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2018年3月31日 (土)

小説「死の川を越えて」 第64話

 

第一次世界大戦の中でロシア革命が発生するのは大正6年(1917)、この波及を抑えるために寺内内閣がシベリア出兵を決定するのは大正7年(1918)であった。政府は社会主義思想の広まりを恐れ、それを抑えようとしたが、労働者を主体とする政権が生まれたことは、日本の民衆運動に影響を及ぼさずにおかなかった。

 

 このような状況の中で米騒動は起きた。大戦が長引く中で軍用米の需要が増え米価は急上昇したが、米商人は米の買い占めを行ったため米価は更に急上昇し台所を直撃した。そこで富山県の漁村の主婦たちは追い詰められて遂に立ち上がった。米の県外搬出を拒否し、その安売りを要求する行動を起こしたのだ。新聞は「越中女一揆」と報じたため米騒動は全国に広がり、政府は軍隊まで出して鎮圧にあたった。米騒動はおさまったが、寺内内閣は世論の激しい非難をあびて退陣した。もはや従来のような官僚内閣では世論の支持を得ることは出来なかった。

 

 そこで誕生したのが初めての政党内閣たる原内閣であった。衆議院に議席をもつ政友会総裁原敬は爵位を持たず平民宰相と呼ばれて国民から歓迎された。彼は、陸相、海相、外相を除く全閣僚を政友会員から選んだ、原は、せっかく生まれたこの流れを守るために党勢の拡張につとめた。従って、地方の知事にも政友会員をあてようとしたのは当然といえた。かくして群馬県の政友会系知事大山惣太が登場する。

 

 この人物は歴代群馬県知事の中で最も政党色を露骨に出した人として知られる。非政友会系の県会議員に露骨な嫌がらせをしたり、党勢拡張のため党利党略の政策を打ち出した。このような大山知事の政治姿勢に敢然と闘志を燃え立たせた県会議員が民政党の木檜泰山であった。大正八年の県議会は怒号が飛び交う騒然たるものとなった。

 

 議長本島悟市が開会を宣すると、会場がざわつき始めた。木檜泰山がいきなり予告なしに手を上げて発言を求めたからだ。何かが起こる。議員たちの目はそう語っていた。議場に緊張が走った。

 

「過日の予算説明について知事に質問したい」

 

木檜の声は感情を抑えたように落ち着いていて静かであった。議員たちには、それが何かの予兆であるかのように不気味に思えた。

 

「当局者の説明を聞いてからだ」

 

「日程にないぞ」

 

と、政友会議員たちの声が飛んだ。木檜の毅然とした姿は、回りの雑音を跳ね返して意に介さない。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年3月30日 (金)

人生意気に感ず「春爛漫と平和。戦争は遠のくのか。天皇と沖縄」

 

◇初夏のような日差しを受け桜が一斉に開花した。命あるもの全てが太陽の呼びかけに応じて動き出した。人間も例外ではない。若い女性が急に華やいで美しくなった。春爛漫である。この情景は万葉の古代から変わらないのだ。直ちに大伴家持の歌を連想する。

 

 春の園 くれない匂う桃の花 下照る道に出て立つ乙女

 

 春ののどけさも平和であればこそである。春爛漫も戦乱の中にあっては心に映らない。同じように大災害に遭遇すれば満開の桜も狂乱の炎と見えるだろう。

 

 燃え上がる桜を見ながら、私は北朝鮮のミサイル、国際テロ、巨大地震を連想してぞっとなった。春爛漫も束の間の姿なのだ。

 

 寒暖の差が甚だしい。近づく夏が思いやられる。異常気象が常態化する中で、何が起こるか分からない。宇宙を語る専門家によれば太陽に大きな異常が生じているという。人類が作り出した文明は脆く仮の姿と思える。

 

◇北朝鮮を巡る情報で私たちに伝えられるものは一部に違いない。水面下では大きな動きがある筈だ。米朝間、朝鮮半島の南北間、中朝間で激しく動く見えない実態は何か。伝えられるところによれば、日本と北朝鮮の間にも首脳会談の可能性があるという。最近の激変の中で、日本が置いてゆかれる恐れが論じられているだけに大いに気になる。この際、拉致問題はどうなるのか。今こそ安倍首相の最大の出番ではないか。

 

◇トランプ大統領がツイッターで大変なことを伝えている。習近平主席から「金委員長(正恩)がトランプとの会談を待ち望んでいる」とのメッセージを受け取ったというのだ。会談は5月末までに行われる見通しで、トランプ氏も「楽しみにしている。今や金委員長が北朝鮮国民と人類にとって正しいことをする十分な可能性がある」と表明した。米朝の水面下で劇的な動きが進行しつつあることは間違いないと思われる。

 

◇天皇の沖縄訪問に格別の意義を感じる。昨日帰京された。血みどろの戦いは窮極の地獄。他人事と考える人が多くなった。国民統合の象徴にふさわしい行為。在位最最後のご訪問しても重い意味が。(読者に感謝)

 

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2018年3月29日 (木)

人生意気に感ず「金正恩の訪中の衝撃。世界はナショナリズムの嵐。昭恵夫人の謎」

 

◇天下の情勢が激しくダイナミックに動き出した。金正恩が習近平主席を訪ねたという。正に風雲急を告げるの感。27日田中正造旧宅へ向かう途中、ラジオで国会の状況を聞いた。佐川証人を追及する国会の様子が伝わるが物足りないものを感じた。それでも大変な視聴率であったと思われる。そんな国内の動きを吹き飛ばすような衝撃波が金正恩の電撃訪中であったと、私は思う。

 

 北朝鮮の国運を賭けた米朝会談への布石に違いない。世界中から経済制裁を受け北朝鮮は客観的に見ても追い詰められている。更に加えて異常の大統領は大きく拳を振り上げ、その手には史上最強の軍事力がある。このような情勢下で、さすがの北朝鮮のはったりも限界にある筈だ。核の放棄に関して、北はどこまで譲歩するのか、会談が決裂した場合についてはどんな覚悟があるのか。習主席との会談に臨む金正恩にはこんな背景があるに違いない。習主席としても、金正恩と会ってアドバイスすることには大きな利益があるだろう。アメリカに対して中国の存在感を示せるからだ。

 

◇日本はどうなるのか。中国が一帯一路を打ち出し、習政権永続の姿勢を示し、ロシアはプーチンが再選された。ロシア国民は「ロシア、ロシア」を叫び熱狂している。かつてアメリカに対抗した時代を取り戻そうとしているかのようだ。アメリカも中国もロシアも、皆自分の国ナンバーワンを主張している。世界はナショナリズムが渦巻く時代に入ったのか。そんな巨大な渦が競い合う間に日本がある。冷静に考えれば日本の役割は極めて大きい。それは平和憲法の理想を高く掲げることである。安倍首相の足元が揺らいでいる。支持率が急落している。そんな中での佐川証人喚問であった。国会の嵐は収まりそうだ。安倍政権は危機を乗り切ることが出来るであろうか。支持率が回復しなければ憲法改正の発議も難しくなる。国会は与党優勢で乗り切れても、その後に国民投票があるからだ。

 

◇昭恵夫人という人は分からない。夫婦間はどうなっているのか。外からは事実は不明だが、伝えられるところからは自由奔放に映る。首相はそれを許しているのか。姑との関係も気になり興味は尽きない。ファーストレディの役割と影響力は事実として大きい。「忖度」という言葉が社会の表面にクローズアップされるようになった源流はこの人ではないか。(読者に感謝)

 

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2018年3月28日 (水)

人生意気に感ず「田中正造旧宅。墓碑。雲竜寺を。佐川証人と国会」

 

◇昨日は初夏のような日差しの中、上武道路を走り北関東道に入り、東北道の手前の田沼何とかというインターで高速を下りた。カーナビが導くままにやがて目指す一角に近づく。

 

 ふいと思い立って、田中正造の史跡を訪ねたのだ。そこは佐野市小中町であった。初めて訪れる史跡は道路の両側にあった。一方が正造の生誕の家、反対側は墓地である。「へえ、これが天下の義人が生まれた家か」と、ある感慨を抱きながらいかにも古い木造の敷居をまたいだ。ここで2人の人に会った。管理人という中年のがっしりした男性とボランティア説明人の女性。3人でいろいろ話が出来た。黒い土間の奥に中庭があり、その先が写真で見た名主の家、田中の生家と一目で分かった。そちらが本当の生家なのだ。道路沿いの建物では正造の妻カツが雑貨の商いをしていたという。

 

 私は書物では田中についてずい分と読んだが、その実態に触れたのは初めてであった。古い曲がった柱が正造を語っている。女性の話すことが柱の様子と結びついていた。

 

 壁に正造の家系図があった。養女のツル、その夫の山田友次郎の文字が目に入った。書物で読んだ記憶では、ツルは大きな柏崎家の娘、友次郎は貧しい農家の出、2人は家格が違うからと結婚を許されない。そこで正造、カツ夫婦はツルを養女にし、改めて友次郎と結婚させたという。「このツル、友次郎の孫が前橋に住んでいます」と言ったら、管理人と説明の女性は驚いていた。この土間で正造の直訴状(レプリカ)を見た。私は、朱が入った直訴状を見詰めながら、これを書いた幸徳秋水と正造の関係に想像を巡らせた。私はここで荒畑寒村の「谷中村滅亡史」を話題にした。私が語る立場になって、話は大いに弾んだ。取材活動の貴重な一歩となった。

