一方で、古里の山河が浮かぶ。さやとわが子、正太郎に会える。先日までのことを思うと激しい変化に戸惑うばかりであった。

 

 正助はさやに手紙を書いた。「正太郎は元気に成長していますか」。そう語りかける紙面に元気な男の子の顔が浮かぶ。「怪我をして帰ることになったが命に別状はないから大丈夫です」と書き、ウラジオストクのハンセン病の集落の人に助けられたこと、脱出の時の海底洞窟の不思議な冒険、京城のハンセン病の集落のことなどに触れ、「詳しくは帰ってから話すから楽しみに待っていておくれ、万場先生や権太たちにも宜しく伝えて下さい」と結んだ。さやの喜ぶ顔が見えるようだ。正助の心は早くも古里に飛んでいた。

 

 正助が、他の送還される兵士と共に福岡の港に着いたのは、ある秋の日のことであった。踏み締める大地も町の家並みも正助を温かく迎えているようであった。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年4月13日 (金)

人生意気に感ず「田中正造の政治姿勢とは。その今日的意味。川俣事件とは」

 

◇田中正造の写真からその性格が伝わってくる。顔は履歴書である。がっしりした顔の輪郭、太い口元、そして何よりも大きな鋭い目。資料にあるように怒り絶叫する姿が甦るようだ。田中の凄いところは、一時の激情でなくその怒りと行動を生涯貫いたことだ。

 

 私は自分の政治人生を振り返って、田中のそれと比べると恥ずかしい思いが湧く。かつて「明治は遠くなりにけり」と言われたが、遠くなった第一は政治家像である。今日の政治家は木の葉のように軽く、その大衆に迎合する様は嘲笑の的となっている。政治家は羅針盤を失って漂流する社会の象徴ともいえる。大衆に迎合しないためには自らがしっかりとした理念を持たねばならない。田中正造にはそれがあった。県議会、帝国議会の演説にそれが現われている。そしてその頂点を示すものが天皇直訴である。

 

 社会主義者幸徳秋水が文書を引き受けたのは田中正造の信条を本物と認めたからである。20歳の荒畑寒村が一気に「谷中村滅亡史」を書いたのも同様であったに違いない。私は先日、渡良瀬川河畔の雲竜寺の境内に立って田中の姿を想像した。そこの石碑には田中の静かな覚悟が刻まれている。

 

 毒流す わるさ止めずば 我止まず

 

    渡らせ利根に血を流すとも。

 

 世に名高い川俣事件はこの雲竜寺から発した住民運動に関して起きた。半鐘が鳴らされ、かがり火がたかれる中、多くの被害農民は続々とこの寺に集まり東京の請願に向けて出発した。川俣村でこれを待ち受け阻止しようとしたのが二百数十人の警察官であった。彼らは「暴民撲滅・百姓撲滅」と口々に叫びながら農民に暴行を加えた。それは酷いもので、目撃した新聞記者は「群馬に警察なし」と書いた。田中は直後の帝国議会で「政府は官吏によって人民を殺傷せしめた」と指弾した。

 

 このような官吏(警察官)の行動は旧憲法下だから起きた。そのような旧憲法下の権力に対する田中の抵抗は並大抵ではない。

 

 このような住民の請願行動を権力は凶徒聚衆罪で起訴した。この裁判の場が前橋地裁であった。しかし、その展開は意外であった。前橋地裁の裁判官は凶徒聚衆罪の成立を否定したのだ。第二審も同様に判断を示した。司法の健全性を示すと共に、鉱毒問題の本質が国家権力をもってしても否定できぬことを物語るものであった。(読者に感謝)

 

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2018年4月12日 (木)

人生意気に感ず「田中正造の勇気とは。田中の現代的意味」

 

◇田中正造がなぜ時代を越えて人々の心を打つのかを考えた。それは公害という普遍的な社会問題とそれに苦しむ国民を無視した政府への怒りに命をかけた点が第一であるが、更に田中をつき動かし支えた無私と勇気が多くの人々の心を捉えたことが重要である。しかし、単なる無私と勇気だけではない。田中の訴えるものには深い哲学と高い大義があった。「鉱毒は国を亡ぼす」、そして「亡国に至るを知らざればこれすなわち亡国」と主張した。鉱毒が国を亡ぼすことを理解しないことが、国を亡ぼすことになると訴えたことは偉大な啓蒙活動である。政府は鉱毒が国を亡ぼすことの深い意味を理解せず、鉱毒問題を治水対策に切り替えてしまった。

