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2018年2月28日 (水)

人生意気に感ず「田中正造との出会い。幸徳秋水、管野すが。初恋の人。死の川完結に」

 

◇人生行路で誰に会うかということがその人の人生にとって重要な意味をもつ。人との

 

出会いは現実の生身の人間とは限らない。歴史上の人物と書物を通して出会うこともある。私は最近、ふとしたことで田中正造と出会いこの人物を再認識するようになった。今、資料を漁っているが、その中で得た一端を紹介したい。

 

「谷中村滅亡史」を書いたのは弱冠20歳の荒畑寒村であった。足尾銅山と政府を激しく攻撃したこの本は出版後即発売禁止となった。この寒村が愛した女性に社会主義者の管野すががいた。

 

 田中正造は明治天皇に鉱毒問題を直訴したが、直訴状を書いたのは幸徳秋水であった。荒畑寒村は獄中にあって、管野が秋水と通じていることを知り、憤激しピストルを持って乗り込むと2人は直前に検挙された後だった。2人は大逆事件に連座して死刑になった。秋水40歳、すがは30歳であった。寒村は獄中にあったために連座を免れたと言われ、94歳の長寿を得た。この寒村が91歳の時の面白いエピソードがある。寒村はスイスの高峰ユングフラウを訪れた。ユングフラウとは若い女性の意。白く気高い姿に打たれて寒村は歌を詠んだ。

 

「名にしおうユングフラウの立ち姿 我が初恋の女と似たりし」

 

 寒村の若い情熱に驚く。自分を裏切って秋水に走った管野すがを思い出していたのであろう。すがは炎の女であった。死刑の宣告を受けて法廷を去る時、すがは透き通った声で同志に向かって叫んだ。「みなさん、さようなら」

 

 田中正造の足尾問題は群馬県とも関わり、県議会で取り上げられた。環境問題、政治不信が深刻な時だけに、時を超えて今日的な意味を私たちに突きつけている。時々、このブログで田中正造を紹介したいと思う。

 

◇「死の川を越えて」の連載があと一回で完結となる。2016年12月に始まったこの物語は人権を底流に置いて、ハンセン病の差別と偏見と闘う人間ドラマとして展開した。様々な流れが訴訟という大きな流れに合流する構図である。万場軍兵衛という謎の老人は日本国憲法という天の恵を活かすために国を相手に裁判せよと遺言した。さやは小河原泉医師の話に勇気付けられ正太郎を産んだ。裁判の展開を易しく語ることも目的だった。人々は軍兵衛、小河原の墓に勝訴を報告する。(読者に感謝)

 

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2018年2月27日 (火)

人生意気に感ず「異常な文明マヤとアステカ。留学生に教える難しさ。時には激怒」

 

◇24日の「ふるさと塾」ではマヤとアステカを中心に語った。氷河期にアジアからアメリカに移動した人々の子孫がメキシコのあたりに不思議な文明を築いた。マヤの数学と天文学の力は驚くべきもので異常であった。一年の長さを小数点以下二けたまで計算し、それが現代の天文学と一致していると言われる。その異常な力はどこから生まれたのか謎である。彼らはその異常な天文学故に太陽の動きを恐れおののいた。太陽の力が永遠に続くと思えない。西に沈み東から昇る力が尽きたら大変である。太陽のエネルギーに捧げるため、生きた心臓を毎日取り出した。異常ないけにえの文化であった。

 

 コロンブスの新大陸発見に続いてこの地にやってきた征服者たちは有り得ない光景に驚愕した。彼らキリスト教徒は、旧世界を追われた悪魔が人々を唆したかと思ったと言われる。

 

 私は、人間を大切にするという普遍的な価値を柱にしないみんぞくは永続しないと語った。マヤそしてアステカが残酷なスペインの征服者によってあっけなく滅ぼされた背景である。

 

◇新大陸発見(1492年)の後、ヨーロッパではルターの宗教改革が起き、新勢力に追われたカトリックは新世界に布教の場を求めた。神の名の下に言語に尽くせぬ残虐非道が行われた。宗教の対立が原因となる戦いは今日も絶えない。人間の愚かさには不変の感がある。

 

 メキシコ以南の中南米が広くカトリックで覆われている理由にはこのような歴史的背景がある。

 

◇今日は日本アカデミーで多くの留学生を対象に講義する。月一回、名誉学院長として担当する。日本語を教えることを目的とする学校であるが、言語の教育だけでは本来の目的を達することが出来ないので、歴史や文化を教えることをやっている。多くの国からやって来る留学生は異なった宗教や価値観をもっているので教えるのが大変である。私は時々「国に帰れ」と激怒し、その後自己嫌悪に落ち反省する。今日は怒るまい、私の心が届く授業をやろうと決意している。私には学習塾の経験がある。教育の場は戦場であったと今懐かしく振り返る。議員として公教育を見てきた。現場の教師は萎縮して熱い情熱をぶつけられない感がある。今日の講義はパラリンピックを題材にする。障害者が胸を張って限界に挑戦する姿である。(読者に感謝)

 

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2018年2月26日 (月)

人生意気に感ず「多胡碑はいつもと違った。人々は占領軍守った。死の川が終わる。育英の偉業」

 

◇24日、多胡碑記念館はいつもの書道展より賑やかだった。「世界の記憶」に登録された上野三碑の中心的存在が多胡碑である。この三碑登録を記念した日中書道展が進行中であった。

 

 先ず、私は多胡碑亭に近づいた。案内係が立っている。碑亭の前に初代県令の歌が刻まれている。「深草のうちに埋もれし石文の世にめずらるる時は来にけり」。吉田松陰の義弟としても有名な楫取素彦は多胡碑を守り、その書を広く世に広めた人であった。自ら優れた書家であった楫取は貴重な碑が草に埋もれて風化することを恐れて碑亭をつくった。彼がこの碑を高く評価したことが卓見であったこと、そして文化行政としても立派であったことを今回の世界遺産登録は証明した。

 

 私は「多胡碑が世界的存在になりました」と挨拶の中で述べた。私は展示された拓本を改めて読み、そして碑文を書にした何人かの書家の作品に見入った。

 

「弁官符す。上野国の片岡郡、緑野郡、甘楽郡併せて三郡の内、三百戸を郡として羊に給いて郡と成し多胡郡と成せ」とある。

 

 刻んだ日は和銅4年3月、碑文の記載主とし2、3名がありその一人は藤原の尊(みこと)と刻まれている。藤原の尊とは藤原鎌足の子不比人であり、和銅4年は西暦711年である。これからもこの古碑が古代のこの地方の重要なことを語っていることがわかる。上毛かるたは「昔を語る多胡の古碑」と謳う。

 

 この近くの桑畑で、かつて碑を隠した穴が最近発見された。敗戦の昭和20年、県史跡当局は占領軍の没収を恐れて隠したのだ。これら先人の努力の意味を今噛み締めなければならない。

 

◇今、午前2時。いつもの習慣で原稿に向かっている。あと数時間で新聞が配達される。そこで描かれる私の連載小説「死の川を越えて」は今日で113回。週2回のペースで約1年3か月続け完結まで残すところ3回となった。いろいろと伏線となる事柄を書いたが、それらは訴訟の舞台に合流する。今日の場面は「判決下る」である。裁判官は憲法13条、14条、18条、31条等を根拠に国の隔離政策の非道を追及する。

 

◇昨日、全国制覇を果たした育英のサッカー部を祝う会に出た。一人一人の選手が紹介され、監督が挨拶した。サッカーは過激なスポーツだが、選手たちの姿は穏やかである。スーツの下の鍛え抜かれた筋骨を想像して胸を熱くした。(読者に感謝)

 

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2018年2月25日 (日)

小説「死の川を越えて」 第54話

 

「よく眠れたか。薬が効いたようだね」

 

女は不愛想に言ってから、にっと笑った。

 

 その時戸口に大きな姿が現れた。

 

「やあ、目を醒ましたな」

 

日本語がよく分かる男であった。

 

「実は、夕べ眠っているあなたをここに移したのだ。どちらの兵隊が調べに来ても大変なのだ。あなたは、わしらの力で助けねばならない。ここは、秘密の場所で兵隊は知らん。暫くここが病院だ」

 

「すみません。助かります」

 

「いや。不思議なことだ。あなたをこうしてお世話するのは」

 