 

 道の反対側にある墓碑には「義人田中正造君碑」とあり、揮毫は島田三郎とある。この人は毎日新聞の社主で田中の友人であった。

 

◇再会を約束して私は雲竜寺へ向かった。それは渡良瀬の手前の堤防の窪地にあった。この本堂がかつて反対運動の事務所だったかと思うと、堤防を隔てた渡良瀬の濁流の音、田中の演説と人々の怒号が甦るようであった。

 

◇この日の午前、車の中で佐川証人の答弁を聞いた。ラジオなので想像をかき立てられる。正造を頭に描くためか追及する国会議員に迫力のなさ感じる。前国税庁長官は必死で備えたに違いない。明日のブログに書こう。(読者に感謝)

 

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2018年3月27日 (火)

人生意気に感ず「ふるさと塾で田中正造を。公害と民主主義の原点。ひょうが降る」

 

◇24日のふるさと塾は盛会であった。明治の最大の義人田中正造の姿をアウトラインとして熱く語ることが出来たと思う。群馬県に深く関わる問題であり、正造が突きつける課題は極めて今日的であるだけに、参加者は「甦る田中正造」に真剣に耳を傾けてくれた。

 

 語ることは自分の理解も深める。塾生との対話もあって、私の中の正造像が広がって深く根を下ろした感がある。荒畑寒村の「何中村滅亡史」も材料にした。20歳の寒村が一気呵成に書いたという中味は生き生きとして迫力がある。私も一息に読んだ。完成と同時に発売禁止となったこの本は国家権力を鋭く、そして厳しく批判する。若い寒村の義憤が伝わってくる。正造が天皇に直訴する場面の描写には「白刃ひらめきて兵馬動く、しかも大呼していうお願いがあります」とある。

 

 ここで紹介する寒村の映像はすがすがしい。寒村、幸徳秋水、管野すがに関するエピソードにも触れた。幸徳秋水は正造に頼まれて直訴を書いた人。秋水とすがは大逆事件に連座して死刑になった。すがは寒村が恋した女性であるが、秋水と通じたため寒村は怒った。明治の女、管野すがは知情意に於いて火の女であった。この人は30歳で世を去ったが寒村は94歳まで生きた。91歳のとき、スイスを訪ね、白く気高い高峰を仰いで詠んだ。「名にしおうユングフラウの立ち姿 我が初恋の女と似たりし」。初恋の女(ひと)とは菅野すがに違いない。

 

◇公害問題の原点である住民運動は民主主義の原点でもあった。現在、政治に対する信頼は地に落ち民主主義は危機にあるだけに田中正造の言動は私たちにとって生きた教材である。田中と住民の命がけの行動にもかかわらず谷中村は政府の政策によって消滅させられた。土地収用法が出された1907年(明治40)は日露戦争(1904年~1905年)の頃で、銅は戦争遂行に不可欠な物質であった。渡良瀬川源流の銅山から流れる鉱毒は母なる命の川を死の川と化した。次回のふるさと塾(4月28日)は田中正造の運動を掘り下げることに。

 

◇ふるさと塾から帰った夜、天気は急変し激しくひょうが降った。正造の話で燃えた私の胸を刺激するように雷鳴がとどろき、書斎の外でさん太が狂ったように鳴き叫んだ。さん太を書斎に入れてやる。

 

 何かが起こることを暗示するような不気味なひょうであった。(読者に感謝)

 

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2018年3月26日 (月)

人生意気に感ず「浅間の無気味な沈黙。日本のポンペイ・観音堂。老人施設殺人事件」

 

◇浅間山の大規模噴火に備えたハザードマップが作られた。浅間山は激しく生きている火山であるにも拘わらず不気味な沈黙を続けている。これは何を意味するのか。大自然は測り難い。天明の大噴火(1783年)は自然の尺度ではつい最近のことである。東日本大震災を機に日本列島は活動期に入ったとも言われ、それを裏付けるように各地で地震や火山の動きが伝えられている。最近の本白根の噴火は浅間の動きと関係あるのか心配だ。

 

 群馬は全国有数の火山県であるにも拘わらず、県民の関心は低い。群馬は大丈夫という安全神話に胡座をかいているのだ。今回のハザードマップの作成は当然である。

 

◇私は嬬恋村の鎌原観音堂を何度も訪れ、伝わる「大和讃」を読む度にかつての地獄絵図に対する思いを新たにする。観音堂に至る石段のわきに「天明の生死をわけた十五段」と刻んだ石の柱が当時の惨劇を生々しく語りかけている。「歴史は現在と過去との対話」である。日本列島が活動期に入った今こそ、私たちは新たな問題意識をもってこの観音堂の史実に問いかけるべきである。

 

 熱泥流に追われて観音堂に逃れ生き残った人々は村の長老の指示で男女が組み合わせを作り、新たな人生を踏み出した。「主なき人の主となり。妻なき人の妻となり」と和讃は語る。日本のポンペイと言われるが、生き延びた人が家族を作り、村を形成して今日まで生を営む例はポンペイの比ではないし、世界に例がない。

 

 群馬はこの貴重な文化遺産をもっと活用すべきである。災害の時代の教材として学校で子どもたちに伝えるべきは勿論、私は世界遺産にふさわしい存在であると考えている。観音堂の囲炉裏を囲む老人たちの表情のシワの一つ一つが祖先の歴史を語っている。

 

◇老人ホーム転落事件で死刑判決が下った。元職員が3人の老人を投げ落としたとされた。約2カ月の間で、86歳、87歳、96歳の老人が4階と6階のベランダから投げ落とされた。裁判官は「人間性のかけらもうかがわれない冷酷な犯行」と断じた。裁判員裁判による死刑判決である。老人ホームの元職員による犯行という点に高齢社会の犯罪としての特色がある。死期が迫った高齢者を生きるに値しない命と捉えていたとしたら、人間の尊厳を理解しない、介護に携わる人々に共通する重大な問題が背景に感じられる。裁判の動向を見守りたい。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年3月25日 (日)

小説「死の川を越えて」 第63話

 

正助は全大中の鋭い眼光の奥に並々ならぬ知性を感じ、あの洞窟に消えた日本人妻とはどういう人だったのかと想像し、またそれらの人々を湯の沢集落の万場軍兵衛の姿に重ねて思いを馳せた。

 

 正助は湯の沢集落のこと及び、ハンセン病の光と言われるハンセン病の人たちの自治の仕組みのことを説明し、日本に帰れたら、仲間が平等に生きられる社会のために尽くしたいと語った。全大中は大きく頷いた。傍らの賢姫は、いつか母の国に行きたいとつぶやいた。

 

 

 

六、 群馬県議会

 

 

 

ある時、県会議員の森山抱月が万場老人に呟いたことがある。2人は旧知の間柄であった。

 

「同志木檜泰山に注目すべきですよ。反骨の闘将で正義感に溢れている。彼はハンセン病という社会の不正義を許さない筈だ。民政党の同志だが、この男の目を湯の沢に向けさせ一緒に仕事をしたいものだ」

 

 木檜泰山は吾妻出身の県会議員であるが、その後衆議院に入り、湯の沢集落のことを国会の場で天下に訴えた人物である。後に森山の狙い通り万場老人や正助が木檜泰山に近づき、不屈の硬骨漢を動かすことになる。この人物は吾川将軍と言われて地域の人に愛された。それは、書や漢詩をよくし吾川と号したことによるが、私心のない反骨で権力に屈することなく郷土を愛したことへの信頼と尊敬を物語るものだった。民衆は権力になびくが、権力に虐げられた長い歴史があるので、反権力には拍手を送りたい本性を持っている。

 

木檜は大正8年の県議会で大山惣太知事と激しく対決した。これには2人の政治信条及び属する政党の違いなど十分な理由があった。 大正8年、中央政界の中心は政友会の原敬内閣であった。

 

 この時代、第一次世界大戦による自由と民主主義の世界的高揚の中で日本でも民主主義の機運が高まっていた。

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年3月24日 (土)

小説「死の川を越えて」 第62話

 

「朴さんたちには大変助けられました。私は土の中に埋まっていたのです」

 

「聞いておる。手だけ出ていたそうな」

 

流暢な日本語に正助が驚いているのを察して、頭は意外なことを語り出した。頭は全大中と名乗った。娘の名は賢姫。全は目で娘を指しながら言った。

 

「あれの母親お藤は日本人だった。いろいろな経緯があってわしの妻となった。実はあの海底洞窟で行方不明になった」

 

「え」

 

正助は思わず声を上げた。

 

頭は語る。

 

「人のつながりは不思議という他はない。李という者が草津の万場軍兵衛に助けられたことを知って、わしは大いに驚いた。軍兵衛は、わしと浅からぬ縁がある者だ」

 

 意外な言葉を正助は信じられない思いで聞いた。

 