 

 時は日露戦争に入る直前だった。辛うじて勝ったが、国民の生存を深く考えないでおごりのあった国は結局日本を亡国に導いてしまった。田中は偉大な予言者であったといえる。

 

 田中正造は明治最大の義人と言われたが、明治という枠を超えた義人であり、しかも単なる義人ではなかった。

 

 田中は「戦ひは悪事なり」と日露戦争の最中に主張したのだから凄い。「戦では勝ち誇りたる瑞西をたずねても見よや やまと民族」とうたった。瑞西は永世中立国スイスのことである。

 

 難しい理論を展開する社会主義者ではない。飾らない行動の人であるから反戦の主張にも説得力があった。直訴状を書いた人は、大逆事件で死刑になった幸徳秋水である。田中は国家権力に対抗しながらも73歳の人生を全うした。時の政権が厳しく罰することをしなかった背景には国民の熱狂的な支持があったからではないか。アクビ事件で40日の刑に服した時、内村鑑三が新約聖書を差し入れた。

 

◇田中正造の現代的意味は公害の原点を示したことをはじめとして色々あるが、政治家のあるべき姿を示した点が大きいと思われる。現在、政治に対する信頼は地に落ちた感がある。鉱毒問題は利根川の洪水と共に群馬と深い関わりをもつ。川俣事件は前橋地裁で争われた、田中の鉱毒反対運動の拠点、雲竜寺は館林市にある。群馬県は田中正造をもっと正面から取り上げるべきである。道徳教育が本格化する。その成否は人物を通して子どもの心に熱いものを届けられるかにある。子どもの心の危機が日本の危機を招いている。(読者に感謝)

 

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2018年4月11日 (水)

人生意気に感ず「田中霊祠、天皇直訴と若者たち。心を失った現代の若者」

 

◇このところ田中正造にのめり込み、寸暇を見つけて栃木の関係遺跡に飛んでいる。今月の「ふるさと塾」(28日)も、第2回目の田中正造を取り上げる。群馬にも極めて関係が深く、また何よりもこの人物が投げかけるものが今日の社会に深く結びつくことに気付かなかったことに私は反省して恥じている。今、胸のうちの炎が高まる状況で、このブログを通し田中正造を読者にも伝えたい。

 

◇4月6日、渡良瀬川河畔の「田中霊祠」を詣でた。季節外れの寒い風にほこりが舞う中、木立に囲まれて神社と石碑が建っていた。

 

 この日の目当ては黒澤西蔵である。見上げるような大きな石碑に田中の生まれから始まる生涯の歩みが刻まれている。上部には大きな文字で「田中霊祠拝殿造営之碑」と題字が書かれ、左下に題字門人黒澤酉蔵とある。私が注目するのは、この「門人」という表現である。ここに黒澤が心酔した田中との師弟の関係が見てとれるからである。

 

 明治34年に決行した天皇直訴は日本中を震撼させた。新聞は号外を出した。そして全紙面をさいて直訴文を紹介し、人々は争って読んだ。特に若い人々に新鮮な衝撃を与えたようである。

 

 その中に石川啄木や田中霊祠に名を刻む黒澤酉蔵がいた。酉蔵は中学生(旧制)であったが号外を読んで直ちに正造に面会を求めた。火の中に飛び込むような一途な少年の姿が目に浮かぶ。酉蔵はその後、17歳から20歳に至るまで、谷中村鉱毒問題に命がけで取り組む。号外を機に学生視察団が結成される。その数は千人を超えるほどで、その先頭に立ったには内村鑑三だった。酉蔵は、田中に勧められてこの視察団に加わった。中学生は少数であったらしい。

 

 上野駅から特別列車で参加した学生は車内で「鉱毒地を訪ふの歌」を歌った。その光景を想像すると、今日の若者にはない社会正義に燃え、大きな不正に怒る若者の熱気が伝わってくる。私には健全な学生運動の原点のように思える。

 

