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2017年12月23日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第25話

 

第45特別収容所の跡は、現在、にぎやかな大通りに面した、第三診療所と呼ばれる病院に変わっていた。

 

ここには、元満州国皇帝愛親覚羅溥儀やもと関東軍の高級将校が収容されていた。ここで亡くなった9人の元高級将校は、翌日訪ねる予定の日本人墓地に埋葬されているという。

 

大通りに面したところに置かれた大きなライオン像は、一帯の建物がつくられた時、その記念にと抑留者の中の優れた彫刻家が制作したという。

 

二頭のライオン像は、堂々として威厳が感じられる。苦悩と怒りを表してあたりを睥睨(へいげい)するその姿は、現実にはかなわぬ抑留者の思いを表しているのかもしれない。

 

日本人が建設に携わった多くの建物は、今日、まだしっかりとした姿で残っており、日本人が確かな仕事をしたことを雄弁に物語っているようだ。あるロシア人は、語っていた。

 

「日本人は、立派な仕事をしたので、窓や床はまだ少しも狂っていない。日本人はすごいですね」

 

 恨みこそあれ、夢も希望もない境遇で、堅実な仕事をした日本人はさすがであった。日本人抑留者が残した物が、今なお、ハバロフスク市民の間で、建築物として使われ、あるいは芸術作品として評価されているということは、日本人抑留者の意思が、恩讐を越え、時代を超えて、浄化された形で生きていることを意味するのではないか。このことを、21世紀の、発展する日ロの関係の中で生かしてゆくことが私たちの責任であり、抑留者の苦しみにこたえることだと思う。

 

 なお抑留者が建設に携わったアムールホテルは、ハバロフスク市でつくられた第一番目のホテルだというが、にぎやかなメーンストリートの一角に、小さな規模ながら、他の今日的な派手な建築物の中で、しっかりと存在感を発揮していた。また、コンサートホールは、歌手の三波春夫がその修理に携わっていたといわれるが、アムール川の近くに、今でも、市民が芸術文化活動を繰り広げる場所として現役の姿を保っていた。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

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