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2018年1月31日 (水)

人生意気に感ず「ロシア軍機1.5mに。白根の不気味続く。長野との連携を。へいわ845」

 

◇ロシア軍機が米軍機に何と1.5m迄異常接近したと報じられている(29日)。正に想像を絶する狂喜の沙汰。地上で走行する自動車同士でも1.5mの接近は危険運転の暴挙だ。上空を高速で走る軍機同士が1.5mとは接触と変わらない事態だろう。このようなことが故意に行われたことは何を意味するのか。平和が累卵の危機にあることを感じる。

 

 場所は黒海上空の国際空域。飛行中の米探査機にロシア戦闘機がこのように異常接近し飛行経路を遮り、この妨害行為は2時間40分に及んだ。アメリカ国務省は声明で「甚だしい国際法違反であり、このような危険行為をやめるよう要求する」と批判した。表明は一見単純だが背景には厳しい国家としての意志があるに違いない。また、激しい国家間の対立と複雑な国際情勢があるに違いない。

 

◇かつて旧ソ連はアメリカと世界を二分して対峙する超大国だった。それがあっと言う間に脆くも崩壊した。昔の栄光を懐かしむ人々、そして危険分子は多いに違いない。プーチンの強権の姿勢を支持する国民が多いのもこれと無関係ではない。

 

◇本白根噴火から1週間経ったが不気味さは続く。自然の脅威は人知の及ぶところではない。地下でたぎるマグマは怪物のように動き出口を見つけようとしているのかも知れない。5キロ離れた草津は観光客が減って大変だ。しかし、より重要なのは人命である。町と県と国は連携して対応しなければならない。

 

 国交省はカメラやドローンを使って情報を分析している。国と町を結ぶ県の役割は重要である。県は29日、噴火による新たな被害が発生していないことから災害「対策」本部を災害「警戒」本部に移行したが、油断は禁物である。

 

 素人の素朴な考えからは草津のマグマの動きが浅間に影響しないか気に掛かる。長野県では浅間に関心を強めていると言われる。当然のことだろう。天明の大噴火では地下のマグマの気まぐれで北側の吾妻に大災害を。可能性とすれば、長野県が大災害を受けたかもしれなかった。群馬県は長野県と連携して浅間の対策も進めるべきである。自然の動きに県境はないのだから。

 

◇今朝は、日本アカデミーで「へいわ845」を。毎週水曜日。前回に続きオリンピック。フェアプレーの美しい物語(黒人と白人の女性がウィニングランをしたアテネ)などを語る。(読者に感謝)

 

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2018年1月29日 (月)

人生意気に感ず「今年最初のふるさと未来塾はアメリカ史。米独立宣言と日本国憲法。栃ノ心優勝」

 

◇今年最初のふるさと塾、夜大変な寒さの中で盛会だった。テーマは「アメリカ史」。アメリカの建国の精神はトランプが掲げる「アメリカナンバーワン」とは矛盾するはず。「WASP」ということに触れた。これはアメリカの大統領等要人は、白人でありアングロサクソン人であり、プロテスタントであるべきだという思想。その起源はイギリスで迫害されたプロテスタント(ピューリタン)がアメリカに渡り建国の基礎を築いたことによる。唯一の例外はケネディがカトリックであること。この史実が示すようにアメリカは移民の国なのだ。

 

◇独立宣言(1776年)の重要性を語った。「人は自由平等で幸福追及の権利をもち、これを保障するために国家がある。国がこれを守らなかった時は打ち倒して新しい国家をつくる権利がある」。この革命思想の影響の下にフランス革命、人権宣言が生まれた(1789年)。アメリカの指導力が世界に説得力をもつのは、この建国の精神が健在することを前提とする。アメリカ第一主義は偏狭なナショナリズムに通じ、せこいと言うべきだ。

 

◇アメリカ独立宣言との関係で、日本国憲法の11条と97条を説明した。実は、ふるさと塾の中で日本国憲法を勉強することになって昨年から実施している。憲法をゼロから学ぶことを目標にし、286円+税の小冊子を私のポケットマネーでプレゼントしている。こういうことも議員をやめたから出来る。憲法改正が現実の課題となっているのに政治家も含めて憲法の本質を知らず憲法を軽視している。

 

 97条は「基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、過去幾多の試練に耐え、侵すことのできない永久の権利として信託された」とある。「アメリカに押し付けられた」憲法の実態はこのような素晴らしさを含んでいる。これらの憲法の「核」は改正権の限界を示すものである。

 

◇栃ノ心の優勝にほっとするものを感じた。ドロドロした相撲界に嫌気がさしていた。優勝インタビューにはこの外国人の真摯な人柄が現われていた。「大きな怪我をして何度もやめようと思った。優勝は考えていなかった。日本の皆さん、私の国の皆さんのお陰です。本当にありがとう」こう語るイケメンの巨漢はジョージアの出身。初めての赤ちゃんのためにも頑張った。国際化時代のスポーツが光った。(読者に感謝)

 

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2018年1月28日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第37話

 

生きて虜囚の辱めを受けるなという日頃の厳しい教えにもかかわらず、塩原さんたち13人は虚脱状態の中で、あっけなく捕虜となった。今まで見たことのない赤い毛、青い目のソ連兵に追い立てられてあちこち歩かされた。信じられない光景がいたるところにあった。町の一角には日本兵のあらゆる武器が山のようにうず高く積まれていた。裸足で髪を振り乱し半狂乱で子どもの名を呼ぶ女性の姿、ソ連兵に抱きすくめられ足をばたばたさせながら連れ去られて行く若い女性の姿など。これが戦いに敗れるということなのかと塩原さんは生唾を呑み目をそらした。悔しくても、どうすることもできないのだ。

 

塩原さんたちは、やがて、鉄条網で囲まれた日本軍の馬小屋に閉じ込められた。

 

拘束されてから毎日、食べ物はごく少量しか与えられない。仮宿舎に入れられてからは何も与えられず、2日、3日と過ぎてゆく。ワラをかじったり、木の皮を食べたり、人々は口へ入れるものを求めて馬小屋の中を這い回っていた。4日目、5日目になると空腹に耐えることが、銃弾の雨にさらされるより怖いことだと思うようになった。この飢えに対する恐怖心こそ、塩原さんたちがこれから先の長い収容所生活で向き合う最大の敵であった。

 

今、その最初の敵を前にして万策尽きたとき、塩原さんたちの目は一斉に、ある一点に注がれた。そして次にその視線はお互いの顔に移った。その視線は、恐怖と戸惑いを示していた。またある人の目の色は、まさかという強い拒絶を表していた。次の瞬間、人々の目は、またもとの一点に戻った。その視線の先には、うずくまる一頭の軍馬がいた。兵士よりも大切にされ、傷つけることは厳禁とされた軍馬。「取った手綱に血が通う」と軍歌にも歌われた軍馬を食おうとしているのだ。しばし重苦しい沈黙が流れた後、一人が口を開いた。

 

「やむを得ないだろう」

 

うなづいて、もう一人の兵士が言った。

 

「可哀想だが、助けてもらおう」

 

顔を上げないで肩をふるわせている男も異を唱えなかった。人々は軍馬の前に寄った。一人がひざをついて手を合わせると、他の者もそれに合わせる。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏の声が流れる。異様な雰囲気に驚いた軍馬は上目使いに人々を見た。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

 

 

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2018年1月27日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第36話

 

二 軍馬を殺して食べる

 

 

 

 塩原さんは、「中島飛行機」で働いていたが、昭和19年3月に召集され満州に渡った。関東軍の中で通信の任務についていたが、吉林省延吉で終戦を迎えた(昭和20年8月15日)。

 

 ソ連が満州に侵攻を開始したのは8月9日であった。8月17日、本部より全日本軍に対して即時戦闘行動停止命令が下されたが、満州方面の戦闘状態がおおむね終わったのは8月20日とされる。

 

 塩原さんの部隊がソ連軍の突然の侵攻を受けたのは8月17日の夜であった。「ドドーン」、「ゴーゴー」と大地を震わせて戦車の音がせまってきた。

 

 塩原さんは12人の部下を持つ無線通信所の所長であった。その場所は本部から遠く離れた山の中腹にあった。戦車の轟音は次第に山の麓に迫りつつあった。命よりも大切な物を敵に渡してはならない。塩原さんたちは必死で穴を掘り、通信機材や暗号書を埋めた。

 