 黒澤酉蔵は視察団に加わり現地を見て田中の真情、絶叫、献身の意味を心の底から理解できたと語る。そして、その目で見た鉱毒地の惨状はとうてい筆舌をもって言い表すことができるような生やさしい状況ではないと怒りを吐露する。今日の若者がこのような心を失っていることは正に日本の危機である。(読者に感謝)

 

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2018年4月 9日 (月)

人生意気に感ず「3市の市長選スタート。自治体の危機と議員の質。大学の入学式」

 

◇今日8日、3市の市長選がスタートする。富岡市、安中市、みどり市。それぞれの候補者に私のかつての県会同僚がいる。富岡市現職の岩井健太郎氏は1期先輩、安中市現職茂木英子氏、前職の岡田義弘氏は後輩、みどり市の新人須藤昭男氏も後輩だった人。自治体の首長の権限は大きく、やりがいのある仕事である。それに県議会時代の経験を活かすことが出来る。

 

 地方自治の在り方は民主主義の基盤であって極めて重要である。その構成は議会と首長から成るが、現状は議会の力は弱い。議員は選挙民から選ばれ、そういう議員から成る議会は首長と共に地方自治を支える車の両輪なのに、議員と議会はその役割を果たしていない。議会の空洞化が叫ばれる所以でもある。それは政治不信の要因でもあり、民主主義の危機ともなっている。この危機を脱するために必要なことは議員の質の向上である。地方議員は地方議会の使命の重大さを認識して謙虚に、そして必死に勉強しなければならない。議会と議員に魅力がないから良い候補者が現われない。「地方の時代」を実現するために、議会改革が叫ばれて久しいが、その声は虚しく響く。県会議員から市長を目指す人が多いことにはこのような背景がある。

 

◇多くの自治体では首長以外の議員の選挙も始まる。こちらは立候補者が少なく、選挙にならないような所もあるような現象が続く。少子化、高齢化など地方自治体の課題は多く、それは極めて深刻なのに。正に民主主義の危機なのだ。

 

 政務調査費の問題は深刻かつ重要である。厳しい批判に晒され、廃止論すらある。これは議員の職務が非常に重要なために、それを支える為に支給される。問題は、議員がその職責を果たすために真摯に利用しきっていない点にある。有効に活用して議会活動を本来のものにすることを政務調査費制度は求めている。

 

◇昨日は、育英短大及び育英大学の入学式に出た。私は育英には高校の創立以来長く関わってきた。野球及びサッカーで全国制覇した背景には苦難の歴史がある。少子化の流れの中で、私学が危機にある。その中で育英大学がスタートした。大学の真価が問われ、魅力と存在意義のない大学は消滅していくだろう。教育の危機は日本の危機に外ならない。(読者に感謝)

 

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2018年4月 8日 (日)

小説「死の川を越えて」 第67話

 

木檜泰山は、最後に重要な地元問題があると言って、ハンセンの問題を取り上げた。ハンセン病、湯の沢集落という言葉を聞いたさやとこずえは身を固くして固唾を呑んだ。

 

「私の地元、草津の湯の沢には、ハンセン病の人たちが住んでいる。差別された人たちを救うのは、国と県の使命ではないか。県は何をしているか。ハンセン病の人たちを救うのは社会の正義である。政党色をむき出しにして、不公平な施策を行っている大山知事に、人間を救う正義を実現できるのか問いたい」

 

 木檜のこの発言に大きな拍手が湧いた。さやとこずえは、顔を見合わせて頷き合った。二人の女は、恐いと思っていた県議会に意外な味方を発見した思いで大きな勇気を得たのであった。

 

 木檜は、ハンセン病に関する中央の動きを示し、群馬は意識が低い、こんなことで国家社会に真に貢献できるのかと訴えた。

 

 さやとこずえは、県議の木檜の様子を万場老人に報告した。老人は身を乗り出して、二人が互いに語ることを一語も聞き逃さじと耳を傾けていた。

 

 聞き終わると静かに言った。

 

「森山さんの言ったことは本当だった。今の話でそれが分かったぞ。木檜という人は、ハンセン病という社会の不正義を許さないと森山さんが言った意味が分かったのじゃ。お前たち、本当にご苦労であった」

 