「妻の縁者の日本兵の救出が目的で、海底洞窟へ出かけることになった。止めたが、妻はどうしても行きたいと言い張った。その日本兵との関係を知ったとき、妻を止めることは出来なかった。あの事件があって、あの分かれ道に印をつけさせた。それ以来、迷路に吸い込まれることはなくなった」

 

正助は闇の岸壁に刻まれた奇妙な印の由来を知って不思議な気持ちに駆られた。あの印のお陰で自分は今ここにいる。父親の話に娘は傍らで静かに耳を傾けている。そのただならぬ姿に正助は打たれるものを感じた。

 

「わしが日本に味方する理由は亡き妻の関わりだけではない。日本は開国と共に早くも四民平等を掲げ、賎民を解放する姿勢を示した。アジアで初めて憲法をつくり、教育と科学に力を入れている。ハンセン病も日本のこういう力で解決される日が来るに違いない。我々差別された人間が人並みの人間として生きられる力が日本から生まれると信じている。お前の古里には学ぶことが多いようだ」

 

 

 

※土・日・祝日は、私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年3月23日 (金)

人生意気に感ず「百花繚乱の女子大卒業式は。高齢社会の悪夢。ふるさと塾は田中正造」

 

◇壇上から見る光景は百花繚乱のお花畑。昨日(22日)、県立女子大の卒業式に出た。県会議員時代から長く関わってきたので様々な思いが胸に湧く。大沢知事、織田沢議長に続いて評議員の私が並ぶ。今回の卒業式には従来のものと少し違った雰囲気が感じられた。創立以来初の女性学長が一人一人に「おめでとう」と言って笑顔で証書を渡していた。この学長選出にも過日関わった私である。

 

 女性の時代と言われる状況が加速していることを感じる。混乱した社会、濁流の中を漂流するような日本で新たな一歩を踏み出す彼女たちの胸にあるものは何か。晩婚化、非婚化が叫ばれ少子化は増々進む。古代の歴史を振り返れば「女性は太陽」であった。

 

 少子高齢社会を支える力は色々な意味で女性である。群馬の「かかあ天下」が新しい意味を伴って展開すべき時代が到来している。その役割の一端をこの女子大学が担うべきものと感じた。

 

◇卒業式に続いて評議委員会が開かれた。大学の法人化という重要な課題を抱えてこの女子大も大きな節目に立つ。評議員会の役割も大きい。その構成は、大学職員、県職員、県会議員、県民の代表から成り、私は県民の代表4人の中の一人である。この日の課題は学長の人事評価及び法人化に伴う現行の学則変更等であった。人事評価の議論の際、学長は退席した。現学則の廃止及び新学則案の検討もスムースに進んだ。かつて大学の自治を巡って大学が荒れた時代があったが、それも「今は昔」となった。

 

◇国の人口推計によれば、75歳以上のいわゆる後期高齢者が高齢者全体の半数を超えた。高齢社会の凄まじい状況が迫っている。これは今後増々加速し、それに対応すべき備えはできていない。かつて、「うば捨て」伝説があった。姥捨山の地名は伝説以上のものを物語る。迫りくる社会には日本全体が姥捨山化する危機がある。足音が聞こえる巨大な地震や火山や津波はこの高齢社会を呑み込もうとしている。

 

◇明日の「ふるさと塾」は田中正造である。命のあふれる「母なる川」は鉱毒により「死の川」と化した。20歳の荒畑寒村は「谷中村滅亡史」を書いた。この中に「白刃閃きて兵馬動く。お願いがと叫ぶ声」という表現がある。田中正造の直訴の場面だ。日吉町福祉会館にて6時半より。参加自由である。(読者に感謝)

 

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2018年3月22日 (木)

人生意気に感ず「本吉修二氏を偲ぶ。白旗の少女と特攻隊。甦る田中正造」

 

◇21日、本吉修二を偲ぶ会が行われた。季節外れの寒さは雪となり、開善学校の状況を思わせた。私は挨拶で語った。「不可能に近い創立を支えたものは本吉さんの教育への情熱と執念である」この人の松明を受け継ぐことの困難さは、日本の教育の危機を物語る。「人は皆善くなろうとしている」という建学の理念は、人間の尊重と直結している。この理想が空転していることを感じた。

 

◇21日、日本平和学院の私の朝の講義「へいわ845」は35回を迎えた。太平洋戦争の話が続くが戦争を歴史的事実として見詰めなければ平和の尊さは実現できないからだ。今回は白旗の少女、対馬丸の悲劇、戦艦大和などを映像で語った。白旗を掲げて歩く7歳の少女の姿は全ての民間人を巻き込んだ沖縄戦を象徴する。米艦に突っ込んだ空の少年たちと一体のものである。レジュメでは「沖縄戦の断片が現代の私たちに何を語りかけているかを問うことは極めて重要です」と書いた。過去の事実に問いかける私たちの心に何があるかにより過去から得るものが異なる。「歴史は現在と過去との対話」。激動と混乱の中で、あの戦争が虚しく忘却の彼方に流されていく。

 

◇「ふるさと塾」が24日に迫った。今回は田中正造である。火のように燃え尽きた正造の生き様は現代社会に様々なことを突きつける。その意味することは極めて今日的である。民主主義の危機が叫ばれ温暖化が加速する中で、私たちは為すべきことが分からず押し流されていく。足尾の鉱毒で「母なる命の川・渡良瀬川」は「死の川」に変じた。歴史は繰り返す。福島の原発事故は未だ終息しない。死の原野が果てしなく広がる中に、今、田中正造がいたら何を訴え、どんな行動を見せるだろうか。

 

 田中正造の訴えと行動の原点は基本的人権である。旧憲法の時代に田中が人権を叫んだことは極めて示唆的である。今日であれば、田中的行動に対して最大の援軍たる日本国憲法が存在する。

 

◇田中正造に正面から取り組むようになって、様々な資料や出来事が霧の中から姿を現すようになった。その一つが、ふるさと塾の塾生の中に田中正造の曾孫の方がおられることである。偶然のことながら、あるいはそれ故にか私には不思議な天の示唆のように思える。荒畑寒村の「谷中村滅亡史」を読んだ。明治の群像が生々しく甦り私たちに訴えてくる。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年3月21日 (水)

小説「死の川を越えて」 第61話

 

正助は李の話を聞いて、改めて身震いする思いであった。漁船は韓国の沿岸の侘しい漁村に着いた。待っていたのは馬が引く荷車である。正助が長い道のりを歩くのは無理と考えたハンセン病の人々の配慮だった。幾つもの村や町を過ぎた。緊張して、正助が身を隠す場面もあった。長い距離を経過した時、李が言った。

 

「あの山を越えた所が我々の集落です」

 

李の指す方向に木が茂る小高い山があり細い道はその中に伸びている。暗い森を越えた時、正助は思わず声をあげた。

 

「わあっ。あれが京城ですか」

 

遥か前方に街並みが光って見え、その手前に村落が広がる。そして、急斜面の眼下には、一筋の川の流れが白く光っている。正助は懐かしい故郷の風景に似ていると思った。

 

「あの奥が我々の集落です」

 

李は川の上流を指した。二つの尾根が合わさる谷合からゆっくり煙が立ち上っている。近づくと朽ちたような藁屋根の小屋が点在し、動物のなめした皮を貼った板が並んでいた。犬が激しく吠えている。正助はウラジオストクの死の谷を思い浮かべ、ハンセン病の集落の共通な雰囲気を感じていた。犬の声の方向に、朽ちかけた土塀を巡らせた大きな藁屋根の家があった。正助が驚いた顔をけると、それに李が応える。

 

「お頭の家です。朝鮮半島の虐げられた人々を束ねておられる」

 

 門をくぐると、赤いチョゴリをまとった細身の若い女が待ち受けていて正助に会釈した。

 

「頭の娘さんです」

 

李が囁いた。正助は女の顔を見て、ふと誰かに似ていると思ったが深く意に止めることをしなかった。

 

 頭と呼ばれる男の鋭い眼光と口元には威厳があった。正助が予想していたハンセン病の風貌ではない。

 

「御苦労であった。海底洞窟は肝を冷やしたであろう。出られたのは神の御加護か。は、は、は」

 

頭は豪快に笑った。

 

 

 

※毎週土・日は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年3月20日 (火)

人生意気に感ず「多胡碑作家展で。内閣の危機。原発と田中正造」

 

◇17日(土)、多胡碑記念諸作家展の祝賀会が高崎のホテルで開かれた。このところ、書道の動きが大きく波打っている。書は中国の伝統文化でもある。過日、日中書道展の高崎会場の大きな催しがあった。これと連動した企画が4月上海会場で開かれる。私は、群馬県日中友好協会会長として、これらの書の動きに関わっている。

 

 変転極まりない漂流する社会を繋ぎ止める一つの絆が伝統の文化、そして心の文化としての書道である。中国では書法という。

 

 過日の多胡碑記念館の諸作品をみて、また祝賀の人々に接し、書には単なる文化、芸術を超えるものがあることを感じる。濃淡の墨痕の線にも修行の軌跡、書く人の心の濃淡が見る人の胸に迫る。この日の会場にも確かな群像が感じられた。

 

 私は挨拶で述べた。「文字を書く必要性が少なくなっています。人間の心が薄く貧しくなっていきます。その中で書の意義は増々重要です」

 