「ところで、仲間はどうなったでしょうか」

 

ずっと正助が気にしていたことであった。

 

「残念ながら全滅らしい。あなたを助けたことが分かれば俺たちも危ない。そこで、ここに移したのだ」

 

正助は〈なるほど〉と思った。臓物の料理は不気味であったが命の綱に思えた。正助は壁にかかる動物や人の首に視線を投げながら椀をすすった。体力の回復が自分でも感じられた。

 

 ある時、戸外に一歩踏み出して驚いた。後ろには頭上を覆うように高い山が迫り、目の前に濁った川が勢いよく流れている。流れに沿って何軒か粗末な小屋が音もなく立っているのが見えた。瞬間、正助は湯の沢集落にどこか似ていると思った。

 

〈この流れは死の川湯川なのだな〉。そう思った時、人の気配がして振り向くと日本語が分かる例の男が立っていた。

 

「ここは死の谷ですか。そしてこれは死の川ですか」

 

正助は目の前の流れを見ながら言った。

 

「昔から動物の死体も人間の死体も投げ込んだので、ここを人は死の谷と呼んだ。川にはいろいろなものが生きている。怪魚や魔物もいて、俺たちの命を支えている。先日の戦いで死んだお前の仲間もこの川に投げた。そこの淵には待っている奴らがいて、時々姿を現すが我等の仲間のようなもの。我々の死体の処分は当局も黙認している」

 

 

 

※土日祝日は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年2月24日 (土)

小説「死の川を越えて」 第53話

 

「上着を」

 

正助は手を上げて探るように動かした。

 

「これか」

 

女は、軍服を引き寄せて正助の手に近づけた。正助はそれをしきりにまさぐっていたが、やがて、襟元のあたりから何かを摘み出した。

 

「これを見て下さい」

 

人々の好奇の目が一点に集中した。油紙に包まれた一片の紙。一目見て男は叫んだ。

 

「あっ。やはりお前は」

 

驚く声。興奮した朝鮮語が飛び交っている。

 

「どこで、これを」

 

一人が鋭く聞いた。正助は、京城の出来事、日本のハンセンの集落のことを話した。

 

「我々の暗号だ。少し前に日本の兵隊で同病の者が来るということが伝わっていた。お前の裸を見て、もしやと思ったが、今、はっきり分かったぞ。ここに書いてあることは、何をおいても助けよということ、又、京城の頭に連絡せよということだ」

 

「これを飲め」

 

女が何やら液体を正助の口に流し込んだ。

 

「俺たちの薬だ」

 

男の声が聞こえた。人々の声が小さくなっていく。正助は眠りに落ちていった。

 

 どれほど時間が経ったであろうか。正助は腰のあたりの痛みで目を醒ました。〈助かったのだ〉。正助は朦朧とする意識の底で思った。まだ体が痛む、頭が痺れている。戸の隙間から光が差し込んでいる。目が慣れると回りの壁が見えた。

 

「あっ」

 

正助は思わず声を出した。動物の首が掛けられている。その中の一つで動物と見えたのは紛れもなく人間の首に違いない。目をき口を開き髪を長く垂らしている。〈本物か〉。正助は目を凝らした。その時、かたりと音がして戸が開いた。顔を出したのは昨夜の女であった。

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年2月23日 (金)

人生意気に感ず「平昌の金は何を語る。群馬の森の訴訟。三碑書道展開幕す」

◇「女子追い抜き」で金。その中に本県勢の佐藤選手の笑顔が輝く。北朝鮮問題で凍りついた平昌五輪を溶かす熱湯のような快挙。選手たちの頭には北朝鮮問題などないに違いない。それは、五輪とは、そしてスポーツとはこういうものだと北朝鮮に突きつけた意義がある。大沢知事は「気迫あふれる力強い滑りで堂々と戦い抜く姿に勇気づけられ、深く感動した。県民の誇りである」と述べた。県民誰もがこのように受け止めたのである。育英サッカーの快挙と共に県民に勇気と感動を与えたその効果は大きい。教育界にも良い刺激となるに違いない。 ◇育英サッカー部に県民栄誉賞が贈られた。21日、県庁県民ホールで顕彰式が行われた。大沢知事は、「どんな場面でもあきらめない気迫あふれるプレーに多くの県民が感動した」と讃えた。私は育英の名誉理事を務めるが育英の長い歴史を見て来ただけに育英の快挙の重みが分かる。一校の輝きは積み重ねが非常に大切なのである。歴史が選手を鍛え育てることを感じるのである。 ◇県立公園群馬の森追悼碑訴訟で前橋地裁は県の「処分」を取り消す判決を下し、県側はそれに対し控訴するかが注目されており、原告側は知事に控訴断念を求めた。問題の碑は朝鮮人労働者の追悼碑設置更新を巡るもの。この碑は県有地に建てられている。接地には期限がつけられており、原告はその更新を求め、これに対し県は不許可「処分」を下した。地裁はこの「処分」を取り消す判決を下した。県はこれに対し控訴できる。報道されている原告の要望とは、この控訴の断念を求めるものである。この群馬の森の事件は、私が県会議員時代から問題となっていた。この碑の前で朝鮮人強制労働を糾弾する政治的行事を行わないという設置時の条件に違反したことが問題となっていた。原告団団長は、この碑が朝鮮との問題に関することを挙げて「現代の上野三碑」と述べた。 ◇今日、上野三碑「世界の記憶」登録記念日中書道展の開幕式が行われる。午前11時高崎シティギャラリーである。日中平和友好条約締結40周年記念事業として行われる。歴史を伝える上で三碑の意義は大きい。それを今日広める上で書道協会の役割も大きい。日中友好協会会長の私と書道協会会長新井祥碩氏が挨拶。展示されるパネルの文は私が書いた。(読者に感謝)

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2018年2月22日 (木)

人生意気に感ず「日中書道展で挨拶。日中平和友好条約と書の歴史。中国語で方言」

 

◇日中書道展のレセプションが高崎メトロポリタンで行われた。日中平和友好条約締結40周年記念事業として、上野三碑世界記憶遺産登録記念書道展が23日から高崎シティギャラリーで行われる。中国を代表する書家が多く参加した。その多くは上海の人々である。

 

 シティギャラリーでは日本と中国の大表的書家による書が展示され、上野三碑の価値やこの展示会の意義などを書いた大きなパネルが掲げられる。このパネルの文は私が書いたので、シティギャラリーの情景を見るのが楽しみである。

 

 レセプションでの挨拶では、冒頭部分を次のように中国語で挨拶した。「皆さん今晩は。日本へようこそ。私は中村と申します。群馬県日中友好協会の会長です。中国は偉大な国です。現在、日本と中国の関係は増々重要です。私は皆さんと親しく交わり、中国の文化と歴史を理解し、両国の発展に尽くしたいと思います」

 

 皆さんようこそは「タージャハオ」であるが上海語の方言では「ダガーホ」である。先年、上海の青少年書道展会場でこの一語を使ったら大きな喝采が起きた。その光景を思い出しながらこのレセプションでもこれを使ったら会場はにわかに笑顔に包まれた。方言は地方の人々の心の特質が生んだもの。それに異国で出会うとほっとするに違いない。

 

◇呉昌碩(ごしょうせき)は中国書法を代表する優れた文人であった。千年、上海市の呉昌碩記念館を訪れた時のことが懐かしく思い出される。レセプションには、この記念館の館長呉越氏が夫人と共に参加された。中国服に身を包んだ見上げるようなこの巨漢と握手し、私は呉昌碩記念館のことを楽しく語り合った。

 

◇続く日本語の挨拶では、書は心を表わす文化芸術であり、日中両国は長い書の歴史が育んだ絆で結ばれていることを語った。最近、漢字三千年典を行ったが、それ程に漢字の歴史は古い。そして、それ程に日中両国の歴史と絆は古い。日本には中国に迷惑をかけた近代の歴史がある。平和友好条約はそれを乗り越えて結ばれた。この条約締結記念と日中書道展を合わせて行う意義は極めて大きい。このようなことを話すと会場の人々は頷きながら真剣に耳を傾けてくれた。

 

◇この記念事業と合わせ、24日から多胡記念館で群馬書作家展が行われる。多胡碑を深く見詰める機会にしたい。(読者に感謝)

 

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2018年2月21日 (水)