 命がけの作業を終え本隊に辿り着くと、兵舎はすでに空で慌しく走り去る軍用トラックの後ろ姿が闇に消えてゆく。呆然として立ち尽くしていると、無人と思った一角から一台の軍用トラックが走り出してきた。塩原さんの部下が2,3人走り出して、乗せてくれと叫んでトラックの荷台の囲いに飛びついた。トラックには兵士の黒い影がひしめいている。

 

「だめだ、お前たちを乗せる余裕はない」

 

血走った目の兵士は哀願する眼下の顔を軍靴で蹴った。もう一人の兵士は、引きずられながらも必死でしがみつく両手を、物でももぎとるように引き剥がした。地面に叩きつけられた兵士を置いてトラックは走り去っていった。

 

<人間は、ギリギリのところでは自分のことしか考えられないのです>

 

塩原さんは、当時のことを思い出してしみじみと語った。

 

 これは、これから始まる、追い詰められた状況における人間模様のほんの一例に過ぎなかった。

 

取り残された暗闇の中で、塩原さんは、このときそれまで半信半疑だった敗戦ということを冷厳な事実として受け止めた。同時に体中の力が抜けて、その場にへなへなと座り込んでしまった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

 

 

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2018年1月26日 (金)

人生意気に感ず「白根噴火が問うもの。安全神話を打ち砕け。浅間は。弘仁の大地震」

 

◇草津の噴火に大きな注目が集まっている。それにはいくつかの重要な理由があるようだ。一つは東日本大震災以来、日本列島が大きな活動期に入ったと言われる中での出来事であるからであろう。二つには、本白根の噴火はレベル3のクラスで、本白根のこの噴火は3千年来のことだという驚くべき事実である。専門家は一様に全く想定外だったと言っている。ということは自然の力は人智が遠く及ばないことを意味する。

 

 鎧人骨が出土した榛名の大噴火は6世紀のことだから自然の尺度にすれば新しい出来事である。それに、更に不気味なのは浅間山である。こちらはレベル2と言われる。浅間が長いこと沈黙を続けているのは何を意味するのであろうか。1783年の天明の大噴火のようなことが起きたら大変なことだ。八ツ場ダムが着々と進み溪谷は観光の名所として一変しようとしているが、あのような事態が生じればダムを含めた一帯はとんでもないことになるに違いない。私が八ツ場ダム推進議連の会長だった時、浅間の噴火のことが一部で心配されていたことが思い出される。

 

◇自然災害について群馬は大丈夫という「安全神話」が支配的である。これを打ち破ることが今一番求められている安全対策であろう。今度の本白根の噴火は安全神話に胡座をかく県民に対する自然の警鐘と受け取らねばならない。

 

 私は県議会にいる時、県内の活断層の状況及び各自治体の地震の可能性について取り上げたことがある。今、改めてその必要性を感じる。安全神話に胡座をかく県民への啓蒙は県政の最大の課題の一つであり、行政の差し迫った使命である。災害は忘れた頃にやってくる。

 

◇私が県議会にいた頃、よく取り上げた災害として「赤城山麓の歴史地震」がある。赤城山南麓には多くの地割れの遺跡が発掘されており、これは弘仁9(818)年の地震ではないかと言われているのだ。調査は群馬県新里村(当時)の教育委員会が1991年に実施したもの。弘仁の大地震とは「類聚国史」に記録があるもので上野の地に大地震があり山が崩れいくつかの里が埋まり押し潰された人はとうてい数えられない程多数であったというもの。多くの地割れ遺跡も我々に警鐘をならしているのだ。(読者に感謝)

 

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2018年1月25日 (木)

小説「死の川を越えて」 第45話

 

「お前たちも承知のように朝鮮は韓国といって日本の一部じゃ。今から十年ほど前、併合により日本となったが、住民の反対は根強いものがあった。最近の世界情勢が重なり、朝鮮の隣りの中国で反日の嵐が吹いている。その影響で韓国でも反日が強くなった。さらに非常にまずい一大事が生じた」

 

「まあ、さらにとは何でございますか」

 

こずえが不安そうな表情。

 

「ロシアに革命が起きた。北の隣国ロシアが社会主義の国になろうとしている」

 

「社会主義って何ですか」

 

正太郎の顔に頬を寄せるさやの声に緊張感があった。

 

「労働者が主人公の国が人類史上初めて出現したのだ。今までの国王や皇帝が地位を奪われた。皆平等になるというが理想通りに行くものではない。天地がひっくり返る大変化じゃ。日本もイギリスもフランスも、その影響が及ぶことを大変恐れておる」

 

「正助さんの身に影響があるのでしょうか」

 

さやの声は一段と不安を帯びてきた。

 

「世界はな、この革命を潰そうと、シベリアに出兵しようとしている」

 

「戦いはヨーロッパなのでしょう。なぜシベリア出兵なのですか」

 

さやは、正助とシベリアが関係するかどうかが心配なのだ。

 

「それはな、チェコスロバキア軍救出のためだ。チェコスロバキアという国の軍はドイツを攻める上で貴重な味方。そして革命軍と戦っておる。それが、革命軍によってシベリアに追い詰められている。ドイツに勝ち、そして革命軍を倒すためにはチェコ軍を助けねばならない。日本は地理的に最も兵を出しやすい。そこで、日本はより多くの兵を出そうとしている。そこに正助が行くことになれば心配じゃ」

 

万場軍兵衛は、ここで初めてため息をついた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年1月24日 (水)

人生意気に感ず「3千年ぶりの噴火。それは警鐘。日中友好協会のパーティ。憲法改正」

 

◇本白根が噴火した。想定外。前兆はなかった。これが自然なのかと思う。レベル3の規模は3千年以来だという。数十センチから1メートル以上の噴石という。1人死に11人が怪我。今後が心配である。県も対策会議を開き大沢知事は被害を最小に食い止めるよう指示した。

 

 東日本大震災を機に日本列島が活動期に入ったといわれ、各地の火山が実際に動き出した感があった。火山と地震は不可分である。浅間が長く沈黙を続けているのも不気味である。1783年の天明の大噴火は地球的規模の出来事だった。前兆がないといって安心できないことを、今回の草津の噴火は警告しているのではないか。群馬は最も安全なところと安全神話に胡座をかいているのが我々である。災害は忘れた頃にやってくる。しかもそれはある日突然に、そして必ずやってくる。今回の草津の黒煙はその警鐘である。

 

◇22日に行われた日中友好協会の新春交流パーティは盛会であった。日中友好条約締結40周年ということもあり、私たちは力を入れて準備した。世界情勢は歴史的に変化している。世界を民主主義の理念でリードしてきたアメリカが自国本位(アメリカファースト)を掲げ世界の信頼を失いつつある。一方中国は習近平主席の下で新たな、そして大きな変貌を遂げつつある。そして北朝鮮の暴走である。日本はこの渦の中心にいて、日本の役割は増々重要となっており、一歩誤れば国の存亡を招きかねない。正に国難の時なのだ。私はこのような時代状況を踏まえて、群馬県日中友好協会会長として挨拶した。

 

「世界的な大変化の時、日中の関係は増々重要です。日本はアジアの一員として、中国とは2千年にも及ぶ長い歴史を築いてきました。近代に至り、日本は中国に多大な迷惑をかけました。今年はそれを乗り越えての日中友好条約40周年であります。昨日の敵は今日の友。日本と中国の真の友情をはぐくむことは世界の安定とアジアの発展のために極めて重要です。群馬県日中友好協会は最悪の事態の中で船出してこのことを噛み締めてきました。この間文化の交流で成果をあげましたが、今後経済の交流も一層進めたいと考えます」

 

◇国会が始まり安倍首相は憲法改正を進めると決意を語った。憲法を真に理解することは国家の運命に関わることであり、我々自身の問題である。(読者に感謝)

 

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2018年1月23日 (火)

小説「死の川を越えて」 第44話

 

ある日のこと、さやが正太郎を湯にいれていると戸が開いた。湯けむりの中に姿を現したのはこずえであった。

 

「まあ」

 

「正太郎ちゃん順調ね。ずい分大きくなったみたい」

 

こずえの声が弾んでいる。

 

「ねえ、さやさん。私、思い切ってここに来たのよ」

 

並んで体を流しながら、こずえは意外なことを言う。

 

「何のこと」

 

さやは、湯けむりを手で払ってこずえの顔を覗き込んだ。

 

「ここ見て」

 

「あっ」

 

さやは、思わず大きな声で叫んだ。

 

 こずえの大理石を刻んだような白い二の腕に、うっすら赤い斑点がある。

 

「私たち不思議な縁を感じるの」

 

秘密を打ち明けるこずえの声は明るかった。

 

「さやさんと京都大学に行って、あの先生の話を聞いた時、さやさんと同じように感動したの。私も同志なの。力を合わせましょうね」

 