 さやとこずえは誉められていかにも嬉しそうであった。

 

「いずれ、森山さんに頼んで、木檜先生に会わねばならぬ。地元であるから何よりも重要な人物なのじゃ」

 

 万場老人は自分に言い聞かせるように言った。その後、木檜泰山の身に大きな変化が起きた。大正九年、この人は国政に打って出て、帝国議会の衆議院に入ることになるのである。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年4月 7日 (土)

小説「死の川を越えて」 第66話

 

「このような党利党略の県政で県民の生命と幸せを守れるのか。今、内外ともに多難、正に国難の時ではないか。このような時、真に県民のための予算を編成して、県民の信を得て、力を合わせることこそ肝要ではないか」

 

「そうだ」

 

 傍聴席から声が飛んだ。

 

 木檜泰山の万丈気炎の演説は日頃差別扱いされている民政党議員の溜飲を下げるものであったから、彼らの間から大きな拍手が湧いた。

 

更に注目すべき議場の光景が傍聴席に見られた。この日、傍聴席が燃えていたのは、木檜泰山の発言内容が衝撃的であったからであるが、実はそれだけでなく、木檜の地元の支持者が大挙参加していたからであった。

 

 そして、これらの人々の一角にあって、木檜の熱演をじっと見守る数人の若者がいた。一団はその慎ましい傍聴ぶりで明らかに他と異なっていたが、特にその中の美女に人々の目が引きつけられていた。実は、この人たちは湯の沢集落の人たちで、美しい女性はこずえに他ならなかった。彼らは万場軍兵衛に良い勉強だからと勧められて参加したが、病をもつ身で何か咎められはしないかと不安の念を抱いていた。

 

万場老人は森山議員が承知しているから心配ないと言ったが、世間を憚(はばか)って生きる者として、県議会という大変な場所に居ることは針の筵(むしろ)に座るような心地であった。

 

「朝鮮でも、シベリアでも、日本が大変厳しい状況にあるとき、国内が政治の信を取り戻さねばならないのだ」

 

と木檜が発言した時、こずえは隣のさやにそっと囁いた。

 

「正さんはどうしているかしら」

 

 さやは黙って頷き、こずえの手を握った。この時、さやの心は未だ見ぬ戦地で戦う正助の姿を必死で追っていたのだった。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年4月 6日 (金)

人生意気に感ず「自治体の定住促進。地方議会の空洞化。田中正造と石川啄木」

 

◇各自治体が移住定住促進策を競い始めた。遅きに失する感があるが歓迎したい。人口減少は止まらない。消滅の危機に瀕する自治体は少なくない。73年前、敗戦の日本は焦土と化した。そこから立ち上がって空前の繁栄を築いたが、今それが崩れ去ろうとしている。日本は現在、歴史的転換期に立ち、新たな戦いに直面している。自治体の消滅は敗戦を意味する。「国破れて山河あり」を食い止めねばならない。魅力ある自治体のために定住策を進めることは人口減に歯止めをかけることに通じる。

 

◇高崎、館林、東吾妻など少なくとも6市町村が新規事業で定住促進策として現金を支給する。現金支給は根本の解決策ではないが、一つのきっかけになるに違いない。人口減の潮流を前に手をこまねいていてはならないのだ。地方議会の空洞化が叫ばれて久しい。政治不信は止まるところを知らない。民主主義は危機にある。地方の政治家に危機感はないのか。4月は地方選の時期であるが立候補者が少ないという珍減少が生じている。公共のために立ち上がる心が枯れようとしているのだ。この心の崩壊状況こそ日本の危機に外ならない。

 

◇4月2日、寸暇を見つけ栃木県佐野市の惣宗寺へ飛んだ。上武、北関東道を利用して約2時間で行ける。田中正造が闘いの拠点とした所で、この日の私の目的は啄木の歌だった。啄木の歌はこの寺に行くまでもないが、若い啄木の心に触れたかった。

 

 正造は明治34年(1901)明治天皇に直訴した。この行動は日本中に衝撃を与え、その衝撃波は多くの若者の心を打った。この時、啄木が詠んだ歌が惣宗寺の墓前にあった。

 

「夕川に葦は枯れたり血にまとう民の叫びのなど悲しきや」。当時石川啄木は盛岡中学4年生在学中であった。

 