人生意気に感ず「小平の友情と金。真の五輪とは。平昌は他山の石。平和の講義。上野三碑」

 

◇小平奈緒の笑顔がいい。会心の笑みというのだろう。スピードスケート女子500mで金を獲得した。競技後の姿が感動的であった。2位の韓国の選手を抱きとめ、二人はそれぞれの国旗を手にして抱き合ったままリンクを回った。スタンドが大歓声を送る様は真の人間的な姿に多くの人々が打たれた光景だった。とかく、素直な気持ちで見ることが出来ない平昌五輪にあって、これこそ五輪の価値と思わせる出来事であった。韓国のメディアも一斉に絶賛している。「スポーツの力を見せつけた」、「2人の友情にアイスリンクも溶けるほど」、「小平の人間性も金メダル級」等。

 

 優勝した小平と二位の季相花はこれまで最大のライバル同志でありながら友情を培ってきた。小平は季につき「人間としても選手としても尊敬できる」と語っている。五輪の価値の中心は友情と尊敬である。死闘を繰り返す中で得たこれら心の力は正に輝く人間力。ぎすぎすした現代社会では貴重なものだ。今回、国境を越えて、しかも国同志は険悪な中で実現したドラマだけに素晴らしい。スポーツが教育であることを示してくれた意義は大きい。オリンピックは平和の祭典である。平和は人間としての個人が実現し支えるものということを小平の金は語っている。東京五輪が近づくが、そこでもこのような人間ドラマを実現したいものだ。

 

◇平昌五輪の運営面でトラブルが続出している。吹き荒れる風、多くの観客や選手を輸送する上での困難、待遇に不満で離脱するボランティア、広がるノロウィルス等々。一つ一つを近づく東京五輪の参考にしなければならない。

 

 平昌は酷寒の中、東京は酷暑の中。異常気象は常態化しており、その上で想定外の気象上の異変を考えておかねばならない。更に首都直下型大地震、国際テロに備えねばならない。東京五輪は既に始まっているのだ。群馬県は地理的にも東京五輪を支える重要な砦である。

 

◇今日は、毎週水曜に実施している「へいわ845」で「北京五輪」を話すが、冒頭で小平の「友情の金」に触れるつもり。オリンピックを語るシリーズの最後は来週パラリンピックをやる。その後は太平洋戦争のドラマをいくつか語る予定。ひめゆり部隊、硫黄島、ニューギニアなど。平和について語るべきことは尽きない。

 

◇今日は上野三碑世界の記憶遺産登録記念書道展のレセプションが行われ、私も挨拶をする。(読者に感謝)

 

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2018年2月20日 (火)

人生意気に感ず「日中書道展のパネルを書く。多胡碑を守る心意気」

 

◇2月から4月にかけて日本と中国に関する大きな行事が行われる。上野三碑が世界記憶遺産に登録されたことを記念して日中書道展が行われる。今年は日中平和友好条約締結40周年に当たるので、この祝賀を兼ねた行事となる。行事は群馬県会場と中国会場に分かれて行われる。

 

 日中書道展は、2月は高崎シティギャラリーで、4月は上海で行われる。上海の行事には福田康夫元総理、大澤知事、そして群馬県日中友好協会会長の私が出席する。

 

◇書道展の会場には「日中書道展に寄せて」と題したパネルが展示され、そこには日中友好のシンボル「上野三碑」、及び日中友好における「日中書道展の意義」について述べられる。

 

 この文章は群馬県日中友好協会会長として私が担当して書いた。

 

「上野三碑」については、奈良遷都(710年)の頃の中央政府や中国朝鮮との関わりが漢字で記されていることの重要性を書いた。ここでは、歴史家E・H・カーの言葉「歴史は現在と過去との対話」を取り上げ、上毛カルタの「歴史を語る多胡の古碑」に触れ、三碑から日中の過去を学ぶことが新しい日中の基礎を築くことになると私の史観を書いた。

 

◇「日中書道展の意義」のところでは、この碑を守った先人の努力を記して三碑の意義を訴えた。先人のどりょくとして特に多胡碑を守ったエピソードを二つ紹介した。

 

 一つは初代群馬県令楫取素彦のこと。この人は自ら優れた書家であって多胡碑の書としての価値を認めてこれを海外に紹介し、また碑亭を作って碑文を風化等から守った。

 

 また、敗戦直後、県当局は多胡碑が占領軍によって没収されることを恐れ、碑を埋めて隠し覆土に大根の種を蒔いた。碑を守るための涙ぐましい努力である。

 

◇先日、「多胡碑守った穴」と題した注目すべき記事が新聞で報じられた。進駐軍の没収を恐れて多胡碑を隠した埋設抗が発見されたというのだ。碑の覆屋(碑亭)の東の桑畑である。群馬県史には、昭和20年8月、県の史跡主事丸山清康が現地に臨み、住民を指導して穴に埋め覆土に大根の種を蒔くとある。20年8月といえば原爆投下、「玉音放送」等、正に天下騒乱の只中であった。「日本」が根こそぎ否定されると誰もが思った。多胡碑は歴史の原点という意味で日本を体現する。大根を蒔いた先人の意気やよし。(読者に感謝)

 

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2018年2月19日 (月)

人生意気に感ず「藤田三四郎さんを訪ねる。重監房。マーガレットと軍兵衛の墓に」

 

◇16日、草津の楽泉園に藤田三四郎さんを訪ねた。園内の病院に入院されているが大変元気である。福祉課を通して面会を申し込む。

 

 電話で話しているのが聞こえる。

 

「死の川を越えての中村さんですよ」

 

 藤田さんは耳が遠いのだ。福祉課も自治会も病院の関係者も私の連載小説を読んでいるとのこと。長い廊下を通って病院へ。藤田さんは91歳である。「3月5日、115回で完結です。大変お世話になりました」と口を近づけて話すと、頷いて「非常に評判がいいですよ」と言った。

 

 この日は良い天気であったが、道路の端や林の中には雪があった。正門から入ってすぐの林の中にかつての重監房の跡があった。私は車を走らせながら雪の林の奥の重監房を想像した。真冬の零下20度の中に閉じ込めるとは、とても人間のすることではない。小説では証人が日本のアウシュビッツだと訴えた。

 

 重監房は国の誤った隔離政策の象徴でハンセン病国賠訴訟でも厳しく糾弾された。小説では、熊本本妙寺集落から送られてきた人々がここに収容された。救済活動に当たる人々に正太郎がカツオブシの差し入れを提案する。人々は秘かに決行した。重監房の人々は感激し、カツオブシをかじり壁をカンカンと打って他の重監房の人々と励まし合って生き抜くことが出来た。

 

 私は正門を出てコンウォール・リーの墓、そしてかつて死の川と呼ばれた湯川の辺りに向かった。小説ではマーガレット・リーとなっており、さやと正太郎が墓前に手を合わせ、訴訟の結果を報告し、昔のことを感謝する場面が描かれている。湯川は深い森の中を音を立てて流れている。小説は、かつてこの川の辺りに不思議な人物が住んでいたことから始まった。万場軍兵衛である。ハンセン病の患者であり、深い学問を積んだ人物で、ハンセン病の人々が人間として生きるよう導いた。正助とさやが結婚を決意した時、仲人を引き受けたのもこの人物だった。軍兵衛の墓は死の川の流れを見下して立っている。正助、さや、正太郎はこの墓に手を合わせ人生の恩人に勝訴を報告した。

 

 軍兵衛は、戦後日本国憲法の成立直後に死ぬが、天の恵であるこの憲法を生かすために裁判をせよと遺言した。人々は、力を合わせてこの遺言を実現させた。人々が報告すると、苔むす墓石に軍兵衛の嬉しそうな笑顔が浮き上がって見えた。このような筋書きで小説は終結に向かう。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年2月18日 (日)

小説「死の川を越えて」 第52話

 

 大正8年(1918)の8月、正助が属する小隊は、ウラジオストクの郊外の山地に追い詰められていた。衆寡敵せず、日本兵は次々と倒された。砲弾の雨の中で、肉片が飛び散り、赤い血が川のように流れた。

 

「わあー、わあー」

 

敵兵の狂ったような雄叫びの中に銃弾が飛び交い、硝煙があたりを覆った。

 

正助の目の前で手榴弾が炸裂した瞬間、正助の体は宙に舞った。大地に投げ出された正助の顔を土が埋めその上を軍靴が走り抜けて行く。

 