さやとこずえは思わず、手を握り合って喜んでいた。さやはあの時、こずえが自分のことのように喜んだ姿に合点がいった。正太郎の元気な泣き声が湯屋に響いた。

 

 ある日、さやは正太郎を抱いて、こずえと共に万場老人を訪ねた。こずえを通して会いたいという知らせがあったのだ。

 

「正太郎君が元気で何よりじゃ。重要な話がある。正助は今、韓国におる」

 

「えっ、韓国ですって」

 

突然の老人の言葉にさやは思わず叫んでいた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年1月22日 (月)

人生意気に感ず「大砂嵐の事故。西部氏の自殺。日中友好協会の新春パーティ」

 

◇不祥事は不思議にも続く。大砂嵐が無免許で追突事故と報じられている。エジプト出身の力士である。相撲協会が禁じている車の運転をした上、追突事故か。アフリカ大陸初の力士として大きな注目を集めた人気力士だった。189センチ、160キロの強烈なパワー。その姿は北アフリカの砂嵐を連想させたが、土俵上でも砂嵐を巻き起こす活躍だった。

 

 相撲の世界にも国際化は進む。伝統の国技の世界の自動車運転はどうなっているのか。若乃花親方に関して危機管理が問題となったが、自動車運転は危機管理の重要課題。この種の問題が続かないことを祈る。

 

◇評論家西部(すすむ)氏が多摩川に飛び込んで死んだらしい。自殺と報じられている。反安保学生運動のリーダーの一人だった。最終的に左翼と決別し、保守の論客として知られた。78歳だった。日頃の言論と自殺行為は矛盾すると思われる。もとより自殺の決断の動機は測り知れない。三島由紀夫の自殺も理解できないままだ。西部氏は自分との闘いに敗れたのか。

 

◇今、22日の深夜である。夜空には星がきれいだが、低気圧が近づき、大雪となると報じている。信じられないようだ。今日は群馬県日中友好協会の新春パーティが、午後2時から行われる。日中友好条約締結40周年記念事業である。

 

 私は群馬県日中友好協会会長として挨拶する。この会は2013年日中関係が尖閣問題を巡り最悪時に船出した。日中の歴史は古い。今、国宝金印の真偽をめぐって議論されているが、日中の関係は、魏志倭人伝以来である。東方海中の一倭国が世界の先進国として立ち現れ、中国は世界に覇を唱えて大変化を遂げようとしている。一方で世界のリーダーアメリカは、トランプ大統領の出現によりその世界的地位は急落の危機にある。米中の間にあって、日本の役割は増々重大である。日本は紛れもなく東洋の歴史に基盤を置いているが、日本の近世、現代は西欧の価値観を追ってきた。このような国は世界に例がない。日本は漂流をやめて軸足をしっかりさせ、アメリカにも中国にも言うべきことは言える国にならねばならない。「昨日の敵は今日の友」。日中国交正常化45周年、日中友好条約40周年は、このことの意義を問う年である。今日はこのことを念頭において会長としての挨拶をしようと思う。平昌五輪が近づき世界情勢は不気味さを増す。(読者に感謝)

 

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2018年1月21日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第35話

 

塩原さん、貴方は、人間は極限の飢えの前では動物と同じようになってしまう、と言われました。また、帰国したい一心で、日本人同士が密告したり吊るし上げをしたことは誠に恥ずかしいとお話になりました。願わくば、それらもすべてお話いただいて、私は、戦争を知らない人々に、戦争とはどんなに残酷な結果を伴うことかを知らせたいと思います。

 

「過去にを閉ざす者は、現在に盲目になる」これは、元西ドイツの大統領ヴァイツゼッカーが言った言葉です。私たちは、今こそ過去に目を向けて、そこから現在を直視する勇気を持つことが大切なことだと思います。そのために、貴方の貴重な体験を聞かせてほしいと思うのです。どうか、ご協力のほどお願いします。

 

以上、取材に関する私の気持ちの一端を申し上げました。

 

 

 

 私のこの手紙に対して数日後、塩原眞資さんから返事がきた。それには、「シベリアを離れるときは、こんなところに二度とくるものかと大地を蹴りつけたい気持ちだったのに、今、そのシベリアが非常に懐かしく思える。私の体験がお役に立つのなら、何でも喜んで話したい」と書かれていた。

 

 

 

塩原さんは、現在81歳。耳が少し遠くなったが身体はいたって健康である。シベリアから帰国した後は、前橋市の建設会社に勤務し、持ち前の忍耐力と誠実さで事業発展に貢献し、退職後は町の自治会長もつとめ、現在は前橋市田口町で悠々自適の生活を送っている。

 

<日本は大きく変わりました。あの頃を思うと夢のようです>

 

 こう言って塩原眞資さんは、遠くを見るような目をして感慨深そうに若き日のシベリアを振り返る。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

 

 

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2018年1月20日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第34話

 

 

 

第2章 塩原眞資さんのシベリア

 

 

 

1 塩原さん、半世紀を振り返ってシベリアを語り始める

 

 

 

拝啓、塩原眞資様、いつもお元気で何よりです。誠に恐縮ですが、近日中にまたシベリアの話を伺うためにお邪魔したいと存じます。取材の目的を理解していただきたくお手紙を差し上げることに致しました。

 

 これまでに二度ほど、さまざまな体験を話していただきましたが、いずれも衝撃的で、今日の私たちには信じがたいことです。中でも深い感銘を受けたのは、塩原さん、貴方が日本に帰国後、激変した環境の中で耐え難い辛さに直面した時、収容所時代のボロボロになったロシア服を取り出して頬にあて、昔を思い出して耐えたという話です。そこで貴方は、次のように語られました。

 

〈家族の不幸、子どもたちに対する悩み、経済的な苦しさなどに出遭ったとき、これを着てあのシベリアで吹雪に叩かれたことを思えば、これくらいのことが何なんだと自分に言い聞かせました〉

 

私はこれを聞いて、シベリアの異常な出来事を、身近なものと感じることができました。そして私たちも、あの過酷なシベリア抑留の事実を皆さんと少しでも共有し、そこから大きな勇気をもらうことができるに違いないと思うに至ったのです。

 

これは大きな発見だと思いました。貴方たち抑留者は生きることが大変難しい極限の世界で自分の生命を必死で守り通したのですね。それに比べ、生きることが非常に容易な豊かな社会で、私たちは何と命を粗末にしていることでしょう。毎年3万人を超える人が自殺しています。また、身勝手な欲望のために簡単に人を殺す犯罪も増加の一途を辿っています。

 

同じ日本人が今から半世紀ほど前にシベリアの凍土で必死に生きたことを、私たちは、今改めて冷静に見詰めることによって、命の大切さと苦難に立ち向かう勇気を学ぶことができるのだと思います。そして、このように貴方たちの体験を現代に生かすことが、抑留された60万人を超える方々の労苦、そして命を落とされた6万人を超える方々の無念に幾分でもこたえることだと信じます。

 

シベリア抑留というと、暗いイメージばかりがつきまといますが、そこからこのようなプラスの面を発見することが、21世紀の新しい日ロの関係を築く上でも必要なことだと思います。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

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2018年1月19日 (金)

人生意気に感ず「貴乃花と白鵬の対立と品格。トランプ大統領の品格。アメリカの復活は」

 

◇大相撲が始まったが、白鵬が2敗して休場となった。日馬富士の暴行事件は土俵外でまだごたごたが続き決着がついていない。土俵外のこのごたごたが土俵にも影響を及ぼしているに違いない。白鵬の連敗と休場はそれを物語るのではないか。

 

 こんな中で文芸春秋2月号の「貴乃花と白鵬ねじれた横綱像」を読んだ。元大関の小錦まで参加した記事を面白く読んだ。日本の相撲文化にモンゴル人が十分なじめないところもあるに違いない。白鵬の取り口に批判が浴びせられている。横綱の品格については哲学的な信念のようなものがあるらしい。そんなものが根底にあって、貴乃花と白鵬の間にはどうにもならない感情的なしこりが出来てしまったと見られる。文春と新潮の週刊誌、フジとゲンダイの日刊紙が派手な報道合戦を繰り広げている。相撲協会はこれらに影響を受けている面もあるに違いない。神代までつながる国技がこの激流を乗り切って新時代に対応した形を取り戻すことが出来るのか、当分目が離せない状況である。

 

