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2018年2月19日 (月)

人生意気に感ず「藤田三四郎さんを訪ねる。重監房。マーガレットと軍兵衛の墓に」

 

◇16日、草津の楽泉園に藤田三四郎さんを訪ねた。園内の病院に入院されているが大変元気である。福祉課を通して面会を申し込む。

 

 電話で話しているのが聞こえる。

 

「死の川を越えての中村さんですよ」

 

 藤田さんは耳が遠いのだ。福祉課も自治会も病院の関係者も私の連載小説を読んでいるとのこと。長い廊下を通って病院へ。藤田さんは91歳である。「3月5日、115回で完結です。大変お世話になりました」と口を近づけて話すと、頷いて「非常に評判がいいですよ」と言った。

 

 この日は良い天気であったが、道路の端や林の中には雪があった。正門から入ってすぐの林の中にかつての重監房の跡があった。私は車を走らせながら雪の林の奥の重監房を想像した。真冬の零下20度の中に閉じ込めるとは、とても人間のすることではない。小説では証人が日本のアウシュビッツだと訴えた。

 

 重監房は国の誤った隔離政策の象徴でハンセン病国賠訴訟でも厳しく糾弾された。小説では、熊本本妙寺集落から送られてきた人々がここに収容された。救済活動に当たる人々に正太郎がカツオブシの差し入れを提案する。人々は秘かに決行した。重監房の人々は感激し、カツオブシをかじり壁をカンカンと打って他の重監房の人々と励まし合って生き抜くことが出来た。

 

 私は正門を出てコンウォール・リーの墓、そしてかつて死の川と呼ばれた湯川の辺りに向かった。小説ではマーガレット・リーとなっており、さやと正太郎が墓前に手を合わせ、訴訟の結果を報告し、昔のことを感謝する場面が描かれている。湯川は深い森の中を音を立てて流れている。小説は、かつてこの川の辺りに不思議な人物が住んでいたことから始まった。万場軍兵衛である。ハンセン病の患者であり、深い学問を積んだ人物で、ハンセン病の人々が人間として生きるよう導いた。正助とさやが結婚を決意した時、仲人を引き受けたのもこの人物だった。軍兵衛の墓は死の川の流れを見下して立っている。正助、さや、正太郎はこの墓に手を合わせ人生の恩人に勝訴を報告した。

 

 軍兵衛は、戦後日本国憲法の成立直後に死ぬが、天の恵であるこの憲法を生かすために裁判をせよと遺言した。人々は、力を合わせてこの遺言を実現させた。人々が報告すると、苔むす墓石に軍兵衛の嬉しそうな笑顔が浮き上がって見えた。このような筋書きで小説は終結に向かう。(読者に感謝)

 

 

 

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