 長い時が過ぎた。正助は霧の中を彷徨っていた。前方に明るい光の輪が見えた。近づくと、子どもを抱いた女が招いている。

 

「さやちゃんだ。正太郎ではないか」

 

正助は叫んだ。泳ぐように近づこうとするが距離は縮まらない。正助は必死で頑張った。その時、上の方で人の声が聞こえた。

 

「おお、生き返ったぞ」

 

男たちが覗き込んでいる。いろいろな物が下がる黒い低い天井が目に付いた。次第に取り戻す意識の中で、正助は戦いの場面を思い出していた。〈生きている〉。そう実感すると同時に裸で横たわる自分に気づいた。手当てをしていたらしい女がにっと笑った。

 

「あっ」

 

覗き込む女の顔を見て正助は思わず声を上げた。頬に盛り上がる黒い影は紛れもなくハンセン病の証拠。

 

「日本人ですか」

 

「いや、朝鮮人よ。ここは朝鮮人の集落。日本語、少し分かる。よく分かる人もいるよ」

 

この言葉に促されるように一人の男が身を乗り出した。

 

「土の中からお前の手が伸びて動いているので生きていると分かった。我らは死人から着物をもらうのが目的だが、お前の顔を見て助ける気になった。大怪我だが、助かるだろう。お前の腕を見て、我々と同病と分かった。人は、ここをハンセンの谷とも死の谷とも呼ぶ。お前を助けたことが不思議だ」

 

男は上手な日本語で話した。

 

「これを食え、力がつく」

 

先ほどの女が湯気の昇る椀を差し出した。

 

「あ、いたた」

 

身を起こそうとして正助が叫ぶ。

 

「まだ動くのは無理だろうが食え。普通の人間の食うものでねえが、こんないい薬はねえ」

 

別の男が言った。どろっとした何やら動物の黒い臓物のようだ。大変な空腹に堪えていた正助は椀に口を付けてすすった。

 

「うまい」

 

思わず叫ぶと回りからどっと笑い声が上がった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年2月17日 (土)

小説「死の川を越えて」 第51話

 

「無事を祈りたい。ウラジオストクは、日本海に面し韓国に近い大きな都市で、シベリア鉄道の終点じゃ」

 

万場軍兵衛は広げた地図の一点を睨んでいる。

 

「みじめな足掻きとは何ですか」

 

正男の顔も不安そうである。

 

「日本兵がシベリアに留まる理由がなくなったのに撤兵しない。世界が非難し始めた。日本の領土的野心を疑っているのだ。わしは、アメリカとの関係を心配しておる。ウィルソン大統領は政治に人道主義を掲げ、日本の出兵は人道主義に反していると言っておる。アメリカとの関係が心配でならぬ。アメリカと仲が悪くなると日本はやっていけないのだ」

 

「そんなにアメリカに頼っているのですか」

 

権太が言った。

 

「そうだ。例えば、アメリカが石油を売ってくれなければ日本は干上がってしまう。これからますます工業が発展し益々石油が必要となる。わしの情報ではな、シベリアで非常に多くの日本兵が無駄な命を落としておる」

 

「まあ、正さんはどうなるのでしょう。何とかならないのですか」

 

「道義なき戦いで、日本兵はわしに言わせれば犬死にじゃ。こんな戦いで正助を死なせるわけにいくものか。韓国には、前に話したようにハンセン病の人たちがいて助け合っている。ウラジオストクにも、朝鮮人のハンセン病の人々が移り住む集落があるそうだ。そこが、何とか助けにならぬものかと今、調べさせておる。正太郎のためでもあるからな」

 

万場老人はすやすやと眠る正太郎に視線を落として言った。

 

「何とかして下さい。お願いでございます」

 

さやはすがるような目で言った。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年2月16日 (金)

人生意気に感ず「眞子様の恋と象徴天皇制。譲位について。光格天皇のこと」

 

◇皇室の危機が報じられている。私たち庶民には週刊誌に振り回される皇室と映る。天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である。このような象徴天皇を支える存在が皇族の役割であるから、今回の出来事も重要事なのだ。「眞子様の恋」と書きたてられ波紋は衝撃波となって広がっている。お二人の熱さは本物らしいから、振り回されている感じの眞子様が気の毒に思える。

 

 核心的なことはよく分からないが、伝えられることからはお相手が皇族の親戚としてふさわしいかどうかにあるようだ。お相手といえば小室圭さんである。私には似合いの好青年に見える。問題は小室圭さんの母親が抱える借金にあるようだ。母親の元婚約者X氏という人物が登場し、母親は返還を求められながら返していないことが問題となっている。金銭問題なら解決可能な筈なのに、国家の一大事に繋がる事態にしてしまった。背景には報じられないドロドロしたものがあるのか。国民に疑心暗鬼が広がる。「皇族の親戚としてふさわしいかどうか」は個人の問題であると同時に国家的大事なのだなと驚く。皇室を支える宮内庁の調査不足が問われるのは当然だ。

 

 小室さんの母親は窮地に追い込まれているに違いない。悲劇的状況が進めば皇室への波及、そして何よりも眞子様を傷つけることになるだろう。悲恋が皇室の悲劇に結び付かないことを祈る。

 

 皇室は今重大な状況にある。来年の生前退位という国家的行事が迫るからだ。眞子様の恋が平成天皇にどのように影響するか国民の関心は高まるばかりである。

 

◇天皇の譲位は来年、平成31年4月30日である。生前に位を譲ることは江戸時代後期の光格天皇以来200年ぶりのこと。この譲位という憲政史上初めての国家的行事が日本国憲法とどう関わるかが重要である。憲法第4条及び第7条の国事行為として行うことになった。天皇が譲位を「表明する」ことは、4条が禁じる天皇の政治的関与に当たるかということが一応問題となり得るのである。

 

◇光格天皇について一言。円満な人柄で人民のことを思って行動した人で単なる雲上人ではなかった。在位中浅間が爆発し天明の飢饉が生じ、人民は人肉まで食う惨状となった。天皇は幕府に申し入れて人民救済を図った。幕府政治への関与は禁じられ、現在の「国政への権能は有しない」に当たることであった。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年2月15日 (木)

人生意気に感ず「第一回東京五輪を語る。東洋の魔女、円谷幸吉。日本選手にドーピング」

 

◇政治の祭典と化した平昌五輪で熱い死闘が繰り広げられている。酷寒の中で自分の限界に挑戦する純粋な選手たちの姿が救いである。

 

 昨日の「へいわ845」(毎週のへいわの講義)では東京五輪を語った。この五輪は昭和39年(1964)に行われた。アジアでは初めてのもので、世界に注目を集めた。敗戦の廃墟からおよそ20年、奇跡の復興を世界に示すものだった。この五輪に合わせ新幹線が走りカラーテレビが実現した。日本中が火の玉となって迎えた五輪の姿に太平洋戦争を重ねて日本人の特色を考えた外国人もあったといわれる。

 

 金を獲得した東洋の魔女の女子バレーは回転レシーブで強敵ソ連を下した。瞬間視聴率が90%に達し、日本中の電話が止まったといわれた。日本のお家芸柔道がオランダの巨漢ヘーシングに破れたことに日本人は衝撃を受けた。五輪の華はマラソンである。エチオピアの超人アベベは前回に続き驚異の記録で金をとった。日本の円谷幸吉は善戦して銅を得た。この真面目な自衛官は次の五輪の期待も背負わされて頑張ったが遂に力尽きる時がきた。「お父様、お母様、もう走れません。お許しください」と遺書を残して死を選んだ。私は、国を挙げての勝利至上主義がこの結果を招き、日本のスポーツをゆがめることになったと講義で批判した。オリンピックは平和の祭典であることの意味を見詰め直さねばならない。平和の基礎は人間尊重である。

 

 この東京五輪では多くの作家がオリンピックについて語った。その中で私が注目した表現を平和の講義で紹介した。

 

「より大切なのは、真の感動、そして人間的感動だ」というもので、弱冠32歳の石原慎太郎の言葉だった。

 

 次の五輪・パラリンピックが近づく。多くの問題を抱えて曲がり角に立つ祭典である。日本の真価が問われる。前回のことを見詰めなおし、オリンピックの原点に立たねばならない。

 