◇大相撲で横綱の「品格」が問題となっているのと似た状況が世界政治の上でも起きている。こちらの横綱といえば、トランプ、習近平、プーチンである。習近平とプーチンは社会主義国という別の世界の出来事なので、品格を論ずるに少し抵抗があるが、トランプ大統領については、同じ世界の問題として品格問題がストレートに伝わってくる。この人の「汚い国」発言や自らを天才と表現することなどがアメリカ大統領の品格を失墜させているのは間違いない。しかし、アメリカ国内の一部では大統領に対する評価が依然として健在らしいのに驚く。思うことをズバリ発言するところが本音を話さない政治家とは違った新鮮さを放っているのかも知れない。

 

 しかし、トランプの評価を支えているのはアメリカ経済の熱さを復活させている実績である。史上突然の減税策が功を奏して自動車産業が息を吹き返し、株価が上昇を続けている。これはアメリカの本質にどう影響を与えるのか。アメリカは世界の民主主義をリードすべき役割を担う。これがアメリカの本質である。この本質を支えるものが品格なのだ。大相撲の品格と通じるが次元が違う。トランプは、品格などはおかまいなくビジネス感覚で世界を仕切ろうとしている。アメリカ第一が線香花火で終わるなら大変なことになる。(読者に感謝)

 

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2018年1月18日 (木)

小説「死の川を越えて」 第43話

 

 

 

男は小さな紙片を渡すと、あっけにとられた正助を置いて姿を消した。正助は高鳴る胸を抑え、平静を装ってその場を離れた。

 

〈夢か〉。正助は兵舎に戻ると信じられぬ思いで先ほどの出来事を振り返っていた。異郷の果てで、ハンセンの同病者から草津と万場老人のことが語られるとは誰が想像できようか。正助は運命の巡り合わせの不思議を感じた。紙を広げると「火急の時に」と記され、「ハンセンの谷の白鬼」とあり、その下に暗号めいた数字と記号が記されていた。それが何を意味し、どう使うのか。この時、正助は特に気に留めることはなかった。ただ、「うーむ」と唸るのみであった。京城に待機している正助にとんでもないことが起きたのは、それからしばらくしてのことであった。 

 

 

 

二、枯れ木屋敷

 

 

 

 さやが住むふもとの里の屋敷は、通称枯れ木屋敷と呼ばれていた。数百年を経たケヤキが屋敷の黒塀の外へ大きく枝を伸ばしていた。確かな命をつなぐこの巨木は、屋敷の古さを象徴するように枯れた姿にも見えた。枯れ木屋敷の呼び名の由来は、この古木であった。さやは、離れの一室を当てがわれ、家の家事と農業を手伝っていた。家の人々は、万場老人縁の者ということでさやを温かく迎えた。正太郎を産んだことは、さやにとって人生の一大事であった。さやは元気な泣き声に感激し、赤子の体をくまなく見て、異常のないことを知り神に感謝した。

 

〈正さん、やったわよ〉。さやは心で叫んだ。そして、初めて正助と肌を合わせた湯の沢集落のことをを思い出した。同病であることは承知していても、それを確め合う機会であった。右の腕に正助と同じ大きさ、同じ色の斑点があったのだ。2人は運命の不思議さを感じた。呪わしいと同時に不思議な絆の証しにも思えるのであった。さやはあの時を懐かしみ、正助の身を案じた。

 

 京都大学の小河原の言ったことは真実と思えた。遺伝はしない。感染も少ない。さやは正太郎を抱いてそのことを実感するのであった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年1月17日 (水)

人生意気に感ず「末期的なトランプ、そして中国の台頭。日中の交流パーティ。自ら通り魔ですと供述するとは」

 

◇トランプ大統領の品のない言動は末期的に見える。理想の国は立ち直ることが出来るのか。アフリカ諸国やハイチを指して「野外便所のように汚い国」と誹謗したとされる。これに対し、人種差別的だという抗議の声が世界に広がっている。トランプ氏はハイチ人を軽蔑したことは言っていないと否定しているらしいが、世界の目はトランプ大統領の本音が出たと見ている。1年に渡るこの大統領の一貫した姿勢がそう思わせるのだ。白人至上主義の米秘密結社KKKの元最高指導者はツイッターで「真実を語った」と称賛したと言われる。

 

 アメリカは理想を高く掲げた国だが、理想が高ければ高い程内部に深刻な矛盾を抱えることになる。理想を掲げることに疲れた国民が生み出した産物がトランプ大統領なのかも知れない。

 

 アメリカが世界の指導者として影響力と存在感を発揮できたのはアメリカの理想の力が健在だったからだ。現状のアメリカはアメリカの本来の力を失いつつある。トランプ大統領が中国などの人権侵害を批判しても空々しく響くに違いない。アメリカはこのまま凋落に向かうのか。

 

 アメリカに対峙する大国として中国が台頭しつつあるが、トランプの醜態は中国を利するだけである。世界の力のバランスが崩れようとしている。その変化は直ちに日本に及ぶ。米中の間にあって、日本が果たすべき役割は増々大きくなった。今月27日の「ふるさと未来塾」はアメリカ史が中心となる。アメリカの建国の歴史、その理想と矛盾を語るつもりだ。

 

◇トランプ大統領出現による世界の激変の中で、習近平の中国は「一帯一路」を掲げて大きく変貌しようとしている。先日中国大使館を訪ねてそのことを肌で感じた。人口減少をはじめ歴史的な難問を抱えて国難の時に立つ日本はしっかりしないと中国に呑み込まれてしまう。本年は日中国交回復45周年、日中友好条約締結40周年の節目を迎える。このような状況下、来る22日、群馬県日中友好協会は新春の日中友好交流パーティを行う。

 

◇またも奇妙な事件が広島で起きた。2人を殺傷した33歳の男は「誰でもよかった。通り魔で無差別です」と自ら語ったという。精神鑑定が行われる。このような事件が急増している。心の拠り所がない人が増えている。漂流する社会で自らを失って生きる力を失う人が増えている。(読者に感謝)

 

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2018年1月16日 (火)

小説「死の川を越えて」 第42話

 

第二章 大陸の嵐

 

 

 

一、 抗日

 

 

 

 正助の隊は中国の青島に向かったが、大正7年(1918)、韓国に移動した。この時期、中国でも韓国でも抗日運動が盛んになっていた。正助たちが急きょ韓国に回されたのは、民衆運動に備えるためであった。中国では日本が不当な二十一カ条の要求を突き付けたことで、抗日運動が一層激しくなった。そして、ベルサイユ条約でこの要求を世界が承認したことで、大正8年(1919)5月4日、北京大学の学生を中心とした若者が一斉に立ち上がり、抗日の嵐は中国全土に広がった。五・四運動である。

 

この動きは韓国にも大きな影響を与え、日本の支配に抵抗する三・一運動が起った。韓国は1910年(明治43年)以来、日本に併合されていたが、反日、そして独立を求める動きは根強くあった。これに影響を与えたのが隣国中国の民族運動や革命であり、ウィルソン米大統領の「民族自決」のメッセージだった。大正8年3月、元韓国国王・李太王の国葬に際し、日本式で行うという日本政府の決定に対し、学生たちは激しく反発した。独立宣言書を朗読し、「大韓独立万歳」を叫んでデモ行進し、一般市民も合流した。この運動は各地に広がり、警察や官公署が襲われる程になった。そこで原内閣は兵を増派することになった。各地から集まった日本兵の中に正助の姿があった。韓国は日本の一部とはいえ、京城での兵士の外出や単独行動は厳しく規制されていた。それでも4月になると、京城の街はいく分静けさを取り戻していた。

 

 ある日、正助が兵舎を出た時、突然物陰から歩み出た男がいた。一見して、異様な風貌である。正助は、はっとして立ち竦んだ。紛れもない、ハンセン病の顔であった。

 

「旦那、ちょっとよろしいですか」

 

男は意外にも日本語で話しかけた。正助は、その場を走り去ろうとしたが、男に敵意が感じられず、何か惹かれるものがあって足を止めた。

 

「下村正助さんでございますね」

 

「えっ」

 

正助は思わず叫んでいた。

 

「どうして私のことを」

 

「はい、同病の兄が群馬の草津で、万場という人に助けられました。あなた様が京城へこられることは、草津の兄が、その人に頼まれて知らせてきたのです。困った時はお助けしろと。何かの時は此処へ。私は李と申します」

 

 

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年1月15日 (月)

人生意気に感ず「ながら運転の罰則強化。刑務所内の認知症。へいわの紙芝居を」

 

◇携帯などの「ながら運転」の罰則が強化される。近く道交法改正が行われる。高齢運転者の事故が増加していることも背景にある。携帯電話使用が原因の事故は23年に1575件であったが28年には2628件となった。

 

