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2017年12月16日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第23話

 

一枚一枚は、収容所の生活を巧みな筆致で描いたもので。細かな説明文が描き込まれている。画集には目次がつけられ、「作成理由」と題するものから始まり、最後は「決意表明」で終わる。収容所生活が素晴らしかったことを絵で説明し、スターリン大元帥への感謝とソ同盟に対する忠誠を誓うもので、「感謝文」の絵画版である。

 

 私が、感謝文の説明を受けている間、後ろでドミトリーたちがカチャカチャと写真に収めていたが、館側は黙認してくれているようであった。作業がかなり進んだところで、ストップがかけられ、お互いににこりと笑顔が交わされた。これがグラスノチ(情報公開)の実態なのだなと思った。かつてのソ連では考えられないことなのであろう。館の中は極めて友好的で、恐いソ連の官憲というイメージはまったくなかった。これらのこともロシアの変化の現われとして紹介しようと思いながら、ハバロフスク国立古文書館を後にした。(スターリン大元帥への感謝文は、項を改めて紹介する。)

 

 

 

六、収容所跡、抑留者がつくった建造物を見る

 

 

 

 7月21日の午後はパタポア女史、ドミトリーの案内で、ハバロフスク市内の多くの場所を回った。

 

 主な調査先は、第16収容所本部跡、第21収容所跡、第45特別収容所跡(現診療所)、元共産党大学(現極東公務員アカデミー)、プラチナアリーナ、TV塔下の建物、ジアモ公園の正門、ライオン像、日本人建設の住宅群、平和慰霊公苑、コンサートホール、アムールホテル等々である。

 

 第16、第21収容所跡地等は草が茂り、建物はなく、ここに収容所がありました、という説明を受けた。現在は何の変哲もない荒地であるが、かつては多くの日本人抑留者がここから強制労働に追い立てられていったのであろう。零下30度、40度という酷寒の下で、ろくな食べ物もなく、栄養失調でバタバタと倒れた人々のことを想像すると胸が痛む。20世紀の「奴隷」が、半世紀前ここに現実に存在したのだ。そう思いながら振り返ると塩原さんと青柳さんは、かつての自分たちの姿を思い出しているのか、夏草のあたりをじっと見詰めて立ち尽くしていた。

 

 

 

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載いたします。

 

 

 

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