 私に注ぎに来たある人が囁いた。「皆高齢化して、あと何年かするとこの人たちがいなくなります」会場に若い書家はいない。書道界の衰退は社会の崩壊を意味する。どうなるのだろう。毎年行われる教育書道展の存在は示唆的である。

 

 今年は日中国交回復45周年、日中友好平和条約締結40周年の節目。日中の関係も書の運命と深く関わる。4月、私は上海会場に福田元総理、大澤知事と共に出席する。書が日中の国際関係の中にあることを感じる。

 

◇内閣支持率が33%に急落したと報じられている。これは危険水域に近い。原因は森友文書の改ざん問題である。佐川前国税庁長官の国会招致の声が高まり、内閣を揺らす激震となっている。ことは民主主義の危機につながる。法治国日本の根幹を担う重要官庁の中枢が国家的犯罪に関わっているとすれば、国民は何を信じればよいのか。民主主義の危機とはこれである。この問題が解決しなければ、安倍政権が必死になっている憲法改正も国民の冷笑を浴びて流れ去ってしまうだろう。

 

◇17日、ミライズという勉強会で原発問題を議論した。「人災」であると表明した民間及び国会の二つの調査会の結論はどうなったのか。原発は未だ収束しない。福島に今、田中正造がいたらと思う。今月の「ふるさと塾」は田中正造を語る。(読者に感謝)

 

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2018年3月19日 (月)

人生意気に感ず「高山村長選は語る。民主主義の危機。いぶきの湯」

 

◇身を切るような寒気の中、必勝のハチマキをした人々は身を寄せ合うようにして立っていた。17日、高山村長選の決起大会である。無投票が続き12年ぶりの選挙なので、陣営には不安と緊張感があった。現職後藤氏の応援に駆け付けた私は訴えた。「この美しい村を活性化させるための重要な選挙です。選挙は心に訴え、心をいただくもの。残された一日ちょっと、一票を獲得するために頑張って下さい。民主主義がかかった大変重要な選挙なのです」

 

 私が関わる日本アカデミーの外国人留学生がこの村のキャンバスで徐々に増えている。留学生たちは美しい自然と伝統文化が息づく村で村民と交わりながら学ぶ計画なのだ。周囲には雪を頂く山々が連なり、夜空に向かって天文台も立つ。各地では人口減少の中で自治体消滅の危機が叫ばれている。小さな村の選挙には民主主義という大きな意義が結びついている。

 

 18日(日)を迎え、私は朝から選挙の行方を気にかけていた。長いこと激しい選挙を闘った経験が甦る。選挙には人間のドラマがある。何が起こるか分からない。

 

 夜8時過ぎ、緊張の中で情報を得た。1,401票対1,061票で後藤陣営の勝利であった。電話に出た後藤氏の声が弾んでいる。周囲の興奮も感じられた。

 

◇高山村には「いぶきの湯」という温泉がある。私は「死の川を越えて」の取材で草津へ通う途中この湯によく入った。多くの村人たちが楽しんでいる姿は日本の伝統を物語る。年輪を刻んだ人々の表情には、日本の社会から失われつつあり、守らねばならぬ重要なものが感じられる。国際化と人口減少の波が押し寄せる中で、日本の社会が音を立てて崩れていく恐怖を感じる。

 

 17日の決起集会の日、私はこの「いぶきの湯」に浸りながら人々の表情を見ていた。投票率が9割を超えると予想される村である。選挙のことは何も語らない人々の胸にはしっかりした何かがあるのだろうと思った。選挙の結果が分かった今、いぶきの湯の人々の一つ一つの顔が思い出される。

 

 表面的には選挙を感じさせない静かな村の光景であった。それは私の胸にある街の激しい選挙ではない。しかし高投票率のことを考えると静かな激しさが進んでいたに違いない。危機が叫ばれる今日の民主主義を考えた。(読者に感謝)

 

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2018年3月18日 (日)

小説「死の川を越えて」 第60話

 

六、 赤いチョゴリの女

 

 

 

 正助の身は、韓国のハンセンの組織に受け継がれた。人々の交わす言葉は少ない。全ては心得ているといった様子でことは運んだ。韓国の船が動き出した。しばらく沈黙が続いた。日本に帰れる実感に正助の胸は躍った。朝日を受けて光る海が日本に通じていると思うと、さやと未だ見ぬ正太郎の姿が想像され、正助は助かった喜びにひたった。

 

 漁船を装った小船は韓国を目指して南下した。暫くした時、黙々と背を丸くして作業をしていた男が振り向いて言った。

 

「お久しぶりです」

 

「あっ、あなたはあの時の」

 

正助は思わず叫んでいた。そのかさぶたの顔は紛れもなく兵舎の前で正助に紙片を渡した李であった。

 

「あの紙で助けられました。本当に有難うございました」

 

「何の。頭の力でございます。韓国は間近です。上陸したら2日程かけて京城に向かいます。安心して下せえ。韓国は日本ですから。ただね、警察とか何かにひっかかるとややこしくなるから、頭のところまでは、我々でそっとお連れ致せと言われています。任せて下せえ」

 

「何分、宜しくお願いします。あなたたちの力は十分に分かっていますから安心です」

 

正助がこう言うと李は嬉しそうに頷いた。正助は、ウラジオストクのハンセン病の谷のこと、そして先程の地底の洞窟のことを思い出していた。あの海流が渦巻く分岐点を想像すると身が竦んだ。あの岸壁の目印こそ、闇の組織の力を示すものだと思えた。

 

「危ない所を通れてよかったですね」

 

李が笑顔を向けた。

 

「生きた心地がしませんでした」

 

「金と朴なので安心していました。実は以前大変なことがありました」

 

「あの洞窟の中でですか」

 

「そうです。日本軍に頼まれて3人の兵士を脱出させようとしたのですが、入ったまま出て来なかった。分かれる所を間違えたのでしょう」

 

※毎週土・日は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年3月17日 (土)

小説「死の川を越えて」 第59話

 

長いこと時間が経ったように感じた。水の流れ方と岸壁に響く音が変化したと思われた時、金が必死で棹を岸壁に付き立てて船を止めた。逆巻く渦が岸壁に当たって波頭が光っている。徐が頷いて松明を高く掲げた。そこで流れは3方向に分かれている。それぞれの流れは轟音を立てて漆黒の闇に消えている。正助は流れの先の地獄を想像して怯えた。間違えたら大変なことになることは明らかだった。朴に促されて徐は松明を更に高くした。朴が岩肌の一角を棹で突いている。青黒い苔の下から妙な図柄が現れた。目を凝らすと、何と舳先の旗の絵であった。朴はじっと睨んでいたが、やがて頷きながら一方を指した。船は違う流れに乗って暗黒の世界を矢のように進んだ。正助には随分長い距離が過ぎたように思えた。船を操っていた金が何か叫んでいる。

 

「出口が近いと言っているの」

 

徐が正助に口を近づけて言った。

 

「前が少し白いようだ」

 

朴の声も弾んでいる。やがて前方に白い光が差しているのが分かった。

 

「わあー」

 

一斉に声が上がった。吐き出されるように船が出た所は穏やかな入り江の奥であった。振り返ると今進んできた洞窟が何事もなかったように黒い口を開いている。

 

「ここに、韓国の仲間が現れることになっている。あなたを渡して、我々は表の海を通って帰ります。国境は越えたのであなたは心配ない。私たちも何とかなります」

 

正助は命を助けられたことに万感の思いで礼を言った。堅く手を握り肩を抱き合って命の喜びを噛みしめた。

 

「船が来たようです」

 

金が前方を指して言った。

 

※毎週土・日は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年3月16日 (金)

人生意気に感ず「オウムの死刑囚、執行に向けて。母子の情。幸徳秋水のこと」

 

◇死刑執行の準備の動きが伝わってくる。死刑囚7人が執行可能な各地の拘置所へ移されている。移送の動きに各死刑囚は極限の緊張に怯えているに違いない。事件から23年、オウム真理教の事件の異常さを改めて思う。若い、学問を積んだ人々が容易に洗脳され、人の生命を奪う罪を犯していく。人間とはかくも弱い存在なのか。教育はかくも無力なのか。そして、宗教とは何なのか。更に、このような犯罪を生み出した現代社会とは何か。

 

 死刑囚たちの過去はそれぞれ極く正常な人生だったであろう。それだけに、憑き物が落ちた心理で迎える死刑の恐怖は格別に違いない。大阪拘置所に移送された井上死刑囚を母親が面会した。この母は「動揺していた」と息子を語っている。この母子の報道から全員の死刑囚の動揺の様子が想像できる。

 

 死刑の宣告を受けた人に面会する親族は普通母親であるらしい。極悪人として社会から非難されても母の情は変わらない。「お母さん」「母ちゃん」「お前」と呼び合う裸の人間関係が展開されているに違いない。

 