 改正法案では、携帯電話などを操作して交通の危険を生じさせた場合の罰則について、現状の「3か月以下の懲役または5万円以下の罰金」から「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」に引き上げる。

 

◇また、非常に重要な改正点がある。「ながら運転」の反則につき、「交通反則通告制度」の対象から除外することだ。反則金を納付すれば刑事訴追されないというわけにいかなくなる。業務上傷害罪という刑法上の前科につながることになる。「叙勲」などを考える高齢者には大変重大なことである。

 

 交通死亡事故のうち75歳以上の運転者による割合は平成18年の7.4%が28年には13.5%と高まった。高齢社会の進展と共に今や自動車の交通事故は日常茶飯事の軽い問題ではなくなった。かつて、車社会の初めの頃、車は走る凶器と言われた。この表現はいつしか私語となったと思われたが、新しく重大な意味をもって甦ったと言わざるを得ない。

 

◇刑務所にも高齢化の深刻な波が押し寄せている。刑務所が高齢者であふれていることはかねてより言われていたことであるが、この高齢者に認知症が多いとなれば行刑上の重大な問題が生ずる。刑務所は今この問題に直面している。刑務所の役割は受刑者を懲らしめるだけでなく、矯正、つまり改善に重点があるからである。認知症の受刑者を一般の受刑者と同様に処遇したのでは矯正の効果は望めない。

 

 高齢受刑者の1割超に認知症の疑いがあると言われる。法務省はその対策として新年度から入所する60歳以上の受刑者に認知症の検査を義務付けることになった。入所時に60歳以上の者は認知症の受検、診療を受ける。全国の主要8刑務所で行われる。私は昨年、自動車教習所で認知症検査を受けたが、試験ということで震えているお婆さんがいた。あんな光景が刑務所で実現されるのか。刑務所も時代の波の中で様変わりしていくのだと思う。

 

◇今日、日本アカデミーで新しい部門「日本へいわ学院」の開校式が行われる。私は名誉学院長だが、多くの留学生に特別に「へいわ紙芝居」を行う。国際化を支えるものは平和であることを教える。(読者に感謝)

 

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2018年1月14日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第33話

 

 タチアナさん親子は、一時は、自分の客が大変なことになったと驚愕している様子であったが、事態が好転していることを知って、やっと人のよさそうな元の笑顔に戻っていた。

 

 青柳さんはうっすらと目を開けた。その顔に小さな生気が蘇っていた。

 

 青柳さんは、先ほど、ロシア民謡を歌っているうちに身体の力が次第に抜けていくように感じた。意識が薄れてゆくなかで、シベリアの強制抑留の収容所へ向って暗い穴を落ちて行くような恐怖感にとらわれていた。日本へ帰れなくなる、そう思いつつ青柳さんは真っ暗な世界に入り込んでいった。

 

 青柳さんは、暗い冬のシベリアの森で伐採の作業に当っていた。初めてのシベリアの冬で命を落としたはずの男たちが働いている。その一人が、お前は祖国へ帰ったのではないのかと言う。青柳さんはその通りだが、君たちのことが心配で再びシベリアに墓参りに来たのだが、ここに迷い込んだ。すぐに帰りたいのだがどうしたらよいか分からない、と答える。昔の抑留者たちは、俺たちは淋しいのだから、帰るなどと言わないで一緒にいてくれ、と言って、青柳さんの腕をつかんで森の奥へ引き入れようとする。青柳さんは、それに、必死で抵抗し、足を踏ん張った。後方で、青柳さん頑張って、と声援を送る声がした。その時、青柳さんは、明るい光の世界にいる自分を感じ我に返った。人々の顔がのぞき込んでいる。

 

「青柳さんよかったね、意識が戻ったね」

 

皆がそれぞれに叫んだ。

 

「日本へ帰れますか」

 

青柳さんの最初の言葉であった。私は青柳さんの手を握り、大丈夫と頷いてみせた。

 

青柳さんはインツーリストホテルに戻り、ベッドで休むことになった。青柳さんが順調に回復していることを確かめた後、私たちは、アムールのクルージング、そして、最後のハバロフスク市長訪問などの予定スケジュールをこなした。

 

7月23日、最後の日であった。青柳さんは元気に歩ける状態になっていた。私たち一行はハバロフスクの空港に向った。空港にはパタポア女史、通訳の仕事を立派に果したドミトリーらが別れを惜しんで見送ってくれた。私たちは、再会を約して機上の人となった。この機には、楠本総領事も退任して帰国するために乗り込んでいた。

 

機は離陸し、ハバロフスクは、眼下から次第に小さくなり、やがて消えた。

 

青柳さんは、昔、ナホトカを離れるとき、本当に日本に帰れるか心配しましたが、今回も自分だけ残されはしないか心配でしたと、嬉しそうに語った。数十年の時が経って、あの時のムシロを敷き詰めたすし詰めの帰還船とは異なり、今は、近代的な航空機に乗っての帰還である。青柳さんと塩原さんの二人の老人は、感慨深そうに遠ざかるシベリアの光景をじっと眺めていた。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

 

 

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2018年1月13日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第32話

 

ややあって、ドクターはバッグを開けて注射器を取り出した。小瓶の液体を注射器にくみ上げると、青柳さんの腕に針を刺した。先ほどとは違った、医師らしい行動に私は幾分安心した。

 

 ドクターは、何やらドミトリーに話している。ドミトリーが私に説明するところによれば、暑い中の過重な行動で心臓に思い負担がかかったことが原因で、しばらく安静にしていれば回復するという。

 

 それを聞いて、私はほっとした。ハバロフスクに到着以来、今日は特に暑い。その炎天下で青柳さんは長時間、直射日光に曝されながら一心不乱に経を読んでいた。あれが祟ったのだ。私は、日本人墓地の青柳さんの姿を思い出しながら改めて思った。

 

 一同は、静かに青柳さんを見つめている。

 

 しばらくして、青柳さんの顔にいくぶん生気が蘇ってきたように感じられた。ドクターは青柳さんの脈を確かめている。次に心臓にそっと触れた。それから私たちの方を見た。その目が大丈夫ですと語っている。

 

 ドクターは立ち上がった。入院はしなくてもいい、一日静かにしていれば普通に行動できるようになるとドミトリーに伝え、それから私に近づいて、細長い心電図と診断の結果を記したものらしい一枚の紙片を渡した。

 

「治療費は、いくら払えばいいの」

 

私は先ほどから気になっていたことをドミトリーに聞いた。

 

「無料です。御礼として500ルーブルやってください」

 

ドミトリーが小声で答えた。私はすぐに言われるままに500ルーブルをドミトリーを通してドクターに渡した。ドクターはにっこり笑って受け取ると助手と共に階下に下りて行った。500ルーブルというと2千円足らずの金である。私は、御礼の仕方が分からず、これでよいのだろうかと思いながらドクターの消えた階段に向って頭を下げていた。

 

 ロシアの医療制度では、医療費は医療保険によってまかなわれるが、保険料は勤務先の企業や団体が支払い、年金生活者や失業者などの保険料は、国や州などの行政機関が支払う(ただし、事業活動をしている者などは本人が保険料を支払う)。したがって、国民は無料で医療を受けられるのである。この制度の趣旨からして、外国人は別で、有料とされても仕方ないとも考えられるが、青柳さんは無料というありがたい扱いを受けた。ここでも私たちは、ロシア人の温かい心に接した思いであった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

 

 

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2018年1月12日 (金)

人生意気に感ず「日本のカヌー選挙がライバルに薬物を。はれのひ事件。中国大使館を。育英の快挙」

 

◇こともあろうに日本のスポーツ界にとんでもないことが起きた。東京五輪を目指すカヌー日本代表候補者がライバルの飲料水に禁止薬物を混入したというのだ。ライバルを陥れようとする悪質で卑劣な行為である。筋肉増強剤で検査で陽性反応が出た選手は暫定的に資格停止処分を受けていた。ロシアの組織的ドーピングに怒りを感じた時、それは日本には無縁のことだと思った。

 

 目的のためには手段を選ばないということがここまできたのかと思う。ロシアや北朝鮮を軽蔑出来ない思いだ。東京五輪を前にしてなんということだろう。厳正な措置を直ちにとり世界に示さねばならぬ。日本にこのような不祥事が生ずるとは全世界が思っていなかった筈だ。日本も同じではないかということになる。オリンピックの原点に帰ることがスポーツだけでなく公正公平な世界の実現につながる。日本人の精神の崩壊現象の一端を見る思いである。

 

