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2018年2月18日 (日)

小説「死の川を越えて」 第52話

 

 大正8年(1918)の8月、正助が属する小隊は、ウラジオストクの郊外の山地に追い詰められていた。衆寡敵せず、日本兵は次々と倒された。砲弾の雨の中で、肉片が飛び散り、赤い血が川のように流れた。

 

「わあー、わあー」

 

敵兵の狂ったような雄叫びの中に銃弾が飛び交い、硝煙があたりを覆った。

 

正助の目の前で手榴弾が炸裂した瞬間、正助の体は宙に舞った。大地に投げ出された正助の顔を土が埋めその上を軍靴が走り抜けて行く。

 

 長い時が過ぎた。正助は霧の中を彷徨っていた。前方に明るい光の輪が見えた。近づくと、子どもを抱いた女が招いている。

 

「さやちゃんだ。正太郎ではないか」

 

正助は叫んだ。泳ぐように近づこうとするが距離は縮まらない。正助は必死で頑張った。その時、上の方で人の声が聞こえた。

 

「おお、生き返ったぞ」

 

男たちが覗き込んでいる。いろいろな物が下がる黒い低い天井が目に付いた。次第に取り戻す意識の中で、正助は戦いの場面を思い出していた。〈生きている〉。そう実感すると同時に裸で横たわる自分に気づいた。手当てをしていたらしい女がにっと笑った。

 

「あっ」

 

覗き込む女の顔を見て正助は思わず声を上げた。頬に盛り上がる黒い影は紛れもなくハンセン病の証拠。

 

「日本人ですか」

 

「いや、朝鮮人よ。ここは朝鮮人の集落。日本語、少し分かる。よく分かる人もいるよ」

 

この言葉に促されるように一人の男が身を乗り出した。

 

「土の中からお前の手が伸びて動いているので生きていると分かった。我らは死人から着物をもらうのが目的だが、お前の顔を見て助ける気になった。大怪我だが、助かるだろう。お前の腕を見て、我々と同病と分かった。人は、ここをハンセンの谷とも死の谷とも呼ぶ。お前を助けたことが不思議だ」

 

男は上手な日本語で話した。

 

「これを食え、力がつく」

 

先ほどの女が湯気の昇る椀を差し出した。

 

「あ、いたた」

 

身を起こそうとして正助が叫ぶ。

 

「まだ動くのは無理だろうが食え。普通の人間の食うものでねえが、こんないい薬はねえ」

 

別の男が言った。どろっとした何やら動物の黒い臓物のようだ。大変な空腹に堪えていた正助は椀に口を付けてすすった。

 

「うまい」

 

思わず叫ぶと回りからどっと笑い声が上がった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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