◇私の手許に幸徳秋水が面会に来た母を書いた文がある。「最後の別れの折に、モウお目にかからぬかも知れませんと僕が言うと、私もそう思ってきたのだよ、と答えた。ドウカおからだを大切に、と言うと、お前もシッカリしておいでと言い捨てて立ち去られた音容が、今もアリアリと目に浮かんでくる。考えていると涙がとまらぬ」大逆事件の秋水が堺利彦に宛てた手紙である。70歳の母はその住家の土佐に帰り一ケ月の間にみるみる衰弱して死んだ。死刑を宣告された秋水は間もなく、ある日独房に置かれた朝食の膳に特別の塩焼きの小鯛がのっていたので、その日が来たことをすぐに悟ったという。幸徳秋水40歳であった。

 

 死刑囚は毎日、コツコツという靴音が自分の扉の前に止まるか、全神経を集中させるという。

 

 地下鉄サリン事件等で、日本中を震撼させたオウム事件が終幕を迎える。死刑制度の是非、教育や宗教の意義、生と死の問題を考える重要な材料にしなければならない。

 

◇24日のふるさと塾で田中正造を語るが、田中は足尾の鉱毒に関し天皇に直訴した。この直訴状を執筆した人物が幸徳秋水であった。オウムの死刑囚とは雲泥の違いがあったのである。(読者に感謝)

 

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2018年3月15日 (木)

人生意気に感ず「ホーキングの死。田中正造と死の川。荒畑寒村と幸徳秋水」

 

◇車イスの天才・ホーキング博士が死んだ。広がり続ける宇宙の果てを車イスに乗って飛び続けているような、私にとって長い間謎の存在だった。ブラックホールやタイムマシーンを語り、宇宙人との接触は危険だと主張した。若くして筋萎縮性側索硬化症という難病に罹り数年で死に至ると言われながらその後50年以上も生き、享年76歳だった。

 

 博士は死んで全く無に帰してしまったのだろうか。天国も神の存在も否定したため宗教界から批判を受けていた。私の「ふるさと塾」でも何度も取上げてきた。一度はコロンブスの新大陸発見を語った時に触れた。それは価値観が全く異なり、力の差が余りにも大きい文明が遭遇した時に生ずる悲劇の例である。新大陸の人々は殺戮され奴隷にされた。ホーキングはこのコロンブスの例を出して警告したのであった。いずれにしろそれ程遠くない時代に私たちは知的生命の存在を知ることになるのではなかろうか。

 

◇今月の「ふるさと塾」(24日・土)は田中正造を取り上げることになった。前回の塾では南米のペルーを予告したが私の気持ちの変化もあり田中正造を早く語りたくなった。

 

 田中正造は明治最大の義人と言われるが、今日の時代状況、社会状況の中で甦らせるべき人物である。環境と民主主義の危機が叫ばれているが足尾銅山の鉱毒と闘った田中正造の行動はこちらの原点を示し極めて今日的だからである。かつて渡良瀬川は自然が豊かで生命があふれる「母なる命の川」であったが、鉱毒により「死の川」と化した。

 

 田中が悲劇の谷中村に移住したのは日露戦争の最中だった。死の川の実現と谷中村滅亡の背景には国の誤った政策があった。多くの資料を読んでいるがその一つに荒畑寒村の「谷中村滅亡史」がある。これらを読んでいるうちに、福島第一原発事故のことを思った。この福島の被災地に田中正造がいたら日本の原発状況は変わるに違いない。

 

◇荒畑寒村に関するエピソードを紹介したい。寒村の恋人管野すがは大逆事件に連座して幸徳秋水と共に処刑された。すがは30歳だった。寒村は94歳まで生きたが91歳の時、モンブランを訪れて作った「名にしおうユングフラウの立ち姿 わが初恋の人と似たりし」。美しい雪の高峰に管野の姿を重ねたのか。幸徳秋水は田中正造のために天皇の直訴状を書いた人である。(読者に感謝)

 

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2018年3月14日 (水)

人生意気に感ず「財務省の大罪の行方。湖南省の人々と。中国の高齢化と特色ある社会主義」

 

◇国家が大罪を犯したというべき事態が進行している。財務省の「文書書き換え」である。森友学園との国有地取引を巡る財務省の決裁文書の書き換えである。国家の大罪というのはこの事態が刑事事件に発展する可能性があるからだ。財務省という最も重要な役所がなぜと驚くほかない。政治、行政に対する信頼の基盤が音を立てて崩れていく。一般の国民は政治は信用できないが、役所は定規で引いたように法律に基づいた業務を行っていると信じているからだ。

 

 刑法は、公務員がその職務に関し、虚偽の文書をつくり、または変造したとき、虚偽公文書作成罪とし、1年以上10年以下の懲役に当たるとしている。この事態が発覚し、財務省内は首都直下型地震以上の激震が走り、特に関係者は生きた心地もないであろう。

 

 安倍首相は「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態で、行政の長として責任を痛感している。国民の皆さんに深くおわびする」と陳謝した。野党は鬼の首をとったように騒ぎ国会は空転の感である。この非常時にと思うが、ことは民主主義の根幹に関わることであり、私たちのよって立つ基盤が崩れるかどうかの問題なのだ。

 

◇昨日、中国湖南省の行政の人々が多数訪れ、群馬県日中友好協会が対応した。県の福祉行政の担当者が説明する介護保険制度に強い関心を示していた。昭和庁舎からロイヤルホテルに会場を移し食事をしながら意見を交わした。飛躍する中国の実態を知る上で有益な場となった。視察団団長の高景然氏は中国の高齢化と福祉について話してくれた。一人っ子政策は変更したが人々は子どもを生まない、少子高齢化に関する問題はこれから急速に深刻化すると見ているようだ。

 

 私は、先日の汪婉中国大使夫人の講演を思い出しながら、高氏の高齢化の話に耳を傾けた。

 

 中国は「特色ある社会主義」を打ち出している。その具体像は不明であるが、中国の歴史と伝統に基礎を置くものに違いない。中国の高齢者福祉は現在及び将来の中国にとり最大の課題に違いない。日本の高齢者福祉行政は中国の役に立つものと思う。30日、中国大使館を訪ねるが、福祉の話も聞けるかもしれない。訪問団との食事中、大使館の五葉松に手入れしているとの情報が入った。松との再会が楽しみだ。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年3月13日 (火)

人生意気に感ず「中国帰国者協会新会長決定にホッ。大地震と原発」

 

◇若い新会長誕生にほっとした。群馬県中国帰国者協会の役員選考が難航していた。現会長の清水忠和さんは人望が厚く20年も続けられ、なお続けての声が強かったが高齢の上健康上の問題もあって無理であった。政治の世界で手をあげる人が少なくなったのと同様な状況がどの世界にも広がっている。私は顧問であるが、特別に要請されて選考の場に臨んだ。小田原評定が続く状況であった。私はここが出番と思って頑張った。長いこと政治と選挙の世界にあって役員の選出で苦しんだ経験を生かす時であった。別室で現役員が相談した。主な候補者を一人一人順次招き入れて説得に当たった。そんな中で47歳の佐藤建一さんに私は直感で可能性を感じた。当人は若すぎると主張。私は若いことが素晴らしい点で、協会は2世3世を受け入れるために若いトップが必要なのだと訴えた。この人は私の思いを受け入れてくれた。私は全員の前で訴えた。皆さんは日本と中国の大切な絆です。苦しい過去の体験を生かして欲しい。中国と日本は今大きく変わろうとしている。皆さんの苦労を生かす時です。どうか佐藤さんの決断を皆さんで支えて欲しい、と。

 

◇3月11日、東日本大震災から7年を迎えた。この災害の大きさと影響は測り知れない。未だ収束していないのだ。振り返れば、千年に一度の壮大な歴史的場面に遭遇したことを改めて感じる。

 

 私たちは忘却の天才である。あるいは、それが心の性質として備わっているのかも知れない。あの苛烈な太平洋戦争と同じように、のど元過ぎれば簡単に過去のものになってしまう。しかし、次の大災害が近づいていることを考えれば、7年前のことをそう簡単に片づけるわけにはいかないのだ。

 

◇東日本大震災が突きつけた最大の課題は原発にどう対応するかである。世論の大半は原発反対である。離れたところのことは他人事と考えがちな日本人の風潮の中で驚くべきことだ。広島と長崎の出来事は日本民族にとってさらには人類全体にとっての悲劇である。原爆と原発は同根のものである。それ故に一歩誤ると原発事故は原爆投下と同様の惨害をもたらす。福島第一原発事故はこのことをまざまざと見せつけている。私は県会議員の時学校教育の場で原爆の恐怖と原発の原理を詳しく教えるべきだと主張した。学校がそれを教えなかったつけは大きい。(読者に感謝)

 

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2018年3月12日 (月)

人生意気に感ず「怒号の原発反対集会に参加して。今月のふるさと塾は田中正造」

 

◇平成24年(2012)、3月11日(日)は私の県議時代の特筆すべき日であった。古い手帳を開くと高崎城址公園・原発反対集会11時開始とある。東日本大震災、原発事故から1周年のこの大会に私は自民党の現職として参加し壇上に立った。壇上から見たあの光景が今でも目蓋に焼き付いている。

 

 ここへの参加は、野党の議員(リベラル群馬)から誘いがあったのが契機であった。私は当時の自民党幹事長須藤昭男氏に話を通した上で決意した。壇上に立つ際にちょっとしたいきさつがあった。数名の県会議員は一緒に壇上に並んでくれと要請したが、私は先に一人で立つと主張した。自民党として、一線を画する意志であった。