◇「はれのひ」事件に日本の詐欺社会の深刻さがここまで来たかの感を抱く。新成人はどんな感想をもったのか。慣れっこなってそれほど怒りを持たないのか。それともここまで進んだ社会悪に危機感を募らせたのか。警察は徹底した捜査で犯人を捜し出して真相を明らかにすべきである。

 

◇10日に中国大使館を訪れた。群馬県日中友好協会会長として、今月22日の新春交流会の案内と3月2日の「一帯一路」の講演の打ち合わせが目的である。大使館の庭には昨年植えた五葉松がすっかり根付いていた。今年はこのところ日中の記念すべき事業が続く。日中国交正常化と日中友好条例締結記念だ。険悪だった日中間も大きく変わりだした。「一帯一路」に距離を置いていた安倍政権もしっかり対応する姿勢を示し始めた。大使館でも大きな変化を感じることができた。3月2日には大使夫人汪婉さんが一帯一路を語る。また、商務部のエキスパートが具体的な問題点を語ることになった。群馬県日中友好協会としては、文化の交流で実績を積み重ねてきたが、今後は更に経済の交流にも力を入れるつもり。一帯一路は一つの良いきっかけになる可能性がある。大使館の雰囲気からもそう感じた。

 

◇育英サッカーに市民栄誉賞が贈られる。育英の同賞受賞は全国高校野球制覇に次ぐ。凄い快挙なのだ。同校の人々と前橋に勇気と希望を与えた。(読者に感謝)

 

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2018年1月11日 (木)

小説「死の川を越えて」 第41話

 

 

 

「兎に角、このところの中国の情勢は目が離せぬ。わしの所へは、いろいろ情報が入る。その都度話してやるが、お前たちは心配せず、しっかり毎日を生きねばならぬ。それが銃後の守りというものじゃ」

 

万場老人は、口元を引き締めてきっぱりと言った。

 

 京都大学で小河原泉に会って、さやは子を産むことに光明を見出した。そして、何としても産みたいという強い決意になっていた。神から授かった尊い命であり、正助との間を結ぶ唯一の絆でもあった。さやの決意を知ってから、こずえはしっかりとさやを支えた。それは、万場老人の指示であったが、それ以上に命を育むさやへの同志的思いもあった。

 

 さやはお腹が大きくなり始めるころ、麓の集落に移った。そこは、万場老人の一族の屋敷でこずえも住んでいた。湯の沢集落で子を産むと、生まれる子が差別と偏見を背負うことになるから避けた方がいいという万場老人の配慮だった。

 

 さやは時々、夜になると村の社に通って、そっと手を合わせた。健全な子が生まれますように、正助が無事でありますようにと。

 

ある夜、杉の木立の中を社に向かうと、後ろからヒタヒタと近づく足音がした。振り返るとこずえだった。

 

「知っていたのよ。一緒に祈ってあげる」

 

にっこり笑った顔が青い月光の下で美しい。

 

「まあ、嬉しいわ。思いがきっと通じるわね」

 

さやの目に光るものがあった。

 

期待と不安の重圧の中でさやはその時を迎えた。元気のいい玉のような男の子であった。

 

〈正さんに目がそっくり〉さやは不思議な感動にひたっていた。

 

 名前は正太郎。万場老人が名づけ親になった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年1月10日 (水)

人生意気に感ず「脱北者が歌える染色体異常。ブログを本にして寄贈。育英の快挙」

 

◇北朝鮮の核実験場に関する被害が報じられている。情報を伝えない政府、そして住民の無知。この二つの要素は民主主義が存在しない社会の象徴である。北朝鮮の政府は都合の悪い情報を国民に隠す。国民は無知で、かつ情報がないから抗議することも出来ない。北朝鮮の核問題が核と民主主義に関する深刻な事実をえぐり出した。

 

 地下核実験場近くに住んでいた2人の元住民の染色体異常が見つかった。2人は脱北者である。多くの住民が頭痛や吐き気などを訴えていると言われる。目的のために手段を選ばない、核を手に入れるという目的のためには国民の生命、健康などは平気で犠牲にする恐怖の犯罪国家の実態である。

 

◇2人は核実験場から30キロ以内の元住民。脱北出来ない多くの住民がいるに違いない。核実験や弾道ミサイルの実験成功に狂喜して偉大な将軍様と褒め称える北の国民もこのような事実を知らないのだ。私は、核の危険性がその国の政治状況と深く関わることを痛感する。情報を隠すことに全てが現われている。旧ソ連のチェルノブイリの事故も同じようにして起きた。民主主義が育っていない国に核が広がる恐れがある。北朝鮮の核を認めることは、このような事態が広がることを意味する。

 

 原発問題も同様である。民主主義が進んでいる日本でも、原発事故が起きた。原爆と原発は同根である。広島と長崎を経験し、福島の事故を防げなかった日本は、更に原発を推進するのか。今、このことが大きく問われている。

 

◇10年以上にわたって続けている私のブログを製本して、県議会に寄贈した。6ヶ月毎に一冊にしたものが30冊を超えた。その時々の出来事を私の胸で受け止めたものである。外国に渡った時も、現地から原稿を事務所に送って続けてきた。先日、古巣の県議会へ行って、この寄贈の事実を伝えた(5日)。

 

◇5日、県庁舎32階で県議会の名刺交換会に出たとき、突然けたたましく地震速報が鳴った。何百人という人の多くが持っている携帯が一斉に鳴ったので皆驚いて、中には「北のミサイルか」と叫んだ人もいた。このところ地震がやけに多い。すっかり慣れっこになっている我々であるが、大地震が確実に近づいていることを感じる。戦争の足音と共に歴史的瞬間が近づく。

 

◇育英サッカーの全国制覇は新年の快挙。育英と共に歩んだ私は育英の歴史を讃えたい。(読者に感謝)

 

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2018年1月 9日 (火)

小説「死の川を越えて」 第40話

 

 

 

「うむ、さやさんが心配するのは無理もないこと。わしも成り行きを心配しとる。今日はこのことを話さねばならぬな」

 

万場老人は、傍らの書物の山から何枚かの書類を引き出した。

 

「中国に4億の民がいると申す。前にも話したことじゃが、中国の民が日本に対し一斉に怒りを向け始めた。若者だけでなく、一般の市民や農民までが反日を叫び出した。正助がそこに向けて入って行ったとすれば、わしは正助の身が、そして日本の将来が心配でならぬ」

 

「でも、世の中は勝った勝ったと大騒ぎしていますけど」

 

さやが抗議するような目を老人に向けた。

 

「問題は情報じゃ。国民に正しいことが伝わらぬうちに日本丸が恐ろしい方向へ向かう恐れが生まれる。その中に向かう正助がふびんじゃ。勝っただけで安心してはいけないのだよ」

 

<私たちだって大変>。さやは心でつぶやきながら、そっとお腹を撫でた。

 

「先ずな、今の世界戦争を日本の指導者は天の助けとみている。わしには、日清、日露で勝ったことで付け上がっているように思えてならん」

 

 老人の目が光った。

 

「御隠居様はアヘン戦争のこと、北のロシアの恐ろしさのことなどよく話して下さいました。そんな世界で正義ということが通用するのでございますか」

 

先ほどから黙って聞いていたこずえが口を挟んだ。

 

「当然じゃ。いつの時代も戦いには正義がなくてはならぬ。国の運命、国民一人一人の命が関わることは、正義があって初めて動くべきこと。この基本を忘れるなら必ず失敗する。これは長い人類の歴史が教えることなのだ」

 

こずえは感心したように大きく頷いた。

 

「今の戦いはヨーロッパが主戦場でな、中国大陸はがら空きになっておる。日本は日英同盟によってイギリス側でな。イギリスの要請で日本はドイツに宣戦布告した。そしてドイツの領分を攻撃し、勢力を広げようとしている。日本の指導者は絶好の好機と考えとる。ここぞとばかりに中国に無理な要求を突きつけたというわけだ。わしに言わせれば、火事場泥棒じゃ。火事場泥棒の片棒を担がされる正助は、このことを知らぬ」

 

「まあ」

 

「何ということ」

 

さやとこずえは不安そうな視線を交わした。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2018年1月 8日 (月)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第31話

 

「そっと横にさせよう」

 

 塩原さんが言った。私とドミトリーが抱えてソファーにのせた。青柳さんは幽かに右手を上げて何か訴えようとしている様子であるが、その手も力なく下がってしまった。

 

「青柳さん、どうしました、しっかりしてください」

 

私は静かに言った。答えはない。意識がなくなっているように思えた。異国の出来事なので私たちはどう対処してよいか分からない。

 

この時、ドミトリー青年が冷静に的確に行動を起こした。

 

