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2018年3月28日 (水)

人生意気に感ず「田中正造旧宅。墓碑。雲竜寺を。佐川証人と国会」

 

◇昨日は初夏のような日差しの中、上武道路を走り北関東道に入り、東北道の手前の田沼何とかというインターで高速を下りた。カーナビが導くままにやがて目指す一角に近づく。

 

 ふいと思い立って、田中正造の史跡を訪ねたのだ。そこは佐野市小中町であった。初めて訪れる史跡は道路の両側にあった。一方が正造の生誕の家、反対側は墓地である。「へえ、これが天下の義人が生まれた家か」と、ある感慨を抱きながらいかにも古い木造の敷居をまたいだ。ここで2人の人に会った。管理人という中年のがっしりした男性とボランティア説明人の女性。3人でいろいろ話が出来た。黒い土間の奥に中庭があり、その先が写真で見た名主の家、田中の生家と一目で分かった。そちらが本当の生家なのだ。道路沿いの建物では正造の妻カツが雑貨の商いをしていたという。

 

 私は書物では田中についてずい分と読んだが、その実態に触れたのは初めてであった。古い曲がった柱が正造を語っている。女性の話すことが柱の様子と結びついていた。

 

 壁に正造の家系図があった。養女のツル、その夫の山田友次郎の文字が目に入った。書物で読んだ記憶では、ツルは大きな柏崎家の娘、友次郎は貧しい農家の出、2人は家格が違うからと結婚を許されない。そこで正造、カツ夫婦はツルを養女にし、改めて友次郎と結婚させたという。「このツル、友次郎の孫が前橋に住んでいます」と言ったら、管理人と説明の女性は驚いていた。この土間で正造の直訴状(レプリカ)を見た。私は、朱が入った直訴状を見詰めながら、これを書いた幸徳秋水と正造の関係に想像を巡らせた。私はここで荒畑寒村の「谷中村滅亡史」を話題にした。私が語る立場になって、話は大いに弾んだ。取材活動の貴重な一歩となった。

 

 道の反対側にある墓碑には「義人田中正造君碑」とあり、揮毫は島田三郎とある。この人は毎日新聞の社主で田中の友人であった。

 

◇再会を約束して私は雲竜寺へ向かった。それは渡良瀬の手前の堤防の窪地にあった。この本堂がかつて反対運動の事務所だったかと思うと、堤防を隔てた渡良瀬の濁流の音、田中の演説と人々の怒号が甦るようであった。

 

◇この日の午前、車の中で佐川証人の答弁を聞いた。ラジオなので想像をかき立てられる。正造を頭に描くためか追及する国会議員に迫力のなさ感じる。前国税庁長官は必死で備えたに違いない。明日のブログに書こう。(読者に感謝)

 

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