 

 マイクを握ると右下の赤旗が林立するあたりから怒号が起きた。「なぜ自民党の議員が」という声が聞こえた。既に議長も経験していたので自民党の幹部として知られていたと思う。

 

 私も熱く燃えて叫んでいた。「黙って聞け。理想論だけでは解決しない。私は現実論を信念として言っているのだ」。これに対してなおも下から怒号が響いた。「下りろ、下りろ」と。私はマイクを近づけて言った。「出てくれと言われて出た。私は一人だ。文句があるならここへ上がって引きずりおろしてみろ」。私は心を静めて話を続けた。終わると会場から大きな拍手が湧いた。翌日の赤旗には小さく、勇気ある保守系議員が発言と載った。また、いくつかの励ましのメールも寄せられた。

 

 この出来事には後日談がある。この日の場面を動画で流していた人がいた。「ストップヤード、止めよう原発ぐんまネットウォッチ」で、中村県議には脱帽というタイトルで始まる文は次のように続く。「勇気と潔さを心から讃えたいと思います。野次を消そうとしましたが真摯な中村議員の姿勢の方が優ります。卑劣で愚かなヤジを敢えて残しました」この動画は何カ月か前、県立図書館のある男性職員が教えてくれた。懐かしい思い出であり、赤旗の林立する集会も別世界ではないことを学んだ貴重な経験となった。

 

◇今月の「ふるさと塾」(24日)は、田中正造を取り上げる。「死の川を越えて」が終わったが田中正造が取り組んだ渡良瀬川もかつて鉱毒による「死の川」であった。民主主義の原点、そして環境問題と公害の原点として田中正造は極めて今日的である。(読者に感謝)

 

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2018年3月11日 (日)

小説「死の川を越えて」 第58話

 

船の揺れ方が違うので、はてと思った時、

 

「海です。ここからが暫く危険です」

 

朴はそう言って、船先の燈火を消した。遥か前方の水平線が紫色に染まり、その手前に影絵のような島の輪郭が浮かぶ。

 

その時朴が叫んだ。

 

「警備艇だ。あなたはその筵の下に」

 

ロシアの沿岸警備艇は高速で近づき、舳先の旗を見、船を覗き込み、何やら叫んで去って行った。

 

「死体は一つか。後で報告しろと言った。全く形式のことだ」

 

朴は、こう言って、もう大丈夫と筵の下の正助に合図した。

 

 小船は島影を目指して進む。間もなく樹木が覆う一際大きな島の姿が近づいた。

 

「あの向こう側が悪魔の腸です」

 

朴の声が緊張している。突き出た大きな岩の山を巡ると黒い闇の所からごうごうと響く音が聞こえた。黒い穴が口を開け、海流は凄い勢いで流れ込んでいた。

 

「えー、ここに入るのですか」

 

正助は思わず叫んだ。

 

「体を繋いで」

 

朴の声で総勢4人の人々は、船底に固定された綱を取りそれを体にまいた。そして松明に火をつけた。炎に浮き出る徐の目が正助に〈大丈夫よ〉と語っている。船は吸い込まれるように突き進んだ。流れが回りの壁に反響してごうごうと音をたてる。正助は体に巻いた綱を必死で握りしめた。松明の炎の中をいろいろな形の岩肌が過ぎる。

 

それは巨大な蛇のくねる姿であったり目を剥く悪魔の顔にも見えた。

 

※毎週土・日は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年3月10日 (土)

小説「死の川を越えて」 第57回

 

 そして、正助は湯の沢集落のことを考えた。死の谷と言われ、恐ろしい川が流れている点は似ているが大きな違いがある。湯の沢集落はハンセンによるハンセンのための村だ。<万場老人がハンセンの光と言ったっけ>。正助は懐かしく遠い古里を思い浮かべた。ハンセンの光があるからマーガレット・リーさんのような人が遠い外国から駆け付けてくれた。正助は今、このことを噛み締めていた。そして、目の前が開ける思いに駆られるのだった。そして、正助は心に誓った。<よし、生きて草津へ帰れたら、正太郎のためにハンセン病の光を広げる運動に取り組もう>

 

 

 

五、魔境脱出

 

 

 

 体の傷も回復したある日、正助は翌日に脱出を決行すると告げられた。

 

「大体の計画を話しておきます」

 

朴はそう言って語り出した。正助は一大冒険物語を聞くような思いで耳を傾けた。夜陰に乗じてこの川を下る、と言って木造の小船を指した。舳先に奇妙な記号を描いた小旗が立っている。正助が首を傾げるのを見て朴は言う。

 

「我々の集落を現す印です。水に浮く死体の片づけは我々の仕事。この旗があると国境警備隊も普通は近づかない」

 

正助は驚き、そして、ハンセンの集落の不思議な力に感心した。それを見て朴は更に驚くべきことを話した。

 

「一番の難所は地底の流れです。そこは我等しか通れない。悪魔はらわたと呼んでいます。京城の頭が用心のためここを通れと言ってきているのです。ロシアでは日本人の捜査に全力を挙げているから、この旗があっても安心できないと言うのです。なあに、任せて下さい。金という悪魔の申し子のような奴が同行しますから」

 

正助は前途に容易ならぬものが待ち構えていることを知って身を固くした。

 

 ある夜小船は出発した。手漕ぎ船は黒い水面を下流に向けて矢のように速い。時々、舳先の角灯が揺れて黒い岸壁や覆い被さる巨木の影を映す。流れのずっと先は広い川に合流し、海に通じているという。やがて船は激しく揺れ始めた。

 

「他の川との合流点です。昼間見れば死体の二つや三つはある筈です」

 

朴は事もなげに言って角燈を掲げた。そこには不気味な闇が広がっている。その底に何がいるのかと想像して正助は背筋を寒くした。長い長い時が経過したように感じられた。

 

 

 

※毎週土・日は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年3月 9日 (金)

人生意気に感ず「開戦か、それとも軍門に下るのか。中国の対応。トランプの真の友人とは」

 

◇北朝鮮を巡る動きが慌ただしくなっている。韓国はアメリカに特使を派遣する。また、金正恩は妹の金与正氏を特使としてアメリカへ派遣する可能性があるとか。水面下、そして非公式の世界では劇的な展開があるに違いない。野次馬的には、虚勢を張ることが限界に達した金正恩が遂にトランプの軍門に下るのか、それとも次のしたたかな一手なのかに興味が湧く。

 

 北朝鮮は核ミサイル実験凍結の用意があることを表明した。文在寅大統領は「米国が予備的対話に臨む程度には条件が整った」と述べ、また「トランプ氏と事前に緊密に協議してきた」と明らかにした。その上更に「朝鮮半島の平和と非核化は非常に重要な山場を迎えた」と主張している。どんな劇的なドラマが進んでいるのだろうか。

 

 北朝鮮へ特使団トップとして行った鄭義溶氏が今度はアメリカに派遣されるが、鄭氏はその際、米国に追加的に伝える北朝鮮の立場が別に存在する」と意味深長な発言をしている。トランプ大統領は「非常に前向きだ。世界にとって素晴らしい。進展があったことは疑いない」と記者団に語った。一方で、アメリカ政府の中枢は「非常に懐疑的だ」とし、最大限の圧力を続けるとの姿勢は崩さない。虚虚実実の駆け引きが行われているのに違いない。大根役者と千両役者が世界の舞台に登場して国家の運命を賭けた演技をしている。世界史の一頁がこうして作られ開かれようとしている。私たち観客はその現場を息を止めて見守るより他ないのだ。

 

◇現在進行中の国際ドラマに影響力を持つ存在は中国である。舞台裏で中国と北朝鮮は緊密な連携関係にあるのかもしれない。中国の王毅外相は記者会見で早期対話を求めた。北朝鮮がどこまで本気で核問題を考えているのか分からない。しかし、表面に現われている現在の展開もアメリカが本気で軍事力の行使を考えて行動した結果であることは間違いないと思われる。日本と中国の関係も大きく動きだしている。先日の汪婉大使夫人の講演にもその雰囲気が滲んでいた。私は群馬県日中友好協会会長として日中の動きに強い関心をもっている。今月30日に中国大使館を訪れることが楽しみである。この雨の中で、群馬県の五葉松が一段と成長している姿が見られるだろう。

 

◇トランプが「真の友人」には貿易制限で柔軟性を示すと表明した。私には日本が含まれると感じられる。(読者に感謝)

 

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2018年3月 8日 (木)

人生意気に感ず「南北首脳会談の会。ひめゆり部隊を語る。9条改憲案」

 

◇南北首脳会談の実現が大きく報じられている。来月、軍事境界線がある板門店で。北がしたたかで大胆な手を打ってきた感じだ。北朝鮮は対話が続く限り、核ミサイル実験を再開しないと表明。更に次のような驚くべき表明が。朝鮮半島非核化の意志を示し、北朝鮮への軍事的脅威が解消され、体制の安全が保障されれば核を保有する理由がないと。

 

