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2018年3月27日 (火)

人生意気に感ず「ふるさと塾で田中正造を。公害と民主主義の原点。ひょうが降る」

 

◇24日のふるさと塾は盛会であった。明治の最大の義人田中正造の姿をアウトラインとして熱く語ることが出来たと思う。群馬県に深く関わる問題であり、正造が突きつける課題は極めて今日的であるだけに、参加者は「甦る田中正造」に真剣に耳を傾けてくれた。

 

 語ることは自分の理解も深める。塾生との対話もあって、私の中の正造像が広がって深く根を下ろした感がある。荒畑寒村の「何中村滅亡史」も材料にした。20歳の寒村が一気呵成に書いたという中味は生き生きとして迫力がある。私も一息に読んだ。完成と同時に発売禁止となったこの本は国家権力を鋭く、そして厳しく批判する。若い寒村の義憤が伝わってくる。正造が天皇に直訴する場面の描写には「白刃ひらめきて兵馬動く、しかも大呼していうお願いがあります」とある。

 

 ここで紹介する寒村の映像はすがすがしい。寒村、幸徳秋水、管野すがに関するエピソードにも触れた。幸徳秋水は正造に頼まれて直訴を書いた人。秋水とすがは大逆事件に連座して死刑になった。すがは寒村が恋した女性であるが、秋水と通じたため寒村は怒った。明治の女、管野すがは知情意に於いて火の女であった。この人は30歳で世を去ったが寒村は94歳まで生きた。91歳のとき、スイスを訪ね、白く気高い高峰を仰いで詠んだ。「名にしおうユングフラウの立ち姿 我が初恋の女と似たりし」。初恋の女(ひと)とは菅野すがに違いない。

 

◇公害問題の原点である住民運動は民主主義の原点でもあった。現在、政治に対する信頼は地に落ち民主主義は危機にあるだけに田中正造の言動は私たちにとって生きた教材である。田中と住民の命がけの行動にもかかわらず谷中村は政府の政策によって消滅させられた。土地収用法が出された1907年(明治40)は日露戦争(1904年~1905年)の頃で、銅は戦争遂行に不可欠な物質であった。渡良瀬川源流の銅山から流れる鉱毒は母なる命の川を死の川と化した。次回のふるさと塾(4月28日)は田中正造の運動を掘り下げることに。

 

◇ふるさと塾から帰った夜、天気は急変し激しくひょうが降った。正造の話で燃えた私の胸を刺激するように雷鳴がとどろき、書斎の外でさん太が狂ったように鳴き叫んだ。さん太を書斎に入れてやる。

 

 何かが起こることを暗示するような不気味なひょうであった。(読者に感謝)

 

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