「まず、総領事館ですね」

 

彼はそう言うと、片手でさっとメモ帳を開き、もう片方の手で携帯電話のボタンを押した。私はドミトリーの指先を見詰め、息をのんで応答を待った。

 

「昼で、だめです」とドミトリーは言った。一秒一秒が長く感じられる。青柳さんがこのまま回復しなかったらどうしよう。私の不安は高まっていく。頑張ってくれ、と私は祈った。ドミトリーだけが頼りであった。彼はいろいろな所へ電話している。ロシア語で話すドミトリーの声も緊張している。

 

彼は私の方を向いて言った。

 

「すぐに救急車が来ます」

 

私はほっとした。十分くらいというが、その間が長く長く感じられた。やがて、三人の太った女性救急隊が姿を現した。彼女たちは、青柳さんの腕をまくり、脈を触診、まぶたを裏返したり、心臓に手を当てたりしはている。ロシアの医療スタッフは、正規の医師と看護婦そして中学卒業後三年間の医療の訓練と教育をうけた補助医から成っている。目の前の女性は看護婦か補助医か。彼女たちは顔を見合わせて何やら囁き合っている。私には、彼女たちがいかにも心もとなく見えた。焦る心を抑えてドミトリーを見た。ドミトリーも同じ気持ちであったらしい。女性と何か話していたが、

 

再び携帯電話でどこかに連絡している。彼は話の途中で私の方を向いて、青柳さんの年齢、普段の病気について尋ねた。私は、心臓の持病のことを話した。彼は、再び電話の相手と話していたが、間もなく話し終えて、私に言った。

 

「ドクターが来ます」

 

地獄に仏とはこのことだと思った。間もなく、恰幅の良いドクターが助手を連れて現われた。助手は重そうな医療用器機らしいものを携えていた。ドクターは、それからラインを伸ばして青柳さんに取り付けている。心電図をとるらしい。

 

「日本の機器です」

 

ドミトリーが小声で言った。ドクターは体温と血圧を測り、心臓に手を触れ、機器から出てくるデータを見ていた。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

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2018年1月 7日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第30話

 

やっと4階のロシア人の家庭に着く。パタポアさんの知人であるタチアナさんという50歳くらいの女性がその母親と待っていた。2LDKのこぢんまりとしたたたずまいである。部屋はよく片付けられていて日本の県営住宅を思わせる。私たちは、テーブルについた。私の左右に塩原さんと青柳さんが座り、その向かい側にタチアナさんをはさんでその母親とパタポアさん、そして、これらの人々を横から眺める位置にドミトリーが席をとった。

 

ロシアの一般の家庭の様子を知りたい私たちは、自己紹介しながら会話に入った。タチアナさんの夫は生産工場に勤務、大学生の一人息子がいる。その母のソーニャさんは89歳だという。日本では珍しくないが、ロシアの平均寿命は73歳くらいというから、かなりの高齢である。見たところまだかくしゃくとしている。ご主人はとっくに亡くなったらしい。私が年齢を聞いたとき、老婆は微笑を浮かべながら、長く生き過ぎましたよと言った。

 

日常の生活習慣や最近の社会の変化などを聞いた。私はソ連崩壊後の変化を聞きたかったのだが、ロシアの市民は、政治のことを話すのが嫌いらしい。それでも、ものが自由に言えるようになったが、物価が高くなった、子どもたちは将来の目的が持てなくなって迷っている、国の力が弱くなったせいかロシア全体では犯罪が増えている、また、日本の車が非常に多くなった、日本の車は評判はいいがなかなか手に入らない、などのことを聞くことができた。

 

談笑のうちに時間が過ぎて、時刻は正午をかなり回っていた。メーンディッシュが用意された。キャベツ、パプリカ、キュウリを細かく刻んだサラダ、2種類の黒パン、ハムやサラミソーセージの盛り合わせ、それに水ギョーザなど。テーブルはカラフルな食べ物で華やかであった。食べる前に一同でロシア民謡の「ともしび」を歌った。前の二人のロシア女性はロシア語で歌っている。その時のロシア女性の表情は生き生きとし、見とれていた私は、ロシアに溶け込んでいるような気持ちになっていた。

 

その時のことである。ふと横に目をやると青柳さんの口が動いていない。瞑想にふけっているのかと思ったが、そうではない。顔の血の気が失せている。ただごとではないと思った。

 

人々は気付いて歌うのを止めた。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

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2018年1月 6日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第29話

 

 私たちは、そういう思いを込めて、日本人抑留者の墓という碑に花を捧げ、線香を立て、手を合わせた。小泉首相も訪れたというこの墓地は静まりかえり、折りしも、真昼の太陽が真上にあってじりじりと私たちを照りつけていた。雑草も花も短いシベリアの夏を精いっぱい生きているようである。

 

 青柳さんは碑の前に座し、ビロビジャンの時のように経典を読み始めた。よどみない声があたりの日本人の墓の上に流れ、それは隣接するロシア人の墓群の中にも伝わっていくようである。塩原さんは青柳さんの後ろで一心に手を合わせて祈っている。パタポアさん、ドミトリー、草取りの老人も青柳さんを囲むように祈っている。ビロビジャンの墓で、また平和慰霊公苑で、塩原さんは、俺だけ日本に帰って悪かったと声をあげて泣いたが、祖国に帰れなかった友を思う気持ちは、青柳さんも同じである。あの時は、他を顧みる余裕はなかった。自分のことを考えることが精いっぱいであった。数十年の生を得て再びシベリアの地に立ってみると、同胞の無念さが痛いほど分かる。

 

 

 

頭上の太陽は突き刺すような光を容赦なく私たちに浴びせていた。風はそよりともせず、とにかく熱い。私たちは時々動いたりして直射日光を避ける工夫をしていたが、青柳さんは微動だにしない。青柳さんの読経の声はますます高まり、その後ろ姿は80に近い老人のものではなく、岩のように力強く見えた。

 

〈皆さん、どうか安らかにお眠りください。皆さんの死を決して無駄にしないように、私は頑張ります〉

 

 緊張した空気の中で、私は祈っていた。

 

 私たちは日本人墓地からさほど遠くないロシア人の家族を訪ねることになっていた。一行がついたときは12時を少し回っていた。4,5階建てのアパートがいくつか建っているその一つにドミトリーが案内する。今日はエレベーターが動かないというので4階まで歩くことになった。手すりにつかまって階段を登る青柳さんの姿はいく分苦しそうに見えた。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

 

 

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2018年1月 5日 (金)

人生意気に感ず「米朝が北京で会議とは。戦争の危機は。新たな核の危機は。貴乃花」

 

◇三が日が終わった。世界の緊迫した情勢には正月もない。米朝間には一色即発の張り詰めた緊張がみなぎっている。テレビで板門店の光景が報じられた。板門店の中には大きなテーブルが置かれ、その中央に南北の境がある。テーブルをぐるりと回ると北朝鮮に入って出たことになる。私もかつて北朝鮮にこのように入り込んだ経験がある。

 

 米朝間で、秘かに重要な動きがあると報じられている。北朝鮮の核・ミサイル開発をめぐり両国政府の関係者が昨年12月上旬、北京で極秘協議を行ったらしい。これは、最近金正恩委員長が韓国に対し平昌五輪を巡って対話の可能性のシグナルを送っていることと関連しているのではないか。

 

 金正恩氏とトランプ氏、双方が核のボタンが常に机の上にあると誇示している。上記の情報が事実とすれば、2人のボタンの主張は目くらましの演技だったのかもしれない。金正恩委員長も馬鹿ではないだろうから負ける戦いは避けるに違いない。我々が想像している以上に賢明でしたたかなのかも知れない。この点はトランプ大統領も同様であろう。

 

 戦争がぎりぎり回避されることは間違いなく良いことだ。正直、この雰囲気に私はほっとした。戦争が始まれば、未曽有と表現されているこれから始まる好景気も吹き飛ばされるだろう。

 

◇だが、気になることがある。米朝の会談が北京で行われたとされる点だ。安倍首相が知らされていなかったとすれば、日米の信頼関係に大きく関わる。台頭する中国に対して日米安保という同盟の絆で対応してきたことに不安と不信を抱かざるを得ない。かつて日本の頭ごしにニクソンが訪中して毛沢東と会談したことが思い出される。

 

◇北朝鮮が核保有国として認められることになれば大変だ。核ドミノと言われるが、核保有国が世界に広がる契機になる。中国とロシアは北の核保有を秘かに歓迎するだろう。そして韓国と日本に核武装論が台頭するだろう。それは憲法改正論議に大きく影響するに違いない。私たちは今、逆巻く渦の中にいる。国民一人一人の冷静な判断と対応が求められている。