 今までの北朝鮮の約束不履行の数々を考えればにわかには信じ難い。国際的な制裁とアメリカの軍事攻撃に追い詰められた結果だと素直に受け取ってよいのか。時間稼ぎと米日韓の分断が狙いではないか。

 

 非核化の方向が事実とすれば日本の平和と安全にとってこんないいことはないし、トランプが点数を大きく稼ぐことになるだろう。韓国はトランプ政権に近く北との会談結果を報告するという。未だ私たち一般に報じられない重要なことがあるに違いない。ことの成り行きを注視するより他はないが、また同じことの繰り返しはうんざりである。

 

◇昨日は、毎週の「へいわ」の講義で、沖縄戦、特に「ひめゆり部隊」を語った。沖縄戦を今語る意義は大きいと人々の表情を見て思った。一般人を巻き込んだ正に地獄の戦場だった。その中で、純真なひめゆりのような乙女たちが暴風雨のような砲弾の中で散っていった。沖縄戦の始まりは昭和20年4月1日。アメリカは沖縄に本土攻撃の基地をつくるべく大量の兵をつぎ込んで、1・2週間で落とそうとしたが3か月もかかった。1・2週間で占領したら間違いなく本土に上陸したに違いない。壕の中で負傷した兵士を必死で看護する乙女たちの写真を見て涙する人々がいた。私たちは沖縄の悲劇を他人事のように捉えている。戦争と平和は一体不可分のものである。戦争を知らない人々が大半を占めるようになった。つかの間の平和、浮草のような平和は一瞬にして吹き飛んでしまう。ひめゆりたちの姿を、聴く人が熱い心で受け止めることが出来るように頑張った。来週は34回。専属のカメラが私の語る姿を世界に配信している。

 

◇自民の9条改憲案が姿を現した。2項の「戦力不保持」を維持し、自衛隊を明記する。この矛盾をどうするのか。「必要最小限の実力組織」と書き込むことで矛盾を緩和させようとしている。ひめゆりの沖縄戦、金正恩が握る核、これらが憲法9条に重なる。(読者に感謝)

 

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2018年3月 7日 (水)

人生意気に感ず「草津の噴火。ニューギニアの地震。赤城南麓の大地震」

 

◇草津町は火山噴火の危険予測地図(ハザードマップ)を新年度に作成する。最近の白根山及び本白根山の活動状況に備え町民や観光客に役立ててもらうためだ。多くの県民が県内屈指の観光地草津温泉に声援を送っているが、風評被害を抑える最良の策はこうした町の対策である。

 

◇日本列島が活発化していることを身近に感じる。九州の新燃岳の活発な動きが伝えられている。噴煙が立ち上がる状況が九州の火山群一斉蜂起の狼煙のように感じられたが、昨日あたりの様は爆発的噴火となった。狼煙の激しさは何を物語るのか。

 

◇火山や地震は地球的規模で活発化している。先月26日、パプアニューギニアで大地震が起きた。かつて慰霊でこの地を訪れ、「今見る地獄の戦場」を書いた。私は、地上最後の秘境の惨状を想像して心配である。あの時は、ラバウルの火山が噴火した直後で、かつての戦場は灰の中にゼロ戦の残骸を晒していた。

 

 今回の地震はニューギニア内部で起き、死者は少なくも67人、家屋倒壊などによる避難は17,000人にのぼるという。恐らく報じられる以上の被害が出ているに違いない。ニューギニアの生き残りの岩田亀作さんの心中を想像している。もう100歳に手が届く岩田さんはダンピール海峡やサラワケットの山脈を思い描いているだろう。全滅の海、死体が埋めた絶壁が災害を通してこの私にも近くに感じられる。

 

◇上毛の「視点」に1200年前の地震のことが寄せられている。西暦818年の弘仁の大地震のことで「類聚国史」に詳しく記されている。嵯峨天皇は「自分の不徳の致すところ」と述べ「租」や「調」の免除などを命じている。昔、大地震は政治の乱れに対する天の戒めと考えられた。天皇が「不徳」を口にするのは、このことを意味する。こういう人々の心理は現代人にも受け継がれているから、最近の火山や地震の状況を今日の政治と結びつけて不安に感じる人は多いに違いない。

 

◇弘仁の大地震は1200年前だが自然の動きとしては最近ともいえるのだ。私はこの「類聚国史」のことを県会議員の頃よく警鐘として取り上げた。赤城山は静かだが歴とした活火山なのだ。休火山と誤解している人もまだ多い。群馬は大丈夫という安全神話に胡座をかく人々に警鐘として記したい。(読者に感謝)

 

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2018年3月 6日 (火)

人生意気に感ず「大使夫人一帯一路を語る。超異常気象か。国民は脱原発を」

 

◇大使夫人汪婉さんが語る「一帯一路」は、理路整然として分かりやすかった。学者であるが学者の堅さを感じさせない。壮大な現代版シルクロードで中国は覇権を実現しようとしているのかという懸念をこの偉大な女性外交官は一切感じさせなかった。日本にとって大きなビジネスチャンスが広がっていること、経済だけでなく文化の交流にも寄与することがよく分かった。 

 

 汪婉さんが、話の冒頭、私のブログに触れたのには驚いた。前日のブログで私は大使夫人が一帯一路について語ることを書いていたのだ。

 

◇タイムリーな世界の重大事を大使夫人が語ることに多くの人が強い関心を持っていた。大沢知事が自ら出席し、県の各部の部長など非常に多くの県職員が参加したことがそれを物語っていた。

 

 汪婉さんは、東大の大学院で歴史を専攻されたこともあって、私とは話しが合い、これまでも折に触れ楽しく語り合ってきた。その度に新しい日中関係も長い日中の歴史の上に立っていることを感じた。講演後の懇親会では大使館に昨年私たちが植えた群馬の五葉松が力強く成長を続けていることも話題になった。

 

◇このところの気象の状況は異常の上にも異常である。暴風の被害が各地で発生している。気象の異常は世界的なものだ。北極では気温が上がり例年よりも30度も高くなったといわれる。あの親子連れの北極熊は氷の上を歩けずエサが取れなくなってどうなっているだろう。一方、ポーランドやチェコスロバキアなどは異常な寒波に襲われ一週間で60人も死んだと言われる。地球は一体どうなるのか。温暖化の加速は止まらない。世界は一つになって環境問題、特にエネルギー問題に当たらなければならない。「自分の国ファースト」を掲げ目先の利益を追及すれば自分の首を絞めることになる。

 

◇最近の全国的世論調査によれば国民の大半が原発に反対している。今後の原発については「段階的に減らして将来はゼロに」が64%、「今すぐゼロに」は11%、合わせると75%が原発の存続に反対している。政府は経済の論理で存続を主張しているがおかしいのではないか。人間の生命こそ第一に考えるべきことは明らかである。また、日本の技術力からすれば新エネルギーに関する新たなビジネスが次々に生まれる可能性がある。第二次大戦で日本と同じ運命を辿ったドイツは脱原発に踏み切った。(読者に感謝)

 

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2018年3月 5日 (月)

人生意気に感ず「連載小説“死の川を越えて”を終えて、多くの人に感謝」

 

◇小説「死の川を越えて」が今日3月5日で完結した。草津の湯川はその強酸性故にかつては生命の存在を許さなかった。この川の辺に死と直面して生きるハンセン病の人々がいた。物語は、この人たちの人間ドラマである。物語で登場した様々な場面は細流となって訴訟という大きな川に合流して完結を迎えた。

 

 原告の人々は勝訴判決の感激を胸に3つの墓を詣でた。小河原泉が眠る圓周寺、死の川の辺にある万場軍兵衛の墓、そしてマーガレット・リーの墓である。圓周寺の小河原の墓は衝撃的であった。さぞ立派な墓石に見事な戒名が刻まれているものと想像した正助、さや、正太郎親子が見たものは戒名もない共同の無縁墓地であった。ハンセン病の患者は墓から身元が世間に知られることを恐れた。ハンセン病の患者を自ら触診し、人間として尊重した小河原医師は死後も患者たちと一緒と決めて共同の無縁墓地に入ったのだ。さやは頷いて言った。「先生のお陰で女として人間としての人生を送ることが出来ました」。さやの胸にかつて京都大学を訪ね小河原の話を聞いて正太郎を産む決心をした情景が甦っていた。

 

 マーガレット・リーの墓の側には女医岡本トヨの墓があった。万場軍兵衛の墓は死の川に耳を傾けるようにしてあった。正助は墓石に手を合わせ、少年の頃万場老人が言ったことを思い出していた。「この川は我らの仲間だ。命の存在を許さぬ姿は娑婆への怒りだ」と。万場老人は国を相手に裁判をせよと遺言してこの世を去った。水野高明は墓に向かって言った。「万場先生、あなたの遺言を果たしましたぞ。国はあなたが言われたように憲法違反を犯した。それを裁判所が認めました」。人々は黒い墓石に万場老人の頷く表情が浮かぶように感じた。

 