◇教科書裁判で名を馳せた家永三郎が田中の憲法理念に触れている。田中が谷中村破壊により生活の拠点を奪われた村民のために闘ったことは生存権回復の闘いであり、日本国憲法理念の先駆としての意味があったというのだ。家永は生存権条項のない帝国憲法下の田中の行動を高く評価し、「押し付け憲法論」を「妄見」と批判する。こういう見方もあると受け止めた。私は「ふるさと塾」で憲法をゼロから講義しているがこの考えも紹介したい。(読者に感謝)

 

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2018年4月 5日 (木)

人生意気に感ず「五輪が近づく中、テロ対策が続く。情報の隠蔽、民主主義の危機」

 

◇JR東日本は全ての車内に防犯カメラを設置する。また、多くの民間警備会社が共同して五輪に備える。国を挙げてのテロ対策が動き出した。世界各地で国際テロが続発している。犯行組織にとって東京五輪は絶好のターゲットに違いない。五輪、パラリンピックの成功は人命の安全を確保できるかにかかる。平和で安全な社会、日本の威信をかけて成し遂げねばならない。

 

◇JR東日本は3日、今後製造する全ての在来線の車内に防犯カメラを設置するという。

 

 鉄道は人体で例えれば動脈である。この動脈は外に開かれているから危険な異物が入り込む危険が常に存在する。

 

 警備の大手セコムとアルソックが連携し、これに多くの同業者が参加して万全な警備体制をつくる計画が動き出した。

 

 大勢の不特定の人でごったがえす大都会は隙だらけである。この社会は本来性善説で成り立っている。外国人も常に行動する国際化の時代となった。この社会をテロから守るのは至難の技である。

 

 東京大会では約1万4千人の警備員が必要だとされるが時代は人材難の状況に入っている。正に官民一体となって、あらゆる科学技術を駆使して会場を守らねばならない。

 

 テロという人災の外に地震や津波などの自然災害が心配である。首都直下型の巨大地震は確実に近づいている。

 

◇首都圏の五輪、パラリンピック会場に異変が生じた場合、群馬県の役割は大きい筈だ。近い距離にあって地盤が安定している群馬である。その役割を果たす備えを検討すべきではないか。

 

 県は市町村と連携をとって、この問題と取り組むべきである。議員たちはこの問題について何か発言しているのであろうか。

 

◇情報を隠す不祥事が続く。ないと言っていたイラク派遣部隊の日報が見つかった。前稲田防衛相が激怒している。部下が存在を確認しながら防衛相に報告しなかった。次々に見つかると他にも限りなくこういうことが存在するのではと疑いたくなる。行政不信、政治不信が限りなく広がる。今回は自衛隊に関することなのでシビリアンコントロール(文民統制)の危機という重大事につながる。かつて軍が民のコントロールから離れて独走して日中戦争につながった。日本は全体として民主主義の危機である。(読者に感謝)

 

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2018年4月 4日 (水)

人生意気に感ず「経営審議員、学長選考員に。大学受難の時。惣宗寺と啄木」

 

◇4月に入って、教育関係の新たな動きが一斉に始まり、関係者は最も忙しい季節である。県会議員の現職は退いたが、私も相変わらず忙しい。2日、群馬県公立大学法人理事会・経営審議会合同会議の第一回会議が県立女子大で開かれた。

 

 午後2時開会。前の会議と重なっていて時間に間に合うか厳しい状況だった。約5分遅れてしまった。途中で電話を入れておいたが、私の到着を待って会議は始まった。自己紹介の場があって、私は詫びた。

 

◇時代の激しい趨勢の中で大学改革の動きが急である。県立大学の運営は公立大学法人に移行することになった。運営形態は1法人2大学。つまり、平成30年4月、群馬県公立大学法人が成立し、その下で女子大学及び県民健康科学大学が運営されていく。

 

 主な目的は県から独立した法人として経営的視点に基づいて大学を運営していくこと。

 

◇理事会と経営審議会で運営されていく。私は経営審議会員に委嘱された。この日の合同会議ではいくつかの法人規定、中期計画、予算等が議論されて決まり、また学長選考会議の委員が選出された。私もその一員となった。かつて学長選考は大学の自治の重要な課題であったが、今は昔の感がある。