 

◇貴乃花親方が理事を解任された。相撲協会には深い因習があるに違いない。上手に戦って土俵際でねじ伏せて欲しかった。改革のいいチャンスだったと思う。まだ戦いは終わっていないかもしれないが。(読者に感謝)

 

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2018年1月 4日 (木)

小説「死の川を越えて」 第39話

 

京都大学の構内を出たさやの足取りは軽かった。前途に光明を見出した思いであった。

 

「こんなに嬉しいことはないわ。御隠居様も大喜びよ」

 

こずえが自分のことのように喜ぶ姿が、さやには光を放つように見えた。

 

 帰りの車中で、2人の話は万場老人のことに及んだ。

 

「万場老人は不思議な方ですね。病気のことを聞いてはいけないのでしょうけど。心の支えです。とても感謝しているわ」

 

「秘密はあるけど、あなたは別よ。麓の村に大きな屋敷があって、昔の御先祖は大きな力をもっていました。御隠居様は東京でお生れになり立派な大学で学問を積まれました。発病されて、一族の名誉を考えて、湯の沢集落に入られたのです。私は縁者で、里から物を運んだり、身の回りのお世話をしてるの。話せるのはこの位よ」

 

さやは、話を聞いて胸がふくらむ思いであった。こずえの明るい笑顔の奥に、品格と人の歴史を感じるのであった。

 

 頷くさやの横顔を見てこずえが言った。

 

「御隠居様に、あなたのお世話をするように言われているの。今日のお話を聞いて、私も勇気が湧いたわ。御隠居様に報告しましょうね。私の里にあなたをご案内する日が来ると思います。一緒に頑張りましょう」

 

「ありがとう、こずえさん」

 

さえの目に涙が光っていた。

 

 

 

正助が旅立ってからしばらくして、便りがあった。それには、正助の隊は中国へ向かうらしいとあった。

 

 ある日、さやはこずえと共に万場老人を訪ねた。

 

「そうか、京都大学の先生がそう申したか。それが正しいと思う。それを信じようではないか。遺伝はしない。感染の力も弱い。これこそ湯の沢集落の光を支える力だ。正助が知ったらどんなに喜ぶことか」

 

「正さんは中国へ向かったと言います。中国とはどんなところで、戦いはどうなるのですか」

 

さやが不安そうに聞いた。

 

 

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年1月 3日 (水)

人生意気に感ず「米朝間の戦争は。死の川の完結を。原発ゼロを」

 

◇平成30年がスタートした。昨年以来世界情勢は怒涛の中にある。世界をかき回している2人の男がいる。トランプ大統領と金正恩委員長だ。2人とも常識で測れず予測不能な人物である。新年の最大の懸念はこの2人の間、つまり米朝で戦端が開かれるかどうかだ。様々な状況が急激に動き始めている。固唾を呑む瞬間が刻々と近づいている。

 

 米朝間で戦端が開かれた場合、北朝鮮が第一に攻撃目標とするのは日本と韓国である。私たち日本国民の生命をいかに守るかということが、今待ったなしの課題として突きつけられている。平和ぼけと言われる日本国民はこの窮極の課題から逃れることは出来ない。いざという時、身を守らなければならない。身を守る手段は先ず自衛隊である。戦うにも守るにも日本国憲法に立脚しなければならない。アメリカに押し付けられたということを強調して、多くの国民はこの憲法に距離を置いてきた。現在、私たち国民に国を守るという使命感が育っていないのは、このことに原因がある。

 

 金正恩委員長は、1日の新年の辞で「核のボタンが私の事務室の机上に常に置かれている」と主張した。父親の金正日が亡くなった時の国民の姿が報道されたことがある。泣き叫び、もがきのた打ち、上げた手は虚空を掴んでいる。正に狂気の沙汰。この国民に理性を求めることは出来ない。いざ戦争になれば、文字通りの火の玉になるに違いない。

 

◇今年の私自身の課題として連載小説「死の川を越えて」の完結がある。3月の上旬の予定である。終局はハンセン病の患者たちの人権闘争の場面なので、憲法の基本的人権の諸規定が問題となっている。原稿を書く仕事が過密になったため、このブログも回数を減らし、週3回(月・水・金)としている。3月からは従来のように月から金にする予定である。

 

◇立憲民主党が今月召集の通常国会に「原発ゼロ基本法案」を提出する。速やかに全ての商用原発廃止を基本方針とし、エネルギー危機に陥った場合以外は稼働を認めないというもの。

 

 小泉元首相のグループも同様の法案を作成している。原子爆弾と原子力発電は同根である。広島と長崎を経験している日本がなぜという思いがある。福島第一原発があっても目覚めない。日本が原発ゼロを技術力で達成することが日本が世界に示す金字塔だと思う。(読者に感謝)

 

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2018年1月 2日 (火)

小説「死の川を越えて」 第38話

 

「感染はどうなのでしょう」

 

さやのもう一つの大きな不安であった。

 

「私が今、研究している最大の課題です。皆さんの草津は、重要な示唆を与えています。一つの実験場と言えます。共同浴場は昔、患者と混浴でしたね。人々は長い経験から容易にうつらないことを知っていたのではないでしょうか。少し正確に言うと、菌が体に入ることと病気が発症することとは別なのです。菌が体に入っても、体に力があればほとんど発症しません。栄養が悪かったり、体の力が落ちると発症する。私が集めている資料では、貧しい農村に患者が圧倒的に多い。これは貧しくて栄養事情が悪いからではないかと思います。この体の力、菌と戦う力を免疫力と言います。私の集めた統計では一般の感染率は非常に低い。感染率が非常に高いというのは迷信だと信じます。近い将来、ハンセン病菌は薬によって撲滅されるに違いありません。ハンセン病の撲滅は人間の回復です。しかし、ハンセン病の撲滅は癩菌の撲滅だけでは達成できません。世の中の偏見をなくした時、ハンセン病の撲滅は実現するのです。地域社会が力を合わせ偏見と闘わねばなりません。現在は、社会全体でハンセン病の患者をいじめている状態です。皆さんの湯之沢集落は特別な所として注目しています。キリスト教徒のリー女史、岡本女医も同じ思いだと信じてます」

 

小河原泉の言葉をさやは熱い心で受け止めた。

 

小河原は、去っていくさやたちを研究室の窓越しに見ながら、ああいう人たちまで隔離するというのは絶対に間違っている、思った。

 

研究室の同僚が小河原に向かって言った。

 

「上州の草津の人たちですか。あそこは研究の宝庫だね」

 

「そうです。僕は草津の人に会って、ここの方針が正しいことを確信したよ。感染力は弱い。学界と国は隔離すればいいと思っている。僕はこれは間違っていると思う。君はどう思うね」

 

「基本的には、小河原君と同じだよ。日本の主流は一生隔離というんだから、酷い。人道に反する。実際、治る人もいるのだから、よくなったら解放すべきだと思う」

 

「僕は、草津のあの女の人たちの輝く表情を見て思ったんだ。仮にあの人たちを隔離したら、あの表情は消える。ということは何を意味すると思う。心の力が失われることじゃないか。免疫力が下がってしまうと思う。あの人たちが言っていた。湯の沢というハンセンの集落は、患者たちが助け合って村を運営しているというんだ。僕はこういう助け合いの力が免疫力を生み出しているとさえ言えるんじゃないかと思うんだ。医は仁と教えられた。隔離は仁に反することだと思う。今日、あの人たちに会って、改めてこのことを確信したよ」

 

 小河原は、にっこりと笑って言った。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2018年1月 1日 (月)

新年明けましておめでとうございます。

 

今年もブログで皆さんのお世話になります。長いこと月曜から金曜まで毎日更新しておりましたが、小説の連載が非常に厳しいこともあって、現在月・水・金の3日間となっています。3月からはまた元に復する予定です。

 

 ところで、ブログについて一つお知らせしたいことがあります。これまでに県会議員時代からほぼ毎日続けてきたブログを6か月ごとに一冊に編集してきました。それは主に事務所用でありましたが、それを整備して製本化の作業を進めています。全体で40冊近くになりますが、とりあえず13冊が完成し、県議会図書室に寄贈することになりました。時々の社会問題、県政のことなどを振り返る資料になればと願っております。

 

 読書離れ、長い文は読まないということが時代の流れといわれますが、マイペースを貫いてきた私のブログです。ささやかな情報の発信源、そして私の意見発表の「ひろば」と思っています。皆さん、今年も何とぞ宜しくお願い申し上げます。

 

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