◇平昌五輪の日本選手が薬物で陽性反応が出たと報じられている。スピードスケート、ショートトラックの斉藤選手。暫定で資格停止になった。日本選手がと信じられない思いだ。本人は「身に覚えのないことで不可解」と言っている。スポーツ仲裁裁判所(CAS)は大会後に最終的な裁定結果を出す。ロシアなどのドーピング事件が発覚されるたびに日本とは無縁のことと思っていた。徹底的に調べて欲しい。(読者に感謝)

 

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2018年2月14日 (水)

人生意気に感ず「政治の祭典と化した平昌五輪。平和の講義で。歴史とは何か」

 

◇酷寒の中で日本勢が頑張っている。男子モーグルで20歳の原大智が銅を得た。強風の影響で中止となる競技もあり、荒れた五輪となっている。荒れているのは競技会場だけではない。北朝鮮の策謀が渦巻く政治の舞台になっている。平和の祭典が政治の祭典になっている。

 

 韓国の文在演大統領の難しい立場も分かるが、平昌五輪が間もなく終わり、北が核ミサイル問題で少しも譲歩しないことが示された時、北に乗せられたことが明白になるだろう。

 

◇安倍首相は祭典欠席も伝えられていたが出席した。ペンス米副大統領との共同歩調、共同演出が報じられている。北朝鮮及び韓国大統領へのメッセージを示す重要な役割を果たしていることを評価したい。虚虚実実の舞台裏が伝わってくるようだ。

 

◇今日、日本アカデミーで「へいわ845」、平和の講義を行う。毎週水曜日の朝8時45分に行う短い講義は今日で30回となった。今朝は「近代オリンピック・その4」で、東京五輪を語る。昭和39年この大会は新幹線やカラーテレビも登場し、敗戦後の日本の躍進を世界に示す結果となった。女史バレーの「東洋の魔女」、マラソンの円谷などの衝撃の姿があった。多くの作家が見解を述べた中で「より大切なのは真の感動、人間的感動だ」と述べた作家がいた。これは五輪が目指す真実を示す。2回目の東京五輪が近づくが、容易ではない。テロや大災害に備えながら真の平和の祭典を実現できるか日本の真価が問われるからだ。

 

◇華やかな北朝鮮の芸術団などの姿の陰で北朝鮮が経済的に追い詰められている過酷な現実が伝えられている。北は平昌五輪を時間稼ぎに最大限利用しようとしているのは明らかだ。朝鮮半島は「愛憎の火薬庫」である。日本は一見、平和と繁栄を楽しんでいるが、地下では激しいマグマが動いている。それは朝鮮半島のマグマと連動しかねない。日本人は今こそ歴史を冷静に見詰めないと大変なことになる。

 

◇久しぶりにE・H・カーの「歴史とは何か」を読み返した。この本が岩波新書で出たのは1962年(昭和37)で、東京オリンピックの直前であった。私は大学の読書会で初めて読んだ。版を重ねて現在第87刷というから驚きである。この書でカーは、歴史とは現在と過去との対話であると説く。現在から問いかけると過去はそれにこたえる。過去から学ぶということが、今こそ問われている。「歴史を語る多胡の古碑」も身近な叫びである。(読者に感謝)

 

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2018年2月13日 (火)

人生意気に感ず「裏千家の初釜で。危篤のN氏との思い出。平昌五輪は」

 

◇裏千家の初釜で濃い茶を飲んだ。恒例の催しで中庭の池には静かな水面が広がり、松の緑を写していた。大広間の変化は畳がすっかり新しくなったことである。都会の喧騒も一切伝わらない。静けさと風雅が心に広がる。血生臭い中を生きていた戦国の武将が茶の湯を求めた気持ちが分かる気がした。

 

 隣りの人が口をつけた碗がまわってくる。癩を患っていた武将大谷吉継が口をつけた碗を他の武将が呑む振りをして回したという逸話を思い出した。健康で茶を楽しめる幸せを感じた。

 

◇この日の夕方、古い友人のN氏が危篤だという知らせが入った。まさかと思いながら高崎の病院に走った。夫人の話では意識は戻らない。大きな声をかけても反応はないという。せめて手を握りたいと思ったが、特別室への入室はかなわなかった。何ということか。私の胸に、ある光景が浮かんだ。

 

 このN氏とは人生で最も多感な頃心を通わせた懐かしい思い出がある。東大の駒場時代同じクラスだった。激しい受験を乗り越えて来た人々のギスギスした冷たい空気が支配する中、2人は心を開いて人生の悩みを話し合うようになった。田舎から出た2人は共通した境遇を背負っていた。私は寮の、彼は下宿の生活だったが夜になると、時計台のある本館でよく勉強した。長い廊下には多くの部屋があった。離れた部屋でそれぞれ深夜まで勉強した。守衛のおじさんも暗黙に了解している様子だった。N氏は関西の人だったが卒業後は私をたよって前橋に来て弁護士となり、群馬の人と結婚した。人生は夢のようである。昔の話をして頑張れと励ましたかったが出来なかった。奇跡が起きることを願いつつ病院を出た。

 

◇平昌五輪は酷寒の中で熱い闘いを繰り広げている。熱さを感じさせるのは競技だけではない。北朝鮮と韓国との間で政治上の熱闘が進められている。五輪の開会式に合わせて訪韓した北朝鮮の幹部が韓国大統領と会談し金正恩委員長の親書を渡し訪朝を要請した。敵対する両国が握手しようというのだから、外見は平和の実現を目指す形である。日本もアメリカもこの平和の装いに反対は出来ない。北朝鮮の意図は緊迫した状況をかわそうとしているのは明らかだ。ここにも、目的のためには手段を問わないしたたかさが窺える。

 

◇今日は、高崎のある寺で「死の川を越えて」の講演をする。浄土真宗の僧が登場する場面も語ろうと思う。(読者に感謝)

 

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2018年2月12日 (月)

小説「死の川を越えて」 第50話

 

四、虐げられた人々の群れ

 

 

 

 正助が派遣されたのは、韓国に近いウラジオストクであった。ウラジオストクとは東を治めるという意。シベリア鉄道の終点であり、日本海に面し、その名の通り、ロシアにとって軍事上重要な都市である。広大なシベリアで鉄道はロシアにとって、兵を動かし物資を運ぶ動脈であり、生命線であった。また、日本にとっては、日本がシベリアに影響力を及ぼし、レーニンを指導者とするボルシェヴィキの勢力及びこれを支援する民衆の非正規軍たるパルチザンと闘うための要衝であった。

 

 ボルシェヴィキとパルチザンの革命勢力はとにかく強かった。彼らには戦いの大義があったからだ。民衆を苦しめた帝政ロシアの圧政を倒し、民衆と労働者の国を打ち建てようというのだから民衆には命を捨てて戦う理由があった。彼らにとって外国兵は革命を潰そうとする侵略軍に外ならない。外国兵の戦う理由は、表向きは革命に対抗するチェコ軍の救出である。だからチェコ軍の引揚げ完了後は目的がなくなった。そこでアメリカなどは撤兵したが、日本はなかなか引かなかった。それは日本の野心をさらけ出す格好になり、日本軍は世界から批判され、シベリアの民衆の恨みを一手に受けることになった。古来、民衆に支持された兵は強い。シベリアでは地の利も彼らに味方した。日本兵には戦う理由も分からなかったから、神出鬼没のパルチザンになす術がなかった。彼らにすれば、日本軍に対し容赦する理由は一つもなかった。日本兵は各地で惨敗し、時には一団が皆殺しの目にあった。多くの日本人捕虜が皆殺しにされた「尼港事件」の小型版のようなことが各地で起きていたのだ。

 

 さて、その頃、群馬の草津では、一見平穏な日々が流れていた。ある日のこと、権太、正男、さや親子、こずえが万場老人を囲んでいた。老人から呼び出しが掛かるのは久しぶりのこと。〈正さんの身に何か〉。とさやは心配であった。

 

「大陸では大変なことが起きている。戦場にならぬ日本は暢気じゃが」

 

「正さんの身に何かありましたか」

 

「うむ。シベリアがいよいよ結着らしい。革命勢力の勝ちは決定的。そんな中で、日本はみじめな足掻きを続けている。正助はウラジオストクらしいぞ」

 

「まあ、正さんは無事なのでしょうか」

 

さやが叫んだ。さやの心配はその一点にあった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年2月11日 (日)