◇小説の取材に関して多くの人の協力を得た。重監房資料館の北原誠学芸員、楽泉園自治会の藤田三四郎さん、聖バルナバ教会の松浦信牧師など。また、毎回のように丁寧な感想文を寄せられたUさん、その他励ましの手紙を下さった方々には本当に頭が下がる。上毛新聞の担当者和田早紀さん、イラストの岡田啓介さんとは毎回の打ち合わせで御苦労頂き懐かしい思い出になっている。これら多くの方々に心から感謝したい。最後に、味のある題字は友人で高名な中国人書道家郭同慶氏のものである。この字を見詰めると力が湧いた。重い題材を貫く上で郭さんの字は大きな支えであった。「ありがとう」(読者に感謝)

 

 

 

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2018年3月 4日 (日)

小説「死の川を越えて」第56回

 

「何がいるのですか」

 

「分かりません。潜った男の話では、中に水のない岩場があり、多くの骨があったそうです。集落の年寄りはこの川の主と言っています」

 

正助は朴の話に耳を傾けながら、目の前の黒い水に引き込まれるような恐怖を感じた。その時、朴が言った。

 

「そうそう、京城と連絡が付きましたぞ」

 

「え、どうなりましたか」

 

正助が叫んだ。

 

「あなたの怪我が回復次第、国境を越えて韓国へ連れて行きます。我々同病の組織があなたを受け取る手筈を進めている」

 

「そうですか。ところで、私の部隊は全滅したことになっているのでしょうか。私はどういう理由で韓国に生還するのですか」

 

これは正助が深刻に気にしていたことであった。

 

「心配いりません。京城の頭は鬼と呼ばれる人ですが、なかなかの軍師です。あなたが、我々によって土の中から救出されたことを既に日本軍に説明したそうです。日本軍は、我等組織を裏で頼りにしているところがあって、鬼の頭は軍と話せる関係をもっているのです。絶対の秘密ですがね」

 

正助はこの時、京城で李というハンセンの男から渡された紙片に、鬼白と記された文字があったことを思い出していた。頷く正助の表情を確かめながら朴は続けた。

 

「日本軍に協力する地元の組織があなたを救い出して、韓国の病院に担ぎ込んだことにするから、脱走兵にもならず、本隊に復帰できるというのです」

 

正助は胸を撫で下ろした。そしてさやと正太郎のことを想像した。<彼らに会える日が来るだろうか>。そう思うと集落の人たちのことが神のように見えるのであった。

 

集落を離れる日が近づいたと感じた時、正助は、忘れていたハンセン病のことを、この集落の人たちの姿に重ねて考えた。この人たちは、遺伝はしないということを知っているのか。人間扱いされないこの病の人々が、胸を張って生きられる社会は実現するのであろうか。正太郎の未来を思う時、この思いが募るのであった。

 

※土日祝日は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年3月 3日 (土)

小説「死の川を越えて」 第55話

 

正助は、息を呑む思いで不思議な話に聞き入っていた。

 

 幾日か過ごすうちに、質問にぽつりぽつりと答える女の話から、正助にはこの集落の様子が次第に分かってきた。沿海州のウラジオストクの東端の一帯には、朝鮮族が住む地域があった。その中のある山奥に差別された人々が隠れて住む集落があり、それが正助が助けられた所であった。ここは、朝鮮族でもハンセン病を患い疎外された人々が辿り着き細々と命をつなぐ場所であった。人々は物乞いをしたり、動物の皮をなめしたり、川の魚を売ったりして生活をしていた。また、動物の死体、不運な死に方をした人間の屍を処分するのも彼らの仕事で、町や村の行政には必要な存在でもあった。シベリア出兵の戦乱の中で集落の人々の仕事はにわかに増えた。

 

集落を流れる川を人々は魔の川とも呼んだ。得体のしれないものが棲む、死体を投げ込んでも上がらないと言われた。集落の前は大きな淵となっており、抉れた奥は地底の穴によって近くの大きな沼に通じていると信じられていた。ハンセンの集落は、病気の恐ろしさとこの集落を囲む自然の不気味さが重なって、一般の人々にとって近寄り難い存在であった。

 

 正助の世話をする女は徐といいまた、日本語を解する大きな男は、朴と言って、集落を統率している頭であった。若い頃、韓国で日本人を妻として暮らしたことがあるという。黒く澱んだ淵に立って朴は言った。

 

「危ういところで、あなたもここに投げ込まれるところでした。今ごろ魔物の腹の中ですよ。は、は、は」

 

※土日祝日は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年3月 2日 (金)

人生意気に感ず「育英卒業式で。沖縄で震度5。新燃岳の噴火。大使夫人一帯一路を」

 

◇1日、育英高校の卒業式で挨拶。サッカー全国制覇の余韻が生徒の間に漂うように感じられた。「育英を創立以来見て来ましたが、その道は平坦ではなく逆風も嵐もありました」こう切り出して私はこの厳しい歴史が育英を育て、サッカーや野球などの偉業を生んだ、この育英の歴史は皆さんの財産である。これを誇りとして人生を歩むべきだと述べた。続けて私が強調したのは次の点である。今、日本は国難の時にあり、皆さんの行く手には間違いなく歴史的な大事件が待ち構えている。戦争の足音が近づき巨大地震が足下に感じられる。このような中を生きぬくために逞しく豊かな心を育てなければならない。

 

◇ちょうど育英で挨拶をしている頃、沖縄西表島で震度5弱の地震があった。M5.6と報道された。各地の動きが活発化しているようだ。私たちは地震の巣の上にいるから慣れっこになっている。巨大地震が近い近いと言われながら流されているのだ。連日のように起きる各地の地震を一覧表にしたらぞっとするような地下の動きが分かるのではなかろうか。東日本大震災を機に日本列島が活動期に入ったといわれて久しい。

 

◇新燃岳が噴火を始めた。宮崎・鹿児島両県境の霧島連山の一つである。気象庁はガスが急増しており活発化の恐れありと発表した。九州全体が巨大なマグマの上にあるようなもの。鹿児島といえば桜島が激しく動き出している。平昌五輪が終わり東京五輪が一段と近づいたが、果たして無事に迎えられるか心配でならない。

 

◇昨日「MIRAIZ」(ミライズ)で重粒子線治療に関する提言をまとめ、群大学長に提出した。前立腺がんが保健適用になり、個人負担が大幅に少なくなる等の新しい情報も得た。ミライズは時の問題を勉強し、行政等に提言したりすることを目的とする。月一回の勉強会は今後更に充実させていく考えである。

 

◇今日は忙しい一日になる。午前中には、日本アカデミー(私は名誉学院長)の留学生卒業式がある。華やかな民族衣装が見られるだろう。彼らが礼節の国と評価する日本で何を身に付けることが出来たか気になる。

 

 午後は、中国大使夫人汪婉氏が「一帯一路」について講演する。変貌しつつある中国とこの新しいシルクロード構想はどう関わるのか。「特色ある社会主義」とどう関わるのか興味がある。(読者に感謝)

 

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2018年3月 1日 (木)

人生意気に感ず「群馬の森訴訟で控訴。大使夫人の一帯一路。中国の夢への懸念」

 

◇群馬の森追悼碑訴訟で県は東京高裁に27日控訴した。前橋地裁の判決を不服とするものである。碑が訴えることは不幸な朝鮮人労働者の追悼である。

 

 碑の設置に関しては碑を政治的に利用しないことという条件がつけられていた。県が許可の更新を認めなかった理由は、碑の前で行った追悼式がこの条件に違反する政治的行為に当たると判断したからである。前橋地裁は県の不許可を取り消す判決を下した。県はこれを不服として、上級の裁判所の判断を仰ぐというわけである。

 

◇私が県会議員の時から問題となっていた。群馬の森には歴史博物館及び近代美術館がある。政治問題で騒がすべきでない県民の文化的な憩いの場であるから、ここで追悼式は行うべきでないというのが県議会の大勢であった。県議会は2014年、追悼碑設置許可の取り消しを求める請願を採択していた。

 

 今、県議会が開かれているが、23日自民党の臂(ひじ)氏は代表質問で控訴を強く求めていた。県の控訴については、日韓関係への悪影響を懸念する声もあがっている。今後の訴訟の動向に注目したい。

 

◇明日2日、群馬県日中友好協会が関わる大きな行事がある。中国大使夫人・汪婉さんが「一帯一路」の講演を行う。タイムリーであると共に中国の大きな動向に関わり、我が群馬にも影響が考えられることなので多くの参加者がある。日中議連が主催、日中友好協会は共催である。

 

「一帯一路」については新たなシルクロードと感覚的に捉える人が多い。かつてのシルクロードは長安から地中海岸に達する壮大な東西交通路で、東西貿易の利を目指してしばしば諸民族争奪の的となった。貿易と共に、東西文化の通路としても歴史上重要な役割を果たした。

 

「一帯一路」は、中国の大きな変化と共に姿を現そうとしている「経済大回廊」である。

 

 中国は躍進を続ける中で「中華民族の偉大な夢」を掲げている。そして、その夢を実現するために「中国精神」、「愛国主義」ということを主張している。この点は、新たな中国が私たちの世界と真に共存が可能なのか懸念される点でもある。一方、中国は最近の党大会で特色ある社会主義実現を打ち出した。「一帯一路」はこの大方針と如何に関わるのか。大使夫人が何を語るか耳を傾けたい。

 

◇今日は育英高校の卒業式で挨拶する。サッカーの偉業も語ることになる。(読者に感謝)

 

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