 

◇大学再編の新たな動きが出ている。国立の名古屋大学と岐阜大学が運営法人の統合に向けて動き出した。二つは大学名を残したまま統合し新法人となる。その利点は経営の効率化で、足腰を強くして活性化を図ることである。18歳人口は急減する。ピーク時は200万人を超えたが近い将来90万人を割ると推計されている。大学の定員割れと経営難の時代が迫る。魅力のない大学は生き残れない時代となる。かつて、受験戦争と言われた状況は大きく変わるだろう。「狭き門より入れ」という言葉があるが、学生の質はどうなるのか。大学の淘汰が行われていく。変化に対応したものが生き残っていく。これはダーウィンの進化論が示す一つの真理である。

 

◇昨日午後、栃木県佐野市の惣宗寺に飛んだ。田中正造が活動の拠点とし、没後ここで本葬が行われ、墓の一つがある。啄木の歌を胸に刻むことが一つの目的。「夕川に葦は枯れたり血にまとう民の叫びのなど悲しきや」啄木は直訴の感動を受けて詠んだ。盛岡中学の4年生だった。多くの資料を読んでも実態に触れねば心の発酵はない。少年啄木の熱い血を実感した。(読者に感謝)

 

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2018年4月 3日 (火)

人生意気に感ず「田中正造と今。命の川は死の川に。谷中村の共同墓地は」

 

◇4月1日、早目に昼食を済ませ急遽栃木県に向かった。このところ胸を熱くしている田中正造を求めて走った。上武から北関東を経て旧小中村の田中正造旧宅及び墓地まで約1時間。この地の訪問は2度目。田中への思いを深めた。前回の続きの話を聞いてから佐野市郷土博物館に向かった。入口近くの石碑には明治31年作の田中の歌が刻まれている。

 

「世をいとひ そしりをいミて何かせん 身を捨ててこそたのしかりけり」

 

 この歌に、田中が歩んだ厳しい闘いの道と彼の激しい正義感があふれている。一歩踏み入れると古い木造船が展示されていた。洪水と闘ったこの地の住民の姿と闘将田中を想像した。この博物館で田中への思いを深めた。ここに来る途中で越えて来た渡良瀬川は命あふれる母なる川であった。それを死の川に一変させたものは足尾銅山の鉱毒である。鉱毒の被害を拡大させ支えたものは実に政府の誤った住民無視の政策であった。荒畑寒村の「谷中村滅亡史」には次の一節がある。「鉱山より吹き出す毒煙は近傍の山林を不毛に帰せしめ」、「一朝豪雨到る時は河水たちまち増加し、水勢渦を巻きて奔流し、渡良瀬、利根沿岸一帯を荒撫せしめり」

 

 これらの惨状の極致である旧谷中村の遺跡に向かった。温かい春の日差しの中に菜の花が咲き乱れ、渡良瀬の河川敷は親子連れで賑わっていた。この人々はこの地でかつて何が展開されたかの歴史を知らない。歴史を知らなければこの地の一木一草も答えてくれない。「歴史は現在と過去との対話」である。こんな思いを抱きつつ道を尋ねながら進み目的地に着いた。見渡す限りに広がる葦の湿原。その一角に旧谷中村遺跡はあった。高い展望台に登ると目の下からその跡地は広がっていた。葦の中にどんな遺跡が残されているのか。私はここで偶然にも一人の人物に出会った。私はよく見知らぬ人の懐に飛び込んで幸運をつかむ。この人は私を案内してくれた。葦の中に小山がありそこに昔役場があったという。近くには何々の屋敷跡と木標が立ち、特に私の心を捉えたのは寄り添うように立つ古びた墓石たちである。共同墓地であった。地底から悲痛な叫びが聞こえるようだ。公害の原点、民主主義の原点である。葦が焼かれる時は火の海になるという。私は火災の中に人々の怨念が甦る姿を想像した。(読者に感謝)

 

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2018年4月 2日 (月)

人生意気に感ず「中国大使館の五葉松の姿。豪華な夕食会で。戦略互恵とは」

 