小説「死の川を越えて」 第49話

 

〈さやちゃんと、大切なことを共有することが出来た〉。正助はこう思うと、離れていてもさやと共に生きる力が体の底から湧き上がってくるのを感じた。

 

「小河原先生は、人の体は小さい細胞というもので出来ている。遺伝は、この細胞の中にあるものが伝える。らい菌はこの細胞とは別のものと、絵を書いて説明して下さいました。正さん、私に難しいことは分かりませんが、この先生のおっしゃることは、もう絶対に間違いないと思えるのよ」

 

〈その通りだ。さやちゃん。同感だよ〉

 

正助は心につぶやいた。

 

「そして、小河原先生はきっぱりとおっしゃいました。感染率が非常に高いというのは迷信だ。近い将来、ハンセン病は撲滅される、ハンセン病の撲滅は人間の回復だ、と。正さん、私が最もお知らせしたいことはこの点です。そうですね、正さん」

 

「その通りだ、さやちゃん」

 

正助は叫んでいた。

 

「正さん、私は小河原先生に会った時、赤ちゃんを産む決心が出来ました。もう、反対の理由はありませんもの」

 

正助の目の前に瞳を輝かしたさやの姿がある。正助は目の前に浮かぶさやに、満面の笑みを投げかけた。

 

 そして、さやの文章は続く。万場老人の縁者が住むふもとの里の枯れ木屋敷で家事と農業を手伝いながら産み月を迎えて、無事男の子を産んだとある。

 

「元気な男の子。どこにも異常はなく、正さん、目があなたにそっくりなのよ。名は万場老人が正太郎と名付けました」

 

紙面からさやの声が聞こえてくるようであった。

 

「さやちゃん、やったあ。万歳」

 

正助は両手をあげて大きな声で叫んだ。興奮の中で改めて紙面に視線を落として、正助ははっと息を呑んだ。紅葉の絵かと思ったのは、赤ちゃんの手のひらではないか。

 

〈ふふ、正太郎の手よ〉。さやの明るい声が聞こえるようであった。

 

「さやちゃん、正太郎、待っていておくれ。必ず生きて帰るから」

 

正助は、さやと未だ見ぬ我が子の姿を瞼に描いて呼びかけた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年2月10日 (土)

小説「死の川を越えて」 第48話

 

〈何だろう〉。正助は紙面から目をそらし、高鳴る胸を抑えるように息を吸った。先を読むことに期待と不安が交差する。

 

「正さんが草津を離れる直前、私のお腹に小さな命が宿っていることを知りました」

 

「えっ、何だって」

 

正助は思わず声を出して叫んでいた。

 

「2人の宿命のことがありますね。私は、耐えられないほど悩みました。正さんに相談したいとどんなに思ったことでしょう。でも、正さんはいない。私はじっと耐えました。神様から頂いた命を大切にしなければなりません。そして正さんとの絆です。どうしても産みたい。顔を見たい。聖ルカ病院の岡本先生に思い切って相談しました。赤ちゃんのことを話す決心はなかったのですが、この女医先生、私と同郷の出と聞いて親しみを覚えたので話すことができました」

 

〈さやちゃん、お腹のことは知らなかったけど俺も岡本先生に相談した。そのことを話したよね〉。正助は紙面に浮かぶさやの面影に語りかけた。

 

「先生は、遺伝病ではない。感染力は弱いと申しました。昔、草津では、患者と一般の人が混浴していたのは、その証拠で草津の人は経験から知っていたに違いないとも言いました。それを聞いた時、私はまだ信じられない思いでした。先生は、産め、産むなは言えないと言い、京都大学の偉い学者先生に会うように勧めて下さいました。小河原泉という方です。万場老人が費用を出してくれることになり、こずえさんが同行してくれることになりました」

 

〈うーむ。京大の先生は何と言ったのだ〉。正助はもどかしい思いで目を先に走らす。

 

「京都大学はすごい大学です。私もこずえさんも一歩踏み入れて、そう感じました。小笠原先生は、きっぱりと申されたのです。遺伝はしない。感染力は極めて弱い。治らない病気ではない、と」

 

正助は、岡本女医からハンセンという学者がらい菌を発見したことで遺伝病でないことが分かったと教えられたことを振り返っていた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年2月 9日 (金)

人生意気に感ず「平昌五輪と北朝鮮。東京五輪は。台湾の大地震は」

 

◇いよいよ平昌五輪が始まる。五輪の目的である平和の祭典。それを妨げるものは政治利用である。政治にも様々あるが、もし平和を踏みにじる犯罪国家なるものが犯罪目的に五輪を利用するとしたら大変なことになる。問題なのは平和目的と政治利用の境がはっきりしないこと。犯罪目的を平和目的でカモフラージュしていることである。隣国北朝鮮の現実の動きは正にこれである。美女軍団はしたたかで最高のカモフラージュである。敵対している隣国に手を差し伸べる姿は平和実現のカモフラージュである。それに対して正面から反対することは出来ない。正に北朝鮮による「五輪乗っ取り」の構図である。

 

 例年にない酷寒が「平和の祭典」を包んでいる。美女の笑顔も凍りつく寒さ。聞くところによれば、北は万景峰号の灯油を韓国に求めているとか。事実とすれば、世界の経済制裁によって追い詰められていることを物語るものだろう。これは同時に北朝鮮国民の窮状を物語る。徹底して情報を管理されている国の国民は平和目的というカモフラージュを信じているのか。

 

 この五輪で注目される点は美女軍団等の中から脱北者が出るか、そしてテロの危険である。恐らくおびただしい北の工作員が紛れ込んでいるに違いない。平和の祭典はすきだらけである。1972年のミュンヘン大会の「黒い九月」事件を思い出す。パレスチナのテロリストがイスラエルの選手たちを人質にとった。イスラエルは要求に応じなかったために結果として多くの犠牲者が出た。

 

◇東京五輪が刻々と近づいている。東京五輪こそ、平和国家日本の真の姿が試される。平昌五輪は東京五輪を守るための前哨戦でもある。そんな思いで昭和39年の東京五輪の資料を見て、私は胸を熱くした。敗戦による廃墟から立ち上がった姿を世界に見せる結果となった。あの時は国際テロはそれ程問題にされなかった。今日、国際環境が一変した。ISのようなテロ集団が東京五輪を狙っているに違いない。その意味で、日本の警備当局は平昌五輪を前哨戦と受け止めているに違いない。

 

◇巨大地震が近づいている。それを思わせるのが台湾の惨状である。7日に起きた地震では12階建ての建物が45度程傾いている。手抜きなのか地震の威力なのか、信じ難い姿。阪神大震災の時、高速道路がまさかのように崩れた。首都直下が近づく。五輪が重なったらと思うとぞっとする。(読者に感謝)

 

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2018年2月 8日 (木)

人生意気に感ず「結婚延期と皇室の危機。飯塚事件が問うもの。処刑後の無罪」

 

◇眞子様のご結婚延期と大きく報じられている。宮内庁は週刊誌報道との関係を否定しているが、一般はそうは思わない。天皇家に関することが週刊誌に振り回されている。そんな感じがしてならない。

 

 週刊女性が昨年12月小室さんの母に関する金銭トラブルを報じ、週刊文春と週刊新潮も同様のことを載せた。金銭トラブルのことが仮に事実として、また結婚延期がその影響とすれば皇室も軽くなったものだと思わざるを得ない。

 

 真実の大きさ、深刻度は不明であるが、若い御二人にとっての大きな試練に違いない。純粋な愛情がしっかりしているなら毅然とした態度で乗り越えることが最善の道だと思う。巷で噂しているように万一破談ということになれば、本当に皇室の一大事が女性週刊誌レベルになってしまう。眞子様の生涯を傷つけ皇室のイメージを悪くするだろう。

 

◇飯塚事件の再審が否定された。この再審請求は死刑執行後に、その死刑を決めた裁判のやり直しを求めた極めて特異なものであった。

 

 冤罪は事実として珍しくない。死刑制度の最大の問題は冤罪である。死刑判決が再審で覆された例は存在する。だとすれば処刑後に冤罪が判明することもあり得るに違いない。それこそ取り返しがつかない。冤罪は最大の人権侵害である。冤罪による処刑は人権侵害の極致である。このことが問題になったのが飯塚事件であった。

 

