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2018年3月22日 (木)

人生意気に感ず「本吉修二氏を偲ぶ。白旗の少女と特攻隊。甦る田中正造」

 

◇21日、本吉修二を偲ぶ会が行われた。季節外れの寒さは雪となり、開善学校の状況を思わせた。私は挨拶で語った。「不可能に近い創立を支えたものは本吉さんの教育への情熱と執念である」この人の松明を受け継ぐことの困難さは、日本の教育の危機を物語る。「人は皆善くなろうとしている」という建学の理念は、人間の尊重と直結している。この理想が空転していることを感じた。

 

◇21日、日本平和学院の私の朝の講義「へいわ845」は35回を迎えた。太平洋戦争の話が続くが戦争を歴史的事実として見詰めなければ平和の尊さは実現できないからだ。今回は白旗の少女、対馬丸の悲劇、戦艦大和などを映像で語った。白旗を掲げて歩く7歳の少女の姿は全ての民間人を巻き込んだ沖縄戦を象徴する。米艦に突っ込んだ空の少年たちと一体のものである。レジュメでは「沖縄戦の断片が現代の私たちに何を語りかけているかを問うことは極めて重要です」と書いた。過去の事実に問いかける私たちの心に何があるかにより過去から得るものが異なる。「歴史は現在と過去との対話」。激動と混乱の中で、あの戦争が虚しく忘却の彼方に流されていく。

 

◇「ふるさと塾」が24日に迫った。今回は田中正造である。火のように燃え尽きた正造の生き様は現代社会に様々なことを突きつける。その意味することは極めて今日的である。民主主義の危機が叫ばれ温暖化が加速する中で、私たちは為すべきことが分からず押し流されていく。足尾の鉱毒で「母なる命の川・渡良瀬川」は「死の川」に変じた。歴史は繰り返す。福島の原発事故は未だ終息しない。死の原野が果てしなく広がる中に、今、田中正造がいたら何を訴え、どんな行動を見せるだろうか。

 

 田中正造の訴えと行動の原点は基本的人権である。旧憲法の時代に田中が人権を叫んだことは極めて示唆的である。今日であれば、田中的行動に対して最大の援軍たる日本国憲法が存在する。

 

◇田中正造に正面から取り組むようになって、様々な資料や出来事が霧の中から姿を現すようになった。その一つが、ふるさと塾の塾生の中に田中正造の曾孫の方がおられることである。偶然のことながら、あるいはそれ故にか私には不思議な天の示唆のように思える。荒畑寒村の「谷中村滅亡史」を読んだ。明治の群像が生々しく甦り私たちに訴えてくる。(読者に感謝)

 

 

 

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