◇先月30日(金)、中国大使館の夕食会に招かれた。前日とは打って変わって外套がないと寒いくらいである。六本木ヒルズが高い砦のようにそびえている。夕闇の中に輝く高層を仰ぎ見るように歩いて目的地に着いた。厳めしい警備をくぐって邸内に。一歩踏み入れた地は治外法権の地であり中国なのだ。この日は群馬県日中友好協会のメンバーが特別の夕食会に招かれていた。私たちは7名。

 

 先ず中庭に案内される。五葉松が目的である。会員の企業「山梅」が植えた。立派に根づいた姿は試練の中を船出して現在に至った群馬県日中友好協会を象徴しているようだ。背景の桜がライトアップに浮き出ている。案内の汪婉大使夫人が言った。「一番いい位置に群馬の松があります」山梅の山田会長が嬉しそうである。

 

◇この夕食会にはある背景があった。先月の日中友好協会のイベントに私たちは汪婉夫人を招いた。汪婉さんは「一帯一路」と題して講演し好評だった。東大で歴史を修めた夫人の話には深みがあった。最近の中国が目指す「特色ある社会主義」を理解する一助になったと思う。その後のロイヤルホテルの昼食会は話しが弾んで実りあるものとなった。大使夫人はその夜の伊香保温泉と翌日の山梅視察が大変気に入ったらしい。夕食会招待にはその返礼の意がにじんでいた。

 

◇テーブルは豪華で、中国の歴史を感じさせた。黄色の特製の盆については説明が加えられた。「昔、黄色は皇帝の色で、一般には使用を禁止されました」。そこに運ばれる料理は中国の山梅の珍味、フカヒレの姿煮、北京ダック、鯛のしょうゆ煮込みなどなど。

 

 しかし、私たちを喜ばせたものは料理よりもその場の雰囲気であった。テーブルを囲む壁の一面は千文字の書で埋められている。夫人は中国の道徳が書かれていると言った。私が「孔子ですね」と言うと夫人は頷いてその先を語った。世界の経済大国の道を突き進む超大国は一見金権主義に見える。汪婉さんの話すところは金だけでなく心の世界を固めようとしている中国の姿を窺わせた。私は聞きながら「中国の特色ある社会主義」を想像した。

 

◇大使夫人と話して特に感じたことは外国の大使夫人という違和感がないことである。そこには長い歴史の共通性があるに違いない。日中の課題である「戦略的互恵」の深い意味を感じた。中国の独走に物が言える日本の重要性を感じた。(読者に感謝)

 

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2018年4月 1日 (日)

小説「死の川を越えて」 第65話

 

「大山知事は群馬県知事として本県に赴任されたか、それとも群馬県の政友会知事として来たか、県民はそれを知りたがっている」

 

「そうだ」

 

 傍聴席から声が上がった。議長がきっとして視線を投げた。本島議長は政友会所属であった。木檜がいきなりとんでもないことを言い出した。議員たちはこう思って、次に何がこの男の口から飛び出すかと固唾を呑んで待った。

 

「群馬県知事でない実例が多くある」

 

 木檜泰山は、言葉を切って知事を見据えた。会場は水を打ったように静かになった。

 

「例をあげる。県会議員選挙に臨んでは極端に官憲の力を濫用して政友会関係者の当選につとめた。実例をあげれば、県の土木課長が吾妻郡に電話して、人を集めさせ、道路のことは知事様の御考え一つでどうにでもなるから村民に政友会を応援させて欲しいと働きかけた。又、長野原役場にも同様の働きかけを行った」

 

「簡単に簡単に」

 

「議長、中止させるべきだ」

 

 木檜は意に介すことなく続ける。

 

「政友会の選挙のために道路予算を立てたと言われても仕方あるまい。現在民間では政友会なら道をつけてもらえる。政友会に願わなければ何も出来ないと言われている。政友会に頼らねば何事も出来ないという空気が充満しておる。こんなことでまともな県政が行えるのか。特に怪げんに耐えないのは・・・」

 

「問題外、問題外、中止、中止、議長、なぜ中止を命じないのか」

 

「中止を命じます」

 

本島議長の言葉は騒然とした怒号の中でかすれている。

 

「私の質問演説だ。問題外ではない」

 

木檜は政友会議員を睨んで言い放った。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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