◇久間死刑囚は2人の女児を誘拐して殺し遺棄したとされ、死刑に処された。直接の証拠はなく、一貫して否認を続けたが状況証拠で死刑が言い渡された。妻が執行後に再審請求していた。弁護団は元死刑囚と女児の遺体のDNA型が一致しないと主張していた。帝京大学の石山教授による2回の鑑定でDNAが一致しないという鑑定結果が出ていたのである。何とも後味の悪さが残る結末である。

 

◇福井の大雪は信じ難い光景をつくりだした。上空から映し出されたものは雪の中をどこまでも続く細い筋。閉じ込められた車の列なのだ。6日の時点で1500台と言われたが、7日の夜、まだ1200台が立ち往生している。

 

 夏に各地で未曽有のゲリラ豪雨が毎年報じられているが、このような降雨が冬に起きれば未曽有の豪雪となる。だから福井の1200台は他人事ではない。

 

◇この寒さの中、平昌五輪が始まる。万景峰号は灯油が不足だという。制裁の結果だろう。北の国民は大丈夫なのか。(読者に感謝)

 

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2018年2月 7日 (水)

人生意気に感ず「平昌五輪の行方。五輪とは。憲法が問われる時。9条だけではない」

 

◇平昌冬季五輪が目前に迫った。異常な状況下の異常な五輪としてオリンピックの歴史に残るだろう。クーベルタンが近代五輪を提案して始まった五輪は平和の祭典である。この理念を踏みにじろうとしている北朝鮮。この五輪に合わせて大規模な軍事パレードを計画している。派手な美女軍団も、私にはこの軍事パレードと一体のものに見える。

 

 平和の祭典を妨げるものは、五輪を政治目的に利用することである。今回の北の姿勢は政治の中でも戦争という特殊な政治状況に五輪を利用していると見なければならない。

 

 五輪は参加することに意義があると言われる。これには勝敗にこだわるべきでないというスポーツの理想がある。北朝鮮の表向きの姿はこの参加の理想を利用しているのだ。

 

 この異常な寒波もこの五輪の異常さを際立たせている要素だ。北の国民は、ミサイル開発の重圧と世界の経済制裁の中で、この寒さにどう向き合っているのか。

 

◇この五輪に県勢の期待が高まっている。中にはスケート王国として知られる嬬恋村出身の選手もいる。大変な五輪だが、多くの選手はフェアプレーの精神で全力を尽くそうとしている。本県勢は群馬のスポーツ、群馬の教育のために死力を尽くして欲しい。それは来るべき東京五輪に通じる。五輪が様々な問題を抱える中で、東京五輪ではさすが日本というところを示さねばならない。平和な国の平和な祭典の実現である。それを支えるものは日本の平和憲法であることを指摘したい。

 

◇国会で憲法が大きな問題となっている。国難の時だからこそ憲法の在り方が喫緊の課題となっている。国難とは北朝鮮に関する安全保障の問題だけではない。南海トラフ型、及び首都直下型の巨大地震がすぐそこに近づいている。この状況に対して国民を守る基本は憲法である。1946年以来一度も改正されない憲法は、よくここまで大過なくやって来られたと思う。30mを超す大津波に多くの自治体が壊滅的被害を受ける。国の基本は地方自治にあるが、それが機能しなくなる恐れがある。そのような非常時に備える憲法上の制度を準備しておかねばならない。想定外という言葉がはやっているが、現在行われている「法律」、これには憲法も含まれるが、これにも想定外が起こり得るのだ。来る東京五輪はこのことも考えて万全を期さねばならない。待ったなしなのだ。(読者に感謝)

 

 

 

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2018年2月 6日 (火)

人生意気に感ず「平昌五輪、平和の祭典なのに。五輪の理念は。首都直下迫る」

 

◇平昌五輪が迫った。今回ほど平和の祭典のイメージを傷つける五輪はない。北朝鮮をめぐる戦争の危機が迫った中での開催だからである。政府は最近、五輪会場周辺のシェルターを視察したと言われる。北朝鮮が五輪をミサイル攻撃した場合を想定した対応である。現実離れしていると思う人もいるようだが決してそうではない。何をやるか分からない国なのだ。首都直下や南海トラフの巨大地震と共に、いやそれ以上に目前の差し迫った危機である。

 

◇私は今、何回か続けてオリンピックの講義をしている。毎週水曜日の朝、「へいわ845」として平和について話している。845とは8時45分に始めるからだ。その一環として平和の祭典オリンピックを取り上げている。

 

 クーベルタンの提案で始まった近代五輪は友情、連帯、フェアプレーの精神に基づいて世界の平和を実現することを目的にしている。ここで問題となることが、薬物及び政治の関係である。最近目に余るのが五輪を政治に利用することであり、国威発揚のために手段を選ばぬことを行っている国がある。

 

 北朝鮮の場合には国威のためだけでなくアメリカとの戦争に関して戦略的な目的があるのだから始末が悪い。平昌五輪は本来なら開催しない方がいい。五輪を狙うテロ集団は北朝鮮だけではない。東京五輪が迫る日本にとってテロの脅威は他人事ではない。

 

◇北朝鮮は一方でミサイルを掲げ、他方で美女軍団などを送り込もうとしている、何と滅茶苦茶なことか。北朝鮮の芸術団公演に対し応募が殺到し3日の締切までに計15万件、競争率が400倍を超えたという。呆れたものだ。政治目的にすっかり乗せられていると思わざるを得ない。金正恩の高笑いが聞こえるようである。

 

◇昔から政治上の重大事と大地震は不思議と重なってきた。安政江戸地震(1855年、M7.1)、明治東京地震(1894年、M7.0)、大正関東地震(1923年、M7.9)。昔は政治の誤りを天が罰するために大地震を起こしたと人々は考えた。今日も政治は信頼を失い混乱している。首都の大地震から長い年月が過ぎている。いつ来てもおかしくないと言われて久しい。東京五輪が近づき北朝鮮が暴走している。ISなどの国際テロが迫る。原発事情も深刻。こんな時首都直下が起きたら大変だ。(読者に感謝)

 

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2018年2月 5日 (月)

人生意気に感ず「浅間が迫る。山地危険地区と異常気象。原発避難受け入れ」

 

◇浅間が動き出したのか。新聞は2日、火山性微動が急増と報じた。東日本大震災以来日本列島が活動期に入ったと言われる。あちこちで火山や地震が頻発していることはこのことを物語るのだろう。現代の科学をもってしても自然はよく分からない。ましてや火山は測り知れないのだから恐い。素人の素朴な感覚を重視すべきだ。

 

 気象庁は「直ちに警戒レベルを上げる状態ではない」、「草津白根山の噴火との関連性は薄い」と言っているが、警戒を怠るべきではない。長野県では群馬県以上に浅間の近況を重視している。群馬は草津白根の3000年以来の噴火に気を取られ過ぎでいるのではないか。

 

 明治以来の記録でも新聞が「大噴火」と報じた動きは少なくない。天明の巨大噴火の恐ろしさを多くの人々は忘れている。ここ数十年の鳴りを潜めた姿が原因だろう。「群馬は大丈夫」という安全神話を反省すべきだ。

 

 気象庁は、草津白根の更に大きな活動に備えて観測機を増設している。草津の関係者の心配と努力に心から声援を送りたいが、科学の力で可能な限りの備えをすることも草津への声援である。

 

◇県の「山地災害危険地区」に対する対策が遅れているらしいことが気がかりである。危険地区は4,524カ所で、対策着手は68%とか。私は県会議員の時、この問題に警鐘を鳴らした。近年の地球的規模の異常気象は尋常ではない。観測始まって以来という事態が常態化している。国は危機感を高めているのだ。車を走らせると建物の上を覆うように切り立つ断崖がそびえる姿をよく目にする。そういう所は長い歴史の上で無事だったので安心しているに違いない。むしろ、そういう自然に守られているという感じを抱いているのではないか。最近の事態はそういう常識を覆すものだ。行政の責任は大きい。県は市町村と連携を密にして対策を進めないと大変なことになるのではないか。人命を守る行政の使命が問われている。

 

◇原発事故の際、水戸市と県内市町が避難協定を結ぶ。最大4万数千を受け入れる計画。国の防災計画で原発から半径30キロ内の自治体は避難計画策定を義務づけられている。新潟県柏崎市は水戸市より近い。原発事故から7年になる。対応の遅れ及び事故はまだ終息しないことと感じる。(読者に感謝)

 

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2018年2月 4日 (日)

小説「死の川を越えて」 第47話

 

三、便り

 

 

 

 日本は、ロシア革命の影響を恐れた。日本の北隣りに社会主義の国が出現したのだ。その思想は、天皇制を否定し、日本の国家秩序の根本を突き崩す恐れがある。その思想が強大な国家の形となって現れたのだ。日本は、明治維新によって四民平等を実現し近代国家を創ったが、現実の社会は矛盾に満ち多くの国民は貧富の差に苦しんでいる。社会主義の思想は、資本主義の矛盾を指摘し、全ての人の平等な社会を目指すことをうたい文句にしている。人類の美しい理想が目前に姿を現したかに見えた。為政者は多くの国民が影響を受けて国内でも反政府の運動が起きることを恐れた。これは、イギリス、フランス、アメリカなどでも同様である。そのために、ロシアに広がる社会主義を抑えようとした。

 

 日本には、さらに別の目的があった。それは、この機会に東シベリアに日本の支配を確立することであった。だから人道主義を掲げるアメリカは日本の野心に疑いを抱いた。そして、アメリカとの協調は日本にとって死活問題であった。

 

 京城にいる正助にも、深刻な事態がひしひしと伝わり、シベリアに行くらしいということが次第に明らかになってきた。

 

 そんなある日のこと、正助の下に1通の手紙が届けられた。それがさやからのものであることを知った時の驚きとときめきは大変なものであった。

 

「正助様、お元気ですか。お国のために御苦労様でございます。今日は、とっても、とっても大切なことをお知らせするために筆をとりました。さやは、正さんがどのように受け止めてくれるか心配でございます」

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年2月 3日 (土)

小説「死の川を越えて」 第46話

 

「ところでな、人の縁というものは実に不思議じゃ。湯の沢集落に韓国から来た李という男がおる。昔、ある事件に巻き込まれた時、わしが助けたことがあった。正助が韓国、京城にいることは、別のさる筋から知った。わしは気がかりでな、どうしたものかと悩んでいた時、この李のことを思い出した。正助が京城の部隊にいるが心配じゃと話したら、そういうことなら任せてくれ、恩返しがしたいと。ハンセンの仲間と組織があるから、まさかの時には力になると言う。実はな、聞いてみるとそのハンセンの統領は、わしと繋がりがある者じゃ。そして、驚いたことに、暫くして、李の弟が正助とひそかに連絡をとることが出来たと申しておる。今後の正助のことは、この筋から連絡があるはず。動静を見守るつもりじゃ」

 

さやは、万場老人の話を手に汗してじっと聞き入っていた。

 

「ところで、正助は正太郎のことを知らんわけじゃな。悪いことを予想するわけではないが、今こそ知らせる時ではなかろうか。大いなる生きる力が生まれるはずじゃ」

 

「わたしも、そのことをずっと考えていました。でも、どうしたら知らせることが出来るでしょうか」

 

さやは、身を乗り出し、瞳を輝かして言った。

 

「それは大丈夫。正助のことを知らせてくれる、軍の人脈がある。さやさん、先ず手紙を書いてごらん」

 

万場老人の表情が、手紙の先の光明を暗示するように弛んだ。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年2月 2日 (金)

人生意気に感ず「トランプ氏の演説の行方。相撲界の新しい風。座間事件の闇」

 

◇異常な大統領が全く正常な演説をした。そんな感を与えるトランプ氏の一般教書演説。おおむね好評で賞賛の声が上がっているらしい。これは果たして何を意味するのか。トランプ大統領が訴えるように「新たな米国の時代」を告げる出来事なのか。アメリカは果たして混乱状態から変身できるのか。これは世界が好奇の目で固唾をのんで見守る点である。

 

 トランプ氏は経済の再生を誇示した。これはほとんど全てのアメリカ人が認め、そして拍手する点に違いない。アメリカの経済は日本の経済に連動しているから日本人の多くも認めざるを得ない。雇用創出、株価の記録的上昇にアメリカは沸いている。トランプ氏は強調する。「米国を再び偉大にする」、「米国の新たな節目。アメリカンドリームを実現させる最高の時」と。そして驚く点は「団結しよう」と呼びかけていること。果たして「私たちの大統領ではない」と猛烈に反対している人々をどれほど納得させることが出来るか。

 

◇トランプ氏が北朝鮮に対して改めて強い決意を示した点は、日本の安全保障と強く関わる点なので特に注目される。「北の核ミサイルが極く近いうちに米本土を脅かす」と言って最大限の圧力を続けると決意を示した。アメリカ国民の動きを暫く見守ることにしよう。

 

◇大相撲の世界に激震が走っている。貴乃花派が理事候補を2人出すことで選挙になる。「選挙」は民主主義の原点だ。これは政治ばかりではない。貴乃花は大きな賭に出た。この世界の因襲に対抗する姿勢を貫く様は現役時代の「ガチンコ」そのものだろう。巨体の理事たちがのっしのっしと歩く姿は非民主的な黒い伝統の塊が歩いているようだ。今日の選挙が非常に見ものである。世論を味方につける上で、「メッセージ」が効果的な役割を果たしていると見る。ガチンコにも戦略は必要なのだ。土俵際の粘り腰に期待する。大相撲の大一番が今日見られると思う。

 

◇9人の切断遺体事件で、容疑者を殺人などで6回目の逮捕。今度は邑楽の女子高生である。女子高生は容疑者とツイッターなどで90回以上もやり取りしていたという。現代の犯罪状況は不可解である。女子高生の両親のコメントには娘を思う悲しみ、犯人に対する強い憎しみが綴られている。猟奇的な犯罪である。このような人間は増えているのだろう。日本人の心が崩壊しつつあることを感じる。社会の病根が伸びる。(読者に感謝)

 

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2018年2月 1日 (木)

人生意気に感ず「ブログの本格再開。死の川の完結近し」

 

◇2月1日、今日から「ブログ」を元のかたちに戻す。月、水、金にしていたが、小説「死の川を越えて」の執筆にめどがついたために月曜日から金曜日まで続け、土日祝日は引き続き「死の川を越えて」を載せる予定である。

 

 小説「死の川を越えて」は3月5日をもって完結する。一昨年(平成28年)12月5日から、死の川と言われた集落から始めて「ハンセン国賠訴訟」という大河に至るドラマである。最終回の場面を少し明かしたい。小河原という登場人物は小笠原登という実在した人物がモデルである。さやはかつて京都大学を訪ね、小河原の話を聞いてお腹の子を産む決心をした。小河原は国の政策、隔離政策に対する反対を最後まで貫いた人物である。小河原は生家である浄土真宗の寺に眠っていた。ある日、さやたちは生涯の報告のために寺を訪れる。さやたちが見た小河原の墓は衝撃的であった。

 

 実在した小笠原登の墓は愛知県の圓周寺に存在する。この墓で何を見たか、さやたちは手を合わせて何を念じたかが最終回に語られる。

 

◇ブログを本格的に再開するにつけ、ブログで時々取り上げることになる私の日常の主な行動を記す。毎日午前2時には起床し原稿に向かい書を読む。早朝ジョギングは365日欠かさない。外国へ行っても走り、11月3日の群馬マラソンでは長いこと10キロ完走を続けている。走ることは私の77歳を生きる力の源泉の一つとなっている。月一回の「ふるさと塾」は歴史を語って20数年にもなる。県議現職時代から続けているからだ。市の福祉会館(日吉町)で実施日は原則として月最後の土曜午後6時半から。誰でも歓迎である。

 

◇この他、政治を引退してからの仕事として多くの留学生を抱える日本アカデミーの名誉学院長がある。ここでは単に名誉職ではなく、学園全体の精神的コアの部分を受け持っている。言葉を教えるだけでは外国から来た多くの若者の心をつかむことはできない。その活動の一環として「へいわ845」がある。毎週水曜日の朝8時45分から短時間、平和の講義をしている。昨日はオリンピックの話をした。黒い肌が胸を張って走り、世界が拍手を送る。肌の色による差別と偏見を克服することは平和の基礎である。平和の祭典が薬物と政治によって変な方向に動こうとしている。東京五輪、パラリンピックの真価が問われる。(読者に感謝)

 

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